第5話 乙女の恋路(後編)
その後、あれこれと理由をつけて、特別室から逃げ出した。
カイルと合流して裏庭に移動し、事情を話した。
「……というわけで、レオの奇病を直しましょう」
「どこからどこまでが奇病なんだ?」
カイルが首を傾げた。
そう言いたくなる気持ちはわかる。
「直し方は分かるのか?」
「ええ。レオさまがもっと心ときめくようなイベントを起こして、気持ちをそっちに移すの」
カイルはピンときていないようだ。
私は地図を広げて、南階段の×印を指さした。
「これを使うわ。ここは、とあるイベントの発生ポイントなの。カギは、ニーナよ」
「分かるように説明してくれ」
「つまり――」
私はノートを開いて、カイルに見せながら作戦を整理した。
カイルは最後まで腑に落ちない様子だったが、放課後、実行に移すことにした。
作戦決行に向けて、私たちは必要なアイテムの準備に取り掛かった。
* * *
「あのー……私はいったい何をすればいいんでしょうか?」
放課後、ニーナを南階段に呼び出した。
ニーナは階段に座って、ダリル語の本を読んでいる。
「少し待っていて。これが終わったら、ダリル語を一時間教えてあげる」
「はい! 何時間でも待ちます!」
ちなみに、この言語モンスターは十五の言語を流暢に喋る。
我ながらとんでもないものを生み出してしまった。
ニーナの横を通って、階段の踊り場に上がる。
機材をセッティング中のカイルに声をかけた。
「カイル。打ち合わせ通り、ニーナの誘導は任せたわよ。あと、例のものを」
「ああ」
カイルから、茶色い紙袋を受け取る。
ほんのり温かい。
「これ、何に使うんだ?」
「まあ見てなさい」
カイルにニーナを任せ、駆け足で廊下の先へ向かう。
廊下の端に、レオが立っていた。
「お待たせしました」
「構わない。頼みとは何だ?」
「まずはこれを」
紙袋を開けると、香ばしい匂いがふわりと広がった。
中から、こんがり焼けた食パンを取り出す。
「これを咥えて、廊下を走ってください」
「……は?」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をされた。
キュンキュンモード中でも、簡単には聞き入れてもらえないようだ。
「お願いします、大事なことなんです」
「キュン」
上目遣いが利いた。
ちょろすぎる。
「わかった。何のためかは知らんが、お前の役に立つなら」
「ありがとうございます」
レオの口に、食パンを押し込む。
廊下の果てに見えるカイルに、手を振って合図を送る。
「ではレオさま、よーいドン!」
手を叩くと、レオが走り始めた。
ゲーム内とはいえ、一国の王子が食パンを咥えて全力疾走している。
笑いたいが、笑っている場合ではない。
この作戦はタイミングが命なのだ。
レオが南階段に近づいていく。
「カイル! 今よー!」
合図とともに、レオが南階段前を通過した。
一拍遅れて、ニーナが階段から降りてきた。
「くっ、ミスった……!」
廊下を爆走して、カイルのところに向かった。
「敗因は?」
「王子が速すぎてタイミングが難しい。もう少しゆっくり走らせてくれ」
「わかったわ」
「あと、距離が遠い。わざわざ廊下の端から走らせる意味あるのか?」
「走って三秒で衝突したらロマンがないでしょ! レオさまを呼んでくるから、二回目の準備してて!」
廊下の突き当たりで休んでいたレオを回収し、初期位置に戻った。
レオは息を切らして、疲れ果てている。
「はあ……はあ……まだやるのか?」
「もう一度お願いします。今度はもっとゆっくり、早歩きぐらいでいいので」
「もう疲れたぞ……」
「はい、あーん」
「キュン」
開いたレオの口に、雑に食パンを押し込む。
カイルに手を振って、再度合図を送る。
「ではレオさま、頑張ってください! よーいドン!」
レオが早歩きで廊下を進む。
