あおいせいねん
人の波を掻きわけるように進んだ馬車が終着点に辿り着いた。
町の入り口にあった門扉の優に三倍はありそうな城門が独りでに開き、月子を乗せた馬車を迎え入れる。
閉まって行く扉の向こうで未だに民衆が手を振っているのが見えたので、それにひらひらと手を振り返してから、月子は城の玄関口で動きを止めた馬車から降りた。
「やっぱりでかい…」
見上げれば首が痛くなるほど大きな城の正門が、城門と同じように重たげな音を奏で、月子のなんの捻りもない感想を消しながら独りでに開く。
徐々に城の中が見えてくるにつれて見たくないものまで見えてくるのに、頭が痛くなりそうになるのを耐えながら、月子は溜め息を吐いた。
予想はしてたけど、やっぱりこれか…。
開き切った扉の向こう、天井からぶら下がるシャンデリアの光に照らされて全体が輝いて見えるエントランスホールに、ドラマや漫画で見たことがある、一直線に敷かれた細長い赤いカーペットに沿うようにして数え切れないほど沢山の使用人がずらりと並んでいる。
彼等は城門が完全に開いた瞬間、そこに月子がいることを確認すると、一糸乱れぬ動きで一斉に頭を下げた。
「お帰りなさいませ、陛下」
「我ら一同、陛下の御帰城を心よりお待ち申しておりました」
「はあ……なんかわざわざすみません」
今までの道のりからいくとこんな感じの状況になるのかなあ、とは思っていたが、もうここまでくるとどんな言動をすればいいのか完全にわからなくて、月子は困惑顔で後頭部を掻いた。生まれてこの方、平々凡々だった自分に、突然貴族のような立ち居振る舞いをしろと言われても困る。…いや、別に言われてはないけれど。
「参りましょう、陛下」
「…ですよね」
月子と共に馬車を降りたリリスが、どうしたものかと悩む月子の背を柔らかく押す。
その声と物理的に押されたことによって、月子は城に足を踏み入れた。
ふわふわとした、見るからに土足で歩くのは勿体無いカーペットを踏み締めて頭を垂れる使用人の列の真ん中を進んで行く。…が、下げた頭の高さまでもが寸分乱れぬ一定さで、ぴくりと身動ぎひとつもしない彼等が作る冗談抜きで居心地の悪い道に、月子の足は自然と速足になった。
こんなとこさっさと通り過ぎて早く重要な話ししたい…!
逸る気持ちを足に乗せて、長々と続く使用人で囲まれたエントランスホールを半ば駆け抜ける。走るな!等と注意されたらどうしようという気持ちもあったが、幸いなことに誰ひとり月子にそんな進言をするものはいなくて、月子の背後から着き従って来るヒューバートやリリス、数人の兵士たちもみな無言で月子の速足に大人しく着いて来てくれた。
「あれ…?」
ようやくカーペットと使用人の終わりが見えて安堵した、その場所に人影があって月子は突き動かしていた足を止めた。
目に痛いほど鮮やかな空色が深紅のカーペットの上で揺れながらこちらへ近付いてくる。
「…陛下?如何なされました?」
その色に何故か見覚えがあるような気がして、月子はゆっくりと数回瞬きを繰り返した。
何処で見た色だったっけ?当初の目的としていた居心地の悪い道を素早く通り抜けることも忘れてその場に佇む月子に、ヒューバートとリリスが背後から月子に問い掛けるが、当の本人はぼんやりとした顔で前方を見詰めるだけで反応がない。その後、動きを止めた月子の視線の先に気が付いた二人は、ああ、と納得したように頷いた。どうやらゆらゆらと水面のように揺れる青色の人影と顔見知りらしい。
「お帰りー、ヒューバート、リリス。遅かったね」
「アウレリオ。きみが何時も早過ぎるんだ」
人懐こそうな笑みを浮かべて軽快な足取りで月子たちに近付いてきた空色は、ひとりの青年だった。誰だったっけ、と相変わらず記憶の波に思考を漂わせる月子には目もくれず、彼は月子の背後にいるヒューバートとリリスに親しんだ様子で手を振って笑った。
にこにこと無邪気に笑う青年に、ヒューバートが呆れた様子で対応する。
「あまりにも遅いから歩きで此処までくる気なのかと思ったけど、違ったんだね。よかったよ。馬に乗るって概念をヒューバートが捨てたんじゃないかって、心配だったんだ」
