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受難

更新にムラがあるのはもちろんのこと、文章の書き方さえも変わる可能性があります。場合によっては打ち切りとかもあるかもしれません…。

その辺りを踏まえて、お付き合い頂けると光栄です。

「無理ですっ!」


肩下辺りまで無造作に伸ばされた黒髪を振り乱して竹内月子(タケウチツキコ)は激しく(かぶり)を振った。それが縦ではなく左右に、しかも全力の否定の言葉と共に振られたことに大いなる衝撃を受けた顔をする目の前の女性の表情に些か心を痛めながらも、月子は吐き出した言葉を撤回しようとはしない。

どう考えたって簡単に頷ける話ではないのだ。――訳もわからないまま唐突に来てしまったらしい未知なる世界の王になれ、などと言うようなトンデモナイ話なんかに。

なんと言われようとも断ってやるとくちびるを横に引き結んでふんと身体に力を入れ、先ほどの自分の無理です発言にショックを受けていた女性に視線をやる。目を合わせ意志の強さを見せつけて断ってやろうと思った月子の考えは、しかし裏目に出ることになった。


「そんな…!考え直して下さい、陛下!貴方様に見捨てられてしまえば我が国…いえ、世界すらも全て終いになってしまうのです。《青天の星・聖女神レヴィナレス》が見定めた貴方様以外、我らが世界の帝天(おう)となり得る人間は絶対にいないのですから!」

「…その、セイテンノホシ…なんとか女神さんっていうのを私は知らないし、なにより此処が何処だかも知らないのに突然王になれだとか、ヘーカだとか、意味わからないじゃないですか…。てゆーか私になにしろって……」


捨てられた子犬のように涙の膜が張っている瞳に見詰められて月子は思わず怯んだ。

何処まで伸ばせば気が済むのかと思うくらい長々と伸ばされた淡い緑色の髪を数本の三つ編みし、それを左の側頭部でひとつに束ねるというなんとも不可思議な髪形をした彼女は髪と同色の涙で濡れた瞳で陛下陛下、と月子に迫ってくる。月子の無理です発言に相当のダメージを与えられたのか、彼女のうるうると揺れる瞳からはもう水分が零れ落ちそうだ。

目を見てはっきり断ってやろうと考えていたのにこれではまるで自分が悪役にでもなってしまったような気にさせられて、月子は合わせたばかりの視線を彼女から素早く逸らして空中に泳がせた。

所在なさげに揺れ動く月子の視線の端に声を震わせて自分にどうかどうかと懇願してくる彼女の緑が見えるたびに、私のが泣きたいから!とわけがわからない今の状況に思わず月子まで涙腺が緩みかける。そう思いながらも二十四にもなって人前で泣くものかと顔面の筋肉にありったけの力を込めて分泌されそうになる体液を抑え、それからもう一度既に半泣きになっている緑の彼女に焦点を合わせた。


「…あの、そ、の、ですね…、しょ、承諾するわけにはいかないんですけど、えーと…まあ、話くらいなら、聞いても…いいかなー、って、思って、ですね…。事情も知らないまま無下に断るのも、ほら、ね、感じ悪いだろうし……。えーと、うん、…まあ承諾は出来ないかもしれないんですけれ、っどおおおお!?」

「ああ陛下っ!!貴方様はなんとお優しい御方なのでしょう!その寛大なお心とご慈悲と、それから気高き聖女神レヴィナレスの魂に至上の御礼を捧げます!」

「おえっ、ちょ、おねえさん苦しっ…!」


ぐすぐすひくひくと捨てられた子犬よりも悲しげな顔で決壊寸前の瞳に見詰められ続けた月子はついに少しではあるが観念して、とりあえず事情だけでも聞くと、そう彼女に伝えた。聞いた所で己がその王になれという話を受け入れるとは思えなかったし、何よりとりあえず聞くだけ聞いてまた断ろうという魂胆があった上での発言だ。少々ずるいかもしれないが、平々凡々並々普通、至極一般的な家庭に産まれて生きて育ってきた月子にとっては《王》になれ、などという提案というかお願いは、あまりにも現実離れしているし、非科学的過ぎる。なによりとにかく意味がわからない。

絶対に承諾することなどないと、揺るぎない己の気持ちを前提にして話だけは聞く、と微かな理解を示した月子に、けれど緑の彼女は予想以上に身体全体を使って喜びを表した。

幸せの極みと言わんばかりに未だ潤んだままの瞳を携えて花開く笑顔で飛びかかって来て、ぐえっ、と轢き殺された蛙のような声が出るほど力強く抱き締められる。


「お、おねえさん…!さすがにこれは無理があるっ…!」

「その気高き魂と慈悲深い御心!まさにそれこそが《青天の星・聖女神レヴィナレス》の御加護の元にお生まれになった証!ああ素晴らしい!なんと高尚な!」


感謝の言葉と月子には理解出来ない単語を延々と述べながら姿形に似合わぬほどの怪力で胴体を締め上げられる。ギブギブと背中を叩いて知らせてはみるものの、興奮状態にある彼女はまったく気が付かない様子である。

