第六柱 蕩揺
怒り狂い我を失うもディオルコの予想もしない行動に毒気を抜かれたイブキだったが、炎を経て再び口を開いたトギニの自分への執念に恐怖する。
ディオルコによりトギニは始末され、望まぬ死の現実だけが残った…
◆
酷い臭いだ。浴びた蒸気が脂のように肌に纏わり付く。何が燃えた臭いか重々承知しているディオルコは、なるだけそのことを考えないようにしながら少女の方を向いた。男性サイズの皮のコートを抱え、怯えたように少女は立ち尽くしていた。…無理もない。
「…何見てんだよ。」
不愉快でしかない現状に自分も無理をして、口をついて出てきた言葉はこんなものだった。少女は不意を突かれたような顔をした。
「せっかくこんなモン見なくて済むように、ソイツをやったのに。」
と、自分が投げてよこしたコートに目をやる。
「………」
少女はまだ声を出せずにいるようだ。
青年はその人生で、あまり人をなだめた経験がない。
いたたまれないのか、付き合いきれないのか自分にもわからなかったが、ディオルコは少しの間目を逸らしてため息をついた。聞くべきことも、考えるべきことも山ほどあるが…。悠長にはしていられない。
少女に視線を戻す。支給品の様な簡素な白いTシャツもジーンズも、酸化した赤に染まっている。
…このままではあまりに目立つ。彼女に持たせた自分のロングコートを被せようと、ディオルコはイブキに近づいた。
「…待って」
ほとんど声になってはいなかったが、少女は何とか言葉をひねり出した。
近づこうと動き出した青年を、どこかへ去っていくものと勘違いをしたようだ。ディオルコは言葉を待った。
「…待って……」
ここまできて、初めてやっと助けてくれた大人だ。懇願するように震えながらイブキは部屋の脇を見た。ディオルコにも意図することがわかった。
壁側に同じく血に染まった少年が転がっていた。
青年は長髪を掻き上げ頭を抱えて、再びため息をつきそうになった。
死体だ。遠目からでもそう思った。今までも数え切れないほど見てきたからだ。
少女もきっと、わかっている。だから俺に見てこいというんだ。もしかしたら、を期待して…
目を閉じた少年の脇まで行き業務的に手を胸で組ませた。死人だ。
「死んでしまったよ、もう助からない。」
まっすぐ目を見て伝えた。少女の目をなるべく見たくはなかったが、納得してもらわなくては。
彼女の絶望の瞳に、間に合わなかった自分を呪った。だが仕方がない。———もたもたもしてもいられない。
「イブキ・ダグーだろ?」
返事はないが淡々と続ける。こちらを見てはいるが言葉が届いているかは怪しい。血に汚れ立ち尽くしているのをとても哀れに思った。他人事だが、初めて出逢った少女に対し自分にそのような感情が芽生えていることを意外に思う。…よく見れば服に丸く小さな穴が開いているように見える。今度は本当にコートをフードまで被せながら語りかける。
「俺は長いこと君を探していたんだ。無事に見つかってくれて嬉しい。聞きたいことは色々あるが、俺の話はひとまず後だ。……———いいか!!」
突然軍人のような大声を出した。わずかにイブキがたじろいだ。
出口をまっすぐにバシッと指差しながら命令する。
「部屋に戻り、服を着替えろ!脱出の荷造りをするんだ!」
最も凄みの利いた、最後の「 走 れ ! 」の号令を尻目にイブキは訳も分からず建物を飛び出していた。
半分パニックになり何度か転びかけたが、おかげで何も考えず部屋を目指すことができた。
◆
…まったく自分としては、このまま脱出してしまった方がずっとシンプルだった。なんせ愛車はこの建物のすぐ側にあるのだから。
少女が出ていくのを見届けたディオルコは、自分の甘さに反吐が出た。
それにしても。青年は思案した。彼女には『イブキ・ダグー』であると何度かカマをかけたが、否定も肯定もなかった。加えて、気になる点がかなりある。
本心では遠慮したかったがもう一度黒焦げになった男の遺体へ近づいた。銃を所持していない。念のため火葬炉も覗くが、見つからない。