「きみのジャクリーンと一般兵の馬を比べること自体が間違っているんだ。第一、陛下をこの場所まで送り届けるのに訓練時のように馬を全力で走らせるわけにもいかないだろう」
「それそれ!常々思ってたんだけどさ、お偉いさんが外出する時とかって、馬車に乗ってちんたら歩いて大仰な警備するより、馬に乗って少人数でぶっ飛ばして走り抜けた方が効率的だと思うんだよねー。だってその方が襲い辛いと思わない?」
「…頼むからそういうことを『お偉いさん』の前で言ってくれるなよ。いくらきみでも首の有無を審議に掛けられる事態に陥るかもしれない。……さあ、アウレリオ。そこにいると陛下の邪魔になる。話なら後で聞くからそろそろ下がって…」
「陛下?…あ。ほんと、陛下だ。やあ、陛下。さっきぶりー」
「っ、アウレリオ!」
月子と会話をしている時は借りてきた犬のように大人しく従順で、言っては何だがヘタレたイメージを受けるのに、このアウレリオという青年と喋る時は月子には見せない表情と声音で楽しげにヒューバートは喋る。
もしかするとこちらが彼の素なのだろうか。
だったら、雲の上の人間として扱われるよりこっちの方がいいなあ、なんて、己と話している時は常に緊張した面持ちでいるヒューバートの言動を思い浮かべながら彼等の会話を聞いていた月子は、次の瞬間反駁したヒューバートとリリスの鋭いアウレリオを咎める声に肩を飛び上がらせた。
未だに思い出すことが出来ない青年の顔を躍起になって思い起こそうとしていた矢先に発せられた大声だったから、通常の倍は驚いたかもしれない。
すぐさまなんだなにがあった、と視線を三人の顔に走らせるが、片や一方は厳しい声音で名を呼ばれたにも関わらず涼しい顔で、片やもう一方は似通った顔の兄妹が声色よりも数段険しい顔付きでどこ吹く風の青年を睨んでいる。兄妹が醸し出す雰囲気と、アウレリオに陛下と呼び掛けられたことから自分が不穏な空気を作った原因を担っているのはなんとなく理解出来たが、その大本である原因が今一理解出来ない。
もしかするとアウレリオの発言に問題があるのかと頭の中で反芻させるが、これといっていけないことを言ってはいないはずだ…と、そこまで考えてから、そういえばこの世界での私の立ち位置ってやたら上だったんだと思い出したくもないことを月子は思い出した。
それをベースに、頭の中で同じように先の出来事を反芻させると、もしかしなくともアウレリオの先ほどの発言…物言いが兄妹の琴線に触れたのだと、容易に答えに辿り着くことが出来きた。
ヒューバートだけではなく、リリスまで兄に負けず劣らず皇帝陛下至上主義者なのだろうか。解けた謎と共に新たに湧き出た問いに頭を痛めながらも、月子は漂う重苦しい空気を吹き飛ばすために、険悪な三人に割り込んで小さく手を上げながらこう進言した。
「ヒューバートさん、リリスさん。…アウレリオさん…ですよね?…うん。その、アウレリオさんの今の発言でなにか揉めそうなら、そのままでも別になんの問題もないし大丈夫なんで、気にしないで下さい。ね。特に実害があるわけじゃないし、私なんとも思わないんで。…てゆーかむしろそのままでいてくれた方が、こちらとしたら気楽で嬉しいんですけども」
これはこの諍いを止めたいから適当に言っているのではなく、月子の本心からの言葉だった。
よくわからないうちに俗に言う異世界とやらに飛ばされてきて、気付けば陛下だ帝天だと持ち上げられて、周りは自分に気を遣う人間ばかり。それが特別悪いと言うわけではないが、接する人接する人全てが自分の顔色ばかり窺うような態度を取られるのは些か気持ちが悪くて息が詰まる。
再三言うが月子は生まれながらの王族貴族ではないし、ちょっとしたミスくらいで一々目くじらを立てて死刑だ処分だと騒ぐ、そんなに心が狭く道徳のない人間でもない。
生きているのだから些細な失敗から大きな粗相くらいあって当然なのに、彼等は月子の前ではそういった人らしさをかなぐり捨てて、何事もないように全てを完璧にこなそうとする。彼等なりにこの世界での文化や歴史、息づく常識を持ってして行動しているのはわかるが、我儘を言えばそれは少しばかり寂しかったし、小さな疎外感を覚えた。
