ささやかなる安寧
アウレリオと似通った軍服に身を包む彼、ジュスト・ディヴリーは、親愛なる皇帝陛下からの規格外な提案を快く受け入れてくれた。
簡単に言ってしまえば、なにか正式な場や公の舞台ではない限り格式ばった言葉は遣わずに、月子が望むような砕けた態度で接してくれることになったのだ。
ブロワーズ兄妹はあまり快い顔をしなかったが、月子が直に彼に頼んだこともあってか渋々ながらも首を縦に振ってくれたので、今や月子の機嫌は上々だった。
帰還出来るまでの七日間、帰ると決めてあるからには深い仲になるつもりはないが、短いようで長い七日の日々を過ごすのに硬い人たちばかりに囲まれるのはさすがに気が滅入る。だからこそ、アウレリオと同じく軟化した態度で接してくれるジュストに早々に出会えたことは、まさに良い意味での青天の霹靂だった。
「陛下は異界からわざわざ此処に来たんだったな」
「わざわざって言うか…まあ、そうなると言えばそうなのかな?なんで?」
「おじさんくらいの歳になると想像力がなくなるから異界ってのがどんな所なのか検討も着きやしないから、差支えなければどんな所なのかご教授願おうと思ったんだが…」
「あ、それは僕も気になってたんだよね。陛下のいた世界ってどんなとこ?」
「どんなとこって言われてもねえ…。なにが知りたいかによって説明しなきゃいけないものが違ってくるんだけど、お国柄みたいのが知りたいのかな?残念ながら自分の国のことしか話せないけど。それとも、もっと漠然とした世界全体のこと?」
これから己の執務室向かうのだと言うジュストにくっついて城内を歩きながら、月子は問われるままに二人に元の世界の話をした。
自分の世界の話を別世界の人間にする、というのは思ったよりも難しくて四苦八苦しながらも、久々に得られるなんの気負いもしない時間を心から楽しむ。
月子の拙い説明にも二人は興味深そうに、あるいは月子同様楽しそうに頷いてくれて、話甲斐もたっぷりあった。
「ふうん?つまり、陛下のいた世界は機械が我がもの顔で闊歩する所ってこと?」
「いや、そういうんじゃなくて…あー、私説明へたくそだよね。うんとねえ、機械が当然のようにある世界なんだけど、使わないと動かない、って言えばいいのかな。取り敢えずね、意志があって自ら動く、みたいな機械はまだないんだよ。大体は交通手段だったり生活の手助けとか必需品だとかばっかで」
「なーんだ、つまんないの。ヒトみたいな機械がいっぱいいるかと思ったの」
「あはは、残念だった?でもそこまで科学が発達してはないんだよねー」
「でもこっちからしたら馬より速く走る鉄の塊がある、ってだけで驚きだからなぁ。そもそも馬や馬車がありながらそれ以外に乗るって思考回路が不思議でならない」
「んー…昔はこっちみたいに人の足は馬だったんですけど…蒸気機関車とか鉄道とか色々便利な交通手段が確立してきて、で、車になったのかな…?あれ、逆…?」
「ねえ、陛下。そのクルマって、僕のジャクリーンより速いのかな」
「え、誰?ジャクリーン?」
「馬の話だよな、アウレリオ」
「うん。そう」
「うま…」
彼等の関心は専らこちらの世界では余り発達してはない科学の話で、特に機械関係の話を好んで聞きたがった。
初めのうちは異世界の世界情勢や国の在り方などを主に話していたのだが、少しだけ横道に逸れて科学の発展に触れたところやたらと反響があったので、今ではさして詳しくもない機械の話を学生時代の授業を思い出しながらしている状況だ。
詳しくなくともこの世界では主流でない事柄であるせいか、アウレリオもジュストも厭きることなく雰囲気で月子に先をせがんだ。後を粛々と着いて歩いてくる兄妹二人も、月子が話す異世界の事柄が珍しいのか耳を傾けているのが伝わってくる。
自分が知り得る限りの知識を彼等に説明し終えたところで、アウレリオが感慨深そうにふうん、と頷いた。
「変な世界だね、陛下のいたところって」
「私からすればこっちのがよっぽど不思議なんだけどね」
魔法があるかどうかは定かではないが、初めてこの地に降り立った日にシシーが治癒術師が云々と言っていたことを思い出して似たようなものがあるのだろうと推測すれば、さらにその考えは強くなった。
あっちとは比べられないほどこっちの方が摩訶不思議だから。
けれど言ったところで月子がこのテレスタジアを異界と称するのと同じようにアウレリオたちにとって地球は別の世なので、お互い様だと出かけた言葉は引っ込めた。
「…さてと、目的地には到着しましたが、これからどうしますかお嬢さん」
宮廷図書館を出てから迷宮の如く長い廊下をだらだらと会話をしながら歩き、辿り着いたひとつの扉の前でジュストが足を止めた。
何処か軽薄さを含んだ丁寧口調と態度を合わせるためになのか、ひらと軍服の裾を翻して姿勢を正し、扉の前で軽やかに胸に手を当てる彼の自分に対する不意打ちの呼称に、月子は返事をすることも忘れて、う、と言葉を詰まらせた。
