第16話 デバッグ・アウト!(前編)
ゾンビたちが帰ったあと、私とカイルはベンチの前に立っていた。
懐中時計は、15時過ぎを指している。
「これを見て欲しいの」
「さっき言ってた『メンテナンス』とやらの結果か?」
途切れた背もたれが、きれいに直っていた。
正確には、バグる前の、本来の状態に戻されたのだろう。
「そう。このベンチは奇病に冒されていたんだけど、発見されずに見過ごされていたの」
「それで?」
「だから、逆に検知されるぐらいの大病にしてみたらいいんじゃないかと思ったの。そうしたら、この通り」
今までプルプルバグは見逃されてきたが、ベンチバグと重ねることでシステムに検知された。
同じ理屈で、裂け目というバグにも別のバグを重ねて、システムに検知させる。
そうすれば裂ける前の状態に戻る可能性が高い。
「次は何時なんだ?」
「18時よ。村に戻ったら、校長を連れて出発しましょう。あと、昼ごはんね」
「わかった」
うるさく鳴る腹を抑えて、私たちは村に戻った。
* * *
家に帰ると、校長が魚を焼いてくれていた。
ペロリと平らげ、校長の支度が終わるのを待った。
「待たせてすまないね、準備できたよ」
「行きましょうか」
まもなく準備を終えた校長を連れて、家を出る。
たくさんのゾンビが家の前で待っていた。
「ごうちょ、がえるのが」
「うん、帰るよ。今までお世話になったね」
ゾンビたちが寂しそうな顔をしている。
「がいる、まだいなぐなる?」
「俺は校長を見送りに行くだけだ。すぐ戻る」
スキャナーがホッとしたような表情をした。
ゾンビたちが次々と校長の周りに集まってくる。
「まだ、あえるがぁ?」
「ああ、きっとまた会える。本当にありがとう」
校長はゾンビたちを抱きしめる。
彼らには彼らの思い出があったのだろう。
ちょっと感情移入してしまう。
「それじゃあ、エルザくん、カイルくん、よろしく頼むよ」
三人で村を出た。
村の入り口で、ゾンビたちがいつまでも手を振っていた。
* * *
私たちは湖に戻って、ヌッシーに乗り込んだ。
すぐに出発したのだが、めっちゃくちゃ遅い。
じいちゃんばあちゃんが乗ってる電動カートぐらい遅い。
「これ、日が暮れるまでに着く?」
カイルの背中をさすりながら言った。
酔ったらしい。
「もうすぐ16時半だね。気長にいこうじゃないか」
校長が懐中時計を見て言った。
一時間かけて、私たちは無事に入り口に到着した。
ヌッシーの首を伝って、入り口まで登った。
これが一番スリリングだった。
カイルは、地面に大の字で倒れている。
「本当に、これに触れれば帰れるのかい?」
岩間の裂け目を見ながら、校長が言った。
「はい、そこに手を突っ込んでもらえれば大丈夫です」
「へえ、便利な世界になったねえ」
校長は、裂け目をまじまじと見つめた。
私は手のひらを広げて、裂け目の大きさを測った。
横に手のひら三枚、縦に二枚分ぐらいだ。
思った通り、あれがピッタリだ。
「何をしてるんだい?」
「校長みたいに迷い込む人がいないよう、塞いでしまおうかと」
「なるほど。君たちは訳ありのようだが、他の生徒が迷い込んでしまったら大変だ」
話のわかるおっさんだ。
口うるさい教頭だったら、ガミガミ言われて強制送還されていたかもしれない。
「先生、一つ頼みを聞いてもらえませんか? 手紙を届けてほしいんです」
「手紙? 構わないけど……」
私はリュックを漁って、ノートを取り出した。
びしょ濡れだった。
「カイル、なんか紙持ってない? 予言書は?」
「ない。家で干してる」
「捨てなさい!」
「僕のをあげよう」
校長が胸ポケットから小さなメモを取り出して、一枚破ってくれた。
「ありがとうございます」
急がなければ、もうすぐ下校時間だ。
ニーナとレオがいなければ、この作戦は成功しない。
私は壁を下敷きに、手早く手紙を書き上げた。
「この裂け目は図書室に通じてます。向こうにニーナとレオさまがいるはずなので、これを渡してもらえませんか」
「自分で行かないのかい?」
「いいんです。お願いします」
会えばきっと、気持ちが揺らいでしまう。
二人とは、これでお別れだ。
「わかった。君たちも気をつけるんだよ」
「はい」
「じゃあ、本当に助かったよ。ありがとうね」
そう言って、校長は光の裂け目に手を突っ込んだ。
校長の指が光に触れると、その姿がシュッと消えた。
校長がいなくなると、急に静かになった。
「俺が塞いでおくから、お前は戻ってもいいんじゃないか」
いつの間にか、カイルが後ろに立っていた。
「いいのよ。私も、この世界にいるべき人間じゃないもの」
あるべきものを、あるべきところへ。
カイルの言葉を頭の中で反芻する。
テストマップがバグなら、私という人間が入ったエルザもバグだ。
エルザは本来、プレイヤーであるべきだ。
私が入っていては、プレイヤーが遊べない。
だから私自身も、ゲームの舞台から切り離される必要がある。
「お前も、故郷に帰れるといいな」
「きっと帰れるわ」
私の帰還は、正直賭けだ。
しかし、勝つつもりでいる。
