ep88 譲り合い(Hungry wolf)
ここはセレスティア大陸にある、アーレの城下町の端にある「魔の酒場亭」。
その日の夜、「おかみ」は夜営業が盛り上がっていたが、客を早めに帰らせる事にした。しかし二人に対しては完全閉店の作業を終わらせるように指示を出し、完遂した後でリソグラフィカの討伐に向かわせた。
尚、ヒト種の依り代を使っていても高位高次元生命体である以上、睡眠は生きていく為に絶対必須な条件ではない。拠って、数分から十数分の時間さえ取れれば纏まった睡眠時間が摂れなくてもさしたる問題にはならない。
よって二人にとってはブラック極まる「魔の酒場亭」の雇用条件でも、身体の維持には問題が無い。ただそれが「人道的か?」と問われれば「おかみ」は「代わりにアンタがやるかい?」と問い返すコトだろう……。
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――ぽんぽんッ
「さぁ二人共。隣に座るが良い」
「い……いやぁ……あたしらは新人だから、先輩のお二人にギルマスの横は譲るよ」
「えっ?!い、いや……ウチらもそれは遠慮したいかなぁ……あはは」
馬車の車内は向かい合う形の6人掛け。ギルマスは進行方向向きの中央に陣取り、自分の両サイドの席をぽんぽんしながら、イシュとアマテラに催促していた。……が、イシュ達は露骨に拒絶した上でアコウパーティと下座の譲り合いとなり、一向にセーリアス森林に発つ気配は無い。
――ぽんぽんッ
「ほら、早く座るんだ。これではいつになっても出発出来ないぞッ!」
「ほら、後輩。ギルマスもそう言ってるし、早く横に座ってあげなよ」
「いやいやいや、やっぱりそこは先輩を差し置いて、あたしらが上座に座るワケにはいかないっしょ!」
「それでは、こういうのはどうでしょう?」
セルンとイシュの譲り合い。一進一退の攻防は決着の付かない延長線に突入しようとした矢先、突如として介入して来たエリスによって更なる混沌へと昇華されていく……。
「私が御者台にアコウと一緒に座ります。ギルマスを端においやって、真ん中にギン。その隣にセルン。対面に新人二人……それが最良なのではありませんか?」
「ちょ、おまッ!エリス、抜け駆けは良くないぞッ!それならウチがアコウと一緒に座るッ」
斯くしてセルンvsイシュの構図から一転し、セルンvsエリスの構図へと変化した結果、終始無言を貫いていたアマテラはイシュの手を引き、そそくさとアルカディアの正面に座ったのである。
「「なっ!?」」
アマテラの奇策は成った。アコウの横を取り合う余り、初動が遅れた二人に為す術は無い。こうなっては二人仲良くアルカディアの左右に座るか、はたまた……。
「ちょっと横に詰めて頂けます?」
「なっ?!エリスずりぃぞ!ウチを見捨てる気ィッ!」
斯くしてアルカディアの正面に端からアマテラ、イシュ、エリスと座り、残った席はアルカディアの左右のみとなったのだった。
「あのさぁ……これっていつになったら出発出来るんだ?ほらセルンもダダ捏ねてないで早く座れよ」
――キッ
「アコウ……覚えておきなさいよッ!!」
「えっ?俺……なんかした?」
早朝の混沌はこれにて幕引きとなった。アルカディアは前日同様にご立腹の様子であり、その横に座るセルンもまたご立腹だ。
飢えたオオカミのような、今にも「グルルルル」と威嚇とも怒りとも知れない唸り声が聞こえて来そうな状況を、平和な位置に座った3人は「知らんぷり」もしくは「本当に知らない」状況でセーリアス森林に一路向かう事になったワケである。
尚、現状で一番幸せなのはギンである事に間違いは無いと思われる。
斯くして、馬車に無事に乗り込んだ一行はセーリアス森林へと向かっていった……。
――現場に向かう道中の事――
着替える間もなくやって来たイシュとアマテラの二人は、丈が比較的短めの「魔の酒場亭」の制服のままであり、正面に座るアルカディアの刺さるような視線と、緩急を付けた動きをする左手から如何に掻い潜り抜けるか……といった攻防が繰り広げられている。
アルカディアの視線は二人に夢中でありながらも、その右手はセルンとの攻防戦の真っ最中。左手も参戦していたならセルンは完全敗北に屈していただろうが、アルカディアからすればセルンはお菓子に付いてくるおまけのようなモノ。本来なら右手も正面に向けたかったのだろう。だが、難攻不落な為の保険と言える。
よってアルカディアの第一優先はイシュ。第二優先にアマテラ。おまけのセルンといった流れが窺える。しかし三人とも相手がアルカディアである以上、露骨にイヤな顔をする事なく、至極真っ当な会話を試みるアルカディアから投げられる質問やら雑談やらを笑顔で返していた……。いや、セルンのみアコウへの怒りもあってか額に青筋が浮かんでいるようだが……。
拠ってこの道中、車内に於ける完全なる平穏はエリスのみに与えられている。
最幸の状況のギン。完全平穏のエリス。一応、現状は平穏なアコウ。それ以外は何かしらの攻防の真っ最中だった――




