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道中

今となっては完璧に同僚や友人からサバサバした夢も欠片もない女扱いされている月子だが、幼い頃は例に漏れず白馬に乗った王子様や白亜の宮殿を夢に視ていた少女時代がある。

毎日毎日、非の打ち所がないくらい完璧で素敵な王子様と愛を囁きながら苦もなく幸せに浸かりきった砂糖菓子のような日々を満喫出来ればと、心の底から願ったこともあった。

しかし、成長していくにつれてそんなものはただの妄想空想の世界であり、まだ手の届く範囲である玉の輿だってそうそう簡単に乗れるものではないのだと現実と幻想とのギャップに己の根拠のない淡い期待に見切りをつけ、周囲が彼氏だ俳優だなんやかんやと騒ぎ立てる高校時代には、友人たちにそんな夢のない現実でどうする!と叱られながらも月子はひとり手堅い将来を物にするためにせっせと来るべき受験勉強に備えていたのは、今になっては良い思い出だ。

結局、高校時代にそうして夢視る少女だった友人たちも、二十四という年齢になった今では大人になり、結婚したりオフィスレディになったりと甘い幻想とは程遠い現実を送っている。月子に至っては高校時代から勉強に励んだ甲斐は言うほどなかったものの、それでもそれなりに名のある会社に自分の身を置けることになったのだから、今現在の境遇に不満などあろうはずもない。

毎日社会の波に揉まれて落ち込むことは多々あれど、それでもテレビや本や趣味等で心身ともに癒し、恋人はいないが気の合う同僚や友人と休みの日には彼女たちと遊びに出かけたりしては日頃の鬱憤を晴らして、また普段通りいつも通りの日常へと戻って行く。

なんの変哲もないが、不満ではない。青春時代に砂糖菓子から転向して夢に視た手堅い将来は、曲がりなりとも己の掌の中にあるというのに。


「…これがもし夢だとしたら、不満はなくとも満足はしてなかったんだろうな、きっと」


変わることのない日常に、疲弊していたのだろうか。…自分でも気が付かないうちに?

毎日楽しい!これこそ人生!とはさすがに称せない二十四年間だったが、それでも青春時代から己で決めたレールの上から見渡す景色が、つまらないモノクロ映画に見えていたのだとは思いたくなかった。


「非現実的な召喚とかも嫌だけど、夢なら夢でそれもいや…だな」

「…どうなされました?陛下」

「いえいえ、大丈夫です。ただの独り言なので」


夢には心理的作用から視るものが多いのだと、確かなにかのテレビでやっていたのを目にしたことがあった。その原理でいくと、深層心理で陛下と持ち上げられて恭しく扱われることを自分が望んでいたのだとしたらもし目が覚めたとしてもどうしようもない居た堪れなさとこれからの人生、己で敷いたレールを不信感いっぱいの気持ちで進んでしまいそうで、まだ夢と決まったわけでも目覚めてもいないのに頭を抱えたい気分になる。

そのどうしたものかと悩む気持ちがひとりでに口から零れたのか、耳聡くそれを聞き付けたヒューバートの呼び掛けで、月子の思考は過去から現実に引き戻された。

問い掛けながら覗き込んでくるヒューバートの表情がこちらを気遣う顔だったので、またなにか至高主義言動や大仰な勘違いをされたら堪ったものではないと顔の前で手を振ってなんでもないと否定すれば、彼はだったらいいのですが、と柔らかく微笑しながら身体を元に戻した。けれどその一瞬の間に、銀藍の瞳が揺れたのを月子は見逃さない。


「もう少しで到着致します。今暫く、辛抱して下さいね」

「はーい。…いや、そんなに硬くならなくてもいいですけどね?」


顔を覗き込む、という必然的に至近距離になる行為を自らしてきたにも関わらず、今更のようにヒューバートが照れて緊張したのが背中越しに伝わってきて、月子は頭上から降ってきた台詞に苦笑をした。身体を戻す際に見えた瞳の中の動揺と、頬の赤さは見間違いではなかったようだ。

子供のように色良い返事をしてから続けられた従僕すぎる彼の性格をからかうような月子の言葉に、背後から月子の身体を挟むようにして手綱を握っているヒューバートの腕と手が震える。しっかり見抜かれていたことへの羞恥と、敬愛し畏怖すべき主君に承諾も得ず接近するなどという大それた行動をした自責の念で、生憎と月子からは見えないがヒューバートの頬は未だに薄らと赤に染まっている。

それを感じ取ったのかどうかは定かではないが、変わらず背中越しに伝わる張り詰めた気配に、月子が再び苦笑いに口許を緩めた。


「いいって言ってるのに」

「…申し訳ありません」


同意の気持ちは窺えど、謝られてしまってはどうしようもない。僅かに動いた気配に、背後でヒューバートが頭を下げたのがわかる。

王になどなったつもりはなくとも、やはり彼等にとって月子は至上の人間らしい。

現に、月子とヒューバートが騎乗する馬の周囲を囲うようにして護衛役をしている、同じように馬に跨った数人の兵士たちが、みな(こぞ)って緊迫した空気を纏っている。

別に怖くもなんともないしなによりそんな風に恐れ敬われるほど御立派な人間じゃないんだけどなあ、と、そうは思いつつも、言ったところで無駄なのは先の数分間で学んだ事象のひとつだったのでとりあえず困惑した空気を払拭させるために、それから道中の暇潰しに気になっていた事柄のひとつを尋ねてみることにした。


