第10話 ニーナとレオ(前編)
文化祭が終わると紅葉が散り始め、学園には静かな日常が戻りつつあった。
フッキーン・プルリーンの売れ行きは好調で、ダリルでの販売も交渉が進んでいる。
しかし、婚約破棄に向けてもう一つ、大事なピースがある。
次なる進展のため、私は昼休みに特別室を訪れていた。
机で仕事をしているレオは、一段と身体がごつくなっている。
「何しにきた」
レオは書類にサインしながら、疲れた顔で言った。
ここ最近、山脈付近の国境に山賊が出るらしく、レオは対応に追われていた。
「レオさま、ニーナとは順調ですか」
レオはピクリと肩を揺らした。
「何度も一緒に言語学習会をしている」
「それで?」
「俺もダリル語とアルパ語がかなり話せるようになった」
「で?」
「……以上だ」
つまるところ、全く進展していないらしい。
とは言え、ニーナからの好感度はここのところうなぎ登りだ。
王家の書庫狙いの状態からは、一歩前進している。
仕方がないので、背中を押してやろうと思う。
「今度、私とカイル、ニーナとレオさまの四人で植物園に行きましょう。私とカイルは折を見てはぐれますので、あとは上手くやってください」
「上手くと言っても……どうすればいいんだ」
「自分で考えてください。好きなんでしょ」
レオは言葉に詰まった。
恋愛脳のくせに、奥手すぎる。
「日時はまた連絡するので、ちゃんと考えておいてくださいね」
そう念押しして、特別室を後にした。
* * *
週末、予定通り植物園デートにこぎつけた。
ちなみに植物園は、お気に入りのシーンがあるので入念にデバッグしている。
バグの心配は少ないだろう。
入場ゲートまで歩くと、既に三人が集まっていた。
ニーナは私に気づくと、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「エルザさん! レオ王子が、なんだかおかしくて……」
「いつものことじゃない?」
ニーナに腕を引かれて、レオのそばに行く。
レオはベンチに腰掛けて、何やら困惑した顔をしていた。
「なぜ、私はこんなにムキムキなんだ……?」
自分の腕を見ながら、レオは呟いた。
「わからない……思い出せない……」
カイルが近寄ってきて、小声で言った。
「最近の記憶が飛んでるようだ。特にニーナに関することだ」
「一番大事なこと忘れてんじゃん。こいつ本当に存在がバグだな」
疲労で記憶が飛んだのだろうか。
ひとまず、診察が必要だ。
「ニーナ、レオさまには少し休んでもらいましょう。飲み物を買ってきてくれない?」
「わかりました。レオ王子、無理なさらないでくださいね」
ニーナは心配そうにしながら、ゲート脇のカフェへ小走りで向かった。
レオは、頬を赤らめてその背中をボーっと見つめていた。
「天使だ……」
「こいつほんとちょろいな」
* * *
ニーナがいない間に、レオの症状を聞き取り調査をした。
カイルの言う通り、主にニーナ関連の記憶が抜け落ちている。
「これも奇病か?」
「おそらく。でも、セーブデータの損傷や消失なら、正直お手上げね」
このゲームは、18時の帰宅と同時にセーブとアンロード処理が走る。
簡単に言うと、使われていないデータやマップが整理されるのだ。
その時に、レオのデータに問題が起きたのかもしれない。
しかし、ゲーム内からはデータを直す術がない。
となると、やることは一つだ。
「予定通りデートしましょう。記憶が戻ればラッキーってことで」
「お前軽いな……」
「諦めも肝心よ。レオさま、あなたさっきの女の子が好きなのよね?」
「はっ!? 何を言う、俺はお前と婚約を……いや、婚約は破棄するんだったか……?」
「その辺はいいので、好きならしっかりアタックしてください」
