第十六柱 蛹
イブキとディオルコは次の村を目指して旅を続けていた。一方孤児院に残されたレディエンヌはミケーレと接触していた。
【蛹-さなぎ】
完全変態をする昆虫が幼虫期と成虫期との間に経過する特殊な発育段階。幼虫器官の退化と成虫器官の形成が起こる。はね・胸脚などを備えるがほとんど機能しない。蛹虫。
引用:大辞林 第三版
◆
―――『蛹』という形態がある。
幼虫から成虫へと変わる段階で、虫は硬い殻に覆われた『蛹』として、一部の器官を除いてその中身は一度ドロドロの油に分解される。ホルモンによって導かれ、不要なものは新たにこれから必要なものへと再構築される。
では納得のいくまで、何度も肉体を再構築し続けられるとしたら、どうだろうか。
…―――図らずも人間で形にしようとした者がいた。
素体を手に入れたその男と研究チームは、実験体を、油……有機物に戻す段階までは難なく成功した。
投与するホルモンを選び、表向きの実験とは別に、秘密裏に、それは何度も行われた。成果は目に見えるまでに時間がかかる。
一年目、失敗した。問題ない。また元の状態に戻せばいい。
二年目、また出来損ないだった。ところどころ惜しいところもあった。だが、まだ『アレ』を超えるには至らない…
三年目、退行した。昨年の結果は偶然によるものだというのか。
四年目、…おかしなことが起こる。在り得ないが、万全を期して、素体を守る『殻』で覆う。ひとまずは、私が過去にどこかの企業と合同開発した防護服でいいだろう。
だがしかし悪いことに、出来上がったのはまたしても『化け物』。この件に携わる人間は、私をかのフランケンシュタインと揶揄する。誤りだ、私は人間を造りたいのではない。
五年目。
今度はなんの間違いでも、気のせいでもない。
…―――油が、自我を持った。
馬鹿な!それが意味するところとは…!
精神とは!
警報が鳴り響く。
床をじわりと侵食する人口羊水が、赤いドットの生地で作られた男の奇抜な白衣を染め上げる。
男は待った。まるで人ではないその何かが、彼の方を向いて口を開くと期待してでもいるかのように。だが彼の作品は、男をゆっくりと一瞥しただけだった。
我を忘れた哀しき『化け物』は、何人もの犠牲を出し、殻に覆われたまま…それでも明白な意志をもって、背を向け悠然とその地を去った。
◆
「『ZA、KA、RA』…?」
ミケーレは薄暗い部屋に浮かぶ標的のリストに目を通し、思わずその名を口にした。
リストの最下段に『Diorco・Esparion-元赤錆- ≪討伐≫』…、元同僚の名とともに他懸賞額など諸々の情報が追加されているが、ミケーレは気にも留めない。
そのすぐ上に連なった名に思いを巡らせながら、葉巻を咥え、ぐうたらと椅子の背もたれに体を預けている。年のせいか近頃以前よりめっきり体が重い。が、その目は変わらず視線だけで人を射殺せそうな鋭さを持っている。
『ザカラ』?…何者だ?
コイツの情報だけ明らかに異質である。
『発見次第報告せよ、引き渡しに成功した者にのみ報酬―――…』
要はそういうことだった。それなりの金額だが、その処遇は生死問わずどころか…。はなから殺せることを期待していないようにも取れる。大体コイツを引き取りに来る連中もはっきりしない。
しかし最も異様なのは容貌に関する詳細だった。
『ゴーグル使用、全身オレンジ色・その他』
…なんだこれは?ふざけているのか?俺達に見つけさせようという気はあるのか?