これからどうするという主になる問い掛けよりも、聞き慣れない、というより生まれてこの方呼び掛けられたこともない外人風情の己を指す名称に耳を疑ったからである。
色彩鮮やかなオレンジの瞳が身構える月子を見詰めてくる。
間違いなく自分に向かって放たれた呼称だと判断した瞬間に、体温が顔中に集まってくるのを感じた。
「お、お嬢さん…」
「お嬢さん」
己で口に出すのも憚れるくらい嫌なのを忍んでまで、止めてほしい、という意味を込めてそれを口にすれど、ジュストはただ愉しげににこりと笑って月子とは真逆の意味合いを込めて再び歌うように繰り返す。
月子がもうそんな風に呼ばれるような歳ではないことも、今更少女扱いされて戸惑っていることも見越したうえで意地悪く笑うジュストに、それからそんな些細なからかいもスマートに躱せない自分に更に顔が熱くなるのを自覚する。
「…陛下って呼ばれるより恥ずかしいんですが」
「不可思議な感性を持ったお嬢さんだな」
「…私がお嬢さんって年齢じゃないのわかってるよね、おじさん?」
「おじさんからしたら陛下はまだまだ可愛らしいお嬢さんなんだけどなあ」
「も、もうなんでもいいからお嬢さんは止めること!」
「…っ、はい、陛下。御身の望むままに」
「ぐぬ…」
微かでもいいから大人の威厳を保ったまま止めろと要求するのだが、のらりくらりと躱されて最終的には威厳もへったくれもない直接申し入れる形になったのだが…最後までからかわれて月子としたら悔しいことこの上ない。
本来ならば今まで呼ばれていない名称を使われたくらいではここまで取り乱したりしないのだが、いかせん悪そうな顔をして目の前で笑う男の容姿が整っていることが問題だったのだ。こちらの世界にきてからもう幾度も思ったことなのだが、向こうで言う西洋人と似通った東洋人にはない造作を持った彼等は、どうも月子には刺激が強過ぎるのである。
加えて発言がさりげない婉曲表現を美徳とする日本人にはない、ストレートな物言いばかりなのでどうも距離感が掴み辛い。
向こうでは流せていただろうことも、情けないことにこちらの人間に言われただけで過剰反応してしまう。
言われた事実よりも流せない自分に顔面が火照る。
とにかく禁止だから!ともうわけのわからない羞恥に駆られてジュストに訴えれば、彼は飄々とした輝きを宿していたオレンジの瞳に柔らかさを交えて、はいはい、と頬を染める月子に苦笑した。
「僕もそう呼べばよかった?」
「よくないっ!」
パートナーに嬉々と悪ノリするアウレリオにガオと吠え返すと、青年は柄じゃないししないよ、と口ずさんでから背後にいる兄妹を振り返った。
そう言えば大人しいな、とアウレリオに倣って視線を後にやると、
「陛下は別に嫌がってるわけじゃないと思うな、僕」
「…わかってる」
「だったらそんな厳しいカオしなさんな」
ヒューバートの僅かに眉間に寄ったしわを軽く指摘して、ジュストは片手に持っていた図書館から持ち出して来た本をふらふらと振りながら執務室の中へと入って行った。
その際に、月子に気が向いたら中に入っておいで、と言い残して。
「…あのおじさん実はつわもの?女性恐怖症のくせして腹立つー。掴みかかればよかった」
「つわもの?ジュストが?…さあ?苦労性なのは知ってるけど」
「今の話題と全然関係ないよね、それ」
「僕の相棒だからって言ったら納得する?」
「…どっちの意味で?」
「どっちの意味でも」
「…なるほど」
複雑そうな表情で佇むヒューバートに、ただの言葉遊びみたいなものですよ、と笑ってから、月子はジュストが消えた扉を凝視した。
仕事の邪魔をするつもりはないが、気になる上に一応とは言え許可まで貰えたので、入ろうかどうかと迷ってみる。
首を傾げる月子に、アウレリオが顎で執務室を示す。
「いいんじゃない、別に。入っちゃえば?」
「うー…ん、…でも邪魔になるとヤだし、いいや。仕事だもんね。お暇する」
「そう?じゃあ、僕は一応形だけでも手伝わなきゃいけないから。またね、陛下」
「うん、ありがとう。楽しかった。ジュストにもよろしく」
パートナーの後を追って扉の奥に入って行くアウレリオに手を振って、月子は背後の二人を見遣った。月子の視線に気付いて、複雑な表情をしていたヒューバートが苦笑を見せる。
「すみません、付き合わせちゃって」
「いえ。とても華やかな御顔をしてらっしゃいましたね。彼等といるのは楽しいですか?」
「そう…ですね。はい、とても」
「でしたらよかったです。彼等も陛下の御供を出来て光栄でしょう」
「あははー……そうです、か、…ね?」
相変わらず格式張ったヒューバートに苦笑しながら、此処にいたらアウレリオたちの邪魔になるからと月子は、朝から色々あって疲れたのでと兄妹と共に自室に帰ることにした。




