第二十五柱 魔物
◆その晩ディオルコはほとんど眠ることができなかった。
自分はただ、運ぶだけ、などとはどの口が言うのか。
―――消えた婚約者、―――少女を探すルルカ、隣国の援助、―――死んだ大国、―――未知の事象、謎の大男――――…
当然様々なことに目を瞑り、エリスの望みのみに専念することも出来た。しかし心の底では自分の目で真実を見ると、とうに彼は選んでいたのだ。その選択が彼を苛む。過去の己が『愚か者』と何度も自分を責め立てる。
捨ててはいけぬ、背負うべき何もかもをは。
大局に重きを置く為に愛する者達を蔑ろにした。何度も、何度も。鬼と呼ばれた。地獄に生まれ、人として生きるには敵が多すぎた。
全てを失い、泥に向かって孤独を叫ぶも虚しく、慟哭に飽きた今寂しく、長閑であった。
空が明るくなり、眠れぬ青年は相棒の気配を感じ外へ出た。全てを見透かしたかのようなタイミングで、とろとろとコモドがハンドルから見知らぬ巾着をぶら下げ出迎えた。中には金貨と、ルルカからと思しき伝言が書かれた紙が入っていた。
『川を下り、港を目指せ』
彼の心境の変化のみならず、彼の中にルルカに対する大きな疑念が生まれたことすら、ルルカは知っているはずだった。
「…このまま、北のどこかで暮らすのもありだな。」
ディオルコはコモドに薄く微笑んだ。冗談でも、一瞬でもこの世のことは忘れてしまいたいような気持もあった。
今わかることは、とにかくBARRENを知らねばならないということだった。
「…ここを去る前に、一つ寄るところがある。」
そう青年が告げると、コモドは宿のとば口に残り、青年と行動を別にした。
◆蟻塚を、歩いて回る。洞穴の一つ一つの幅は棺桶のように狭く、湿気た土壁をムカデが這う。糞尿のような独特な臭いがあり、入り口はそこそこ高さがあったものの奥に進むにつれ天井は低くなり、さらに奥の空間へと続いている。正気を保てる空間とはとてもじゃないが思えない。
青年は大厦を訪れていた。奥がほんのり明るくなっている。普段なら絶対に嫌だが、ディオルコは仕方なく先へと進んだ。案の定その先には排泄の場があるだけであり、二本に伸びた、踏み固められた足場の間から、底の見えない深淵へとモノを落とす造りになっていた。松明に灯りが灯っている。背後を振り返ると、この空間が複数の個室と繋がっていることが分かる。しかし厠自体は土壁で半円に区切られており、ここで行き止まりであり、また見上げると恐らく同区画で同じ構造の上階があるようだった。
個室の一人からまだ幼さの残る糞掃衣の坊主が現れた。
「もうすっかり、人はいないのです。」挨拶もなしに、坊主はそう口にした。
「昔のように、我々は多くはない。」「ここはこれで終わりです、この先はありません。松明は私が管理しています。」
こちらが疑問を口にせずとも答えてくれるあたり、彼もルルカで間違いがなかった。
「女性もいますよ…当然です。我々にとっては、ここでの教育がその後の命に関わりますので。」
「悪いんだが…」ディオルコがようやく口を開いた。
「ああ、すみません。一方的に『会話』してしまって。ヒトと話すのは久しぶりで。…ここにいた人間のことを知りたいのですね。」
「…。『ムスタファ』という男が住んでいたと聞く…。俺と同じ、二本の刀を持つ。」
『Mustafa』は…。世に名を馳せた剣士でありながら、医者の宣告によると、病を患い余命幾ばくもなかった。その事実を自ら告げたのち、忽然と青年の前から姿を消した。数年前の話だ。
まさかここで再びその名を聞こうとは…。
ルルカの僧が口を開く。
「…確かにその方は病を患っておいででした。貴殿の前から姿を消したちょうどその時期に、うちにいらしたように思います。」
「ヤロウ、なんでコソコソと…!」
「心の臓と肝を患っておいででしたし、命の保証は今もないに等しいからでございましょう。」
「あンのアル中デブ…!治ってないのか…!」
「我等の薬にて気休めのような治療を行っているに過ぎませぬ。いつ突然死しても不思議ではないかと。」
「……」ディオルコは黙り込んだ。
「探されますか?」
「いや、いい。"平和なんてクソ喰らえ"、そういう変態ヤロウだ。何してやがるかは想像に難くねえよ。」
ルルカは笑った。
「…苦労されたのですね。」
「人の過去を勝手に覗くんじゃねえ。」
「運が良ければ再会も叶うかもしれませんね。あの方は時折戻って来られて、下の守衛の方のように、この蟻塚の護衛などをしてくださいます。我々、このように無防備ですので。」
青年の双眸が一瞬光る。
「それだけでアンタらが棺桶に首まで浸かった”死人”に高価な薬を与えるとは思えんがな。」
「ほほほ、価値があるのはなにも"生"だけではございませんでしょう。」
「…貴様ら、何を」
口に指をあて、今度は根無し草の坊主の眼が怪しく光った。
「ほほ、静かに耳を立てて注意してごらんなさい。」
遮られたディオルコは片眉を上げ顔をしかめた。しかし、確かにルルカの言う通り何だか外が騒々しく、変だ。
「―――イブキ?」
守衛のレゲエ頭の男とイブキがなにやら大声で話している声だ。
まずい!
