円卓の乱
粛々と、しかし確かな激情を孕んで進んで行く会議に着いて行くことを既に開き直って諦めた月子は、風体だけは立派な椅子に深く腰掛けてひたすら議会の進行を見守っていた。
渦巻く過多な情報の中に飛び込むことすら出来ないでいると申し訳ない気もするが、時間が経過するにつれて申し訳なさは極度の退屈に摩り替わってしまう。
理解出来ない言葉の羅列を聞いていて楽しいと思えるような人間ではないのだ。
零れそうになる欠伸と懸命に戦って不自然に表情筋に力を入れる月子の様子に気が付いたウォルターが、腰を屈めて耳元に囁いてくる。
「陛下、もしかして暇?」
「うそ、暇そうに見える?まあ実際、…暇…なわけなんだけど、みんなが頑張ってるのにそう見えるのは不味いよね。ごめん、気を付ける」
暇じゃないよ、と言えればそれでよかったのだが、本来あまりそういったことが好きではない。嘘が苦手というよりは単純に面倒臭いのである。それに加え、既に彼女の中でウォルターはそういう表面上の繕いがいらない相手になっていたからこそ余計にだ。
しらっとした顔で告げた月子の正直な反応が予想外だったのか、ウォルターは喉を鳴らして笑う。
「真面目だなあ、陛下は。ま、気にすることじゃない。こっちに来てまだ…何日だ?三日目くらいか?そのくらいしか経ってないんだからわからなくてトーゼン。これから覚えてきゃいいさ」
「うん、ありが……いや帰るし、私。覚えるもなにもないから。なんで普通に留まる方向で話進めようとしてるの」
極自然な流れで進められようとした違和感のある台詞に気付いて否定する。
ちょっとだけ危なかったという気持ちから言葉に力を籠めれば、ウォルターは悪戯を見破られて不発に終わった子供のような顔になった。
「ちぇ、残念。さすがに騙されないかあ」
「さては私のことをバカにしてるな?」
いくらなんでも今の会話で騙されるほど抜けてはいない。冗談半分に自分の顔の横にいるウォルターを疑惑の眼差しで見やると、彼は大仰な身振り手振りで否定の意を示した。
「違うって。陛下に少しでも長くこちらに留まってもらいたいと考えた、貴女の忠実なる僕の可愛い愚策ですよお」
「いらないから、そういうの。なんか勘違いしてるみたいだけど、私そういうこと言われて喜ぶタイプじゃないからね」
「陛下はガード堅いな」
「ウォルター、陛下に失礼だぞ。相手方と場所を考えろ」
「お堅いのはヒューも似たようなもんか。…あーわかったから、そんなに眉間にしわ寄せるなって。大人しくしてるよ」
進められる議会の端での戯れを、見兼ねたヒューバートに苦言を入れられたウォルターは、台詞とは裏腹に月子にウインクを投げてきてニコニコと笑ったままだ。まるできいていないと呆れを含んだか細い息が背後で漏れたのを聞いて、同罪である月子が首を竦める。
反省しようと視線を送ると、これ以上余計な火種をふやすのは最善でないと判断したらしいウォルターは澄ました顔で月子の視線を受け取った。
結局暇潰しの可能性は正論によって摘まれてしまったが、それでもヒューバートからしたら手を抜いた対処だったのだろう。平然とした顔で円卓に目線を正したウォルターを見て思う。…なにしろ、彼が陛下である自分に砕けた態度で接すること自体に申し立てはなかったのだから。
月子自身は同罪だと思っているが、彼はきっと露程もそんなことは考えていないに違いない。だったらもう少し、ウォルターに対して連なる小言があって当然だったはずなのだが、ただの一言、止めろと言うだけに済んだのはそういうことではないのだろうか。月子自身がアウレリオやジュストが取る態度の方がいいと再三言っていたことを覚えていてくれたから、そう思うのは些か都合が良すぎるだろうか。
ちらりとそちらに目を向けると、星が瞬く間際に放つ光を湛えた銀藍の瞳が、優しく笑ったような気がした。