「私の中で、お城と神殿ってなんか凄く近い位置にあるイメージだったんですけど、それって勝手な解釈だったみたいですね。なんかこう…偉い人と神聖な場所ってセットな気がして。ああいう人たちって、占いの類とか神頼みとか好きですよね?」


言葉通り想像の枠を出ない解釈だったが、不始末だ己の力の至らなさだと感傷に浸るヒューバートを宥めすかした後に陛下の皇居はこちらではございません故お手数ですが御足労願えますか、と何処からか馬と数人の兵を引き連れて立ち直った彼に告げられて、まあ断る理由もないし、と御足労叶えた時からずっと気になっていたのだ。

言ってしまえば然程重要なことではない上に、それよりも先に聞くべきことは沢山あるだろうが、今までいたあの場所、神殿を出立した際にまたいらして下さいねとシシーに散々涙ぐまれ泣き付かれたので、ついまた来ますと安請け合いをしてしまい、月子は再び神殿に顔を出さなければいけないハメになってしまっていたのである。

断れなかった自分の責任であるが、馬にひとりで乗ることなどもちろん月子に出来るはずもない。この世界の住人になるつもりもないので、特別練習するつもりもないし、現在もひとりで騎乗出来ないものだから、ヒューバートの愛馬に同乗させてもらっている。

その最中に、あまりにも皇居とやらと離れていると車もないだろうこの世界で、どうやってもう一度会いに来ようかと馬の上で揺られながら今後の己の身の振り方と共に考えていた末に辿り着いた、だったらどうして皇居と神殿は離れているのだろうかという疑問を消化したかったのだ。足を何にするかはその後にでも考えれば良い。

月子の素朴な疑問を受けて、それの御蔭か幾分かは冷静さを取り戻したらしいヒューバートが背後で口を開く。


「この国では皇帝陛下はもちろんのことですが、大巫女で在らせられるシシー様にもほぼ同等な盤石なる地位を聖女神に授けられています。詳しく言えばもっと複雑なのですが、権力や身分の世界の中で陛下をこの国、延いては世界の最高位だとすると、シシー様はその世界の中で、五本指に入るほど位の高い御方なのです。我が国に限っては、陛下の二の次になるでしょうか」

「そんなに凄い人だったんだ…シシーさん」


神殿を出る間際に、きらきらと夢視る少女の瞳で“陛下”である自分に、 どうか呼び捨てで名を呼んで欲しい、と迫られたが明らかに自分の方が年下に思えたことと、ヒューバートがいやに敬っていたことも含めて呼び捨ては謹んで辞退させてもらったのだが…それは最善の選択だったかもしれない。それなりに権力のある地位にいるのではないかと、彼女の立ち居振る舞いと服装や周囲の人間からの接され方でなんとなく予測はしていたものの、世界でも屈指だとは流石に思わなかった。

今になってなにか粗相がなかったかと記憶を辿ってみた月子はすぐに、そこで途切れてしまったヒューバートの声に気付く。小さく呟いただけなのに聞き漏らすことなく己の思考が纏まるまで待つつもりでいるのだろう姿勢に、最早呆れを通り越して甚く感心して、独り言で話の腰を折ってしまったことを詫びてから続きを催促した。


「それで?」

「陛下の仰られた王城と神殿が近しい位置にあるというイメージは、必ずしもと言うわけではありませんが、間違いではありません。事実、王族の方々や貴族の皆さまは国や己の家の更なる発展のためにと、祈り事や占いがお好きですからね。ただ、シシー様が常にいらっしゃるあの神殿は、神殿に属する地域と共にこの国では独立国家の扱いなのです」

「どくっ…」


予想もしていなかった聞き慣れない単語が耳に飛び込んできて、月子は思わず身を乗り出しながらぐるんと首を背後に向け、見えなくなりかけている件の神殿を凝視した。

生い茂る木々の向こう側に、先ほどまで身を置いていた神々しいまでに白い神殿の一部が辛うじて目に入る。あそこが独立国家。ということは今、馬に乗って進んでいるこの道も神殿に属するという理由で別の国ということになるのだろうか。

自治区程度ならここまで驚くことはないが、独立国家となると話は別だ。

聞き慣れない言葉の数々になんだか楽しくなってきてしまった月子は、それでそれで、と子供のように続きを強請る。

己の話で嬉しそうな顔をする月子に、ヒューバートもまた幸せそうな顔をしてからはいと微笑んで主人の要望を呑んだ。


「巫女という役職が関係しているのです。生まれついたその時から巫女になることが運命として定まっている子供たちだけが、シシー様が守護するあの神殿で修行を積み、巫女となることが出来ます。一説によれば、女神が生まれ落ちる前の常人より清浄な幼子の魂に、巫女となる力を与えているのだと言われているのですが…どうなのでしょうね。…とにかく、巫女とは尊貴な魂を持つ、殊更特殊な人にしかなれない清麗な役職なのです」