小言の一つでも言いたくなった。最もこの部屋なら、苛立ち発狂して叫んでも漏れはしないだろうが。
数週間前にカルディナでの目撃情報があった、とあるからどんな者かと見てみれば。この手の職で一番面倒なのは『探し当てること』だというのに。もっとも、『読心術』を会得したミケーレはこの点で周りより秀でていたが。
…しかし、情報がこれでは。
ミケーレは床を蹴り椅子ごと、中空に浮くリストから遠ざかった。
どっちにしろ、ここからはしばらく動けんのだ。
ようやく、『Diorco・Esparion-元赤錆- ≪討伐≫』に目を落とす。
「…まさか今頃、遭遇してないでしょうね。」
アレは間が悪いのか良いのか分からない男だった。ヤツにより今、この『ザカラ』に余計なことをされても、こちらには一銭も入ってこない。それは不愉快だが、なんとなく今までの経験上、彼がこの『ザカラ』に見事に鉢合わせしていても不思議ではない気がして、ミケーレは一人無性におかしくなり鼻を鳴らして笑った。丁度ヤツが砂漠に旅立ったタイミングで、史上稀にみる規模の鉄砲水と砂嵐が発生したらしいことも、大いに彼を笑わせた。決して恨めしさからではない。
まさか、ということが起こる人物だ。いや、それは自分も同じか。
…どうせ死んではいまい。今はなぜか『≪討伐≫』すら笑えて見える。
妙に体が軽くなり、ミケーレは部屋を立ち去り、階段を下り始めた。
◆
「…あ、」
ぷっくらした唇に、浅黒くオリエンタルな顔立ち。
レディエンヌは、建物から出てきたミケーレと遭遇した。…が、直ぐに互いに無視をした。ミケーレなどは予期していたかのようにレディエンヌを空気として扱った。
今彼が現れたのは、リキが殺害された建物だ。…あれから時々目撃する。一体何をしているのか不明だが、これ以上この件に深入りすることが賢明でないことは、如何にリキに馬鹿扱いされていた自分でもわかった。
あれ以来、肌を出した服装をやめ、華美な装飾も外し、生まれつきソバージュ頭である髪を下ろしたレディエンヌは、焼却炉の入り口に静かに花を手向けた。
…あの後、遺体と、現実と対面してからが地獄だった。
◆
現実と対峙したレディエンヌは、真面目に取り合わなかった罪悪感と、押し寄せてくる感情に任せ、ただただ叫んだ、泣いた、錯乱したようにリキをさすり追い縋ったが、その感触はもう人のものではなかった。硬いが接合面の脆くなった、冷たい皮。
スラムで死体を見たことはあるが、触れようとさえ思わなかった。人ってこんなに冷たくなるのか、その冷たさに、血の通わない皮を、脂肪を、肉を感じて、しばらくほとんどの食事が喉を通らなかった。
悲しみと恐怖に眠ることを忘れ、奪われた睡眠が思考能力をも奪った。
誰があの二人を殺したとか、何で死んだとか、そんな話題があがる度、真実を糾弾出来ない自分を後ろめたく思った。
リキは―――!通りすがりの男に殺されたんじゃない!
被害者として死んだ、あの大柄な男に殺されたんだよ―――!!
こんなとき、信用できる友人がいればまた違ったのだろうが、その友人も危機から逃れるため、ディオルコ・エスパリオンによって砂漠に連れ出された。危険の伴う旅だから―――…そんな理由から、自分も連れていってくれという願いは聞き入れられなかった。
トイレも何もない部屋に篭るにも限界がある。元々独りになりがちであった彼女を、この状況では誰も見守ってはくれなかった。好奇の目を除いては。
「…でね、あの赤い服の男、JELVAに派遣されたはいいけど―――リキは邪魔する何かを見てそれで―――…」
知ったようにべらべらと喋り、同情するフリをしてなおも新しい情報を聞き出そうと纏わりつく連中を、レディエンヌは心から軽蔑した。こんな連中は何を言おうと好きなように事実を捻じ曲げる。
しかも悪いことに昔から人間嫌いな彼女は目を見て他人と話すことを恐れており、その結果手が出やすい性格に育っていた。
レディエンヌにつきまとう一人が、何も聞き出せずこのままではつまらないと思ったのか、話題をイブキに関することに変えた。
「ふん、でも意外よねぇ、あのイブキ・ビ・エラがさ!連れ去られたですって!何であの娘なわけェ?趣味が悪いと不思議なことも起こるものね、案外あの女もまんざらでも無かったんじゃないの、あの―――…」
その言葉にはどこか嫉妬も含まれていた。
レディエンヌはカッとなって胸倉を掴んだ。憔悴し、ブレーキが壊れていた。
「じゃテメエは違うってのか、アァ!?お前じゃあるまいしアイツがそんな変な理由でついて行くかよ!大体さっきから知ったような口で色々と!言っとくが本当は―――…」
レディエンヌは突如手を緩めた。血の気の引いた腕から力が抜けた。
「?何よ、フラフラのアンタなんか怖かないわよ!」
女生徒はレディエンヌをドンと突き飛ばしたが、それでもレディエンヌが自分を通り越し青い顔で何かを凝視している異常さに、はっと振り返る。囃し立てた取り巻きもそれに倣った。そして停止した理由を即座に理解した。
あの射殺すような視線。
灰色をモチーフにした人物。『ミケーレ・ランドレイ』が、眼鏡の奥からこちらを見ていた。
逆光が余計に彼の異常さを際立たせる。
ただならぬ雰囲気に加え、ミケーレはこちらに向けて距離を詰め始め、恐怖した女生徒達は脱兎のごとく逃げ出した。
一人になったレディエンヌはその場に硬直し動けなくなっていた。
蛇に睨まれたように足のすくんだ彼女は正直に、もうダメだ、と思った。
この男は真相を知ろうとする!
