果て先
人で形作られた回廊を抜け、先導するアウレリオに従って着いた先は中庭だった。
王族が羽根を伸ばすに相応しく、綻びが一切ない人工の庭園は暖かな日差しで満たされている。その庭園の中央、太陽の恵みを一心に受ける淡いながらも色彩鮮やかな花が咲き誇る花園の中に、月子たちの探し人はいた。
「……なにあれ」
「あはは、ひっどい顔」
相棒が陥っている状況を指を差して笑うアウレリオと、またかという顔を見せる背後のふたりを見比べて月子はひとり首を捻った。
咲き乱れる花々の中心で、あたたかな空気にそぐわない白い顔を晒しているジュストは身を竦めて硬直している。まるで自分の身体の面積を狭めようとしているかのような体勢の彼の周囲を複数の給仕たちが取り囲んでいて、そういえばジュストは女性恐怖症だったのだと思い出してその状況に納得がいった。
純白と紺の色合い美しい給仕服に身を包んだ彼女たちは、表情まで固めて動かないジュストに気付いているのかいないのか、頬を淡く染めて懸命に何かを話し掛けている。
どっちも不憫だなと苦笑する月子の隣で、未だにアウレリオはくつくつと愉しそうに喉を鳴らして笑っていた。
「やったねおじさん、もてもて~」
「モテるんだね、ジュストって…」
「みたいだね、僕にはよくわからないけど」
「女性恐怖症なのにやたらと女の子に優しくするからだろ。しかし羨ましいなー、あれ。オレと代わってくれないかな」
「頼んできたら?丁度困ってるみたいだから、たぶん快諾するでしょ」
「問題はおじさんじゃなくて、メイドさんたちだと思うけどなあ、僕」
「それどういう意味だ、アウレリオ」
「陛下、彼をあそこから連れ出しても宜しいでしょうか?」
月子たちが訪れたことにも気付かぬまま花園で硬直するジュストに救いの手を差し伸べたのは、今まで静かに彼女たちの背後で会話を聞いていたヒューバートだった。
彼の申し出にお願いしますと頷いた月子を確認して、ヒューバートは中庭に足を踏み入れた。
「………」
「やっぱりモテる男は違うねえ、ジュストおじさん?」
「だからわざわざ止めろって忠告したのに」
「なんかしたの?」
サルトテスラの城仕えの背に続く一行の中で、覚束ない足取りで救い主であるヒューバートの隣をふらふらと歩くジュストに、四方から様々な言葉が降りかかった。
心配と疑問の入り混じった目をジュストに向ける月子に、アウレリオがそんなに心配をすることもないと言わんばかりに片手を振る。
「困ってるメイドさん、片っぱしから手伝ったんだよこのおじさん。手当たり次第に。馬鹿だよねー、そんなことするからあんな目に遭うんだよ」
いつものことだけど、と付け足す相棒に、相変わらず青白い顔のジュストが首を振る。
「…困ってる女性を見て見ぬふりするなんて、男として腐ってるだろ…」
「まずその可笑しな持論を捨てればいいのに」
「ジュストは大変だな、オレもその気持ちわからなくもないけどさ」
「結局は自業自得ってわけね」
「言ってくれるな、お嬢さん」
過分に呆れを含んだ眼差しを送れば、疲労した表情にジュストが苦笑を上塗りした。
延々に続くかと思われる回廊を歩む月子たちは、兵士が時期に見えてきた一際大仰な扉の前で足を揃えたことによりその歩みを止めた。
月子の様子を窺うようにこちらを振り返った男に、緊張した面持ちでひとつ頷く。
それを受けて深く一同に腰を折った兵士は翼を広げる鳳が彫られた扉に向き直ると、なんの合図もなしに両開きの門が音も立てず動き出す。
「セグセンビーアより、時の皇帝陛下が御目見えになられました」
まだ皇帝じゃないんだってば、と緊張する自分を誤魔化すために胸中で呟いて、口を開けた扉の中に足を進めた兵士に続いて、月子も重い両足を動かした。
「お初にお目に掛かる、我等が未来の《帝天》よ」
はじめに目に留まったのは、室内に入ってすぐ目前に位置する駆け上がる天鵞絨が敷かれた階段と、その頂点に存在感を放ちながら鎮座する王座だった。
予想ではそこにサルトテスラの国王が腰をおさめているものかと思ったが、想像とは違い、月子が室内に入室すると同時に声をあげ、頭を垂れた赤と金の細かな刺繍が施された服を纏う壮齢の男は、開け放たれた扉の直線状に佇んでいた。
部屋に足を踏み入れたはいいものの、こういった場面でなにを為せばよいのかわからない月子は数秒戸惑ってから、結局男の目前まで歩を進めることを選ぶ。
