三日目の朝に
「…寝過ぎた」
あの後、部屋に戻った月子は夕方にもなっていないというのにベッドに潜り込むなり意識を飛ばして、夕餉も食べないまま眠りこけてしまった。
眠れないよりはよいのかもしれないが、あまりにも長時間睡眠を貪り過ぎてここまで熟睡するのもどうかと思ってしまう。
重い頭を支えて窓の外を見れば、太陽の位置からして昼前のようである。
何時間熟睡していたのかは怖いので考えないまま、夜着に着替えないまま眠ってしまったので、気にすることなく部屋の外へ出る。
ふあと零れた欠伸に目許を擦りつつ誰か知り合いはいないかと、主にブロワーズ兄妹の姿を探そうと周囲を見渡したところで、月子はどん、と誰かにぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい」
相手の胸板にぶつけた鼻を咄嗟に押さえながら謝罪を口にする。
城内は恐ろしいほど広いにも関わらず必ず兵士や女中などが辺りをうろついているので、大方そういった城仕えの人にぶつかったのだろうと予測して相手を振り仰いだ月子は、けれど視線の先に予想もしていなかった相手を見て目を瞠った。
「よっ。おはよう、陛下。お寝坊さんだな」
軽い調子で手を上げて月子に声を掛けてくるのは、淡いシルバーグレイの髪を一纏めにした男だった。髪とは反対に濃いカーキの瞳に悪戯っぽい光を宿し、男はにこにこと人の良い笑みを浮かべて月子を見詰めている。
呆けた表情で自分を見上げる月子からの返事を待っているのかもしれない。
ただ、当の本人は格式張ったお堅い態度なんかよりも、こうした軽いノリの方が良いと思い公言もしていたのだが唐突にこうも開けっ広げな態度で接せられるとは予想してなかったので、反応に困っていた。
ぱちぱちと瞬きをすること数秒、月子はようやく男に挨拶だけを返す。
「……、…おはようございます」
「なんだ硬いなー。オレはあんたの部下なんだし、もっと砕けた態度でいいんだぜ?」
「…はあ」
あのあおい青年のように目の前にいるこの男もかなりの自由奔放さを持っているようだ。
仮にも上位にいる月子を、本人もそう自分で口にしているのにも関わらず手放しで砕けた態度で接してくるのだから相当な人柄である。
「えー、と…、その、失礼ですがどちらさまですか?」
だと言うのにいつも通り彼の顔に見覚えがなくて、悪いとは思いながらも月子は男に向かって首を傾げた。
あんたの部下、と言っていたことから兵士辺りだと思ったが、一般の兵士はきっと月子に向かってこんな口調で喋りかけることはしない。だとすると、やはり七騎士か、どうやらかなり高位を持つその七騎士にも及ぶ地位にいる人間なのだろうか?
どちらにせよ不思議な男なのに変わりはないので、七騎士だったら気が楽だとちょっとした期待を元に月子は彼の返答を待った。
一方勝手に期待を寄せられている男は陛下の問いに大袈裟に傷付いた表情を見せる。
「オレ?嘘だろ。酷いな、陛下。会ったばかりなのに忘れるなんて」
「ああ、ですよねすみません…」
「ホントだぜ、こんないい男のことを忘れるなんていくら陛下と言えど大罪だ。そんなことより陛下まじで硬いなー。もっと砕け散った態度で構わないんだけどなあ、オレとしたら。アウレリオが言うには今までにはない感じの可笑しい人だって……っと、違う違う。こんな口のきき方したらヒューに首殺られちまう」
「は?あの、なんの話で…というよりあなた私と話す気あります?」
なんだか一人で盛り上がって納得する男をわけもわからず凝視する。
答えが貰えるどころか逸れてく兆しを見せる話にどうしたものかと表情で語る月子の顔を見て、そんなことも意に介せず彼は爽やかにニカリと笑った。
「オレ堅っ苦しいの苦手なんだけど、まあでも、首が飛ぶのは勘弁だし仕方ないか」
「え…ちょっ、え!?」
ますますなんの話かわからないと表情で訴える月子の前に、男は今までと同じくらい唐突に片膝を着いた。
もうなにを尋ねればいいのかすらわからないまま、月子は場違いにひょこんと可愛く揺れる男の犬の尻尾みたいな結ばれた髪を眺めるしかすることがない。展開が急だ。
跪いた男は月子が大人しく見守る中、深く頭を垂れた。
