些細な決心
「皇帝陛下万歳!!」
「我が国に永久なる繁栄を!」
「ようこそおいで下さいました、陛下!」
「青天の星・聖女神レヴィナレスの御意向に感謝致します!陛下、万歳!」
「万歳!!」
「……あ、はい、ど…どうもー」
熱狂的に陛下陛下、と自分のことを呼びながら褒め称えてくる人々に、月子は力なく手を振った。が、我ながら温度差があり過ぎるなと気付き、なんだか居た堪れない気分になる。
どうしてあの時、歓喜に満ち溢れる民衆の声をこんな目に合う前に察知出来なかったのだろう。予想の斜め上をいく王城に見惚れていたとはいえ、あまりにも間抜けすぎやしないか。ぐるぐると巡る思考で己を責めたところでなにが変わるわけでもないが、左右前後、月子が乗る馬車をまるで取り巻くようにして溢れかえる人の多さに僅かな危機感を覚えたのだから仕方ない。
「なんでこんな目に……」
城が見えてきてから数分後、次に見えてきたのは当然の如く城下町だった。
白亜の城と同じように、純白をベースとした統一感ある綺麗な町。それでも息苦しさを感じたり気取った風に見えなかったのは、白を主体にしてはいるが、赤茶のレンガ造りの家が所々に交じっていたり、生活感溢れる洗濯物がベランダに干されていたりと温かみのある色が各所に散りばめられているからだろうか。
良い町だなあ、なんて呑気に感想を漏らしながら、そのまま城まで馬で行くのかと思っていた月子は、予想を裏切られて町に入る前にポンと馬から降ろされ、何処からともなく登場した豪奢な造りの馬車にあれよあれよと言う間もなく乗せられた。
馬車!?何故馬車!?意味もわからず目を回す月子に、今度はひとりで己の愛馬に跨ったヒューバートが改まった風情で、我が国の首都・シーラスタへ、遠路遥々ようこそ陛下、と口を緩めて笑う。それを合図にするように、次の瞬間、馬車は問答無用で走り出した。
町へと続く門扉を潜った途端、待ち構えていたように盛大なファンファーレが月子を迎え、その爆音に驚いたのも束の間、次いで聞こえたのはファンファーレにも負けない人々の歓声と千切れんばかりの拍手と、それからとびきりの笑顔だった。
意味が理解出来ず、訳がわからなくて瞬きを繰り返すしか出来ない。
馬車の外から聞こえてくる陛下万歳という数々の賛辞に、ああ歓迎されてるのか、とぼんやり事態を飲み込めた時は、力なく笑いながら窓の向こう側に手を振り返していて…現在に至るわけだ。
「道中は馬車が使えるような整備された道ではなかったので、大変でしたでしょう?」
窓の外の景色は喜んだ表情の人々ばかりで、何故だがそれが段々と辛くなる。
きっと、月子は彼等の言うような王になどなるつもりもなったつもりもないのに、まるで本当に皇帝陛下が帰城したかのように扱うものだから、騙している気分になるのだ。
月子が引き攣りながらでも微笑めば歓喜の声が上がり、緩く手を振れば拍手の嵐が返ってくる。それがとにかく居た堪れなくて、逃げるようにふいと窓の外から視線を外した月子の耳に、柔らかな声音が転がり込んでくる。
声に釣られて馬車の床に落としていた視線を上げれば、ひとりの女性と目が合った。
茶褐色の緩くウェーブした髪をサイドで纏めた彼女は、月子が馬車に乗せられた時に護衛として一緒に乗り込んできたらしい。
その時に多少挨拶はしたものの、それからは膝を向かい合わせて月子の正面に座っているだけでうんともすんとも言わなかったから、月子もなんとなく遠慮して話しかけなかった。
だというのに、なんで今さらこのタイミングで?
疑問に思いながらも都合良く問い掛けられた質問に、少しでも外を気にせずにいられるならという邪な気持ちで、口を開く。
「ああ、…いえ。ヒューバートさんの愛馬に同乗させてもらったので、別に大変じゃありませんでしたよ」
「兄の馬に同乗?それは…なんというか…、なにか不手際はありませんでしたか?」
「まさか!大体馬の上で不手際なんて………え、あに?」
誰も彼もが自分に礼を欠くことがなかったかを懸念するものだから、月子は井戸端会議をする奥様方のように手首をしならせて冗談でしょ、と軽くそれ自体を否定してから…彼女が零した聞き逃せない単語を今さらながら復唱した。
兄。幻聴の類でなければ、確かに彼女はそう言ったはずだ。兄?…誰が、誰の?
降って湧いたような単語に、馬の話しをしているつもりでいた月子の思考回路が一拍遅れて着いて行けなくなる。
ぱち、と瞬きをする月子に、彼女は笑って自らの胸の上に片手を当てて座ったまま、優雅に一礼してみせた。
「はい。そういえば、まだ名乗らせて頂いていませんでしたね。…申し遅れましたこと、心から深くお詫び申し上げます、陛下。わたしはリリス・ブロワーズと申します。不肖ながら我が国にまだ不慣れな陛下に代わって、政治を代理させて頂く役目をおわせて頂いております故、どうか以後お見知り置きを」
「え、ちょ、…え?ヒューバートさんの、妹さん…?」
「はい、どうかリリスとお呼び下さい」
にっこりと笑う彼女の眼差しが、言われれば確かにヒューバートの銀藍と重なった。
ぽかん、とする月子に、ヒューバートよりも濃い藍色をした瞳が優しく微笑む。
「周囲の人間には似ているとよく言われるのですが、…似ていませんか?」
「いいえ。似てます、とても。ほんと…なんで気付かなかったんだろう」
「緊張してらっしゃったみたいですから、仕方のないことかもしれませんね」
「あ…」
緊張していたから。
その言葉に月子は僅かに目を見張った。
よくわからないまま馬車に乗り換えて、よくわからないままに町の門扉を潜った途端に始まったパレード、喜ぶ人々の表情を見るたびに騙している気分になって辛かった。
落ち込みかけた今この時に、話しかけてくれたのはリリスの配慮だったのだ。
彼女がヒューバートの妹だったことを知って単純かもしれないが、月子の気分は少しだけ浮上して、これがリリスの配慮だったことを知って、これもまた安易かもしれないが、月子は少し嬉しくなった。
「リリスさん」
騙しているつもりはないが、民衆たちは月子が帝天であると信じ切っている。
その誤解を解くにしろ本当にするにしろ、とにかく王城に行かないことには何もならないのだと改めて心に刻んで、月子は姿勢を正してリリスに向き直った。
「はい、陛下」
「ありがとうございます」
「…いいえ。特別なにかをしたわけではありませんから、お気になさらずに」
笑って礼を述べる月子に、リリスが笑い返す。
窓の外は熱気の渦と化して相変わらず賑わっていたが、城に着くまでに再び月子の気持ちが暗くなることはなかった。




