第八柱 神を模した者
自身の存在『ディバインズ』を隠すため孤児院からの逃亡を企てたイブキは、ディオルコの助力を受け入れる。
偶然居合わせたにすぎないであろうと思っていたこの男は、思わぬ事実を口にする。
◆
その轟音は、冷たい夜の砂漠に響き渡り、皆平等に不愉快な目覚めを与えた。ただし一人を除いて———…
着地の勢いに砂の壁がザザザと出来上がり僅かの空転に消える間も無く、馬は砂を噛みフルスロットルで再発進した。普通なら、首を痛める。
爆走が生む風に乗り、イブキは施設を振り返った。不思議な色をした瞳に反射する。
…こんな簡単に施設を出られるなんて考えたことなかった。
イブキは最初に来た日のことを思い出していた。あの頃はいつでも出られると思っていたのに、いつの間にか見えない籠と化していた。こんな形で外に出るなんて、こうしている今も少しの解放感もない。背負った黄色いリュックサックがとても重く感じられた。
「ヒャッホォォア!」
無神経にもこの男は違ったようだ。
ディオルコは思い切り叫んだ。前髪は風により天然のオールバックになっている。
「これで潜入捜査とも、暗殺稼業ともおさらばだ!やったぜ!!グッバーイ、ミッケ〜〜〜!!!!」
男の長髪が後ろにしがみつくイブキの顔に当たり、鬱陶しい。渡されたヘルメットはまだ膝の上に抱えたままだった。
「………」
とてもじゃないがイブキははしゃぐ気分ではない。それでなくても、拳銃を取り上げられたことを根に持っていたが、返してくれと言う気力もない。
「…あ、悪い。」
テンションの差に気づいたディオルコは、素直に謝った。
「これでもう、お前を探すためにミケーレの下で無理やり働く必要もないかと思うと、つい、な。」
「ミケーレ…」イブキの耳に聞き覚えはなかったが、恐らくこの男と一緒に施設に来た人物だろうと思った。
「そう。『ミケーレ・ランドレイ』、俺の上司。仕事人間で報酬が全ての殺し屋だ。仲間のうちはいいが、敵に回せば厄介極まりない。なんせ、他人の感情が読めるんだ。あいつはおっかないぜ。」
部屋で垣間見えた丁寧な物言いは何処へやら。何故かどこか誇らしげな彼は、どうやら紳士面を貫き通すつもりはないらしい。
イブキはディオルコのこの言葉でなんとなく、彼は今後ミケーレと行動を共にする気がないのだと察した。普通身内の情報はそう勝手にベラベラと晒すものではない。
こんなことを話すということは、彼の予定では私をそれなりに長く付き合わせるつもりらしい。
分かっていても、イブキにその気はさらさら無かった。
『他人の感情を読む』。イブキはすかさずリキを思い描いた。どうやら希少人種らしいが、一晩で二人もお目にかかることなどあるのだろうか。
「…それって、…根無し草?」
「お、よく勉強してるな。でも不正解だ。」
ルルカを知っているイブキに対し、ディオルコは意外そうに言った。死んでいた少年がルルカである、というくだりはどうも聞きそびれていたらしい。
「?」
「確かに、ルルカと良く似た能力だが、ミケーレのは『読心術』という方法で、ルルカのものとはどうやら機序が違うらしい。読心術は、…例えば殺気とか…ああ、お前にも何となく相手が怒ってるな、とか喜んでるなとかわかることがあるだろ?あれをもっと精緻化したものらしい。『気』みたいなもんだ。ルルカのやつより感じ取れる範囲が広いが、具体的に言語化までは行わない。暗殺者がごく稀に取得していることがあるんだと。」
「…。…まさか、あんたも……」
イブキは最悪のパターンを想像した。
「俺?もちろん俺もさ!」
青年はきらりと歯を見せて笑った。
冗談はやめてくれ。イブキはもう既に色々と挫けそうだった。
「冗談だよ、俺はそんな技術は持ってない。」
「………」
これは読めるのか読めないのか、どっちだろうか。
イブキは念のため、ディオルコへ全力で殺意を送ってみたが、何の反応もなかった。
「俺は遠慮したいね。ミケはきっかけさえあれば俺にも出来るだろう、とは言ってたけどな。」
「俺たちがまだ引き合わされたばっかのときは、ミケが俺を警戒してか嫌がらせのように読心術を使うから大変だったぜ。」
ハハハ、とディオルコの乾いた笑いが空へ浮かび消えていった。
◆
ドンドンドン!ドンドンドン!
