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明日にて。

「……朝…です、ね」


夢だったらのなら一番よかったのに。

むくりと上半身を起こして目に飛び込んできた景色は見慣れた己の自室ではなく、置かれている家具類は落ち着いた色合いで素朴だが漂う空気が何処となく絢爛豪華な雰囲気で、一生自分とは縁のなさそうな寝室だったことに月子は溜め息を吐いた。

一体何人で寝るつもりなのか、無駄としか言いようのない大きさのベッドの中央で昨夜からぽつんとひとりで睡眠を貪ったままの状態で目が覚めたことに、小さな落胆を覚える。

突如として奇想天外な現実とは認め難い日常に放り込まれた月子の体力も精神では、どうにか己の身の上に起きた事情を理解するまでが限界で、昨日は説明を受けたあの後、気を使って皇帝専用の寝室に案内してくれたヒューバートと別れたその一瞬後にはやたらビックサイズなベッドに潜り込んですぐに寝入ってしまった。その際に、次に目を開ける時はどうか自分の部屋でありますように、と誰に願うわけでもなく天に祈ってから意識を飛ばしたはずなのだが、やはりそうも簡単に覆る現状ではなかったらしい。


「ゆめ…じゃないんだよなあ、やっぱり」


ここまでくればもう退路などなく、みっともない見様でいつまでも現実を否定していないで、消化不良を起こしそうだが嚥下するしか道はなさそうだ。

昨日あった出来事は眠っている自分が造り出した壮大な想像ではなく認めたくはないが揺るぎない事実だったのだと、窓の外で囀る鳥の声と差し込む朝日や身に触れるシーツの感触、それからなによりも第六感とでも呼べばいいのか、頭の奥の方で確かに今を肯定する神経に大人しく従うしかない。


「…腹を括った方が早いね、これは」


とりあえず無事にあっちの世界に帰る方法を探すのにも、認めなくては始まらないのだ。

そう結論付けて、真面目なことを考えているのに不謹慎にもまだ寝足りないと訴えてくる重い瞼を擦りつつ、月子はベッドから抜け出した。

窓の外を見れば太陽はまだ高い位置に上がりきってはいないが、堂々と朝と言える時間帯ではないのは一目瞭然だ。

寝坊しちゃったかな、と慌てて着替えようと思ったのだが、何処を見渡しても着られるような服がない。仕方がないので昨夜着替えさせられた寝巻姿のままで、月子は外を覗いてみることにした。大方、部屋の外には誰かしらが常備しているだろうと考えて。

裸足で毛足の長いカーペットを踏み付けながら出入口までやってくると、金に輝く取っ手を掴んで少しだけ内側に引く。音もなくするりと開いた扉の隙間から首から上だけを出して外の様子を窺えば、すぐに月子の予想通り彼女を陛下と呼ぶ声が廊下に木霊した。


「陛下!」

「お、リリスさんだ。おはようございます」


果てが見えないほど長い廊下の向こう側から掛けてくる茶褐色の髪の持ち主に軽快に挨拶をすれば、リリスは一瞬はたと目を瞬かせてから、幸せそうに頬を緩めておはようございます、と笑い返してくる。それがなんだか無性に嬉しくて、月子もリリスに負けないくらい幸せそうな笑みを口の端に描いた。

現実はよくわからなくて不明瞭なことも多いけど、笑顔だけは世界を飛び越えても共通だ。

帰るまでは御世話になるのだし仲良くなっておいて損はないと、何故だかずきずきと笑顔の裏で疼く心臓を自らの微笑みで誤魔化しながら、月子はリリスに着替えの在り処を聞いた。


****


「小牛のポワレでございます」

「…フランス料理…?」

「陛下?なにか仰いましたか?」

「いや、元いた世界の料理にちょっと似てるかなー、って思って」


テーブルに次々と運ばれてくる大量の料理の数々を少しずつ皿に取り分けて突いては食べていた月子の疑問に小首を傾げるリリスに、今しがた目の前に置かれた肉料理を示せば彼女は興味深そうに頷いて、ではお口に合ったでしょうかと疑問符付きの安堵の言葉を呟いた。お口に合う合わない以前に日常でこんな高級そうな食材が使ってある、きっと手間暇掛けて調理されたのであろうものを食べていなかったからなんとも言い難い。