別の世界からひとりだけ、という事実が疎外感の原因なのかもしれないし、今挙げたような周囲からの今まで味わったことのない特殊な接し方のせいなのかもしれない。
生憎と本心は月子本人にもわからないが、…だから、アウレリオの言葉遣いは今の月子からしたら怒るなんてとんでもない、むしろ喜ばしいことだった。
なにを気にすることなく、ただの竹内月子に向けて発せられた言葉のようで。
「……………」
「……………」
「……………」
そういった意味合いを込めての発言だったのに、月子が喋り終えた途端に三人は黙り込んでしまった。
それどころか瞳と口をぽかりと開いて、顔辺りまで手を上げて固まる月子を凝視している。
「…あの…?」
なにかまずいことを言っただろうか。みなが言う、皇帝陛下、としての自覚がない台詞だったとは認識しているが、なにもそこまで驚かなくともいい気がする。
上げた手をそろそろと降ろしながら、さっきの空気より私的には重くなったと後悔する月子と、ただ固まる兄妹の意識を揺り動かしたのはアウレリオだった。
「ぶ、…あははははっ、!なっ、なにそれ!?はっ、あはははははは!やば、さいこっ…さっ、さいこー!すっごい!そんなこと言う人はじめて見た!しかも皇帝陛下なのに!コーテーヘーカなのに!!あ、ありえない!普通じゃないっ!」
「…あのー」
「た、楽し過ぎる…!最高!陛下さいこう!怒らせるために言ったのにその方が嬉しいってどういうこと!?あはははっ!ふつっ、普通そんなリアクションしないって!」
ヒューバートとリリスよりも早く現実に戻って来た彼がしたことといえば、硬直から一転して、仰け反りながら笑い転げることだった。
げらげらと、可愛らしい顔立ちをしているのにそれに構うことなく大口を開けて笑うアウレリオの髪の毛の同色の青い瞳の縁には涙が溜まっている。
笑い過ぎで横隔膜が痙攣したのか、呼吸困難になったように荒い息を繰り返しながらも笑い止む気配が見えない青年に月子は複雑な表情をするしかない。
笑いものにされているのだから当然なのだが、そもそもどうしてそこまで笑われなければいけないのかが理解不能だ。
もしかすると、皇帝に対しての言葉遣いがなっていない、本当にただその程度のことで自分は、こいつは不届き者だと騒ぐような高慢な人間に見られていたということか。
だとするとかなり不本意だ。この世界の不可解さとアウレリオの豪快な笑い方に呆れながら月子は困ったもんだと頬を掻いた。
「ほんと…どうしちゃったの、この人」
「申し訳ありません、陛下…。その…」
「アウレリオ!」
「人間って、頭に血が昇った時に本性が現れると思わない?」
月子の呟きにどう返答したものかと顔を歪めるヒューバートと、未だに笑い続けているアウレリオの声にリリスの叱咤が被さる。
ひいひいと笑い過ぎで半ば呼吸困難に陥りながら瞳の縁に溜まった涙を拭うアウレリオがどういったつもりなのかはわからないが、そのリリスの厳しい声音を無視して、唐突に月子に対してとった態度の理由を話し始めた。
青の澄んだ双眸に突然見詰められて少々驚きながらも、月子は青年の問いに頷いてみせる。
「はあ、そう言われると…そうかもしれないですね」
「うん。まあ、人それぞれだとは思うけど、少なくとも僕はそう思っててさ。怒った時の態度とか言葉とか対応とか表情で、大方その人の性格ってわかっちゃうものなんだよ。だから、皇帝陛下がどんなお人柄なのか見てみたいなーって。自分の主人になる奴がどんな性格か知らないなんて僕は嫌だし?それでちょっと失礼なこと仕出してやろうって実行したんだけど…」
最後は濁されてよく聞き取れなかったが、思っていたよりも数段マシな理由に我知らず安堵の息を吐く。これで笑いの源が下らない理由だったらいくらなんでも気分が悪い。
思っていたよりもマシな訳に、目の前で未だに口の端が笑みを描いたまま戻らない青年も幾分かまともな人間に見えてきて、月子は小さく頷きながら彼の台詞に同意を示して先を問うた。
「なるほど。…で?どうでした?私の本性って。…なんかずっと、笑ってましたけど」
手放しでそうだ、とはさすがに肯定出来ないが、彼の論理は道理がかなっているような気がする。だからこそ、ちょっとした心理テストを受けた気持ちで女の子らしい期待を胸に出題者であるアウレリオに答えを月子は尋ねてみたが…返ってきたのはその淡い所望を大きく裏切るものだった。