不穏げに扉が鳴っている。
「鉛灰!鉛灰!」「赤錆はそこにいますか!?」「起きてくださいよ!いないんですか!?」
施設の者が複数人で、けたたましい音を立てているが、ミケーレは身じろぎもしない。
やがてそのうち1人がミケーレへの怒りを込めて舌打ちをした時に、彼は初めて目を覚ました。機械のように起き上がる。部下のベッドが空のままだ。それどころか、ヤツの気配はこの施設から完全に消えている。
それから…ここへ来たときから感じていた誰かの、恐怖心のようなものも完全に消えている。
やはり何かあったな、これは…
「…クソッ、ディオルコのやつ、どこいった。」
鉄仮面に分厚いゴムの皮でも被せたように無表情な男は、ここで初めて不機嫌そうに感情を露わにした。
そばに置いた眼鏡に手を伸ばす。
ドンドンドン!
「アッシュ!!!」
ミケーレが自分でガチャリと扉を開けたときには彼はすっかり目が覚めていたが、寝癖がつきグレーの毛束はいくつか好き勝手な方を向いていた。
「何事です、一体」
◆
「上司を置いて来ちゃったけど、大変なんじゃないの?」
イブキは当然の質問をした。
「…どうだろうな。」
ディオルコは思いを巡らせているようだ。
愛馬は少しだけペースを落とし、ドッドッと小気味良く一定の音を奏でている。
「まぁ、お互い赤の他人だ。あいつなら俺関係なく元気でやってくさ。…ただ、ほら、俺がいなくなると、足がなくなるわけだろ?任務に明らかに支障が出る。もしあいつに、俺が立場ほっぽって脱走したことがバレようものなら、エライことになるわけだ。だからお前を急かしたんだよ、悪いけどミケーレを相手にしたくない。」
「…具体的にはどうなるの?」
テレパシーを使えるような人物だ。超能力でも炸裂するのだろうか。
「俺がすごく怒られる。」
「…。」
イブキはアホくさくなった。
◆
ミケーレは歳相応に豪快なくしゃみをした。噂話でくしゃみなんて、そんなベタな…とは思ったが、どこかで元部下が自分の話をしている、と往年の勘が言っていた。
彼は現場検証のようなものに付き合わされていた。
「この少年…死んでいる、可哀相に!」「焼け焦げて…惨い、身体を斬られているじゃないですか!」「どなたなのです、この方は!」「それが…私には恐ろしくてとても直視出来ないのですが、先ほどから彼の姿を見た者がいないのです。…その、」
場は騒然といていた。施設の構成員が銘々にものを言っている。
ミケーレは黒ずんだ遺体に近づいた。…損傷が酷すぎて確信は持てないが、その顔にはどこか見覚えがあった。
「トギニ、あぁ…これは本当にトギニ先生なのですか!」誰かが叫んだ。ざわめきが一層大きくなった。場を恐怖の色が包む。
『トギニ』。かつての同僚だった。行方を眩まして随分経つが、こんなところで再会するとは。
「クバタの末裔も、ここで終いか。」ミケーレは呟いた。北人を恐怖に陥れた南の部族も、終わってみれば呆気ないものだ。
「誰が彼らにこんなことを!」
「…わ、私は、犯人を見ました」
繊細そうな男がミケーレをチラチラ盗み見ながら言った。
「俺もだ!」もう一人、小太りの男が背部を押さえながら叫んだ。
予想はついた。ミケーレ自身、トギニについては誰の仕業か答えは出ていた。この職人技のような綺麗な斬り口はディオルコの為したものだろう。だが何故?
それに、少年は射殺されている。ディオルコに銃は必要がない。では誰が…。
「わわ、私が見た犯人は…あなたの同僚の男です!銃を少女に突きつけて、人質としてあなた達の『馬』に乗って連れ去っていまいました!」
繊細そうな男は、ミケーレの方を指差し、目をつぶり一息に言った。
「俺はそいつがこの焼却炉にいるのを見た!その瞬間俺ぁそいつに殴られたんだ…」
小太りの男も同調した。
「確か、『赤錆』?ではその男がこの二人も…」
他の男が勝手な憶測で話を進める。それに従い、仲間であるミケーレに対する疑いや批難の色が強くなる。
ディオルコが、拳銃を?不自然だ。
飛び抜けた身体能力と、剣の腕に自信のある男だ。中途半端に銃へ手を出すことはしないだろう。
…ヤツは誰かを庇っている。ミケーレは推測した。
なんらかのトラブルにより、ディオルコはトギニと衝突…または引導を渡した。
そうなる原因となった人物。理由はともかく、本来この場での存在を許されないはずの第三者を庇うため、ディオルコは銃を振りかざして見せた。