タイミングを合わせるため、今度は私も後ろからついていく。
「落ち着いていこう! ナイスラン!」
ペースの落ちてきたレオを鼓舞する。
カイルの言う通り、廊下の端は流石にちょっと遠かった気がする。
三十秒ぐらい走らないといけない。
階段が近づいてきて、カイルに目配せした。
レオが南階段前に差し掛かったその時、ちょうど階段からニーナがおりてくる。
そして――。
「きゃっ!」
「うわっ!」
見事、レオとニーナが衝突した。
食パンが飛び、二人は尻もちをついた。
私とカイルは、急いで踊り場に駆け上がった。
「いてて……」
ニーナが身体を起こした。
怪我はなさそうだ。
レオは、尻もちをついたままニーナを見つめている。
「レオ王子、大変申し訳ありません。ボーッとしておりました。お怪我はありませんか?」
ニーナはレオに手を差し出す。
同時にカイルが、踊り場に設置した照明でニーナを照らした。
私は中庭で毟ってきた花びらを、二人の方へ撒き散らした。
「運命だ……」
「え?」
レオは、口をぽかんと開けたまま言った。
「やはり君が、僕の運命の人だったんだ」
「は、はい……?」
レオは立ち上がり、ニーナの手を握る。
ニーナは、困惑した様子だ。
「どうすれば君は、僕を好きになってくれるんだ」
「えっと、とりあえずダリル語とアルパ語とフラゾス語を話せるようになってください!」
ニーナは、キラキラした笑顔で告げた。
* * *
その後、レオの前に姿を見せると、いつも通りの塩対応をされた。
おそらく、イベントの発生に伴って好感度もバグって上がっていたのだろう。
瞳孔のハートマークも消え、イベント終了も無事に確認できた。
照明を演劇部の部室に戻し、帰り際にめり込んでいたモブを助けておいた。
その後、カイルと一緒に裏庭に戻ったのだが、なぜかニーナもついてきた。
「ニーナ、王子とお話ししなくていいの?」
「いいです。それより私、エルザ様にダリル語を教えていただきたいです」
すっかり忘れていた。
適当に歴史を語っておこう。
制作者の私が言えば、適当でもそれは真実だ。
「結局、何が起きたのか分からないんだが」
壁にもたれかかって、カイルが言った。
この学園には、条件を満たすと好感度上昇イベントが発生する運命スポットが複数ある。
南階段は、その一つだ。
本来はプレイヤー――つまりエルザとレオのイベントが起きる。
そこにニーナをぶつけることで、上手くニーナとレオのイベントにすり替えた。
「まあ、ショック療法って感じかしら。ともあれ、今回も助かったわ」
カイルはやれやれと言うようにため息をついた。
「あっ!」
ニーナが不意に大きな声を出した。
「エルザさん、王子から聞いたのですが、猫の里親探しをするって本当ですか?」
ニーナにやらせるつもりだったが、私がやることになってしまった。
まだ遅くない、ニーナに押しつけよう。
「ええ。よかったら、ニーナさんがやってみない?」
「えっ!? 私もご一緒していいんですか!?」
「ん?」
「嬉しいです! エルザさんと里親探し!」
予想外の展開になった。
私の書いたシナリオでは、エルザとニーナ、どちらかが里親探しをするはずだった。
つまり、シナリオにないリスキールートだ。
しかし、譲渡会ではとあるイベントが発生する。
そこで出会う人物のコネクションは、のちの攻略で役に立つかもしれない。
「ぜひ、ご一緒させてください!」
ニーナが興奮気味に顔を寄せてきた。
キラキラした目で見つめられて、私は断れずにうなずいてしまった。
「エンバグだあ……」
一つのバグを修正することで、新たなバグが芽生える。
これをゲーム業界ではエンバグと呼ぶ。
まさに今、この世界でそれが起きているのかもしれない。
「奇病の一種か?」
「それはダリル語ですか!? なんて意味ですか!?」
ベンチにもたれかかって、天を仰ぐ。
やかましい二人の声は、聞こえないふりをした。




