第15話 正体の露見
戦況は、依然としてユウが圧していた。
だが、その優位にも少しずつ陰りが見え始めている。
「だッ!」
繰り出した拳が、ラグナエルの肩を捉えた。
身体が大きく弾かれる。
だが、ラグナエルはその勢いに逆らわず、自ら後方へ跳んだ。まるで風に吹き飛ばされたかのように身体を流し、そのまま数歩分の距離を取る。
純白の光を纏ったレオンハルトの身体は、傍から見れば圧倒的だった。地を蹴れば大地が抉れ、拳を振るった後から、遅れて打撃音が響く。
だが、その身体を動かしているユウは、焦りを募らせていた。
(なんで……効かないんだ!?)
拳も蹴りも、何度かラグナエルを捉えている。
だが、攻撃が入るたびに、その手応えは浅くなっていく。
その理由に、ユウ自身も薄々気づき始めていた。
拳を振るう直前、どこを狙うか考えてしまう。
考えた分だけ、動きが遅れる。どれだけ身体が強化されていても、動作の途中に迷いが入れば、その速さを活かせない。
喧嘩すらまともに経験したことのないユウが、突然、本物の殺し合いに身を置いているのだ。それは、無理もなかった。
「ふん」
ラグナエルが鼻を鳴らす。
その動きが、変わり始めている。
最初こそユウの速さに翻弄されていたが、今では拳の軌道を見切り、必要な分だけ身体を動かして避けるようになっていた。大きくかわす必要はない。少し身を引くだけで、拳は空を切る。
(見切られてる……!?)
焦りが、さらに判断を鈍らせていく。
考えれば考えるほど、動きが遅くなる。そして、そのことを意識するほど、次の動きにも迷いが生じた。
「うぁあああッ!」
苛立ちまぎれに拳を振り抜く。
ラグナエルは半歩下がっただけで、それをかわした。
「そう何度も同じ手が通ると思うな!」
ラグナエルも無傷ではない。
戦いの序盤には、ユウの攻撃が何度も直撃していたのだ。
動くたびに、僅かに顔を歪めることもある。身体の奥に痛みを抱えているのは明らかだ。
それでも、声にはもう動揺がない。その目がユウを捉え、その動きを冷静に見極めていた。
(このままじゃ、駄目だ!)
ユウは奥歯を噛み締めた。
(考えるから、遅れるんだ。なら――)
それならばと、ユウは難しく考えることをやめた。
ただ目の前の男に向かって、身体を動かす。それだけに全神経を集中させる。
「うおおおおッ!」
ラグナエルに向かって、一気に踏み込む。どこを狙うかなど考えない。
「なッ――」
ラグナエルは咄嗟に身を引こうとした。
だが、その瞬間、苦痛に顔を歪める。傷んだ身体が思うように動かず、回避が一瞬遅れた。
ユウはそのまま肩から突っ込み、ラグナエルの胴を正面から捉える。
「がはッ……!」
衝撃を受けたラグナエルの身体が後方へと大きく吹き飛ぶ。地面を何度も転がり、土煙を上げながら、ようやく止まった。
(いける……!)
ユウは地面に転がっていた、レオンハルトの剣へ目を向けた。
すぐに駆け寄って拾い上げる。
初めて握る剣の重みに、ユウは戸惑う。それでも、握り直して構えた。
倒れたラグナエルへ向き直り、剣を振りかぶったまま、ユウは一気に駆け出した。
*
大きく体勢を崩したラグナエルへ、ユウは剣を振りかぶりながら迫った。
これ以上ない好機だった。目の前には、まともに構えすら取れていないラグナエルがいる。ここで剣を振り下ろせば、それで終わる。
(――終わらせる)
そう思った、はずだった。
だが、いざ切っ先が届こうとした瞬間、腕が止まりかけた。
(……人を殺す、のか?)