死亡した少年は、わかりやすく銃で撃たれた痕跡があり、床で薬莢も見つけた。少女の服の血も、跳ねたりこすったようなシミではなく、着ている者の血痕だった。銃痕までははっきり目視出来なかったが、経験の上からあれは撃たれて垂れた痕だとディオルコは考えていた。
…ということは、少年少女が自傷でもない限りは、大男が銃を使用し二人を撃った可能性が高い。しかしこの場に銃は残されておらず、男も所持していなかった。肉体がこれだけ残っているんだ、銃が燃え尽きたとは考えにくい。
この部屋に銃がないのだとしたら、イブキ・ダグーが持ち去ったのではないか。
ディオルコは動きながら考えた。
それならば、だ。イブキ・ダグーは自分が撃たれ重傷を負った後、あの大男から銃を奪い、その後怪我人とも思えぬ動きでこちらを殺す気で突っ込んできた。
…最早あの動きは怪我人のものではなかった。その後も腹を押さえたり蹲ったりといった様子は一切なかった。
少女は普通ではない。今度こそ、俺の託された『予言の子』その人なのではないか。
ディオルコの胸は、一度は高鳴った。
………にも関わらず、革布から這い出た少女は本当にただの子供へと変わっていた。
自分の思い違いの可能性も完全には否定できない。
推測が外れ、彼女がただ血まみれなだけで、どういうわけか全く傷を負うことがなかった可能性もゼロではない。俺と対峙したときに銃を使わなかった件も説明がつかない。
…だとしたら『この五年間で初めての変化』という名の期待は、もしかしたら潰されるのかも知れない。
それを思うと吐きそうになるのをディオルコは無視した。
よく考えろ、と。嫌でも燻っている大柄な遺体が目に入る。俺がここへ辿り着いた時、ひしゃげた鉄扉は確かに『外から』この男を閉じ込めていた。現場にいた『普通の』少年少女にはそんな芸当は出来っこない。
ディオルコは、あの少女に賭けてみたいと思った。
ふと建物の外から人の気配がした。ここへ入ってくるに違いない。
ディオルコは素早く、しかし静かに出入り口の扉を開けた。半開きにして、内開きの扉の裏に潜む。
程なくして誰かがせかせかと向かってきた。
「なんで灯りがつきっぱなしなんだよぉ、誰か中にいるのか?」
この男は見回りに来たようだ。
「…なんだ!?これは…おいっ!だれ…っ」
「おーい。」
「ゥ」
全貌は見えない程度に良い塩梅で異常な光景が目に入ったのだろう。荒れた部屋と倒れた人間の足が見え、駆け寄ろうとした男はディオルコに背を向けたが、ディオルコは敢えて声をかけ、振り向きざまに後ろから強打し気絶させた。
気絶させた男が単独行動をしているとは考え辛い。同僚などに、ここへ向かうことを告げている可能性がある。あまり時間は稼げないな…。
流れるような動きで、青年は外の暗闇に姿を消した。
◆
いつもは全力疾走してもなんの問題もない距離なのに、ひどく息苦しい。身体が上手く使えていない感じだ。頭と体がバラバラだ。背丈に対し大きすぎるロングコートは地面すれすれまで伸び、とても走り辛い。凍える夜道を疾走し、階段を駆け上がり、ガチャガチャと何度かノブを回し損じながらも、体当たりでもするようにイブキは部屋に転がり込んだ。
「イっ…イブキ!?」
慌ただしい帰宅に、ソバージュ頭をした部屋のもう一人の住人は跳ね起きた。一気に捲し立てる。
「いつの間にか寝てやがっ…あっそうだ、リキから伝言!あっイヤ、テメー誰かに会ったかよ!?なんかやらかしたか!?変な男がここへ来て………イブキ?」
寝ぼけて伝えたいことを忘れないうちに言ってしまおうと思ったレディエンヌだったが、様子のおかしいイブキに気がついた。
「………………」
「イブキ…お前、なんかその、臭わねえ?」
「………………レディエンヌ………」
頭が働かない。自分の感情で手一杯だ。『君は今すぐここを出るんだ。』リキがの声が何故か蘇る。
言葉を探せば嗚咽を漏らすだけで終わりそうな自分を奮い立たせ、イブキは言った。
「リキが、死んだ。」
「は?死んだ?いや、さっき普通に喋って………冗談だろ?」
レディエンヌはすぐには理解できなかった。死ぬ?死ぬってなんだ?日常とかけ離れた展開に、現実感がない。先刻イブキに眠りから叩き起こされたときの感覚に近かった。まだ夢でも見てるのか?