ああどうしよう、ちょっと気が遠くなってきたかも話だけでも、なんて思うんじゃなかったアーメーン…と目の裏に星が飛びかけた時だった。月子の背後から、救いの声が投げかけられたのは。


「シシー様、陛下が困っておいでですよ」

「え?…あ、まあ!ど、どう致しましょう!陛下、ご無事でございますか!?ああ、わたくしはなんと罪深いことを…!陛下、ああ陛下!お美しい(かんばせ)が!」

「へ、へへへへ…へいき、です、ほんとに…。…後カンバセは元からこんな感じ」


天の助けだ。冗談抜きで心の底からそう思った。

背後から聞こえた声に我に返ったのか、緑の彼女は飛び退るようにして月子を解放すると、再びばたばたと駆けよって来てから顔を真っ青にさせた。ぜーはーと荒い息を繰り返し林檎のように赤い顔をしている月子の周りを右往左往と不安げに歩き回る。


「ど、どうしましょう…!陛下、本当に申し訳ございません!今すぐに治癒術師を呼んで参ります故、何卒わたくしの処分はその後に…!」

「処分!?あーいやいや、そのナントカさんも別に必要ないですし、処分とかも別に…」

「なんと!あのような狼藉を働いたわたくしを許して下さると仰るのですか!?」

「いや、狼藉ってそんな大袈裟な…」

「裁きを受けなければならぬほどの狼藉を大袈裟で済ませられるとはなんと寛大な…!」

「あ、いや…」

「さすが聖女神に見定まれた御方!」

「………」

「素晴らしい!!」

「………」


埒があかないとは今の状況のことを言うのだろうか。

きらきらと満点の星を凝縮させたような瞳で、月子が口を開くたびにそれこそ大袈裟に一言二言返答してくる彼女のことを今は一先ず置いとくとして、救いの声を掛けてくれた人にお礼を言うために月子は背後を顧みた。


「申し訳ありません、陛下。迎えに来るのが遅くなってしまいましたね」


振り返った先にいたのは、先ほど月子の前で膝を付いていた七人の内のひとりだった。

確か、朗々とよくわからない単語を並べ立てて降臨の言葉だとかを読み上げていたのはこの彼だったような気がする。

人の名前と顔を覚えるのが常人よりも些か苦手な月子にも、あれほどのインパクトと好青年然とした顔立ちをしている男のことならば少しくらいは記憶の波に引っ掛かるものがあるらしく、脳内であの時の光景と目の前で微笑む男の顔とが朧げながらも一致した。

茶褐色の髪に、たゆたう波のように静かな銀藍の瞳、きっちりと隙なく着こなした落ち着いた色合いの軍服姿がとても好ましい、爽やかな人。笑うと僅かに下がる目尻が更に好印象を与える。

よくわからないまま終息をむかえた儀式の後、彼に手を引かれて月子はここまでやってきたのだ。その最中、極々短いながらも道中を共にした時に、彼は名前を教えてくれたのだが…なんといっただろうか。

同じ日本人でも覚えることが苦手なのに、横文字になれば尚のこと。

ぐるぐると、試験時にもこれほどまで使わないだろうというほど記憶の波をハイスピードで巡らせて、その結果苦し紛れになんとなく浮かんできたひとつの名前を口にすることにした。もちろん自信など皆無である。


「えー…と……ヒューバート、さん…?」

「覚えて下さったのですね」


所在なさげに、むしろ途中から消えかけの声量で呼んだにも関わらず、彼――ヒューバートが光栄です、と幸せそうに微笑んで丁寧に頭を下げるものだから、月子はどうしていいのかわからなくなった。

合っていたことについては喜ばしい限りだが、そこまで感激された表情をされると逆に心苦しい。意味もなくぶんぶんと両手を身体の前で振りながら、混乱する脳内でとりあえずさっきのお礼を、と考え月子も釣られるようにして頭を下げる。


「いえ、あの、…さっきは助けて頂いてありがとうございました」

「……陛下」

「え、はい?」


下げた頭を元の位置に戻すと、ヒューバートが目を丸くしているのが視界に入った。

なにかまずいことでも仕出かしたのだろうか。彼がまるで珍種の動物を発見したように目を見張るものだから、月子は懸命に先ほどの行いを脳内で反芻させる。

けれどいくら思い起こそうとも頭を下げてお礼をしたことくらいしか、脳裏に点滅するものがない。名前は辛うじて間違えなかったし、なにより喜んでいたのだから今さら何のかのと掘り返すのも可笑しいだろう。

