第十九柱 その真性
◆
嫌な静寂が訪れた。
一人の女性が酒場の柱にもたれかかるようにして、死んだ。
誰も。例えグウェンが何者だったにせよ、ベスを殺す気はなかった。
弱っていたのだった。こうもあっさりと、殺す気もないのに死んでしまった。
周囲にいた全ての人間が虚をつかれ、ゆっくりとその死を吞み込もうとした。
夜の訪れとともに、冷たい風が吹き抜ける。
風が、死神のように思える。
包帯の隙間から覗く見開かれた瞳に見つめられ、グウェンは突き飛ばしたその手に視線を移しながら、硬直したまま僅かに後ずさる。
しかし、場を包むのは穏やかな静寂ではなかった。
「――――べ、ベス!……人殺し!!」
一人の女性がベスの死に対し声をあげた。暗闇から村人たちが次々に復唱する。
グウェンは俄かに怯えた。
「ち、違うわ!あたし、そんなつもりじゃ―――…!」
その声も搔き消される。
波紋は徐々に漣へと変わる。堪らずグウェンはその場を逃げ出した。
「お待ちっ!」
「どうしよう、ベスが…」
「本当に死んでしまったのかい?!」
「確かめろったってアンタそりゃあ―――」
―――ギャン、ギャンギャン!
イブキはハッとした。
人々のどよめきに混じり、確かに犬の声がした。聞き間違いではない。
「ディオルコ」
こちらに近づきつつある規則的な地鳴りに、イブキは思わずディオルコの服を掴み後ろに引き寄せた。
群衆は誰も気づいていない。
動物的なイブキは僅かな大地の振動に恐怖を覚える。
―――あの異質なモノがくる気配だ。
しかし彼女よりも鈍いぶん、視覚に頼るディオルコは群衆の向こう側へと、何者かの訪れを見据えた。
悲鳴が上がった。
と、同時に人混みが二つに裂けた。
ディオルコが目を細め呟いた。
「『幽霊』様のお通りだ。」
狭間の空間で狂ったように赤犬が吠えている。
―――ギャン、ギャンギャン!
『何もいない』はずのそこに何かを感じ取り、村人達がじりじりと裂けた場所から後ずさる。
「なんだ!?何が起こってる!?」
来た!
吠える犬を携え、質量の大きな見えざる何かが人々の横を通り過ぎた。
薄汚れた青いローブに身を包み、顔に包帯を巻いた『ベス』がふわりと仰向けに宙へと舞い上がった。
――――重低音の『慟哭』が夜の村に轟く。
それは地の底から響くような声だった。
「『ベス』!!!!!!」
天を仰ぎ低く、叫び終わるのを待たずして、『怪物』が遺体を抱き抱えるその腕から姿を現した。
2メートルを優に超える。
瞬間村人たちは散り散りに逃げ出し、屋内に立て籠もり、あぶれた者は蜘蛛の子を散らすように駆けずり回った。イブキが懸命にその背の布を引っ張るも虚しく阿鼻叫喚の中、観客はディオルコだけだ。
「な、なにぼーっと突っ立ってんのさっ!!」
「アイツ、どうするつもりだ?」
「どうするって…」
クリーチャーは緩慢な動きでベスを地面に置き、そのまままるで櫂でも扱うかのように家屋の柱をいとも簡単に捥ぎ取った。
「ルァアア!!!」
甲高い音を立てクリーチャーの投擲した柱が空を裂いた。
瞬きする間もなく、狭い路地に斜めに爆音とともに突き刺さり、二人の目の前で柱の半分は木っ端微塵になった。
「イヤアアアア!!!」
イブキは叫び、手足はてんでバラバラの方向へと逃げ出そうと足掻いたが、左手は固く青年の服を掴んだままだ。残念ながらディオルコは一ミリも動く気配がない。二人の足元の間に土が溜まった。
砂煙が屋根より高く噴き上がる。
柱が何をするわけではない。巻き込まれるより早くこの場を去るのみだ。しかし逃げ惑う人々は度肝を抜かれ、腰を抜かす者も多数いた。
そういった者達が退路を阻み、一刻も早く逃げたい村人たちは大パニックになった。
「どけ!どけよ!!」
「早く退いてちょうだい!」
「そっちじゃない、向こうは行き止まり―――…」
「―――ウルァアアアアア!!」