学園とテストマップのつながりが切れれば、学園側にいるべきエルザが「いなくなった」とみなされる。
そうすれば、システム側で本来の――私が入る前のエルザに戻してくれるんじゃないだろうか。
「結局、奇病は一体なんだったんだ? あれもお前が作ったのか?」
カイルは言いながら、岩壁を背にして座った。
私も隣に腰を下ろす。
「私が作ったと言えばそうなんだけど……あれは正式には『バグ』って名前の、意図せず生まれてしまった世界の異常なのよ」
カイルが眉をひそめて、難しそうな顔をした。
「どうやったらあれを意図せず生み出せるんだ」
「わかんないわよ、意図してないんだから」
カイルはさらに難しい顔をした。
私はその顔を見ながら、ふっと笑った。
「きっと、バグを直すために私はこの世界に来たんだと思う」
クリエイターとしての根性も、叩き直された。
帰ったら、必ずこのゲームを完成させよう。
「でも、一人じゃ直せなかった。カイルやニーナ、レオさま、みんながいたから直せた。そう思わない?」
私はそう言って笑った。
カイルは何も答えなかったが、いつもより優しい顔をしていた。
ちょうどその時、横でガタンと音がした。
裂け目の下に箱が落ちていた。
「来たわ、最後のバグ修正よ」
箱を手に取って、紐を解いていく。
一番上に、花柄の可愛らしいメモが入っていた。
そこには丸い文字と整った文字で、二行だけ書かれていた。
『また会えますように』
『元気で』
ニーナとレオだろう。
目頭が熱くなるが、もう時間がない。
私は急いで箱から中身を取り出した。
「それは……」
カイルが息をのむ。
「ええ、これで裂け目を塞ぐわ」
愛着のある長方形のブツを、両手で掲げた。
それはモントシュタイン家の紋章入り、フッキーン・プルリーン初号機だった。
「これを裂け目にはめるわ。学園側からは、ニーナとレオさまに塞いでもらう」
学園側に入り口が残るといけないので、あちらもキッチリ塞いでおく。
きっと閉架書庫では、ニーナとレオがフッキーン・プルリーンを構えて待機している。
「『メンテナンス』が18時に起こるんだな?」
「ええ。検証通りなら、この岩壁を裂ける前の状態に戻せるはずよ」
フッキーン・プルリーンは、存在そのものがバグだ。
単品では見逃されてきたが、裂け目と掛け合わせれば修復対象として認知されるだろう。
懐中時計を取り出す。
残り二分を切っていた。
「やるわよ」
私はフッキーン・プルリーンを抱えて、裂け目に嵌め込もうとした。
しかし、青い光の向こうにぼんやりと閉架書庫が見えて、手が止まった。
そこには、二つの人影があった。
「エルザ」
カイルの手がフッキーン・プルリーンに添えられた。
私はハッと我に返って、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
これを嵌め込めば、私の役目は終わる。
カイルともここでお別れだ。
一緒に支えてくれているカイルの手をじっと見た。
「ありがとう、カイル。あなたがいたから、ここまでこれた」
その瞬間、鐘が鳴った。
「いくわよ!」
カイルと一緒に、フッキーン・プルリーンを壁に嵌め込む。
広い世界にチャイムの音が響く。
私は祈るような気持ちで、金色に輝く紋章を見ていた。
そして鳴り終わるのと同時に、岩壁がミシミシと奇妙な音を立てた。
「カイル、見て!」
「これは、うまくいったってことか?」
「ええ」
フッキーン・プルリーンが、端の方から岩壁に同化し始めていた。
ニーナとレオも、向こうで役目を果たしてくれただろう。
「おい、あっちも見てみろ」
カイルは振り向いて、遠くの空を指さした。
赤くどんよりとしていた空が、世界の端の方から青く澄んだ色に変わっていく。
光が降りそそぎ、薄暗かった世界に朝が来る。
湖が青空を反射してキラキラと輝く。
世界全体が、温かい光に包まれていくような感覚があった。
学園から切り離されたことで、本来の姿に戻っているのかもしれない。
どうなるか不安だったが、この世界が無事でよかった。
「きれい……」
「ああ、そうだな。見ろよ、あの辺りがビンゾ村で――」
言いかけたカイルの言葉が、私を見て止まった。
その瞳が大きく見開かれた。
「エルザ、お前……」
自分の身体を見ると、ほのかに光っていた。
足元から、徐々に身体が小さな光の粒になって、世界に溶けていく。
どうやら、賭けに勝ったようだ。
「私も故郷に帰れるみたい」
そう言って笑うと、カイルが少しホッとしたような顔をした。
ようやく下校の時間だ。
しかし、今日帰る先はエルザの家じゃない。
「カイル」
私はカイルをまっすぐ見て、右手を突き出した。
カイルは小さく笑うと、同じように手を出した。
「ナイスデバッグ!」
「ああ」
パチーンと、気持ち良い音が響いた。
合わさった手が、ゆっくりと離れていく。
身体と一緒に、少しずつ意識が薄れてきて、視界も滲んだ。
音さえ消えゆく世界で、カイルの唇が小さく動いたのが見えた。
『またな』
その姿を最後に、私の視界は真っ白に染まった。




