第5話 乙女の恋路(前編)
「また雨かあ」
降りしきる雨を眺めて、私はため息をついた。
蒸し暑くなり、もう一週間も雨が続いている。
裏庭のテーブルには屋根があるが、雨足が強いとちょっと濡れる。
そろそろ、この裏庭生活にも限界を感じてきた。
「そういえば、王子がお前を探してたぞ。猫がどうのと怒ってた」
猫と遊んでいたカイルが、顔を上げて言った。
「ああ……そろそろヤバいわね」
ずっと棚に上げていた中庭の猫の件を、レオに報告しなければならない。
結局、あれから勝手に学園内で飼い続けている。
となると、そろそろ腹を括って校舎に入らねばならない。
「今日の放課後に下見して、明日の昼にレオのところに行きましょう」
テーブルに学園マップを広げて、二階の南の隅にある部屋を指さした。
「昼休みと放課後、レオは基本的にここにいるわ」
「特別室?」
王族の私室のようなもので、危険度は△だ。
イベントが少ないので、バグが起きにくい。
「正面玄関を入って、遠回りになるけど北階段で二階へ行きたいわ」
「南階段の×は何だ? 今まで、特に何も起きたことはないぞ」
「これは運命スポットよ」
「は?」
カイルが首を傾げた。
「奇病とはちょっと違うのだけど……なるべく避けたいの。とにかく、まずは下見をお願いしていい?」
「……ずっと思ってたが、お前、俺を人柱にしてないか?」
ばれていた。
とっさに目をそらしてしまった。
「してるんだな」
「し、ししししてないわ」
「まあいい。お前じゃなきゃ奇病を直せない以上、俺が行くのが合理的だ」
カイルは大きくため息をついて、立ち上がった。
「下見は行くが、王子の説得はお前が行けよ」
「わかってるわよ」
正直行きたくないが、猫ちゃんのためだ。
強まる雨脚と面倒なイベントに、私はもう一度深くため息をついた。
* * *
翌日、昼休みの少し前にカイルと正面玄関で落ち合った。
「いい、私が一時間以上帰ってこなかったら様子を見にきて」
カイルの下見情報によると、軽微なバグはあるようだが避けて通れるらしい。
なんにせよ、気を引き締めていかねば。
「いってくるわ」
「気を付けろよ」
ドキドキしながら扉に触れた。
視界が暗転し、奇妙な感覚に包まれる。
そして次の瞬間には、校舎内に立っていた。
古さは感じるが、王宮を思わせる質素で洗練された内装だ。
天井が高く、開放感がある。
昼休みになる前を狙ったのは、人が少ないからだ。
まだ皆授業を受けている。
廊下をまっすぐ進んで、北階段を目指す。
カイルから、北階段の手前に突っかかっているモブがいると聞いていた。
「こいつか」
わかりやすく廊下の壁にめり込んでいるやつがいた。
カイルは助けようとしたが、うまくいかなかったらしい。
「ごめん、あとで助ける」
手を合わせて、先を急ぐ。
あとでカイルと一緒に助けよう。
その後は特に何もなく、無事に特別室にたどり着いた。
扉をノックした瞬間、視界が暗転し、気付けば特別室の中にいた。
部屋の奥の机で、レオがサンドイッチを食べていた。
レオは私に気付いて、こちらを見る。
「ああ、エルザか」
勝手に入るな、と小言を言われるかと思ったが、気にしていないようだ。
機嫌がいいのかもしれない。
というか、こいつ早弁じゃなかろうか?