…その意味ではレディエンヌの予想は間違ってはいなかった。
「―――『本当は』、なんです?」
「ほ…本当は…え…?な、なにが…?」
何とか言葉を捻り出したレディエンヌは、疑問形で返した。
「『言っとくが本当は』。…質問に対し質問で返さないでください。」
「誰かに聞かれるのが心配だというのなら、ここには誰もいないと断言しましょう。無論、私の追及からは逃れられませんが。
『本当は』長髪の男―――『ディオルコ・エスパリオン』は少年を殺していない。」
「―――……」
「少年は、色の黒い、大柄な教師に殺された、そうですね?」
「―――――……!!」
レディエンヌは目を見開き余計なことを言うまいと唇を噛んで押し黙っていたが、ミケーレの前では無駄なことだった。
嘘をつこうとしているのか、そうでないのか…それくらいは判別できる。
具体的な詳細までは感じ取ることが出来なくとも、二択に絞り込んでしまいさえすれば彼は真実を知ることが可能なのだ。
彼と組もうとした誰もが、ミケーレのこの能力に苦労することになる。だが、
「それで、ディオルコはトギニを殺した…、そうでしょう?」
「……」
ミケーレにとっては、至極真っ当な憶測を語ったに過ぎなかった。しかしここでレディエンヌの心理は意外な動きを見せた。迷ったのだ。
ええと、結局…教師を殺したのはイブキじゃなく、あの男だっけ…?でも、それはとどめを刺したってだけだって…?
ミケーレはコンドルのようなその目には決して表情を出さず、密かに驚いた。
在り得ない。迷うはずがない。
もしもトギニがディオルコによって殺されたのではない、というならば―――…
「それはトギニが事故で…、あるいは自ら命を絶とうとした…ということですか?」
「…!?『それは』ってどういう…!アタシはまだ何にも!」
答えはいいえ、だ。
さらに現実から解離した質問を重ねなければならない。
「…少年と、相討ち…だった?」
「だから―――アンタさっきから何やって…!」
自分の返答を待たない問答にレディエンヌは怯えた。
答えはまたもいいえ、だ。
まさか!残された選択肢で、迷うようなものはもう一つしかない。
自分は『イブキ』という人物を知らない。だが子供…それも少女風情が、あのトギニを殺せるはずがない。傷つけることすら出来ないだろう。
それを、この娘は…迷う?
「……。」
少女がこの場から去った理由は、ディオルコが無理やり連れ去ったか、彼女がこの場にいてはいけない存在だったか、の二つが考えられた。
「…――――あの少女は、自分の意志でディオルコと共に出て行った…。そうですね?」
無言のレディエンヌの回答に対し、ミケーレは人差し指で眼鏡ごと自分の眉間を押さえた。
ミケーレは賢明だった。
聞きたいことは聞くことが出来た。これ以上の詮索は不要だ。
あの青年、ディオルコが厄介ごとに首を突っ込んでいるのは薄々勘付いていた。そして不穏な事実―――あの白子、白子と言えば『Barren』―――…自身の第六感が警鐘を鳴らすには十分だった。
この件は恐らく、自分の能力でどうにかなる範囲をゆうに超える。もちろんあの青年にとってもそうだ。とてもじゃないが、正気の沙汰ではない。
…―――アイツ、死ぬ気か?
待て、そこまで死に急ぐ男ではない。ヤツは恐らく、『運搬するだけ』に過ぎない。そうに決まっている。現状ではそれだけならまだ危険とは言えない。
だがどこへ?シファードか?持ち込んだ先に、もれなく滅びも運ぶつもりか?