「では、当分は情報収集及びもしもの場合に備えて警護態勢臨戦態勢を十分に整えるという方向で、みな良いな?」
そうこうしている内に円卓を囲む是という声に導かれ、議会は収束を迎えようとしている。
一時とは言え収束を見せ、柔らかくなった雰囲気の中で元老会の面々は安堵した顔をして、各々本題混じりの雑談をはじめる。
「しかし、行く先が一旦とは言え決まったのならサルトテスラには使者を送らねばなりませんな。彼等が気付かなければ、いずれ我等が我等の力で気付いていたとしても既に手遅れだった可能性も無きにしも非ずだったでしょうから」
「そうだな。なにしろ同盟国だ。きちんと御礼申し上げておかねば後々厄介なことにもなりかねん」
「ふむ…。そうかもしれんな。早急に準備をしよう。…陛下、それで宜しいですかな?」
「えっ?」
「情報提供をして下さった同盟国に使いの者を遣りたいのです。それについて陛下の許可を頂きたく存じ上げます。無論、陛下がそれに反対するのでしたら取り下げますが」
向けられた水を捌けず困った顔をした月子に、丁寧な答えが返ってくる。
大体なにも関与していなかった私が下して良い決定なのか。
甚だ疑問に思わなくもなかったが、取り敢えず首を縦に振る。
「…はい、もちろん。いいと…思います…?」
曖昧にへらと笑って頷くと、元老会の面々が従者を呼び出して早速準備に取り掛かる。
その様を見て、月子は人知れず嘆息した。
ならないと公言しているにも関わらず、不自然に圧し掛かる『帝天』としての責任や状況にどうしていいかわからないのだ。
公の場では雰囲気に呑まれて圧倒されるが故、ひたすら受動的になって身を流されてはいるものの、帰るという根本の部分は決して変わらない。
しかし振りかかる重圧は後を絶たず、加えてどうやらいま目の前にいる元老会の面々が、自分が皇帝の座を拒否している事実を隠蔽しているかもしれないと聞いてしまえば、身の振り方にも慎重にならざるを得ない。
どうしたものかと再び回り始めた議会を視界の端に、参段を巡らせる。へたなことを口にして荒れるような事態は御免被りたいが、どうにかして帰還しなければならない。そのためにはやはり多数の人間にその旨を知って認めてもらわねばはじまらないはずだ。
「それで結局皇帝陛下サマは何もせずか?」
唐突に、緊迫した事態に反して特に波乱もなく平穏に幕を閉じようとしていた議会の中央を貫く底冷えした声音が、降りかけた緞帳を切り裂いた。氷のつぶての出所は探るまでもなく、今まで瞳を閉じて、自分は関係ないとばかりに無関心を貫いていたマティウスだ。
不穏な発言に、今の今まで好々爺とした表情だった元老会の面々がざわつき、空気が尖りを孕み、除々に歪みをみせる。月子がマティウスの言葉を理解するよりも早く、肌で感じられるほど空気が緊張で張り詰めた。
「…マティウス、陛下に向かってなんのつもりだ」
それが、ヒューバートが発した声だと気付くのに数秒を要した。
いつもの柔らかいながらも凛とした芯を持つ、穏やかに耳の神経を擽る彼の声音とは似ても似つかない、地の底をゆるく這う確かな敵意を持った音。
ざわざわと落ち着きがなかった元老会の面々すらも、ヒューバートのその一言で水を打ったように潮が引く要領で静まり返った。
単純に驚いて背後を振り返れば、返答によっては争う事さえも辞さないという構えを見せるヒューバートの姿がある。いつもは月子に真っ直ぐに向かっている銀瑠璃の瞳は、尖りを含んだ眼差しで、円卓の向こう側に座するマティウスを貫いていた。
普段は爽やかな好青年で温厚である、少なくとも月子にはそう見えるヒューバートが、いくら陛下である自分を侮辱する言葉を聞いたのであっても、ただの一言だけでここまで怒るとは考え難い。もしかするとヒューバートは元からマティウスのことが気に入らないのかもしれない。確かに反りは合わなそうだと、頭の隅で冷静に思った。