月子の期待が薄く膜を張った瞳に見詰められて、アウレリオがこともなさげに口を開く。
「ははっ、まさかあれで怒らないとは思わなかったからわかんないや」
「……はい?」
これがバラエティ番組で、月子が芸人だったならば盛大にこけていただろう。
さらりと告げられたともすれば無責任にも聞こえる返答に、大袈裟に転びはしなかったものの、月子は口と肩をがくりと落とした。
わからない?それらしく振り翳した理由や前振りを全て放り出すような、そんな答えでいいと思っているのか、こいつは。
どういうことだと言外に乗せた呟きを吐き出せば、またもなにを気にした様子もない青年は可愛らしく小首を傾げてみせる。
「だから、わからない。だって陛下、怒らなかったじゃん。もしかしてあれで怒り心頭してたの?あれが陛下の怒り方?」
「や、まさか、全然。…というよりも、大体あの程度で怒るわけないでしょう?」
「ほら出た!ね、おっかしいでしょこの人!」
「…………」
誰に言うでもなく、自分を指差して再び笑い袋と化したアウレリオに、最早打つ手なしと笑いの標的にされている月子本人は潔く諦めることにした。
飽きればそのうち収まるだろうし、彼の論理はどうやら不完全のようだ。
そう考えて触らぬ神に祟りなしとばかりに触れないでおこうと思ったのに、月子の忠実なる家臣(仮)たちはどうやら我慢ならなかったようだ。
ヒューバートが腹の底から大声で笑うアウレリオの青い頭を無理矢理上から抑え付けるように頭を下げさせ、それと同じか、もしくはそれ以上の深さで己も頭を下げてみせた。
「アウレリオ!いい加減にしろ!…陛下、誠に申し訳ございません。なんとお詫び申し上げればいいのか……。こいつには私が後できつく言い付けておきますので、…どうか何卒寛大な処分を」
「…ほんとに処分好きだね、こっちのひと」
「陛下…」
下げさせられた頭が懲りずに震えているアウレリオと、そんな彼のために精一杯身体を折るヒューバートに苦笑する。
そういう世界観なのだとことあるごとに思い知らされてもやはりまだ慣れることなどない彼等の言動を揶揄すれば、眦を情けなく下げたヒューバートが顔を上げた。
それにまた苦笑を零してから、月子はしないよ、そんなこと、と首を振る。
「あの程度のことで怒るほど小さいヒトになったつもり、ないから。それにそもそも、そんな大層な人間じゃないんだって、私」
「そのようなつもりで申し上げたのでは」
「うん、わかってます。でもほんと、とにもかくにも大丈夫だから、その人もそんな押さえ付けてないで」
月子の言葉に過敏に反応して話が逸れそうになるヒューバートを遮ってアウレリオを手で示せば、彼は一瞬苦い表情を見せた後に青年の後頭部を抑えていた手を離した。
だというのに、上半身を起こしたアウレリオが馴れ馴れしくありがと、と月子に礼をするのをリリスが睨み付けて声なき忠告を飛ばす。
にこにこと月子への態度を改めないアウレリオに、本人からの許しがあっても兄妹は厳しい相好を崩そうとしない。
折角これ以上ことを荒立てないよう隠密に幕引きをしようと考えていたのに、まさに陛下の心臣下知らず、である。
青年が気変わりをするか、見るからに月子のこととなると頑固そうな兄妹が折れるか、どちらもありえなそうな事象を脳内の天秤にかけて、すぐさま地面にめり込む勢いで傾いた兄妹の重量に溜め息を吐きたくなる。
きっとこの二人が折れることはないに違いない。少しの時間しか共有していない月子でもわかる。だからといって、明るい雰囲気を絶やさない青年も、今さら態度を変えるとも思えなかった。
「……あーあ…」
いつまでこれ続けるのかなー、とカーペット沿いに整列して礼儀正しく頭を下げていた使用人たちがそわそわと落ち着かないのに身振り手振りで謝罪をして、月子は長期戦に縺れ込みそうな三人の戦いを遠い目で見守ることにした。
最早乱入する気にすらない。気持ち的にはもう好きにしてくれ、である。
面倒になって早々に手を引く親愛なる帝天に気付かず、兄妹とアウレリオの三人は既に視線だけで戦闘を開始していた。