そしてその第三者をつれて、この施設から姿を消した。
ミケーレはその気配から、ディオルコがずっと人探しをしていることを読心術で知っていた。該当する人物に辿り着いたとき、彼がイェルバで働く目的が果たされることも。おそらく偶然にもその人物の正体が、人質となった少女であり、この場にいた第三者だったのだろう。
この時がいつか訪れるのは知っていた。
…苦節5年というわけですか。とうとう見つけたのですね。
完璧とまでは言えないまでも、彼は自分の部下に適していた。親心のようなものがないわけではない。
だとすればディオルコが意図的に己で罪を被るよう仕向けたのだから、自分が真実を暴くのは余計なお世話というものだろう。トギニが焼けている理由も、少年が転がっている理由も、特に興味が無い。
ディオルコのことだって、本当に好き勝手に生きていけばいいと思っている。
…にしても自分のこの置いていかれ方は、無い。無さすぎる。
これから自分はここで、当分足止めを食らうだろう。こんな何にもない砂漠の中で、仕事もこなせずに雰囲気も悪い中…。
そう思うと元部下に対し無性に怒りが沸いてきた。
このままやられたい放題では割に合わない。
ミケーレは光らせた眼鏡を指でくい、とあげた。
◆
「さっきの話だけど…」「反対に、ルルカの方はどうやって考えを読むの?」
今更だとは思ったが、イブキはリキが普段どう過ごしていたかに興味があった。
賢いやつだと思うだけで、鈍いことに自分はリキの能力に全く勘づくことがなかった。リキだけでなく、他のルルカも上手く隠して生きているのだろうか。
「根無し草はなんせ会うこと自体珍しいからな。俺の知り合いにはルルカは一人しかいないが、そいつによると『細胞の共鳴』…だとかなんとか…俺にはサッパリだが。」
「…ルルカに知り合いが?」
リキと同じ力を持った人と話がしてみたい。
「その人といつか会えるかな」
「ん?ああ…」
ディオルコは妙に歯切れの悪い返答をした。
世界中の嫌われ者、そんな言葉が脳裏を過る。
「このまま移動していけば会えると思うが…その、ルルカってのは変わってるみたいだから、あんまり期待しない方がいいぜ。」
このまま…。イブキは果たして自分が、このまま旅をするだろうかと思った。
当然だが、出会ったばかりのこの男について行くべきかどうか、計りかねていた。あわよくば逃げ出してしまおうかと思っているが、それはどこかの村に着いてからでもいいだろう。
「何でルルカになんか会いたいんだ?」
「………」
イブキは沈黙してしまった。説明することを億劫にも思ったし、まだ気持ちの整理がついていない。何者かもわからない人間の前で隙だらけの感傷的な状態になりたくはない。
ディオルコもこの件はそれ以上深追いしてこなかった。気を遣われているのだろうか。
いや、そもそも、聞きたいことが山ほどあるのはこっちの方だ。
そう思いイブキが口を開きかけたとき。
「『Ibuki・bi・Era』」
「終末後、砂漠を彷徨っているところを保護。目立った外傷なし。本人によれば、母親は『アンリエッタ・ビ・エラ』とのことだが真偽は不明。」
先に仕掛けたのはディオルコの方だった。前を向いたまま、突然彼はデータを読み上げるかのように語り始めた。
「えっ…」
「以下、調査による。母アンリエッタは南国『エルディーダ』の没落貴族に孤児院から養女として密かに迎えられる。出生不明。以降、エルディーダの上流貴族、『Era』家の嫡男『クリーク・ビ・エラ』の婚約者として育てられ、結婚後すぐに出産。」
「…ちょっ…、何!」
イブキは胸騒ぎにより取り乱した。ディオルコが並べているイブキの情報は、当の本人の知り及ぶ詳細を明らかに超えていた。
「当時の新聞によれば、『アンリエッタ・ビ・エラ』は産後間もなく『クリーク・ビ・エラ』を鈍器で撲殺し、幼子と共に逃亡。その後の目撃談では川に身を投げたとされるが、真偽・消息共に不明。」
「やめてよっ!!!!!」
イブキは全力で叫んだ。白い吐息が後ろに流れて消えた。ショックで落下しないようディオルコにしがみつくのでやっとだった。
鈍器?撲殺?血の繋がった母親がか?父親がか!?
もう沢山だ。
なんの間違いがあったら、一晩で友人を喪い、おまけに母親が父親を殺害した挙句自殺したなんていう、自分が知りもしなかった情報を聞かされることになるの?