ポケットからメモを取り出して、レオに渡した。
「彼女はニーナ。好きなことは言語と本とマッチョです。ここに詳細をまとめてあるので、しっかり目を通しておいてください」
婚約破棄に向けた最後のピースは、ニーナの気持ちだ。
ニーナがレオに対して恋愛感情を抱かないと、話が進まない。
今日のデートでフォーリンラブを狙っていたが、はたして上手くいくだろうか。
考えていると、ニーナが帰ってきた。
「お待たせしました! レオ王子、あったかいココアです!」
「あ、ありがとう……」
「レオさまの体調は、もう大丈夫みたい。中に入りましょう」
余計な心配をかけないよう、ニーナには記憶喪失のことは黙っておいた。
* * *
園内は広く、木と花の香りがして心地が良かった。
ここは、オーストラリアの植物アセットを使って作った。
日本では見慣れない形の草花が多く、異国感が強い。
「わあ、素敵ですね」
ニーナは目をキラキラさせながら、あちこち見ている。
レオは、ニーナばかり見つめている。
「ニーナ、鳥もたくさんいるわよ。あの鳥はおしゃべりが上手くて、挨拶とか人間の言葉を覚えて――」
『異議あり!』
「誰だここで裁判したの」
オウムのような大きな鳥が、大声で異議を唱え続けている。
ニーナが走り寄ってきて、鳥をまじまじと観察する。
「すごい、他の言語も覚えるのかしら。Ruojnob, ej elleppa'm Nina」
ニーナが、フラゾス語でオウムに話しかけ始めた。
放っていたら、いつまでもここに居座りそうだ。
「ニーナ、そろそろ次の……」
言いかけたとき、池の反対岸の方で何かが動いた。
「カイル、今あっちに何かいなかった?」
「いや、見てない」
指に小鳥を乗せたカイルが答えた。
二人で池の向こうをじっと見つめる。
NPCが一人歩いているだけで、他には何もいない。
すると突然、NPCの背後の植物が揺れた。
「ねえ、動いてない?」
「ああ……」
よく見ると、巨大なハチトリソウだった。
二枚の葉でハチを捕えて食べる、食虫植物だ。
ハチトリソウはNPCの背後で、静かに葉を広げた。
内側は鮮やかなピンク色で、巨大な口のようだ。
「ひっ……」
思わず声を漏らした直後、NPCがその口にパクリと食われた。
「カイル、見た!? 食ったわ、あいつ!」
カイルの肩を掴んで揺らした。
指に乗っていた小鳥が勢いよく飛び去って行く。
なぜ、ハチトリソウが人間を食っているのだ。
「どうしたんですか、エルザさん」
オウムに夢中だったニーナが、不思議そうにこちらを見た。
「な、なななんでもないわ! カイルがお腹が痛いって! ね!?」
「あー痛いなーとんでもなく腹が痛いなー」
カイルが大根なのを忘れていた。
「ちょっと休んでくるから、二人はゆっくり見てて!」
ニーナが何か言う前に、カイルを連れて全速力で池の方へ走った。
「草ごときにデートの邪魔させないわ! まずは偵察よ!」
先ほどNPCが食われた地点から、少し離れた場所で止まった。
小さな備品倉庫の陰に身を隠して、ハチトリソウの様子を窺う。
石を投げて捕食判定を確認しながら、徐々に距離を縮めていく。
しかし結局、ハチトリソウの前にきても何も起こらなかった。
閉じた葉の脇から、NPCの足が見える。
乙女ゲームとは思えない絵面だ。
「口をこじ開けるか?」
「あんまりやりたくないわね……」
口に手を突っ込んで、バグったら怖い。
何か他に策がないかと、ウロウロしながら考えていると、背後で葉が擦れる音がした。
そして、唐突に視界がピンク色に染まった。
「エルザ!」
カイルの叫び声と同時に、何かに身体を挟まれた。
べたべたとした粘着質なものが全身に絡みつく。
――食われた。
身体が浮き上がる感覚で、ようやくその事実に気づいた。




