表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/32

選択は

手を開く。それから指一本一本の感触を確かめるようにして強く握って、再び手のひらを空に見せた。軋んだ雰囲気に当てられて、無意識に指先が白くなるほど握り締めていた拳が今さらじんじんと痺れて、痛みと共に脳裏を掠める場面に月子は沈んだ溜め息を吐いた。

圧し掛かる、己には関係ないと見ぬふりも出来ないほど重量を持った空気が、肩に手を掛け肌を撫でる感触が忘れられない。

元老会の老人たちの声なき期待や表情のない視線を知らぬ是せぬで通そうとしたことも、今となってはなんの功も成さなかったと気付いた。

半端な態度で、煮え切らぬ立場で自分があの場にいたからこそ起きたことだと思えば、更に彼女の気分を深く落ち込ませた。

あの後、逃げるように座標の宮室を退室した月子は、一人になりたいと周囲の者に告げてからというもの当て所なくふらふらと王城内を練り歩いている。

大義名分は考えを纏めるというそれなりのもの、しかしそれすらも所詮逃げなのではないか、と自分でもわかっている。

広大な内部を歩き回って数分、月子はきらきらと日の光を浴びて透けるように輝いているレリーフが細部に彫られているテラスに辿り着いた。

開け放たれた巨大な掃き出し窓から吹き込む爽やかな風に誘われるようにバルコニーに足を踏み入れた月子は、思わず目を瞠った。手も金も掛っていそうな豪奢なテラスにも無論驚いたが、それ以上に彼女を驚かせたのは、テラスから見えた風景だった。

城壁から張り出して造られたテラスから一望できる景色、遥か階下に見えるのは城から徐々に末広がりに石造りの道路が広がっていた。煉瓦造りの大小様々な家が道路に沿って建てられ、大通りから枝のように無尽に伸びた路地には露店が並ぶ。家から家へ渡された綱には洗濯物が白をはためかせて翻る。広場と思しき噴水が中央に陣取る開けた空間では、午後の陽気な日差しの中で目一杯戯れる子供たちで賑わっていた。

しかし、一番に月子の目と意識を奪ったのは、広がる街の最終地点、自由に横たわっている地平線の見えない海だった。

透明度の高い蒼は街を囲むように縦横無尽にその腹を見せている。遥かその先、地平線が楕円を描く海の線が、高い位置にある太陽の光を浴びて白く輝いている。微かに耳に届いてくる潮騒はゆりかごで優しく揺さぶられるようで、緩やかに波打つ広大な濁りない蒼は何処までも穏やかで凪いでいた。潮の濃い匂いが城まで押し寄せて、少しだけべたつきのある風が手摺りから身を乗り出す月子の髪を掬って吹き抜ける。

馬車に乗せられあの大通りを通って帰城する際にはわからなかった街の全体、それを囲む果てしない海が見渡せて、ようやくこの場所は、ひとつの国であることを自覚した。まるで自分の知らないところで進む劇に強制参加させられていて、何処かままごとのようだと感じていた一種の現実逃避は澄み渡る色彩に払拭された。

この色は、この匂いは、この音は、この感触は、紛うことなく全て生に躍動している。

微かに聞こえる人々の賑やかな声、それに被さる海の音、民家や屋台から漂う食べ物の匂い、鼻を擽る潮の刺激、それからなにより、空と融解する海の蒼。


「…すごい」


活気ある街並みと、生命力溢れる母なる海は、斯くも落ち窪んだ月子の心をゆうるりと宥めすかした。


「陛下」


白刃に煌めく海の彼方へ当て所なく視線を走らせていたところ、肩越しに掛けられた声に振り返る。声はほぼ真後ろから聞こえてきて、だというのに人が近付いて来る気配も音も聞こえなかったが、月子は別段驚きはしなかった。きっと彼は自分を追い掛けてくるのではないかと、直感でわかっていたからかもしれない。

