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はじまるもの

「陛下!」

「ヒューバートさん?」


先を行ってしまったマティウスを追い掛ける形で謁見の間に戻る最中、長い回廊の向こう側から見知った茶褐色が歩み寄って来た。

ジークベルトから国外の不穏な動きを聞いたのだろうか、それとも議会が招集されること自体にだろうか、焦燥を顔に浮かべていたヒューバートは、月子の姿を確認するとあからさまに安堵した表情で息を吐いた。

小走りで傍まで駆け寄って来た彼に、月子は小首を傾げる。


「どうしたんですか?」

「いえ、マティウスをわざわざ迎えに御行きになられたと聞いて…」


居ても立ってもいられなかった、という旨を小声で呟き、まるで自分自身が粗相をしたように肩身を狭くするヒューバートに、やっぱりかと月子とウォルターは顔を見合わせて苦笑をした。ヒューバートの月子に対する想いの大きさは既に周知の事実だったので、まさか先ほど本当にあった出来事を話すわけにもいかず、互いに合わせた視線で、事実を苦笑の裏側に隠すことを疎通する。月子も、決して事を大きくしたいわけではないのだ。

ふるふると首を横に振って、彼女は明るく笑って見せた。


「まったくなんにもなかったことはないけど、大丈夫でしたよ?」

「そうそう。オレが頑張ったんだぜ。ヒューが心配するようなことはなにも。なあ、陛下?」

「ねー」

「…でしたら、良いのですが」


褒めてとばかりに胸を張って同意をくれた月子と微笑み合うウォルターを一瞥して、少しだけ下げた眉の下から心配の眼差しを送ってくるヒューバートに、視線で再三大丈夫なのだと訴えた。




戻った先は謁見の間ではなく、座標の宮室ぐうしつと呼称される部屋だった。

開けられた扉の先に、踏み込む。

大理石で固められた、白く輝く部屋の中央に鎮座する大円卓に並ぶ席を埋める者たちの視線が必然的に入室した月子たちに集中する。背後で控えるふたりはともかく、ただの一般人である月子からしたら特質以外のなにものでもない今の状況は結構堪えるらしく、集まる視線に緊張して背筋を伸ばした。

議会を開くのに必要な本来居るべき数人を抜かして、今この場にいるのは全十二人。

席に座していた十二人が、月子を見るなり一斉に立ち上がる。


「お初に御目見え致します、陛下。事態が事態とは言え、このような場での邂逅、心よりお詫び申し上げます」


十二人の中でおそらく一番老巧である男がひとり、月子に深々と頭を下げる。

周囲の人間もそれに倣って腰を折った。

自分より遥かに年齢が上の人間に粛々と目礼される違和感を拭えず、居心地悪く身動ぎをした月子が曖昧に笑う。


「あの、はい…お気になさらず…」

「お心遣い痛み入ります。それでは、早速で申し訳ないのですが、あちらに御着席頂けますかな。議会を早急にはじめなくては」


月子の語尾を濁した言葉から緊張を汲み取ったのか、面を上げた老人の表情はこの場に似つかわしくないほど穏やかな笑みだった。

老人の心遣いに少しだけ肩の力が抜けた月子は、彼が手のひらで指し示す向こう、入口から一番遠い円卓の上座に位置する椅子に大人しく誘導される。

月子が着席するのを見計らって他十二人が席に着く。ヒューバートとウォルターは開いている己の座標には着かず、月子の背後に控えた。


「それではこれより評議会を開廷する。各人、宜しいかな」


ピリとした空気を纏った空間の中、居心地悪く椅子の上でもぞもぞと居場所を探す月子とは反対に、円卓を囲んだ元老会の役員たちの応という声と共に口火が切られた。

途端に怒涛のように溢れだす情報の渦の勢いに意識が呑まれる。


「どの国での反乱だ?」

「決まっている。どうせ北東辺りの腐敗した国崩れの連中共だろう。奴等しかいない」

「それよりも先に、何処から手に入れた情報なのだ、それは。信憑性は?鵜呑みにしていいものか否か、まず考慮すべきなのはそちらであろう」

「陛下がこうして御戻りになった今、こういった事態に陥るのは早くとも遅くとも現実にありえることであろう。どちらにせよ、対策を練っておいて無駄になることもあるまい」

「その時々の生の情報を聞きながらではないと、対策もなにも立てようがないのではないか。そんなことではこの国を守ることは出来ぬ」

「なんでもいい。今この時、差し迫っている問題があるのだろう。まずはそちらからだ。とにかく報告を」


各々が好きなことをいいように声高に訴える中で、さきほど月子の前に進み出た老巧な男がよく通る声でそれを遮った。

男は見えない空中を行き交う言葉の糸を千切るように振った腕で、いつの間にいたのか部屋の入り口付近で、直立不動でいたジークベルトを手招きした。足音ひとつ立てない動きでその男の言うままに円卓に近付いて来たジークベルトは、月子に目礼をひとつしてから小脇に抱えていた書類を円卓の中央まで滑らせる。