ディオルコは洞穴から飛び出した。
「イブキ!何しに来た、戻れ!!」
「俺は止めたんだぞ!子供の来るとこじゃねえって!」
状況を1ミリも理解できるはずもなく、守衛の男が叫ぶ。イブキはふくれっ面でディオルコに返事を返す。
「なにさ!いないから心配して探したらここにいるって言うじゃない!そんな言い方ないでしょー!こんな面白そうなところ…」
太陽の光を受け、少女のその髪と瞳がキラキラとした。
「違う!お前は来るな!!!いや、それよりも―――」
ディオルコは後ろを振り返る。すぐ後ろに光へ歩みを進める根無し草の青年がいた。
風が早く雲が影を差す、少女の顔を半分覆う。
外から遮断されていたルルカの青年は暢気に
「あれ、あの娘は貴方の伴の者でしょう?」
そういうと、ちらりとイブキを見た―――…
「も、戻れ!早く!」
即座にディオルコが青年を洞穴へと蹴とばしたが、一瞬遅かった。
「ァァアアアア!!!!!ハアアアアアアアアアアア!!!!バケモノ!!!バッ…!!!」
中から金切り声が反響した。
「え?」イブキは呆然とした。
「嫌ダァアアア!!コンナ、乾キはッ、、ヒィッ!!影!!!影!!!!!」
ルルカの青年の眼は飛び出し、半狂乱で何かを叫び、壁にぶつかりながら凄まじい勢いで洞窟内へ突進し、薄暗い中をもうどこを走っているかも分からない、早鐘のように打つ心臓がまるで口から飛び出し、突然足場がなくなり目の前が回転したと思えば―――…
「暴れるな死ぬぞ!」
宙に浮いていた。すんでのところでディオルコが伸ばした腕が、排泄所から転落死せんとするルルカの青年を辛うじてこの世に繋ぎ留めていた。
「ハヒッ…ハヒッ、に、逃げなキャ…死…!!」
まだ混乱し暴れる青年に引きずられたディオルコは、慌てて青年を少し引きあげると頭突きした。ルルカの青年は大人しくなったが、ディオルコが焦ったためにその顔面は潰れた。
頭突きの際、つい、ディオルコは地の底を見た。
「―――――――」
雑にルルカの青年を引き上げた。砂埃を立て青年の身体は孤を描き安全な方へ流れていき、ディオルコは息を荒げ、派手にえずいた。
見るんじゃなかった!
「ディ、ディオルコ、大丈夫…?」
イブキの泣きそうな声が遠くから聞こえてきた。
「誰か、ルルカを…、呼んできてくれ…。」
長髪の青年の、辛うじて絞り出したような声ではあったが、イブキには十分拾える声量であった。
ディオルコは、排泄所ではなく、洞窟内で吐いた。
「……。」
子供の頃、躾の一環として魔物の話などもされたが、魔物は棲家に訪れる人間を貪り食い、その屍が高々と、彼らの棲む洞穴に積み上げられていたのではなかったか。
現実に人が棲まうこの洞穴には、今回のように予期せず落ちたのか、あるいは落とされたのか、排泄物とともに新旧混在した屍が、恐らく蛆とともに蠢いていた。
「ハ…、魔物ね…」
ディオルコは力なく苦笑した。
◆「私、化け物なの?」
失神したルルカの青年をユヅィーに引き渡すや否や、イブキが悲しみに満ちた瞳で聞いてきた。
ちなみにユヅィーはまだ昨晩のことを引きずっているらしく、こちらと一言も会話を交わさなかった。
「・・・え?何?」
ディオルコははぐらかした。正直、イブキのこの反応も恐れていた。
「あっはっは!何、他の人間と違うという自覚は持っとけって言ったろ?そういう意味で俺はお前を人間扱いしてないけど、まさかまだ気にしてたのかー?」
「…違う!そうじゃない!!あのルルカは、私を見て化け物って言ったの!!!私の内面を見て!!!」
「えー、ああ……、まあ、確かにあれはそんな風にも取れなくもない、っちゃあ、まあ…」
「私…心まで化け物になったつもりは…」
イブキは精一杯に見えた。
「…っ…なっちゃったの…?」
落ち着きなく、爪先を動かしている。
正直、俺が聞きたいよ。ディオルコはそう思った。ため息をつく。
