水宮家と龍神様⑥~待ち望んだ時~
杏那はこれからの流れを皆に説明し、それぞれに手伝ってもらいたいことをお願いした。皆快く引き受け、すぐに準備は完了した。そして、池の前に龍臣を横たえる。その横には儀式のための陣が地面に書かれ、陣の中心には池から引き揚げた錆びた鏡が置かれている。青い石のついた簪は一旦、龍也に持っていてもらった。杏那は龍也に確認する。
「水宮様、お爺様のお名前を教えていただけますか?」
「祖父の名は龍臣。水宮龍臣です。」
「分かりました。ありがとうございます。」
杏那は龍臣を前にして地に膝をつき、龍臣を見据え、両手を口の前で組んで祈りを捧げる。杏那の瞳が陽だまりのような金色に輝き黒髪は紫がかった銀髪になって光を放つ。まるで太陽の女神のような神々しさを纏っている。そして、陽だまりのような温かさがその場に広がる。
『光のベールを、龍神様並び龍臣様に捧げます』
杏那が呟くと森神に使ったのと同じ、陽光のような眩い光の糸で織られた薄い衣のような光の束が杏那の手から龍臣へと伸びていき、龍臣を優しく包み込む。龍臣は光のベールに支えられ、宙に浮きあがった。
『太陽の女神よ、天の光よ、闇を照らすは神の愛。神器の鏡よ、苦しみの刃を収め、正しき器に還られませ。古の呪縛をほどき、あるべき場所へ還られませ!』
杏那と龍臣を取り巻く光が一層眩しく白金に輝くと、龍臣の左肩と右脇腹のあたりから影のような何かが形を表す。影が現れた位置は老婆の記憶で見たあの瞬間、鏡の破片が刺さったところだ。あの時、龍神は左肩~首に近い部分に、祭主は右脇腹に刺さっていた。影が徐々に濃くなると、銀色のいびつな三角形が現れ、龍臣の身体から離れ始める。杏那は慎重に神力を加減する。浄化の力を龍臣の方に注ぎ、ゆっくりと確実に鏡の破片を龍臣の身体から取り出した。破片が身体から離れたのを確認すると、今度は陣の前にいる龍也が復元の術を発動する。龍也は両手を強く打ちつけ、呪文を唱える。
「我ここに命ず。水宮の家に伝わりし神器の鏡よ、汝を離れし光の欠片を受け入れよ。あるべき姿に、あるべき役目に還り給え!」
陣の周りには風が起き、陣の中央に置かれた鏡の本体から、龍臣の身体から取り出された破片に向かって青白い光が稲妻のように飛んでいく。破片を捕えると破片は自ら還っていくかのように、鏡の本体へと吸い寄せられる。龍也は集中力を切らさずに、手を合わせたまま鏡を見据え、破片が完全に本体に吸収されるのを見届ける。鏡の本体は破片を吸収するとふわりと宙に浮き、復活を知らせるように一筋の青白い光をあたりに振りまき、地面に自らそっと着地した。まるで意思を持った鏡のようだ。
龍也が術をかけている間、龍臣たちが術の影響を受けないよう、ずっと神力を使って龍臣たちを守っていた杏那は鏡が元の神器に復元されたことを見届け、人知れず気合を入れ直す。
(水宮様、成功ね。これで呪いは解けたはずだわ。お二人からも呪縛の気配は消えたようだし。このまま、今度はお二人を分離するわ!)
神力を使い続けている杏那はこの時点でも相当エネルギーを消耗しているが、周囲の心配も他所に当の本人は全く気付いていない。杏那は龍臣とその影に龍神の気配を感じながら語り掛ける。
「龍神様、龍臣様、今からあなた方を分離します。私が太陽神様の浄化の力と太陽のエネルギーを注ぎますので、どうか警戒せず、私の声に耳を傾けてください。」
杏那は次に豪に指示を出す。
「爺や、二人の時が歪まないように、サポートをお願いします。」
「承知いたしました!ようやく私の出番ですな!長い時間を共有してきたお二方の時間と記憶が分離によって歪むことがないよう、そしてこの先の時をそれぞれ正しく刻めるよう導かせていただきましょう!」
豪は待ってましたとばかり、頼りにされて素直に嬉しそうである。
「私もサポートしよう。」
今度はレオが杏那の後ろに来ると両手を杏那の肩に置き、レオの持つ神力を注いでくれる。杏那は豪とレオの頼もしさに感謝しながら、本日三度目となる祈りを始める。
『太陽の女神よ、天の光よ、闇を照らすは神の愛。人の影に潜むは気高き龍神、龍神の影に生きるは心優しき人間、二人の呪縛は解かれました。互いを求める刃は解かれ、己の道を選ぶ時、今ここに二人を分かちます。龍神様、人の身体から抜け出し、気高く勇ましい、そして優美な本来の貴方にお戻りください。力を取り戻し、この地を再びお治めください。』
杏那がそう語り掛けると龍臣が苦しそうに呻き声を上げる。龍神が龍臣の身体から出ようとしているのだ。長年、身体の中にいた強靭な存在が抜け出すのだから、器となっている人間の心身の負担は相当なものである。龍臣は体中の痛みから苦し気に呻いている。杏那は龍臣を支えている光のベールを緩めつつ、二人の分離を後押しすべく浄化の力を強める。そして今度は龍臣に語り掛ける。