皆の視線に晒された紙を軸に、ジークベルトは報告をはじめる。


「――反乱の情報の出所は、同盟国であるサルトテスラの諜報からです。きっかけは、輸入取引がある隣国の小さな農村が、その村では明らかに使用しない量の人及び物資を密輸で、密やか且つ大胆に掻き集めているところを一兵士から報告されたことからはじまったとのことです。その後、サルトテスラ国王が自ら諜報を指揮し、情報を集めたと。このことから考えるに、反乱側は我等に計画そのものが明らかになることは良しとせずとも、己の存在は特に隠すつもりはないのでしょう。今のところ中心になっている国、地域の判別には至っておりません。…が、しかし、規模は過去最多かと予測されます」


円卓の真ん中を陣取る紙に書かれている内容を口にしたのだとは予想がついたが、あいにくとこちらの字が読めないことに今さら気が付いた月子には確認のしようもないし、そもそも口頭で伝えられたところで理解も出来なかった。なにやら壮大な陰謀が蠢いていることくらいは辛うじて認識出来たが、話に加われるほど把握したわけでもない。

どうすることも出来ずに、黒く艶めく樫机の上でシャンデリアの光を受けて浮かび上がるほど白い書類をただ見詰める。

しかし月子の平坦な反応とは真逆に、ジークベルトの報告と書類に綴られた文字を読み尽した老人たちは誰もが憤りや恐慌に顔色を変えた。

張り詰めていた空気が更に引き伸ばされ、肌を刺す。


「なんだと」

「陛下が御帰還なされてからまだ数日しか経っていないこのタイミングで、どうしてそうも大きな反乱組織が立ち上がる?」

「これは最早昨日今日の話ではないな。奴らめ、いつから準備をしておったのだ」

「どうする」

「敵が多いのは今にはじまったことじゃない。どうにでもなる」

「軍隊をいつでも動かせる状態に、常にしておけと各部に伝えろ。それから、準備は総て秘密裏に行え。国外はもとより、国内にすら城が動いていることを知らせぬようにな。余計な火種は増やしたくない」

「サルトテスラの諜報からならば、信憑性は高いな。…今すぐに我等も情報を集めるのだ、暗躍機関をこれへ」

「御意に」


色めき立つ円卓から次々に飛ばされる指示や情報に従って、室内に呼び込まれた数名の従者や兵士たちが再び身を翻して部屋を出て行く。

その姿を見ていることしか出来ない自分に、皇帝陛下にならないと突っぱねていることが急に申し訳なくなってきて肩身狭く首を竦めた。

ある日突然、わけもわからず身勝手に立つべき場所を変えられて困惑するのは当然のこと、もちろん元の世界に無事帰りたいと願うのもまた道理であると思う。けれどそうして自分に非はないはずなのに、ある瞬間にふと、この世界に己のすべてを尽くさないでいることが可笑しいと感じることがある。

それは夜眠りに入る間際であったり、食事をしている間であったり、今この時であったりと、時間も場所も構わず密やかに忍び寄って来て心の内に巣食うのだ。

どうして自分がそんなことを思うのか定かではないが、どうしようもないくらいにこの世界テレスタジアを愛せという想いが全身を駆け巡る瞬間がある。

ほんとうに、帰りたがっている気持ちに嘘偽りなどないはずなのに確かに沸き起こる不可解な大き過ぎる己の曖昧な想いを振り払うためにふう、と溜め息を吐いた。

それに目敏く反応したウォルターが月子の肩を叩く。


「陛下」

「…ん」

「大丈夫か?」

「…ごめん、よくわからないや。こんなイイ場所陣取ってんのにねえ」


円卓では未だに様々な言葉が行き交っているが、彼女が入り込める隙間はない。

苦笑を漏らして緩く首を横に振った際に、なんとなく、ほんとうに何気なく、視界の端に漆黒の影が入り込んだ。それがあのいけすかない男だとは気付いていたが、これもまたなんとなく、彼の動向が少しだけ気になった。

気に食わない相手だからなのだろうか、視界に入れたいとは決して思わないのに、どうしてかマティウスが今現在、どのような状態にあるのかが確認したくて仕様がない。

一度気になりだすともう見なくてはいられない気分になって、月子は敵情視察敵情視察、と言い訳半分の呪文を胸内で唱えながらマティウスに眼を向けた。

ちらりと横目で相手に気付かれないように確認をすると、マティウスは目まぐるしく動き回る円卓の内も外も見ておらず、座標に深く腰掛けて腕を組み足を組み、なんとこの状況下で瞼を閉じていた。

予想の範囲外のマティウスの状態に、思わず目を丸くする。


「…………ねてる」

「ああ、マティウス?寝ちゃないとは思うけど、まあ聞いてもないかもな」


口から知らず知らずに落ちた呟きにウォルターがいつものことだと事もなさ気に言う。

それに曖昧に頷いてから、此処に座っていながら何も出来ない私も私だが、あいつもアレでいいのか、と思いつつ、最早思考が奴に囚われることすら嫌になった月子は無理矢理視線と意識をマティウスから剥がして、今の光景は見なかったことにすると決めた。




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