なにもいわず背を追ってくる四人の騎士に守られて、月子は――名乗りを上げずとも厳格な雰囲気で確信した――、サルトテスラの国王と対峙した。
「あの…」
こちらから名乗った方がいいのかと早急に開口しようとした月子は、す、と静かに挙げられた男の手に口を結んだ。
口を閉じた月子に軽く一礼して、男は挙げた手を自らの胸元に当ててから、先に喋らせてくれとばかりにゆるく微笑む。
そうまでされてしまえば、はじめから遮る理由もない月子は、ひとつ頷くしかなかった。
「無理な要求を寛大に受け入れて下さったこと御礼申し上げる。私が、サルトテスラが23代目国王、オートバル・ウイントバルト・ハインツだ。それからこちらが」
言ってオートバルは、隣に佇む金髪の青年を手で示した。
「愚息のナサニエルだ」
指し示されてはじめてオートバルの隣に人がいることを認識した月子の驚く目が動く。
極度の緊張からか、狭くなった視野に今まで映らなかった青年は、月子の黒い視線を受けて、父親と似通った微笑みを浮かべて見せた。
「こうして陛下にお目通り願えるとは感慨の極み。無礼な要求を快く受け入れて下さったこと、民に代わり心身から感謝致します。…御紹介にあずかりました、ナサニエル・ウイントバルト・ハインツと申します。以後お見知り置きを」
「ど、どうも、はじめまして、竹内月子です…」
形式も威厳もない、生まれながら王の血を引く彼等からすれば無礼にもあたるのではないかと思えるほど簡素な挨拶が、乾いた咥内から飛び出した。
どうもってなんだよ!と考えもせず口から零れた台詞に今さら血の気が下がる。
行き成り反感を買ったらどうしよう、と知らず知らず俯いた月子の頭上から降って来た声は、しかし予想に反してあたたかみに満ちていた。
「タケウチツキコ殿。すまないが名前と姓の区別がつかないのだ。なんと御呼びすれば?」
「あ、……。えっと、すみません、月子が名前です。…あーと、こちら風に言うとツキコ・タケウチ…ですかね」
出来るだけはっきり丁寧に、名前と姓の間を取って発音する。
ツキコ殿だな、と確かめるように呟いたオートバルに慌てて頷けば、彼はそれを見て朗らかな笑顔を浮かべた。
「本当に、遠路遥々良くいらしてくれた。積もる話は私にも、無論そのためにいらして下さったのだからあなたにもあるだろうが、今日は長旅で疲れておられるだろう。我が国挙げての持て成しを僭越ながら用意させて頂いた。是非それを受け取って頂いてから、後日改めて席を設けたいと考えているのだが…如何かな?」
「仕事だと」
「ん?」
「仕事だともう少し形式とか気にして喋れるんだけどなあ」
反省を滲ませる声音で独り言にも近い音量の言葉は、月子の隣に座っていたアウレリオが耳聡く拾い上げた。
短く問い返せば、後悔を含ませた溜め息と共に返答が跳ねてくる。
靴を脱ぎ捨ててソファに膝を抱え込んだ月子を視界の端に、アウレリオは足を組みかえる。
「いいんじゃないの、別に。陛下がガチガチなの、向こうだって気付いてたでしょ、きっと」
「う。そんなに私…みっともなかった…?」
「みっともないって言うか…緊張してるんだろうなあとは思ったけど。手、震えてたよね」
「…よく見てますネ」
「陛下の一挙一動に目を光らせることが僕等の仕事だからね」
「そういうところは見ない振りでいいんですよ?」
「陛下から直々にサボってもいいなんて言われるとはなー」
アウレリオの、本人にその気はなくとも追い打ちともとれる台詞に唸って顔を膝に埋める。
今さら後悔したところで取り戻せないとわかってはいても、ついつい自分の言動に粗探しをして落ち込む癖はそうそう治らないのだ。
アウレリオは、うんうんとひとり思考に浸る月子越しに見える嵌め込みの窓に視線をずらした。視線の先の窓の外は、無数の街灯が灯り、半月が悠々と夜空を泳いでいる。
再びあおい目を月子に戻してきて、落ち込む肩をなるべく優しく叩いた。
「なに?」
「寝ないの?」
指で窓を指せば、やっと帳が降りた外界に気付いたのか、腕から顔を上げた月子が数回瞬きを繰り返した。
悩んでいるのか眉間にしわが寄せられ、それから細い息が吐き出される。
「…疲れてはいるんだけどね、どうも目が冴えちゃって」
「沿い寝してあげよっか?」
「遠回しに寝るなって言ってるように聞こえる」
「酷いな。僕、体温高いから抱えてれば眠くなるかと思ったのに」
冗談半分で腕を広げて見せる。
どうする?と胡散臭い笑みと共に揺らした腕に、月子は透明な黒の瞳を胡乱げに細めた。