クリーチャーが二本目の柱を、人々の退路を断つつもりかのように着弾させた。或いは本能かもしれない。
「イブキ、お前はあの柱を片付けてこい。」
「え?」
イブキは間の抜けた声を出した。
クリーチャーは三本目の柱に手をかけた。
◆
「ウゴッ、ヘッ…!」
イブキが服を引っ張りすぎてついにディオルコの首が締まった。
「おっ…おバっ、やめ」
「『片付けてこい』!!?じゃない!!あんたも、もう行くの!!!」
イブキが顔を真っ赤にさせて引っ張っている。
「落 ち る !」
焦ったディオルコがイブキの腕をベシベシ叩いてようやくイブキも手を緩めた。
息も絶え絶えでディオルコが嘆く。
「…ちょっとー!…やだもー!…服ダルンダルンになってんじゃん!」
「こんなになる前に一回くらいは私の方を見ろー!」
イブキがガルルと唸った。
出し抜けにディオルコが問う。
「お前、アレに興味湧かねえの?」
「あんなに柱ポンポン投げてる姿見て、まだ観察する気!?危ないじゃんか!」
「…そうは言ってもな、あれ、暴走してるだろ。俺はお前のああいう姿見たことあるんだぜ?あのままほっとく気かよ。」
彼の本音を聞いたイブキは言葉を失った。
「―――え、と……」
なぜ今日まで彼についてきたのか。それは…。
恩返しなどと殊勝なことは考えずとも、イブキはずっと、あの日の感謝を忘れていなかった。
もしこの世に自分が二人いるのなら、あの『暴走した私』を、『私』は間違いなく止めに行くだろう。
しかし、それはそれとしてもだ。
この怪物を…、止めようというのか?
「か、簡単じゃないでしょ、だって…。刃だって通るかわからないし、だったら、わた、わた、私が……」
ディオルコは、怪我してもすぐには治らない。
ディオルコは、命を落としても…。
私は力を持っている。それは頭でわかっていても、どうしてもあと一歩前には出ることができない。
遮るように三度目の着弾音が響いた。その衝撃で同時に支えを失って弱くなっていた酒場が倒れこみ潰れた。
クリーチャーは別の家屋から容易く柱を二本毟り取ると、それぞれ両手に掴んだ。
固まった村人の方をそのまま向くのとは裏腹に、怪人は叫んだ。
「……逃ゲロ――――――――!!!」
同時に放たれる二本の柱。
既にイブキの前にディオルコの姿はなかった。
◆
怪人の心の深い部分を反映してか、四本目の柱は村人達から少し離れた位置に落ちた。
しかし五本目にその容赦はなく、一人の村人の姿を完全に捉えていた。
四本目の軌道を縫うようにすり抜け、ディオルコは村人の身体を思いっきり体当たりで突き飛ばした。
蹴った勢いのまま雪崩れ込むと、コンマの差で背後から爆発音がした。
バラバラと木屑が降り注ぐ。柱はディオルコと村人が居た場所を正確に貫いていた。
…喰らえば無残にも即死だったろう。
クリーチャーがその足で迫ってきている。
彼なりに急いで動いているつもりなのだろう。一足毎に地鳴りを起こし大振りに動かす手足が余計に恐怖を煽る。
「―――オイ!アンタ!もう柱はないぞ!こっちだ!」
イブキは大声で怪人を呼ぶディオルコの正気を疑った。
「アアア!!!ヌグアアアアア!!」
クリーチャーは言語をなくしたまま叫ぶと、本来の敵を見失いディオルコへと真っ直ぐ走り出した。かなりの迫力だ。
「ガアアアア!!!邪魔ダ!!!!」
鈍い音に続きザザザザッ、と何かが押し退けられた音がした。砂煙が舞いあがる。
上から振り上げられた怪人の腕を鞘ごと刀で斜めに受け流しはしたが、その反動でディオルコ自身も大きく斜め後ろへ跳ね返されたのだ。
大振りに肩が空を切る。そのままクリーチャーが追撃を再開する。
ディオルコが再び構えた刀の鞘をガッと掴み、迫る。
「グゥ!!ルアア!!」
力を込めたディオルコはふと、クリーチャーの虚ろな眼窩に浮かぶハリボテのような眼球に怯んだ。
―――何だ、この目は?