とっくに許容量を超えていた。
「アンタが言うように、私は『イブキ・ダグー』!それでいいでしょ!?」
「一体っ…あんたどっからそんな情報仕入れてきたのよ!!」
ほとんどヒステリーに近い状態で叫ぶ。イブキからはディオルコの背中しか見えない。
「…」
ディオルコはしばし沈黙し、タイミングを計った。
「お前、やっぱり知らなかったんだな。孤児院で見つけた書類に書いてあった…JELVAの連中、意外とお前のことを調べてるよ。今までよく正体がバレなかったな。」
「………イェルバの、情報なの…?」
肝が冷えた。顔から一気に血の気が引く。もう自分でも完全にコントロールを失い情緒不安定になる寸前だった。
注視されていた自覚はなかった。
「『エラ』家は当時、エルディーダの指折りの貴族だった。エラはクリーク以外の後継に恵まれず、跡取りの確保に焦っていた。そこでとある没落貴族に対し資金面で援助する条件として、その娘に婚約をさせた。最初の子供は望まれない女児だったとは聞いている。」
ディオルコは落ち着いた、だが砂漠と愛車の音に負けない大変聞き取りやすい声で説明した。
「アンリエッタと呼ばれる人物は夫を撲殺し、失踪した。原因は、結婚後に発覚した養女であるという事実によるトラブルだとか、第一子が女児であったことへの周囲のいびりに耐えかねて…など様々な憶測が流れたが、当事者は死んだクリークと入水したアンリエッタのみ、おまけに残されたエラ家当主夫妻も自ら命を絶ち、結局真実が知られることはなかった。呪われた一族だ。当時この事件はかなり話題になったんだよ。俺も印象に残ってる。」
「孤児院の中に、この件を記憶している者がいたんだろう。死に絶えたはずの『ビ・エラ』を名乗るお前を知って、不審に思って調べたんだ。…だが新聞が元ではこの程度が限界だったようだな。施設へ来た初期の頃にかなり根掘り葉掘り聞かれたんじゃないか?」
「………聞かれた。」
ほとんどパンクしかけた脳みそで当時を思い出す。
「でも私…終末の前後の記憶が無くて…何があったかもあんまりよくわかってなくて…物心ついたころから一緒だった『父ちゃん』には、何かあったら『ビ・エラ』を名乗れって……決して自分の体について語るなって………大人には私は拾われたんだって、伝えて……それに………」
自分のことよりも鮮明に思い出せる事実が一つ。
いつも、リキがいた。あんなに最初から、振り返れば不自然な程リキはいつもそばにいた。
「…友達が………、いつも代わりに………」
まだ記憶が不安定だからそっとしておいてあげてくれと、いつも誤魔化してくれていた。時には健康診断まがいの行事もあったが、いつもリキがどこからか入手してくる速報により、回避できていた。やんちゃをするな、怪我をするなと母親の様に忠告するのを口煩く思ったこともあったが、全てはイブキを案じてのことだった。いつも心配してくれていたのだ。
そんな彼の孤独をとうとう最後まで完全に理解することがなかった自分を悔い、イブキは言葉を詰まらせた。
死なれてしまってはもう全てが遅い。
「…色んな人に見守られて、今までなんとかなってたみたいだな。」
ディオルコは取り成すつもりはなかったが、せめて何かの救いになればと思い呟いた。
と同時に、ここまで来ても涙の一つも零さない少女に違和感があった。やはり自分はまだ信用されていないのだろう。
「ま、過去のデータはとりあえずどうだっていいさ。お前がDIVINESであることが、JELVAにバレてないとわかればな。」
ディオルコは聞きなれない単語を発した。
「『ディバインズ?』」
「そ、『神を模した者』、お前ら不死者のことさ———…」
DIVINES…divine(唯一神)は、通常複数呼びにすることはない。神を模した、神ではない何者達か…
不思議な気分だった。不死、不死身。ろくな名前を持たない宙ぶらりんの自分が、久しぶりに地に降りた様な。
「…——お前、——それやめてくれ、——そろそろ苦しい」
ディオルコが切れ切れに言うのでイブキは我に返った。
気づけば力み過ぎたイブキは、渾身の力で背後からディオルコをギリギリと締め上げていた。
普通の子供より力が強い。
「———」
「おっと、今度こそ俺に質問したいだろうが」
やっと解放されたディオルコはイブキの疑問を押し留めた。
「この先にちょっと落ち着いた場所があるんだ。続きはそこで話そう。」
(少し顔色が悪い気はしたが)朗らかにディオルコは言った。
…確かに、整理する時間も欲しい。イブキははやる気持ちを抑えた。
ふと気づく。
「ン?ちょっと待ってよ、私が生まれた頃の事件を覚えてるって…、あんた今何歳!?」
「お前が今いくつ?」
「15…」
自分が教えてもらった年齢が正確であれば、だが。
途端にディオルコは投げやりな態度になった。
「15!?若いねー!俺が23だから〜あー…やぁねえー♡そっかー、俺15ン時とか何してたっけかなー、ンー」
「に…23歳!?…ってことは当時アンタ8歳じゃない!!!!舐めてんの!?」
「うふふふふふ♡」
「その気持ち悪いのやめなさいよ!!」
真相は闇の中、夜風は砂煙を膨らませ、二人の声をかき消した…
ミケーレ「許さない…」