自分に劣らず表情が晴れない顔と声で、悄然と立ち尽くすその姿を目に留めた月子は思わず笑ってしまった。


「ヒューバートさん」

「申し訳ありません、一人になりたいと仰られたにも関わらず…」

「いえ、大丈夫です」


首を静かに横に振って、それから海の向こうへと視線を投げる。


「海、すごいですね。こんなに綺麗なものだって知らなかった」

「我が国の誇る、国宝のひとつですから。女神がこの国を創る際に最も手を掛けたのが、我が国に面する海だと言われています」

「へえ…」


言われてみれば、月子が故郷で幾度か目にした海よりも透明さから色、存在そのものに至るまで神が愛情を親身に注いだと称されてもなんら遜色ない美しさだった。

手摺りに肘を付いて手のひらに顎を乗せる。そうして一心に城下へ海へ視線を投げ掛ける傍ら、背後で所在なさげに佇むヒューバートに目配せした。

その視線で月子が言わんとしていることがわかって、ヒューバートは静かに目を伏せる。


「陛下…」

「私のせいだと思うんです。そりゃ、あんな言われ方したら腹立つけど、それってやっぱり図星だからでしょう?帰る帰るってそればっかりな癖に、状況に流されて、その場凌ぎで頷いたりして。帰りたい気持ちはやっぱり変わりませんけど、でも、いま此処から街を見て思ったんです。もしかしたらもっと前に気付いてたのに、知らないふりしていただけなのかもしれないんですけど、…今のままの私じゃ、あまりにも無責任だって」


城の回廊をふらふらと練り歩いている時に自覚したことだった。

――唐突に開けた世界は想像もしていなかったものだった。

知らぬ間に組み込まれて、よくわからないままに進んで行く、それでも確かに己の人生の一部に為るはずの今。何処か他人事のように綽々と進行するそれは、決して月子の意識の外で行われていることではなかった。

知らなかったからわからないから無理だから、否定するのは容易いけれど、では自分が関わったことで変わるであろう誰かの気持ちや事柄はどうするのだろう。

募る懐疑心は日に日に強く重くなっていく。頭の隅から追いやろうとすればするほどそれは月子を追い詰めた。

背しか見えぬ主上の表情に、ヒューバートは(かぶり)を振った。


「いいえ、ウォルターが言ったように、陛下にはあくまでも我々の都合にお付き合い願っているのです。それ故巻き込んでしまったとも言える状況下…正式に王座を継いでもおられません。ですから」


言い募るヒューバートの言葉を、首を振って遮る。

その勢いで背後を振り返って、僅かに顔を歪めている彼と向き合った。


「でも陛下、って呼ばれてる。私はそれに返事をかえしてる。それって、それだけでももう既に責任を負うことになってるんじゃないかなって気付いたんです。もし本当に私がこの状況を否定するんだったら、まずはその呼び方から正すべきだったんじゃないかなあって…。面倒だからってそのままにして、帰るまでの辛抱だからって自分だけで納得すれば、私はそれでいいのかもしれない。でも、それだけで済まない人たちだっているんじゃないかって…思ったんです」


高々、と思っていた。心の何処かで、皇帝になる者という応えに対して返す、高々そのくらいで、と。もしくは本当にその程度なのかもしれない。ウォルターやヒューバートが言う通り、月子は正式に王の座を継いでいない――そうなっているようだ。だから、その《帝天(おう)》になる可能性を孕んだだけの人間ひとりが周囲に与える影響など高が知れているかもしれない。

それでも。――だから、それこそ、不変は有り得ないのだ。竹内月子という人間が、他から及ぼされる様々なものを受けて、また様々なものに与えこの場に存在している以上、それは見過ごしていいものではない。王である前に、異界人である前に、ひとりの人間として月子が担うものがあるのではないか、と。


「駄目だ、なにが言いたいのか自分でもわかんなくなってきちゃった」


我知らず熱くなって吐露した胸の内が、今さらになって恥ずかしくなって誤魔化すように苦笑いをする。それからすぐに歯を見せるように笑って、ヒューバートが口を開く前に身体を反転させた。

眼下に広がる豊かな城下を見渡す。確かに息づく街並みと海を視界に入れて、細かな細工が施されている手摺りを握った。


「被害者面はやめよう」


磯のにおいを含んだ風が吹く。

遠く海を渡ってきた潮風は、城下街の人々の間をすり抜け干された洗濯物を撫で、城に向かうにつれてゆるやかに傾斜になる石畳を駆け抜けて月子の傍らを凪いで行った。

言葉もなく背後で静かに佇むヒューバートに、月子は精一杯の笑顔を向けた。


「私は今を甘受してる。マティウスの言う通りだ。こちらの人の都合を、ちゃんと考えてなかった。私だけの問題じゃないのに、なんで私が、って多分そればっかりだった。…わからないことだらけだけど、知ろうともしないで口先ばかりはズルイよね」


唐突に開けた世界は想像もしていなかったものだった。

ヒューバートが言う通り、もしかしたら月子は巻き込まれただけなのかもしれない。

でも、此処にいる以上、応えてしまった以上は、責任がある。きっと、王になるにしてもならないにしても、今此処にいるからこそ、月子にしか果たせない責任が。


「ちゃんと見て聞いて知って考えようと思う。帰るにしても……帰らないにしても」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