月子と物言わぬ元老会が見守る中で、向けられる幾多の感情にも平然とした様子のマティウスは銀の直線を紅玉に暗く輝く双眸で正面から受け止めて、それすらも嘲るように鼻で笑った。
「見かけ倒しの王座に腰掛けて発言もせず、だからといえ特に沈思していらっしゃるようにも見えない。どうやら世界を救う皇帝陛下サマらしいが、オレには大した加護も恩恵も与えないくせに世界の創造主を名乗る甘ったれた思考で人類を手玉に取ったつもりでいる女神と同じように他者からすべてを搾取し、現状を甘受するだけの傍観者気取りにしか見えないがな。挙げ句、己の言葉もなく流されるままに爺共の言いなりか?大した奴が帝天の座に座ったものだ」
言われた台詞は概ね図星で、思わず顔を通り越して頭に熱さが集まり掛けた。
それでも見境なく頭に血が昇らなかったのは、一重に自分以上に感情を高ぶらせている相手がいるからだ。
背後でカチャンと小さく金属音がする。まさかと思って椅子から乗り出すように後ろを顧みると、帯刀している剣に手を掛けているヒューバートが予想を裏切らずにいた。
マティウスの言いように既に言葉もなく、ただ空恐ろしいほど静かに獲物に手を添える彼の姿を見て、月子は慌てて声を荒げようとした。いくら気に入らなくとも反りが合わなくとも、この程度のことで流血沙汰は御免である。
「ヒュー…!」
「落ち着け、ヒューバート。陛下の御前だぞ、お前らしくもない。マティウスもだ。思うところが多々あるのはわかるが、今ここで、正式に皇帝の座を継いでいない陛下に八つ当たりするのは間違ってる」
「ウォルター…?」
椅子から飛び降りかけた月子を制したのはウォルターだった。
す、と身体の目の前に現れた軍服に包まれた腕を辿ると、睨み合う二人に視線を向けてから、緊張した面持ちを見せる自分に微笑み返してくれる普段通りのウォルターがいる。
緩やかに玉座に押し返されるまま上げた腰を戻せば、マティウスが気分を害したとばかりに秀麗な眉を歪めて吐き捨てた。
「継いでないどころか継ぐ気すらない御仁にその玉座に座られるのは不愉快だ」
「それも結局は八つ当たりだろう?今現在、あくまでも陛下には、オレたちの都合にお付き合い願ってるんだ。とやかくは言えないだろう」
ウォルターの物言いに更に反論しようと息を吸ったマティウスが、その途中ではたと動きを止める。数秒後、吸った息を吐き出したのか肩が僅かに上下して、なにがなんだかわからないでいる月子を一瞥してから、意地の悪い笑みをそれとわからない程度に口の端に乗せた。
「…能天気莫迦が言うようになったな?」
「オレが能天気でいられるようにいつも頭を使ってくれてる連中が今はポンコツでね、早く元通りになってもらわないと容量オーバーにでもなりそうだ」
「ふん」
ウォルターに対して不敵に鼻を鳴らしたマティウスは、それ以降すべてに興味を失ったようにふいと顔を円卓から背けた。まるで何事もなかったように暇そうに欠伸をひとつ、既に先のことは彼の中に残ってはいないのか、隣で苦言を申し立ててくる老人たちを意にも介していない。
真意が見えないままいたずらにマティウス乱され、乱暴に幕引きを迎えた会議は、纏まりがなく不穏な空気が漂っている。
なにをすればいいのかわからずに事態を見守るだけしか出来なかった月子が困惑した表情で周囲を見渡した視線の終着点は、真横で円卓を泰然自若と見詰めるウォルターだった。
月子の真剣な眼差しに気が付いたウォルターは、複雑な心境を目で訴えてくる彼女の前髪を優しく撫でる。
大丈夫だと声には出さずに伝えたウォルターが、未だに玉座の後ろで直立不動でいるヒューバートの腕を気軽い調子でぽんと叩く。それを受けて漸く、ヒューバートは柄に添えていた指先をゆっくりとといた。




