間層 運命否定、月の加護《矢園雪奈》
私の名は矢園雪奈。
名前の通り、先の短い人生を歩む、大したことの無い人間です。
山にいる物の怪に捧げられるために産み落とされた、何の価値も無い存在。優秀な姉が突き進むその道を後ろからゆったりと眺め、憧れることくらいしかできません。人並み以上に勉強だったり運動だったりはできますが、姉の足元にも及びません。
人生のすべてがモラトリアムと知っていたからこそ、あの日のワクワクは、感じたことのないものでした。
ダンジョンが発生し、スキルが芽吹いたあの日、私は刻一刻と迫る猶予期間を楽しめるのではないかと思ったのです。
色々と事情を抱える、唯一と呼べる友人の二人とダンジョンへ通う日々は――紛れもない青春でした。
最近は友人の二人が愉快なクラスメイトの八百枝くんに振り回されるのも中々に面白かったです。
――楽しめていたからでしょうか。
私は自身の役割に関連する些細な動きを見過ごしてしまっていたのです。
「……少し、席を外します。先に旅館へ向かってください」
「ダメダメ、班行動してないってなって怒られるって」
「そーそー! お手洗いとかなら全然待つから」
それは出来ない相談です。
なぜなら、私が戻ってくることはもうないからです。
たった今かかってきた電話は、姉が白装束であの山へ向かっているとのこと。白装束は生贄の目印、どういう理由かは分かりませんが、私の代わりに自らを捧げようとしているのでしょう。
それだけは絶対に認められません。
それは私が背負うべき業です。
私だけの墓場です。
今までのモラトリアムの終着点を、そのために生まれたわけでもないあの人に持っていかれてなるものですか。
「お気になさらず、二人は進んでください」
代金を支払い、料亭を出ます。
不要な優しさを向けて追いかけてくる兎渡香さん。
本心からの善意なのだから心が痛みます。
徐々に走る速度を上げるも、食らいついてきたので仕方ありません。誰にも見せていなかったスキルを発動しました。
「【月の加護】」
背後に私の背丈半分ほどの三日月が顕現。
それに伴って私の黒い髪は月明かりのような黄色に変化していきます。
「雪奈ちゃん!」
「……さようなら、お元気で」
目的の山まで一直線に飛翔。
黒い木の呪いによって不可侵な地になっていようと、私に流れる矢園の血がその道を切り拓くのみ。本来空から見たらこの山は何も見えないはずですが、私には、鬼が豪勢に酒を飲んでいるのが見えました。
「――どうやら、一足先に到着できたようですね」
ゆるりと鬼の前に降り立ちました。
私の方を見て顔を歪めて嗤う鬼。
「よぉ、随分と洒洒った登場だな」
「こんばんは。生贄の登場ですよ? なぜ腰を上げようとするのです?」
「弓を構えておいてよく言うぜ」
どうやらバレていたようです。
小さな三日月の弓を分割し、空に展開していたのですが、まさか勘づかれるとは。
さすがは、昔から贄を差し出すしか対処法の無かった物の怪といったところでしょうか。
「【零の矢】」
上からも横からも一斉に月光の矢を放ち――腕の一振りで霧散してしまいました。
「ふん、ぬるいな。この程度の速度、威力の弓兵なら、平安、鎌倉の世に腐るほどいたぞ」
その妄言が真実であろうとなかろうと、死が差し迫っているのには変わりありません。
二の矢三の矢を放つも、その悉くはホコリでも振り払うように撃ち落とされてしまいました。
「飽いたぞ、小娘」
――接近。
眼前に鬼の顔が映りました。
ダンジョンで数回経験した、死の感覚。時間がゆっくり流れるように感じるものの、かといって行動を速くできるわけではない、人生が見せる引き伸ばしの数瞬。
これで、いい。
私に何かを語れるような人生経験はありません。
誰かに必要とされることもありません。
生まれた時から、ここで死に、後の未来に繋ぐことのみを期待されていたのです。
今更後悔なんて――。
……ああ、でも。二つだけありました。
願わくば、私の大切な姉が幸せになりますように。今みたいに家業を継いで忙殺されず、幸せな暮らしをして欲しいものでした。
そしてそれを私は直接見たかった。
そう思うのはわがままというものでしょうか。
そして、もう一つの些細な、それでいて贅沢が過ぎる願いは――――
「【一閃】!」
鬼に向けられた、太陽のような一振りの斬撃が、私に更なる時間を与えたのでした。
「姉、さん……」
「逃げなさい。私が時間くらい稼いでみせる。あなたは、運命を受け入れる必要なんてない。はやく!」
「嫌です! ここはもとより私の墓場、姉さんこそ私の生まれた理由を奪わないでくださいっ!」
ここで代わりに死なれたりなんかしたら、私が生まれた意味が無くなってしまう。そんなのは耐えられません。
「笑わせないで」
真剣な表情で、ギロリとこちらを睨んできました。
あれは、真剣に怒っている時の目。
「生まれた理由なんて関係ない。人間は、生きる意味を見出す生き物。自分の人生の理由くらい、自分で意味付けなさい」
それに、と柔らかい笑顔で語りかけてきました。
「あなたにだって残っているんじゃない? 明日また、やりたいことが」
「私は、私は……!」
願ってしまった。
祈ってしまった。
諦めきれず、夢を見てしまった。
その未来への憧れが、歩みを止めようとする背中を強引に押し出して。そして――
「私は、姉さんと一緒に生きたい!」
「そう。なら、抗う他ない。死ぬ気で生きなさい」
姉さんの背に太陽が現れました。それは熱を放つ、輪を備えた一本の槍。
姉さんとこうして互いに肩を並べて共闘するなんて、生まれて初めてです。
そして、これを最後にしないためにも。
普通の女の子として、安らかな死を迎えるためにも――!
抗ってみせましょう。




