責任と
気付かせてくれたことは有り難いと思っている。けれどそれで今まで抱いていた後ろ向きな感情が払拭されるのかと言えば、それはまた別の話である。
「…むかつく」
「落ち着け、陛下」
ぼそりと陰鬱に呟いた独り言が傍にいたウォルターに拾われる。据わった目で前方をねめつける月子を見て、ウォルターは苦笑を漏らした。
「悪気は…十二分にあると思うけど、一々目くじら立てるとこっちが疲れるだけだぜ」
「…むかつく」
「うーん…反りが合わないんだなあ、陛下とマティウスは…」
「別にいいけど、私困らないし。ヒューバートさんだってあいつと反り合わないんでしょう?会議の時に思ったんですけど、……あ、うそうそ、もう掘り返さないからそんなにしょんぼりしないで」
居場所は再び座標の間である。
傾いた太陽と冷たくなる海風をヒューバートに見咎められた月子はテラスから撤退し、ウォルターが用意を整えてくれた夕食を済まし、まだ何かあるかとかと思いきや疲れただろうとそのまま寝室へと追いやられ、日を跨いで今現在。
再び招集をかけねばならなくなった理由で議会は尚も紛糾していて、いたずらに時間を経ても一向に昨日のような纏まりを見せない。それに加えて、更に月子が思わぬ発言をしたせいで事態は混乱と困惑を極めた。
「しかし、ややこしいことになったな」
「いやあ、申し訳ない…」
荒れる円卓を見据え苦笑を背後でくゆらせるウォルターに、月子はバツが悪そうに頬を掻く。
議会が二日連続で招集されるはめになったことの発端は、使者を遣わすといった旨をサルトテスラに信書で送ったところ、驚くほどの早さで送り返された返答にあった。
「今回のことで多少の恩義はあれど、よもや斯様な申し出を寄越すとはなんと傲慢な」
「その通りだ。大人しく聞き届けてやる通りがない」
「しかし恩があるのもまた事実。無視するわけにもいきますまい。同盟国なのですよ」
「忘れてはおるまいな?我が国に女神の加護が在るからこそ成り立っている同盟国、主はあくまでも我等ぞ」
もつれる議会の端で静かに耳を傾けていた月子は、ぼそりと呟いた。
「向こうも“私”を寄越せって言ってるんだから好都合だと思ったんだけどなあ」
「陛下らしい考えでオレはいいと思うけどな、それでも簡単にうんとは言えない」
「まあ…そうだよねえ…」
通常、こちらでいう使者というのは、あくまでも遣わした国が遣わされた国に感謝の気持ちを持っているのだと伝えるためのものであって、使者自体に大した位はいらないことになっている。しかし、今回ばかりは同盟国というのに加えて情報の提供という功労を踏まえて、それなりの地位を持つ者…例えば元老会の誰かが行くことを考えていたのだが、そういった旨を纏めた信書への、サルトテスラ返答は以下のようだった。
――新王が登極されたと聞き及んでいる。願わくは《帝天》御本人に御足労頂きたい、と。
これに、何より女神と伝統に重きを置く元老会の面々が、まさか国、いずれは世界随一の上つ方に使者の真似ごとをさせろというのか、と色めき立った。
すぐさま、王座を正式に継いだわけではないと婉曲に辞退すれば、それでいいと返してくる。とにもかくにも、帝天の座を継ぐことが許されている者を寄越せ、とサルトテスラは繰り返すのである。
その真意は定かではないが、要は、王であろうがあるまいが、サルトテスラの国王は異界より喚ばれた“月子”本人に興味があるのだろう。元老会はそれに対して不謹慎だ冒涜だと口々に怒りを見せたが、月子からしたら有り難い申し出だった。
どちらにせよ使者としてサルトテスラに行くことは少し前から心に決めていたので、もし帝天本人が来いと言われたら、どう対処するべきかと頭を抱えるつもりだった悩みは丸々消えたことになる。…言ってしまえば、月子のこの発言が、会議を混乱の最中に突き落とす決定打だったに違いない。
「しかし陛下、事態が事態です故、やはりウォルターの言う通りそう簡単には通らぬ議案だと思われます。…いかせん、陛下御自身が正式な外交訪問ではなく、一介の使者として他国を訪れるという前例がありませんから」
「…うん」
サルトテスラの、ともすれば不遜にも捉えかねない条件を、当の本人が快諾する気でいるのだ。これには元老会も目を剥いて、いつもの喧しい口を取り戻すのに時間を要した。
使者としてサルトテスラを訪問する。
きっとやるべきことは沢山あるにも関わらず、早々に床につかせてもらっても寝られなかった昨晩、散々考えて導き出した答えは合っているのか合っていないのか定かではなかったが、それでも精一杯己で考え抜いた結果の答えがこれだった。
もちろん、《帝天》になると決めたわけではない。
ただ、今まで半ば思考を放棄気味に繰り返した数々の言動の責任を取るつもりでいる。
その責任の取り方が、今回、この議会がはじまって早々に提案した「使者としてサルトテスラを訪問する」であった。
…けれど責任を取る、とは、直結、王の座に収まることを意味するのではないか、ということくらいは身に染みて承知している。事実、昨夜散々頭を悩ませたのは、どちらかと言えば責任の取り方ではなく、責任を取った故に生じる新たな「責任」に対する対処だった。
だからといって、やはり向こうを棄てるという選択はどうしても出てこない。向こうに残してきたものは余りにも大きく、反して、今まで築いてきた世界を棄ててまでこちらに留まる理由が月子にはない。結局なにもせず、知らぬ是せぬを貫き通して、なにごともなかった顔を取り繕って帰ることが自分にもこの世界にも一番なのかという考えも脳裏を過ったたが、それでは意味がない。
――それでは、意味がないのだ。もう知らないふりは止めたのだから。
静かに椅子に腰掛けて、最早叫びにも等しい意見が行き交う様を傍観していた月子が、小さな息を吐き出すと共に、おもむろに立ち上がった。
背後に控えていた騎士ふたりが、突然の月子の行動に驚き声を掛けようとするが、それより先に、彼女自身が口を開く方が早かった。
「例えば」
腰を上げた《帝天》の動きに気付かず、未だに姦しい乱雑な円卓の中央に声は落ちた。途端、水を打ったかのように静まり返って己を仰ぐ無数の目を臆することなく見返して、月子は息を吸う。吐き出した言葉は、彼女がいま最も憂いている本心だった。
「例えばね、もしも私が無事向こうに帰れたとして、…それでいま起き掛けている暴動って収まるものなの?」
応えてしまった責任をなにより月子は果たすべきだと思っている。
なにしろ、この場を作る要因となったそもそもの暴動は、月子がこちらに喚ばれたから起こっているのだ。
国を統べる者にならずともひとりの人間として、この国が、ひいては世界が音も立てず粛々と、確実に手を伸ばして近付いてくる危機に晒されているのはわかる。
こちらのことはなにも知らない。知ろうともしなかったのだから、当然のことでもある。
だから、大して世界事情も知らない月子が自己判断を元に好き勝手に動いたところで、きっとそれは逆効果だ。
それでも、暴動が水面下で息を潜めていて、いつ噴出するかもわからない状況を計らずとも造ってしまったのが自分だということは痛いほどに自覚している。
目を閉じて耳を塞ぎ感じる全てに蓋をして、何もかもないものにしようとすることを止めるために、自分がいることで起こった波紋を無視しないために、「使者としてサルトテスラを訪問する」という突飛な提案が、月子が月子なりに下した決断だった。
「例えば…私がこのままこの世界からいなくなったとして、それですべて丸く収まるの?」