「一緒に食べるか」
「いらないです」
昨日はあんな塩対応だったくせに、どういう風の吹き回しだ。
「そうか……まあ座れ」
「いいです。少し相談があるだけなので、終わったらすぐ戻ります」
「何だって? 聞こえない」
机までは、少し距離がある。
近寄ればいいのだが、なるべくここから動きたくない。
「中庭で、猫をしばらく飼わせてもらえませんか!」
大声で言った。
レオはサンドイッチを置いて答えた。
「この前、裏庭にいた猫たちか?」
「はい。裏庭に詰め込むのはかわいそうなので、里親が見つかるまでは中庭と裏庭に置いてやりたいのです」
「キュン」
今、レオから変な音が聞こえた気がする。
気のせいかと思っていると、レオが立ち上がって歩み寄ってきた。
「里親を探すのか」
「はい。学園内と、町の譲渡会で」
「キュン」
「ん?」
気のせいじゃない。
やはりレオがキュンキュン言っている。
嫌な予感がする。
話を切り上げて帰ろう。
「で、では許可いただけるということで、話はこれで――」
「待て!」
「ひっ」
突然手を握られて、身体が硬直する。
背中にいやな汗が伝った。
「エルザ、君はなんて優しい人なんだ……僕も協力しよう。あの猫たちは、僕らの運命のキューピットだったのだな」
バグっているわけではない。
ちゃんと書き覚えのある台詞だ。
こいつは、とんでもない乙女思考の恋愛脳なのだ。
愛読書は恋愛小説。
運命の出会いにあこがれるオーロラ姫のような男だ。
性格がバグみたいなやつなので、極力関わるのを避けてきた。
「ああ、エルザ。やっぱり僕たちは赤い糸で結ばれているんだ」
「おほほほほ、解いておいて差し上げますわ」
一旦、こいつの性格のことは置いておく。
問題は、今の好感度では言うはずのない台詞を言っていることだ。
昨日の対応から考えても、好感度は0に等しかった。
それが突然、このありさまだ。
レオは、トロンとした表情でこちらを見つめている。
そして、その瞳の異変に気づいた。
瞳孔が、ハートマークになっている。
「あっ」
思い出した。
これは、昔オミットしたはずの運命キュンキュンモードだ。
攻略難易度の高いレオルートの一発逆転措置として用意した、好感度爆上げイベントだ。
その開始フラグが、どこかで立ってしまったようだ。
「そんなつれないことを言わないでおくれよ。さあ、一緒に踊ろう」
「は?」
レオに腕を引かれ、そのまま優雅な踊りが始まる。
どこからともなく、音楽も流れてきた。
「やめて! バグるから!」
「キュン。君は愉快だなあ、なんだいそれは」
曲が、段々とスピードアップしていく。
それに合わせて、ダンスも早くなっていく。
「ちょ、ちょっと、もうやめてってば!」
「まだまだこれからだ!」
おかしい。明らかに動きが速い。
普通の社交ダンスではない。アクロバットになってきた。
「待って待って、早いってば! ぎゃぁあ!」
リフトされた直後、地面に向かって急降下した。
すんでのところで支えられて、なんとか着地した。
スピンも容赦ない。
目が回って、語彙力がなくなってきた。
「も、もうやめ……おえっ……」
酔って涙が出てきた。
ようやく曲が終わり、レオは動きを止めた。
「キュン。エルザは泣き虫だなあ」
「キュンしないで、リバースするわよ」
このモードの時は何を言っても怒られないので、好き放題に暴言を吐く。
暴言以外のものも色々と出そうになって、床に倒れ込んだ。
なぜか、レオも横に並んで寝そべった。
「小さいころ、よくこうして一緒に星を見たなあ」
見上げた先にあるのは、何の変哲もない学園の天井だ。
特別室なのに、ところどころシミがある。
「よくこれで星思い出せたわね」
臓物の不具合が次第に落ち着いてきた。
ひとまず、このキュンキュンモードの停止とバグった好感度の修正が急務だ。
鼻毛が出ていても好感度が上がるので、放っておくとレオルートが進行しかねない。
このモードは時間経過で終わるが、そもそもオミットしたはずのものだ。
正常に終了する可能性は低い。
となると、レオの別イベントを発生させて、このイベントを強制終了させるしかない。
「レオさま、とりあえず猫の件は承諾していただけますか?」
「ああ、いいだろう」
更なる運命的イベントを引き起こして、キュンキュンモードを終わらせてみせる。
そう心に決め、鼻の穴を思い切り膨らませて、大きく深呼吸した。
「キュン」
「キュンすな」
道のりは険しそうだ。
しかし、算段はある。
私は、寝転がったままポケットから学園マップを取り出した。
南階段の×印を指でなぞって、口角を上げる。
「さっそく使う時が来たわ、運命スポット」