『龍臣様、長きに渡る苦しみから、開放される時です。龍神様の新たな出発を祝い見送りましょう。貴方も本来の生を取り戻すのです。私がサポートします。どうか安心してください。生を取り戻した貴方は才ある後継者とともに新たな栄華を築くのです。』
杏那はそう語り掛けながら、レオの神力が流れ込んでくるのを実感していた。二人の強い神力と杏那の説得により龍神が龍臣の身体からようやく抜け出る。龍神は本来の力の強さと杏那からのエネルギーのおかげで、本来の姿を取り戻した。杏那の光のベールに支えられ宙に浮いているが、青味がかった銀髪が光の波動で広がりなんとも神秘的な姿である。一方、龍臣は生身の人間であり、心身の消耗が激しいが、杏那からのエネルギーのおかげで何とか持ちこたえている。
「爺や、お願い!」
杏那が豪にそう言うと、豪は左手の中指にしていた指輪の深紅の宝玉を少し擦ると左手を握り、宝玉を龍神と龍臣の方に向け、自身の右手で左手を支える。豪が深紅の宝玉に向かって呟く。
「時の神よ、今ここに正しき過去と新たな時を導き給え。」
すると深紅の宝玉から二本の鎖が現れ、龍神と龍臣の方に伸びていく。鎖は深紅の小さな球体が連なっておりボールチェーンのようにキラキラとして見える。その二本は一度だけ交わるとそれぞれ龍神と龍臣の身体を等間隔の螺旋を描いてゆったり包み、次の瞬間それぞれの身体にすっと吸収されて消え去った。
「これでお二方の時は過去・現在・未来と歪むことなく刻まれるでしょう。」
豪が術の完了を告げると、ずっと杏那の後ろで力を送り続けて支えていたレオが杏那に囁く。
「杏那、もう大丈夫だ。」
杏那はレオの助言も踏まえ、光を収束させる。
龍神は地面に足からそっと着地し、龍臣はそっと地面に横たわった。龍也が龍臣のところに駆け寄り、肩を支える。
「お爺様!」
龍也は心配そうに龍臣の顔を覗き込む。龍也の腕の中にいる龍臣は相変わらずやせ細った身体で弱々しく見える。しかし龍臣の中では確かな変化が起きていた。龍臣は自らの着物の袖を捲って腕の皮膚を見る。
「消えたか…本当に…龍神がわしの中にもうおらぬ…。呪いが解けたのじゃな。」
龍臣の声は思いのほかしっかりしている。呪いが解ける前のか細さはなくなっていた。そしてその目には涙が溜まっていた。龍神に蝕まれた身体の皮膚には龍の鱗のあざが出ていたが、身体中のあざが見事に消えている。意識も龍臣のものだけで他の者がいないことが龍臣自身にもはっきり分かった。杏那が太陽神のエネルギーを注いでくれていたおかげで体力の消耗も抑えられているようだった。
「龍也よ、ようやく呪いが解けた。解いてもらえた。お前が頑張ってくれたおかげじゃよ。」
「お爺様、私は鏡を直したまで。御礼なら…。」
「勿論、そうじゃな。」
龍臣と龍也は二人の様子を見守っていた杏那の方に視線を向ける。杏那はオーバーワークのはずなのに、疲れなど一切見せず、レオと共に二人の前に立っていた。龍臣は座ったまま居住まいを正す。
「神城のお嬢さん。いや、貴女様が龍神殿の言っていた太陽神の力を持つ乙女なのですね。貴女様のおかげで、長年水宮家の当主が苦しんできた呪縛から解かれることができました。この呪縛は歴代当主から次の当主へと受け継がれてしまうもの、何とかわしの代で終わりにしたいと願っておりましたが、貴女様のおかげ様で願いが叶いました。これでかわいい孫に憂いを残さずに済みます。なんて御礼を言ったらいいのか、本当にありがとうございます。感謝してもしきれませぬ。」
龍臣は心の限り礼を述べ、頭を下げた。
「いえ、私だけの力ではありません。」
杏那は優しく微笑むと、レオを見上げる。レオもまた杏那と視線をかわし、小さく微笑んだ。
「龍神様、龍臣様、お二人が呪縛から解かれ、本来のあるべき姿を取り戻されたこと、心から嬉しく思います。私たちの声に耳を傾け、術に耐えてくださり、ありがとうございました。」
杏那は龍神と龍臣に礼を述べた。龍神は杏那に歩み寄る。
「太陽神の力を持つ乙女よ。そなたに救われた。心から礼を言おう。ありがとう。あのときの幼い娘がこれほどの使い手に成長したとは、本当に素晴らしい。」
龍神はレオに目を向ける。
「そなたが太陽神の遣いか。乙女と共に救ってくれたこと感謝する。太陽神に何かあれば、必ずやこの私が力になろう。」
「龍神殿、光栄でございます。」
レオが珍しく他人に敬意をもって接していることを杏那は内心、新鮮に感じた。
(レオ様にとっても龍神様は敬意を表するお相手なのね。)
龍神は振り返って龍臣のそばに膝をつく。
「水宮の者よ。長きに渡り、苦労を共にした。呪いが根源とは言え、そなたは戦友だ。これからは互いの時を楽しむとしよう。」
「龍神殿、恐れ多いお言葉でございます。」
杏那は何かを思い出したように龍也に言う。
「水宮様、例の物を龍神様にお渡しいただけますか?」