そこで一旦言葉を切って、ヒューバートは月子の表情を窺う仕草を見せた。

こちらの世界では常識でも、あまり詰めて説明をされれば慣れない月子にとっては許容範囲を超えてしまう話なのではないかと配慮からくる気持ちの表れだったが、好奇心に駆られる月子には必要なかったらしい。

月子の顔中に書いてある続きはどうしたの?という声なき声に背中を押されて、ヒューバートは続ける。


「聖女神レヴィナレスと世界の象徴は陛下ですが、巫女は女神に仕えていた聖霊と古くから伝えられていて、彼女たちは言わば神聖の象徴です。それ故、なんのことない普通の人が送るただの日常だとしても、穢れの原因を担うとされている俗世に触れ、巫女たちが純粋無垢なまま育ち清らかさを源として与えられる力が徒に削がれてしまわぬようにと、巫女たちのための領域を設けたのです。それが、神殿が自立している理由ですね」

「なるほど…。向こうで言う尼さんみたいなものなのかな」

「陛下が生まれ育った世界にも、巫女たちのような人々がおられるのですか?」

「私もあんまり詳しくはないんですけど、多分似たようなものだと思いますよ。あ、でも独立国家とか、そんな大それたことはひとつもなくて」

「我が国でも独立国家と言っても殆ど形式上のもので、何か特別な用事があるとか進退きわまる事態にでもならない限り一般人の人間の立ち入りが許されないというだけです。行政も我が国とほぼ同じで、当然ながら皇帝陛下を世界の象徴として敬う風潮も同じですね」


皆まで言われずとも大巫女だという彼女の、あの犬のような態度を見れば皇帝陛下という存在にどれだけ心酔しているのかは嫌でもわかる。

例えば月子が純白を漆黒だと言ったとしたら、彼女は輝く笑顔でそれを肯定するだろう。

そのくらいシシーは月子に、皇帝(おう)という存在に盲信している様子だった。

冗談のように恐れ敬い高貴な御方だと迫って来るシシーを思い出して月子は頬が引き攣るのを感じながら、長々と己の質問に答えてくれたヒューバートに礼を告げる。

神殿での二の轍を踏まないように、軽い調子でさりげなくを心掛けながら。

無論、頭は下げない。


「うん、わかった。それで、お城から神殿が離れてるんですね。えーと…俗世から遠ざけるために、って理由で。…すごく勉強になりました。ありがとうございます」

「いいえ。このくらいのこと、陛下が望むなら幾らでも話させて頂きます。…それに、召喚の儀式が王城で叶うのならば、こうして陛下に御足労願うこともなかったのですが…」

「馬に乗ってるだけなので御足労もなにもありませんよ。しかも相乗りだ…、し……?」


召喚、という物騒な単語が聞こえてきたのを無視して己の台詞も疎かに、月子は前方を凝視した。…正確に言えば、無視するしかない状況になったのだ。

道の先を見詰めるその瞳が徐々に見開かれる。

見る見るうちに驚愕と感動が入り混じった表情を浮かべる月子に倣ってヒューバートが視線を同じ場所に移せば、彼女が驚く理由がすぐにわかって納得した。


「うわっ…」


それなりに距離がある道中の暇潰しに尋ねた問いに予想よりも興味をそそられて真剣に聞き入っている間に、どうやら目的地へ大分近付いていたらしい。

生命力逞しく生える木々に隠れることなく、まるで存在を主張するように天を突く城の細部が見えてきて、月子は短く感嘆の声を上げた。

まさに白亜の城と呼ぶに相応しき全貌が、一団が進むにつれて徐々に明らかになっていく。


「うわあー…」


想像していた大きさよりも数段巨大な王城に、間の抜けた声しか出てこない。

まだかなり遠くから眺めているはずなのに王城が大き過ぎるせいか、もう目の前に聳え立っているのではないかと思わせるほどの圧倒感に、今自分がいるのは城の前なのかそれとも遥か遠くなのか、考えればすぐわかりそうな常識に少しのズレが生じて距離感が狂った。

大きさばかりに驚く月子の様子に、ヒューバートが気を利かせて理由を手解きしてくれる。


「あの王城には、王族の方々が暮らしているのに加えて、兵士や女中が寝泊まりする寄宿舎も付属しているので我が国の皇居は他国と比べても群を抜いた大きさを誇るのです。なにせ、世界を統べる皇帝(おう)が御座す王城ですから」

「へえー」


近付く城と日常では見ることなど出来ない景観に心奪われている月子の耳は、ヒューバートが零した都合良い単語しか拾わない。

それどころか、女中ってメイドさんのことだよね、等と脳内に給仕をする美女を描いたり、巨大なだけではなく事細かく繊細に彫り込まれた天使や動物が踊る皇居の城壁が見えるほど距離が近付いて来たことに胸躍らせていた。

――…城に接近するにつれて、騒がしく聞こえてくる人々の声にも気付かずに。




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