「アルナラやユヅィーが、そう言ったか?」
「…」
「あの蟻塚にいるルルカは、多くが未熟なんだ。余計なものまで読みすぎてしまう。」
「じゃあ、やっぱり…。」
「ルルカは何も、心だけを読んでるわけじゃない。過去の記憶も、なんでも見る。」
「…うん…」
「お前は一応、凶暴化したときの記憶があるんだ。その所業も記憶されてる。多分、その時の欲望、思考も、潜在自意識の中では。」
「……」
「あのルルカは、それらの情報を、上手く選んで抜き取ることができなかったんだろう。新聞の一面の見出しだけ見てしまったようなものさ。なあ、だけど。俺、最初にお前になんて言った?」
諭すようなディオルコの言葉に、イブキはこの先彼が伝えたいことがわかってしまった。
「…うん…」
「俺が、お前は化け物だって言ったら、お前は化け物になるのか?」
『ねえ、前に…私は何者なのかって、聞いたでしょ。Divinesってなんなのかって。』
『俺にも、誰にもわからない。お前が何者か、それはお前が決めることだ。』
まだ出会って間もない頃、砂漠で迷いお互い心許無い頃に、彼はそう言ってくれた。
「違うだろ!俺だろうが、周りの誰がどう言おうが、お前がどう生きるかはお前が決めるんだ。」
ああ…、やっぱり、この人は…
「自分の大事な物も、生き方も、死に場所も、全部自分で決めろ。他人を逃げ道にするな。
自分の意思と無関係に動くものを、道標にするもんじゃないぜ。」
「…うん。」
「それさえわかっていれば、助けてくれる人がいるさ。」
「…うん、そうだね。」
―――導いてくれる。
「なんだ?ちゃんと聞いてんのか?」
本当は。
『俺はお前を探してきた。イブキ・ダグー、ただそれだけを頼りに、顔も知らないお前を!』
『――――――俺はこの五年間、お前と旅をしてきたんだよ!』
あのとき。神や悪魔や仏やなんかより、貴方について行きたいと思ったんだよ。
「えへへ、聞いてるよ。」
「…何だよ気持ち悪ぃ。」
だけど、これは貴方の意に沿わないから。だから、私だけの秘密。
◆川を下る方法が、本来は次の目的地へは最適であったが、ポチがいる以上そうはいかなかった。コモドと一旦別れ、来た時のように、分厚い岩の壁の切れ目から(内側からは簡単に見つけることができた。)ユヅィーの付き添いの元、外を目指した。
「…ルルカは。」相変わらず足早ではあるが、今まで無言だったユヅィーがぽつりと話し始めた。
「周囲の環境によって、神にも悪魔にもなり得まス。それ故に、極端な末路を辿るものが少なくないのでス。」
イブキは、彼女がきっと、先ほどの自分の記憶を読んだのだと思った。
「そういった者達ばかりでは、種が繁栄しないので、このように、外界から遮断された居場所を作ったのでス。本来はルルカだけが生活し、平凡に暮らす者もいまシた。しかし、侵略されそれも今は昔の話でス。どうぞ、着きまシた。」
案内が終わると、早々にユヅィーは去っていった。
「ディオルコ。失神してたルルカの人って、大丈夫になったかな。」イブキが聞いた。
「さあな。ルルカのことは、俺にはわからん。」
彼の精神が破壊されていれば、想像するのも恐ろしい顛末が待っているかもしれない。しかし、彼女はただ混乱の末失神したものと思っているようだし、それ以上を知る由もない、知る必要もなかった。
「あ、山羊だ。」
岩壁の崖に数匹、野生の山羊が登っていた。なんとはなしにポチが口を開いた。
「山羊と言うのは、群れの良い先導者になるらしい。その習性を利用して、敢えて羊の群れの中に、山羊を一匹混ぜておくことがあるそうだ。」
「へ~え!」
山羊は、器用に壁にへばりつき、各々草を食べていた。
「羊の群れの先導者、か…。」
ディオルコは、別の山羊の姿を思い浮かべていた。
「さて、川下の方へ向かうぜ!目指すは…船だ!」青年はピューッと指笛を鳴らした。