「二日振りですね、陛下。こんなにも早く再び御身に見えられるとは、至上の至り。貴殿に揺るぎない随従を誓う七騎士のひとりとして、愚拙ながら御身を迎えに参上仕った所存です。貴殿の手足の延長であることに無上の誇りと欣幸を申し上げると共に、此処で私の名前を言上申し上げます。…七騎士の一角を担っているウォルター・バベッジと申します。皇帝陛下の耀ける命運のために身魂を仕えるつもりでおりますので、どうかお傍に在ることをお許し下さい」
今までの七騎士同様、粛々と台詞を口ずさんだ後、彼は下げていた頭を上げて月子を上目遣いで窺った。
顔を伏せていたので表情は見えなかったが、跪いた時に纏っていた凛とした雰囲気は跡形もなく消え、男の顔には悪戯っ子のような表情と爽やかさが垣間見えている。
「かっこよかっただろ?」
「……うん。すごく」
何処を掴んでいいのかわからない気持ちにさせる男にもう失笑と苦笑を漏らすしかなくて、月子は複雑な笑いを零した。
陛下に賛同してもらったのが嬉しかったのか、ウォルターは口の端を目一杯吊り上げて笑ってから立ち上がる。それから今気付いたみたいに手のひらをぱちんと合わせて、月子に向かって首を竦めて見せた。
「そうだ。こういう口きいたことヒューには内緒にしてくれる?あいつ陛下のことになると殺人的に怖ぇんだよ」
「ヒューってヒューバートさんのことですよね?いいですよ、別に」
「…硬い」
「は」
「硬い!態度が余所余所しい!アウレリオにはもっと軽いノリで接してるって聞いたぞ!あとジュストか。とにかくあいつらばっかりずるいだろ。オレも陛下と仲良くなりてーんだけど?」
「う、うん、ハイ喜んで」
「まじ?やった。皇帝陛下とオトモダチだなんてテレスタジアの長い歴史至上に名を残す男になるかも、オレ」
「…ウン、ヨカッタネ」
ころころと変わるのは話題だけでなく表情もであるらしい。
整った、というより野性的な凛々しい顔立ちをしているのに、月子の一挙一動でころっと変わる表情やぽんぽんと飛んで行く話の趣旨を見ていると大きな子供と話をしている気分になってくる。きっとこの人アウレリオと仲良いんだろうな、と嬉しげに笑っているウォルターを眺めれば、彼は月子の視線に気付いて我に返った顔でこちらに寄って来た。
「そうそう、オレ陛下のこと迎えに来たんだよ。ヒューとリリスが今日は忙しいらしくって、護衛が出来ないって言うから暇だったオレが引き受けた…んだけど」
「だけど?」
今までの朗らかな表情とは打って変わってウォルターは苦い顔で尚且つ歯切れも悪い。
どうしたの?と聞き返せば、ウォルターは気を悪くしないでほしいんだけど、とこれもまた歯切れ悪く呟いてから月子に理由を告げた。
「ほら、害をなすものから単純に守ってればいいだけじゃないんだよな確か、陛下の護衛役ってのは。世話っていうか…世話役込、みたいなところがあるから、オレ役目果たせるか若干不安で…。城下のガキとは仲良く遊べるんだけどなあ。つーことはそういう要領でいいのか?陛下とガキ…?……取り敢えず朝飯、だよな?」
「そう、だね。お腹減ったしご飯頂戴したいかも。…あの、なんかごめんね、色々と。仕事増やしてるよね、私…」
「あ、いや、陛下のせいじゃないだろ。まだこっちきて三日目か?それしか日数経ってないんだし、そもそも皇帝陛下なんてそんなもんだと思う…ぞ?」
「…何故疑問形?」
「オレ皇族出身でも貴族出身でもない単なるしがない鍛冶屋の一人息子でさ。一般民なんだよ。三年くらい前に軍人になって今ここにいるんだけど、でも未だに今一城のルールとかしきたりとか解らなくって曖昧なんだ。偉い人の世話だってしたことねえし」
「ほ、ほう…苦労してるんだね……?」
さらりと告げられたウォルターの身の上話に、どう反応していいかわからなくて月子は困り顔で頬を掻いた。
当たり障りなく返した相槌に、ウォルターは大袈裟にだろー?と笑う。
「ま、だから気にすんなよ。オレが好きでやろうとしてんだから」
「どんなだからかわからないけど、わかった。じゃあ、朝ご飯、よろしくです」
「おー、任せろ」
快活に歯を見せて笑うウォルターにふざけて敬礼をすれば、彼は更に口の端を吊り上げた。