「私がアウレリオのこと抱えるの?」
「逆に聞くけど、陛下は僕に抱えられたいの?陛下が望むならそれでもいいけど、僕寝相悪いよ」
「どっちにしろ寝相悪いんだったら結果は一緒な気がする…」
「言えてる。じゃ、眠くなるまでお喋り付き合ってあげるよ」
「それは有り難いけど…アウレリオは寝ないの?」
「今日は僕、不寝番」
「……明日は?」
「僕以外の誰かだね」
飄々と答えたアウレリオに、そこまでやるのかと月子が表情で語る。
当然、と一言だけ返して、アウレリオは月子を広大な白いベッドへと放り込んだ。
枕元に自分は腰を下ろして、子供のように眠くないと不平を漏らす月子を見下ろす。
「不寝番とか、そんなの必要ないのに…」
「自国じゃなければこのくらい当然の処置なの。なにかあってからじゃ遅いからね」
「……私が此処に滞在する分だけ、みんな寝ないの?」
「交代だから平気だよ。そもそもその程度で身体壊すような人間は七騎士には選ばれない」
「……そう、かな」
「そうなの。もっと気軽に考えなよ、陛下。今日みたいに眠れない日には、きっといい暇潰しになるよ。いまの僕みたいにさ」
「…まあ、ウォルターとかジュストは付き合ってくれそうだけど」
「ヒューだって付き合ってくれる…ていうか、陛下が望めば三日三晩寝ずにでも付き合うでしょ、あの人」
同士の生真面目さが面白いのか、ふふと声を漏らして笑うアウレリオを、枕に頭を沈めたまま見上げる。
本人は平気だと公言し、おそらくは言葉通りなんともないのだろうが、それでもただの君主もどきである自分のために労働させるのは申し訳ない気持ちの方が勝るのだ。
困惑とも呼べる色が瞳を縁取る月子を知ってなお、それを見ないものとするアウレリオが、ベッドに体重を乗せた手を着いた。
「でもきっと、ヒューは陛下の部屋に用がなければ断固として入らないと思うな」
ね、と同意を求める声が気にするなと言外に含んでいるように聞こえた月子は、数秒の思慮の後、そうだねと頷いた。
「そしたら扉越しにお話してもらう」
「陛下にそんなことさせたら自刎でもし兼ねないよ、ヒューのことだから」
「ええ…」
「ほんとだって」
「じゃあ今みたいに部屋に入ってもらうしかないじゃん」
「命令しちゃえばヒューはなんでも聞くと思うけど、それで陛下寝られるの?」
問われて、はたと気付く。
今までそんなに気にしたことはなかったが、こちらの人間は月子の故郷の人とは顔の作りが根本から違うのか、端正な顔立ちの人間が多い気がする。
その殊更綺麗な顔立ちの人たちに囲まれて今まで平気でいた自分にも驚いたし、かと言ってそう自覚させられても大して動じていない自分にも驚いた。
淡い色合いの茶褐色の髪と、常に正面から見詰めてくる藍を溶かした銀の瞳を思い出して月子は唸る。
彼は男だという事実を考慮に入れて考えても、あの自分の前では犬のような言動を繰り返すヒューバートが寝室にいたところで、なにか事故が起こるとも考え難かった。
「あー…うーん……どうだろう…私が涎とか垂らさなかったらセーフかな…」
「ちなみに僕もオトコだよね?」
唐突に上から降ってきた色を孕んだ声音に目を向ける。
そこに、いつもの屈託ないながらも何処か大人びた青年の表情はなく、艶然とくちびるを微笑みに形作る――彼自身の言葉通り、嫌でも性別の差を感じさせる笑みがそこにはあった。
そんなアウレリオの顔を凝視して、月子は頬を染めるより早くわかりきったことを聞くなと大層面倒臭そうな表情を作る。
「こっちの人って、私に対しては性別如何の前に、陛下だから、が先行してるでしょ。男だからとか女だからとか、皇帝の前ではそんなに問題になってない気がするんだけど?」
「よくわかってらっしゃる」
酷くどうでもよさそうに安全圏にいることを認識している月子を見るや否や、アウレリオは先ほどの艶やかな笑みが幻だったかのようにころりと普段の顔で笑った。
正解だと褒められた月子が、それに口を尖らせる。
「あんまり嬉しくない…」
「なんだ、やっぱり襲ってほしいの?」
「なに、やっぱりって…。いや、そうじゃなくてさ…」
呆れ顔で溜め息を吐いた月子の目が、何時の間にか眠気に押されてしょぼしょぼとした瞬きを繰り返す。
んー、と眠たそうな間延びした唸り声をあげて、眠りたかったはずなのに何故か睡魔と闘う姿勢を見せる月子に苦笑して、アウレリオは体温の高い手のひらで彼女の瞼を覆い隠した。
「おやすみ、陛下」