だったらなにが、と不可思議に思った月子の気持ちを察したのか、ヒューバートは変わらず困惑した面持ちのままで、その場に片膝をついた。まるで許しを乞うように深く頭を垂れて、陛下、と苦しげに月子を呼ぶ。


「ええっ!なんでですか!?なん、…なにがあった!?」


その突発的とも言える行動について行けず、月子はその場で飛び上がるほど仰天した。

物理的に五センチほど宙に浮いたかもしれない。

今までの自分の言動が、彼をこうさせているのだという自覚はあったがなにが原因なのか皆目見当もつかないのでどうすることも出来ない。

とにかく立たせようと軍服に包まれた彼の肩に手を置くが、それすらも恐れ多いと言外に示すようにヒューバートが身体を震わせるので、本当にどうすることも出来ずに、月子は打つ手なし、と立ち尽くした。

このまま放って置くわけにもいかず、どうしてですか、跪く彼に負けず劣らず困惑した声音で問えば、ヒューバートが見えない今でも容易に表情の想像が付く固い声質で訥々と言葉を零した。


「陛下に頭を下げさせるなど、家臣としてあってはならぬことです。そのようなことは以っての外、次からはもっと誠心誠意細心の注意をはらってお助け致しますと聖女神レヴィナレスに己の魂に今一度誓いを立てると共に、このたびの不始末の…」

「あわわわわわわわっ、ちょっと待って下さい!」


訥々と語り出したヒューバートの胸の内は、彼にとっては今起こしている行動からどれだけ重要なものであるのかが窺えたが、月子からすれば、こう言ってはなんだが先の緑の彼女とほぼ同レベルだった。

緑の彼女もヒューバートも月子を主上として《王》として捉えているからこそ、天の上の人間でもある彼女に狼藉を働いた不始末があったと騒いでいるようだが、月子は彼等の主になったつもりも、ましてや王様になったつもりもない。その程度のことで一々目くじらではないが、このような事態に陥ることの方が月子にとっては面倒だ。

ただ、それを言ったところで竹内月子という人間を至高のものだと心の芯から信じて疑わない彼等に説いたところで、逆に竹内月子という人間はなにか、を説かれてしまって話にならない気がしたので、ここは利口に成る気もない《王》とやらの権限を振り翳して、今の出来事自体を柔らかに否定することにした。


「あの、そんなつもりでお礼を言ったんじゃないので、…えーと…うん、ホント気にしないで下さい!あと頭くらい下げるからね!普通に!私は!下げるよ!?日本人だし!なんか、よくわかんないんだけども!」

「…陛下?」


よくわからない、の部分で、さすがに彼自身も理解不能に陥ったのか、今まで頑なに垂れていた頭が揺れ動く。

動揺して、面を上げようか否か迷っている風情のヒューバートに、人の後頭部見下ろすのって変な感じなんだよだから顔上げてくれ、と伝わるはずもないテレパシーで伝えてから、月子は続けた。


「私がいた世界…いや、国!?国かな!そこじゃ普通だから!みんな頭下げまくるんで!それこそが全てとも言わんばかりに!ほんと!嬉しい時も悲しい時もお礼言う時も謝る時も頭下げるんで!それが当たり前だから!国風だから!!」

「は、…」


言い切った後、いやさすがに言い過ぎたかな、とも思ったが、いつの間にか、ぽかんと間の抜けた顔でヒューバートが自分を見上げきていたので、まあこれでも良いかと月子は脳内ではなまるを描いた。とにかく、信じたくはないが先ほどの緑の彼女に勝るとも劣らないほど己に盲信してしまっているらしい彼を、立たせるところから始めてみようと思う。

それから聞きたいことがたくさんある。どうしてこんなところにくるハメになったのか、何故私なのか、これからどうするべきなのか、……元の世界には帰れるのか。

話さないことには始まらない。

認めたくはないが、事実、現実で起こっているのだから否定しても仕方ないではないか。嫌だなんだと駄々を捏ねる暇があるなら、打開策を探した方が効率的だ。

少しばかり冷静さを取り戻した思考回路でよし、と呟いて、月子はこの世界に来て始めて心の底から笑顔を見せる。

それから未だに呆然とした顔を晒し続けているヒューバートの腕を取って、立ち上がらせる時に彼が呟いた、陛下は本当にお優しいのですね、という言葉に苦笑を漏らしてから、――…はたと気が付いた。

先ほどからここにいる全員がなんの違和感もなく滑らかにそう呼ぶものだから、いつの間にか触発されたようになんの違和感もなくそれに応えている自分に。

……陛下で返事しちゃってるんだけど、私…。

心からの笑顔が、斯くも虚しくひび割れた。

竹内月子の受難は、まだまだ始まったばかりである。





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