しかし仕事が忙しい時期なんかは三食冷凍食品だったりするズボラさを吐露するわけにもいかないので、見たことも聞いたことも予想すら出来そうもない食べ物が出でこなくてよかったという意味合いで彼女の問いに曖昧に頷いておいた。


「美味しいです、ほんと…すごく」

「よかったです」

「僕も美味しいと思う」

「…貴方の話は聞いていません」


言葉通りの表情で笑うリリスと子牛のポワレを口に運ぶ月子の隣で、月子同様…否、明らかにそれ以上にハイスピードでテーブルの上に空の皿を積み上げていくアウレリオが挟んだ口に、リリスが笑みを苦い表情に変える。

追い出されなくてよかったね、とリスのように野菜を頬張るアウレリオに目配せしながら月子はポワレの最後の一切れを口に放り込んだ。


こちらの世界では主流だという軽装に着替えた月子が連れて来られた食堂で、いつからか待ち構えていたらしいアウレリオは、開口一番に挨拶と共に月子の朝食兼昼食の同席を願った。

昨日、王の間に通される前に寄った部屋で談笑しながら食べ物を一緒に摘まんだ甲斐あってか、それともこちらの世界ではこれまでにない出会い方をしたからか、月子とアウレリオはそれなりに仲の良い間柄になっていた。アウレリオの遠慮のない性格に、息の詰まる堅苦しさから解放されるような気がするからだろうか。

とにかくその何事にも顧みない願いと変わらない言動に月子は別段なにも感じず二つ返事を返したのだが、そういえば青年の自由奔放さを快く思っていない人がいることを思い出して背後を振り返る。前日のような二の舞は御免被りたいと再び衝突があった場合は今度こそ止めるつもりで見やった先には、けれど目尻を下げて困った顔をするリリスだった。

てっきり眉を吊り上げているものだと想像していた月子は拍子抜けて、行き場を失くした制止の言動を持て余して頬を掻いた。

なんと声を掛けていいものか、悩む月子に彼女は困り切った表情のまま深々と頭を下げてこう言った。「申し訳ありません、陛下。アウレリオの不躾な願い事、場も身分も弁えず提言したことにお詫び申し上げますと共に、寛大な御心でそれを叶えて下さったことに至上の感謝を捧げます。…何か粗相をする前にわたしが外に叩き出しますので、礼を欠くのは承知の上、しかしわたしが責任を持って監視すると誓い申し上げます。…ですので、わたしからもお願い申し曲げます。どうか彼を同席させては下さいませんか」、と。

いや元からそのつもりだけど。とはさすがに言えず、けろっとしている本人に成り変わって懸命にたかだか食事を共にする許可を得ようとするリリスになるだけ明るく快諾の旨を伝えると、彼女はほっとした風体で今一度月子に頭を下げた。

ヒューバートもそうだったが、ブロワーズ兄妹は幾分このあおい青年に甘いらしい。

月子自身がアウレリオの態度を許容しているからなのか、単純に諦めたのか、それともやはり甘いだけなのか、審議は定かではないがとにかく昨日のように目くじらを立てて口論を始めなかったことに月子は安堵した。

それからは紆余曲折ありながらも、無事に平穏な時間と目まぐるしく運ばれてくる高級料理の数々にありつくことが出来て、月子はこちらにきてから片手で存分に足りてしまうほど貴重な安穏とした時間を満喫していた。

見事としか言いようのない食べっぷりを発揮するアウレリオと一緒にテーブルに付けたのも、穏やかな気持ちでいられる状態のひとつであったりもする。

見るからに大人数で囲むべき細長いテーブルにたったひとりで、しかも数人の給仕の人たちを傍に控えさせながら食べたのでは通るものも喉を通らない上に、そもそもこの量をひとりで全て食べ切るなんて無謀にも等しい。