イブキはレディエンヌをおいてけぼりにして、なぜか自分の頭が急速に冷えていくのを感じた。冷静になったというより、正確には現実に切り替えたという感じだった。
ゆっくりしている暇はなかった。
端的に、「リキがあの大柄な男に殺されたこと」、「男がバレンと似た白い肌を持つイブキをその性質から狙い、リキは巻き込まれて死んでしまったこと」を伝える。自分でも、あまりにも、淡々と……
それでも絶句し、唾を飲み込むことすら忘れているレディエンヌを尻目に、イブキは手を動かした。
…理解が遅い!友人に対し、今は生きるため、悲しみよりも冷たい怒りが優位に立っていた。全てを話す時間がないことも本能が告げていた。
ようやくレディエンヌが口を開く。
「そんなの信じろったって…アタシもリキに会いに………」
「ダメ!それはやめた方がいい」
イブキは話の根幹にレディエンヌを巻き込みたくはなかった。
「だって…イブキ、それ本当か…?この目で見ないとすぐには…ちょっと待てイブキ、さっきから何してんだ?」
「これで信じるでしょ?」
レディエンヌそっちのけで何かをしていたイブキは向き直って自分の着ているコートを捲った。レディエンヌは変わり果てた衣服に息を呑んだ。さらにイブキは、年齢に対し少し不釣合いに発達した自分の胸から小銃を取り出しレディエンヌに放った。トギニの目を潰した時に手に入れておいたものだ。服に余裕がなくこれを胸元に隠した。
…あの場は冷静ではなかった…。『アイツ』が現れた瞬間は、逆上が行き過ぎて銃を所持していることすら忘れていた。なぜか、引き裂きたいとさえ……
対して、今は妙に客観的で、まるで他人の記憶のようだった。
あのまま長髪の男が現れず興奮が収まらなければ、自分はどうなっていたのか…。恐ろしい考えを今は振り払う。きっと、気が動転していただけに違いない。
「…ここを出るの。」
乱雑に荷物を作り終えながらイブキは言った。
「私のこと、前にも話したよね。」
「あの場にいたことがバレて、色々調べられたりして私が普通じゃないことが知られたらマズいの。」
わかっていたつもりだったが、今回イブキはJELVAに関して、自分がどれだけ危うい存在かを思い知った。
「なっ…、正気かよ!こんなとこから出てみろ!外は砂漠の海なんだぞ!一瞬で…、そりゃ、お前は確かに普通じゃなさそうだけど…」
レディエンヌは混乱する頭で、果たしてイブキを止めようとしている自分が正しいのかどうか考えていた。彼女もまた、イブキについて理解している一人だったからだ。
かつてイブキが大怪我をしたのは、このレディエンヌのためだった。『誰にも言うもんじゃない』…父の禁を破り、リキとレディエンヌの……、本当にこの二人だけに、自分の不思議な体質を話していた。
レディエンヌは不安げに両掌で持った銃を見つめている。ここも故郷と変わらないのかもしれない。自分も何かの拍子に簡単に殺されるのかもしれない。
準備が出来たイブキは黄色いリュックを背負い立ち上がってレディエンヌを見た。
「レディエンヌ、銃を私に」
「イブキ!」
レディエンヌは落ち着かないまま言った。
「アタシも連れてってくれ…!」
「!」
一緒に脱出するという発想のなかったイブキは、正直に言うとこの瞬間から、迷った。巻き込まないほうがいいと思っていた。しかし気心の知れた友人と一緒なら、なんと心強いだろう………それに、置いていくほうが危険なのではないか?
そう思い口を開きかけたとき。
「だーめ♡」
またも音もなく、場にそぐわぬラフな調子で、またもにっこりと愛想笑いを浮かべて、その男は閉じたドアに腕組みをしてもたれかかっていた。
「なっ…!!」
心臓は飛び上がったが、一目姿を確認し少しホッとした自分がいた。その長髪と締まりのない台詞に、ひっそりと「オネェ」疑惑を抱きながらも、イブキは硬直しその一瞬に思った。こいつはもっと普通に部屋に入ってこれないのか…
「申し遅れました。俺は『ディオルコ・エスパリオン』。」
紛れもない『アイツ』はそう自己紹介し、赤茶の双眸が三日月型に微笑んだ。
見回りの人「コノ部屋臭ウヨ!!」
消臭リキ「そんなときは〜」