濁った、未完成の眼が、そこにはあった。
無精卵だと思って卵を割ったら出来損ないの雛が出てきた。それに似たおぞましさを感じながらも、不思議とその眼に憐れみを感じた。
……この眼では、泣くこともできまい。
「ガアァアアアアア!!ベエエエエエ……!」
刀に圧し掛かるような怪人の巨体に途端に押し込められそうになる。だが力の差はハナから青年も想定済みだった。
ありったけの力で一瞬押し上げるとクリーチャーは踏みとどまろうと身を乗り出す。直後、タイミングよく鞘から刀を抜きつつ脇に転がった。
「…スウウウウウ……!!!」
支えを失ったクリーチャーは両手でディオルコの空の鞘を掴んだままつんのめり、無様によろめいた。
間髪入れずクリーチャーの背後に打撃を入れようとディオルコが構えたが、その必要もなく『それ』は倒れた。
巨象が倒れたかのような音で、地に身を預ける。
ただ、転んだだけだ。鞘は今の衝撃でバラバラに砕け散った。
静寂。
ディオルコは待った。イブキも待った。
…怪物の眼が醒めるのを。
松明の火が燃え移り、崩れた酒場が燃えている。
「ヌグァアアアアア…!!」
再度クリーチャーの咆哮が木霊した。
―――この程度では、ダメか。
ディオルコも二度目の戦闘に備え、即座に構える。
怪物は突っ伏したまま、地面に拳を叩きつけている。そのまま立ち上がるかとも思えた。
「グ…、クゥ……!!」
様子がおかしい。
「………」
青年は構えを解いた。
「―――――――――べ、ス……、ベス………!」
男は泣いていた。
声だけで、さめざめと泣いていた。
巨体は変わらない。しかしその背中は、今やとても小さく、悲哀に満ちていた。
「すまない……!俺の、せいだ…!俺が悪い――――…!」
イブキも足を忍ばせディオルコの元まで来ると、怪物の姿を一目見、哀しい顔をした。
その間も、クリーチャーはただ自分を責めていた。
…止めてあげて正解だったんだ。
イブキは初めて、ディオルコの為したことを理解した。
バツの悪い空気が村に流れる。
燃える炎が爆ぜる中、暗い集落に怪物の慟哭が静かに響き渡った。
幼い子供の様な姿に異様なものを感じながらも、一人、一人と村人が籠っていた家屋から顔を出す。
怪人のその様子からしばらく目を離すことが出来なかったディオルコも、静かにベスの元へと足を向けた。
このままでは彼女にまで火が移る。
「亡くなった娘の世話をしていたのは、アンタだろう。」
青年がポツリと問いかけた。
イブキもあることに気が付き、遺体の状態をまじまじと見る。布や包帯が、比較的きれいだ。
「初めて会ったときあの娘は、とてもまともとは思えない状態だった。自分で出来るとは思えない、それなのに…清潔な包帯をきちんと巻いているのは誰だろうかと考えた。飯を用意したり、衛生を保ったり、そういう人物がいるなら一体誰だろうかと。答えは―――…あの犬が、ここへ連れてきた、アンタなんだろう?」
赤犬は、ベスの横に蹲りその顔を寂しげにぺろぺろと舐めていた。