その点、これはもう傍若無人とでも表現した方が良さそうなほど周囲も気にせず好きなものを好きなだけ食べ進めるアウレリオがいることで、人数はもとより、そこまで周りに対して神経を擦り減らさなくてもいいのかなと思うことが出来るのだから、月子としては青年の申し出は有り難いことこの上なかった。


「……しっかしほんとによく食べるね、アウレリオ」


粗方食べ終えてかなりの満腹感に手にしていた銀食器を皿に乗せた月子とは正反対に、アウレリオは黙々と己の両脇に皿を積み上げている。

見ているだけで胃が破裂しそうだ、と苦笑いする月子に対し、アウレリオは不思議そうに首を捻った。


「そう?…まあ、こう見えても僕ちゃんと軍人だしおまけに七騎士だから、一般人と同じだけの量じゃやってけないよ」

「ななきし…?」


それにしたって食べ過ぎだろ、という月子の突っ込みは、その前にチラついた単語によって見事に打ち消された。

騎士、という単語は知っているものの、ななきし、という言葉は知らない。

七つの岸という意味かとも思ったが、どの角度から見てもアウレリオは陸には見えないし、そもそもその仮定すら馬鹿馬鹿しくて話にならない。

そうなればやはり当て嵌まる漢字は『七騎士』だろう。

なんのことだ、と思考を巡らせる月子に気が付いたアウレリオが、そのままだよと言いながら指の間に挟んであるナイフを指揮者のように振るった。


「ほんとになんの捻りもなくそのまんま、七人いる騎士のことだよ。陛下の手足で護衛役、命を賭してお守りしますー、ってのがキャッチフレーズの団体さん」

「え…、と、なんか微妙に許容範囲超える話しなんだけど…アウレリオがその七騎士なの?」

「うん、そう。因みにヒューバートも七騎士」

「そうなんだ…」


多分、自身を基準とされている話をされているのだとは思う。

けれど帝天(おう)になるつもりなど毛ほどもない月子からすれば、何処か遠い所の話を聞いたようで、へえすごいねそうなんだと在り来りな返答しか出来ない。もしかすると、命を賭して守ってもらう前に帰るつもりでいるのでさして興味を引かなかったのかもしれない。

この国のことは詳しくないが、アウレリオが軍人である上に『七騎士』という盤石の地位にいるらしいことが知れただけで後はどうでもよかった。


「じゃあ後、四人もいるんだね」

「うん。でもすぐ会えると思うよ。陛下が“陛下”ならね」


だからこそ、当たり障りのない返事をしただけだったのに、地球への帰宅を目論む心の内を見透かされたと思わせるような口振りでさらりと釘を刺されたことを、月子は瞬時に理解出来なかった。

何を指摘されたのか、ただそれだけを脳内で処理するのに恐ろしく時間が掛る。

次いで理解出来た台詞と思惑に驚いてアウレリオの顔を凝視すれば、青年は楽しそうに笑って、くちびるに立てた人差し指を当ててみせた。


「…凄いね」

「なにが?」


苦し紛れで出てきた台詞にも綺麗なまでに素っ惚けられて、月子は遂に苦笑しか漏らせなくなる。惚けて首を傾げて見せる仕草は整った顔立ちと相まって可愛らしいのに、存外侮れない青年だ。

帝天になるつもりなどない、私は元の世界に帰るつもりである。

特別この思いを隠しているわけではないけれど、蝶よ花よとばかりに大切に扱ってもらっているにも関わらずそれを無下にするような望みを口に出すのは少しばかり憚れる、と考えている自分の心情をきっと熟知しているはずなのに、それ以上なにも言葉を形作らない青年に感謝して月子は苦笑を描いた口許のまま、弱々しく首を横に振った。


「んーん、なんでもないや」

「そっか」





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