そんな、それでは―――『北』には……
ミケーレにうっすらと不安が込み上げてきた。
「…アンタは、あの長髪の男の、敵なの?」
意図的にほったらかしていた目の前の少女が口を開いた。
「いえ、別に。」
「じゃあ…、味方?」
「いえ、別に。…ただ、」
「どんな人物かは、少しは知っているつもりです。」
淡々としたやり取りではあったが、少女の深い部分が揺らいだ。
レディエンヌはもう怯えてはいなかった。
「…助けてくれたんだ。」
ミケーレは特に驚きもせず、言葉の続きを待った。
「…リキを殺してなんかいないよ。アイツを殺したのは、あのトギニってヤツ。あの人はイブキをそいつから助けてくれたんだ。…それにその後、混乱するイブキとアタシの前に現れて、冷静に的確な指示をくれたよ。アタシに向けても、こう言った。」
『君、レディエンヌ―――いいか、何を聞かれても、知らぬ存ぜぬを貫き通すんだ。』
『それから、今後は出来るだけ敬虔な信者を装うんだ。それが君を守ってくれる。』
「何が正しいかなんて今も分からない。だけど…これで、良かったんだと思う…きっと。」
「…何故この話を、私に?」
「今ので何となく―――アンタは分かってたんだと思ったんだ、とっくに。」
あの時、JELVAの人間に問われた時、嘘の下手くそな自分に対して助け舟を出してくれたのだ。
「…じゃ、もう用がないなら、行くよ。…誰かに話せて楽になった。よかったよ。」
レディエンヌは踵を返した。
「―――安息が欲しければ、JELVAを好きになりなさい。」
不意に後ろから投げかけられた言葉に、レディエンヌは足を止めた。
「自分を信じて、欺きなさい。」
振り返ると、ロマンスグレーの髪色をした男が、葉巻を取り出し無表情に立ち去るところだった。
◆
ミケーレは、あれから自分に一度も干渉してこない。それが何よりの安心だった。
レディエンヌは祈りに固く閉じた目を開き、供えた白い砂漠ユリの向きを整え、立ち上がった。
確かに震えるほど安息を欲している。しかしその座に寛ぐ境地に達するには、まだ早すぎる。
ふと風に呼ばれた気がして、レディエンヌは風上を仰いだ。褐色の髪が揺れる。
―――運命は定まりつつあった。
◆
「じゃあなぁに!?私を試してたってわけぇ!?」
冷え込む夜の砂漠、一転してイブキの素っ頓狂な声が、コモドのスピードに吸い込まれた。
「お前は俺がなんでも知ってるみたいに思ってるみたいだけど、俺だってお前のことは何にも知らない。人間、突然金を持った時と、失ったときに本性が現れるからな。お前にちょっと多めのお小遣いを渡してみて、果たしてどう動くか興味があったワケよ。まあ途中までは大方予想通り…あそこまでバカをやるとは思ってなかったけどな。」
「うう…、それ何回謝ったらいいの…」
何度目かの厳しい指摘にイブキはへこみっぱなしだった。
「―――ま、でも。アレがお前らしさなんだろうなって、俺も思ったよ。」
ハンドルを握りそう話すディオルコは、いつの間にか笑っていた。
イブキは首を傾げたが、どこかほっとして嬉しくなった。
「結局、アレって何だったの?」
話は先刻の、砂上に突如として現れた朧げな都市に及んだ。
「…いや、俺もよく知らないんだ。かなり珍しい現象で、『蜃記楼』…だとか呼ぶ人もいるが、紛らわしいからあまり好きではないな。ただ、何故か大規模な気象異常の後に現れることが多いらしい…」
「…ああ、この間の鉄砲水と大砂嵐…」
「噂はどうやら本当らしいな。俺も幼少の時に雪山で、ブリザードの後見たことがあるんだ。」
「珍しい現象なんでしょ?人生で二回も見ることあるの?ディオルコ疫病神でも憑いてるんじゃないの?」
「…うっせえなあ…俺は他人より人生が濃すぎるだけ!…でだ、問題は、あの幻のようなモノに近づくと、気が狂ったり神隠しに遭うなんて言われてるんだよ。レアモンなだけに、報告例も少ないがな。だからあんな見晴らしのいい場所に出現したにも関わらず、俺達が見てる間も、あの村の誰も近づこうともしてなかっただろ。まああんなに薄らぼんやりしてたんじゃ、距離感もサイズ感も分かりはしないが…畏れられるべき対象なのさ、アレは。」
「俺が知ってるのはそれくらいさ。それよりイブキ、地図出してくれないか?ついでに方角も見てくれ。」
「あっほい。」
ブクさんから買い取った地図は、イブキに任されていた。
「次の村、『ファルマ』まで、順調だよー?」
「その次の『キルピス』まで、どのくらいありそうだ?直線距離じゃないぞ、山、あるだろ途中。」
確かに、遥か遠くに見えたあの旧火山に、随分近づいていた。
「うーん…?」
イブキが答えかけようとしていた時、ディオルコの視界が僅かに歪んだ気がした。
「!!!」
突然衝撃と共に凄まじい衝突音がし、次の瞬間イブキとディオルコはコモドごと空中分解した。
何かをハネた―――…!
さすが一心同体とも言うべきか、ディオルコはコモドに乗ったまま即座に体勢を立て直すと荒々しく砂地に着地し、何をはねたのか確かめようと振り返った。
「―――う、げっ…!なん…だァ…!?」
ギョッとするディオルコを前に、パラパラと砂がその体から落ちる。
2メートルを超える、薄オレンジ色の『人型をした巨大な何か』が、柱のように直立し、こちらを向いていた。
「くっ…!」
一方イブキは口の中が砂だらけのまま地面に這いつくばり、地図を握り惨めさを噛みしめた。