その言葉が、ユウの頭に浮かんだ。
いくら相手が敵であろうと、人の姿をしていて意思もある。
喧嘩すらろくにしたことのない、ただの日本人だった自分が、人の命を奪う。
その一線だけは、どうしても越えられなかった。
振り下ろした剣は、狙いから外れ、ラグナエルの身体の外側を通った。
刃が捉えたのは肉ではなく、黒装束だけだった。
布が裂け、風圧でフードが捲れる。
「――え」
露わになった顔を見て、ユウは息を呑んだ。
灰がかった紫色の肌。額から伸びる、黒く鋭い二本の角。そして、人間よりも尖った長い耳。
「な……なんだ、その姿……魔族、なのか……?」
掠れた声が漏れる。
その一瞬の隙を、ラグナエルは見逃さなかった。
「――甘いな」
低い声と共に、ラグナエルの手が伸びる。
「――ッ、が……ッ」
首を掴まれ、身体が持ち上げられた。爪先が地面から離れる。
それでも、握り締めた剣だけは手放さなかった。
「殺意に、曇りがある」
至近距離から、紅い眼がユウを見据える。
「覚悟も技も足りていない。……先ほどまでとは、別人のようだ」
さらに、ラグナエルはユウの身体を覆う純白の光へ目を向けた。
「それに、その光にも陰りが見えてきているか」
その言葉通り、純白の光は少しずつ弱まっていた。
「もういい。再生する隙など与えん……心臓ごと、抉り出してくれる」
ラグナエルの空いた手に、蒼い光が集まり始める。
(――ここまで、なのか)
薄れていく意識の中、ユウの脳裏に、ロイやレオンハルト、仲間たちの姿が浮かんだ。
(ごめん、ロイさん……レオン……)
レオンハルトの身体を包んでいた純白の光が、静かに消えていく。
ユウの意識もまた、暗闇へと沈んでいった。握っていた剣が、その手から離れていく。
――だが
零れ落ちかけた柄を、指が強く握り直した。
*
ラグナエルの手刀が、レオンハルトの身体を貫こうとした。
――その時だった。
「な、にッ……!?」
その紅い眼が、大きく見開かれる。
背筋に走る悪寒。それを感じた瞬間、ラグナエルは反射的に身を引いていた。
だが、首元に迫っていた刃を躱しきれず、蒼い血が宙に舞う。
「ぐっ!?」
首を掴んでいた手が離れ、ラグナエルはよろめき、体勢を崩して地面へ倒れ込む。
至近距離。本来なら、剣を振るうことすらできない間合いだった。
それでも、死に体であったはずの男は、手首を返す最小の動作で、ラグナエルの首筋をその刃で狙ってきたのだ。
「ふ……ぅ」
短く息を漏らし、レオンハルトはその場に片膝をつく。
しばし、状況が理解できなかった。
気づけば、ラグナエルに首を掴まれていた。反射的に刺突を繰り出したが、直前の記憶が繋がらない。
(一体……何が起きた?)
レオンハルトは視線を落とした。
折れていたはずの骨も、抉られていた肩も、傷らしい傷が見当たらない。
戸惑いながら、意識を頭の中へ向ける。
いつもならそこにあるはずの、もう一つの気配。
絶えず頭の中へ響いていたユウの声が、今は何も聞こえなかった。
だが、考えている暇はない。
正面では、ラグナエルがゆっくりと身体を起こしていた。
黒装束が裂け、肌を晒している。捲れたフードから覗くのは、人ならざる異形の姿だった。
「……それが、貴様の正体か」
レオンハルトは立ち上がり、剣を構え直した。
「中身だけでなく、外面も……醜悪だな」
「減らず口を……」
ラグナエルの目が、鋭くレオンハルトを見据えた。
「また、気配が変わった……いや、戻った、というべきか」
その声には、隠しきれない戸惑いが混じっている。
「一体、なんなのだ、貴様は……」
レオンハルトに答えるつもりはなかった。
自分の身体に何が起きたのか。ユウはどこへ行ったのか。疑問はいくつも残っている。
だが、今は目の前の敵を倒すことが先だ。
(ロイ……仇は取ってやる)
それだけを胸に刻み、レオンハルトは地を蹴った。
振り下ろした剣を、ラグナエルが素手で受け流す。
得物を失い、負傷もしている。動くたびに苦痛が顔に浮かぶ。それでも、ラグナエルはレオンハルトの斬撃を凌ぎ、反撃を繰り出していた。
一進一退の攻防が続き、決定打を欠いたまま膠着しかけた、その時だった。
轟音と共に、地面が大きく揺れる。土煙が、勢いよく舞い上がった。
「なにッ……!?」
ラグナエルが反射的に動きを止める。
その土煙を突き破り、人影が一気に踏み込んできた。
「ぬぅッ!」
振り抜かれた拳を、ラグナエルは咄嗟に身を反らして躱す。
だが、続けて放たれた回し蹴りまでは避けきれない。
「がっ……!」
蹴りが脇腹を捉え、ラグナエルの身体が横へ吹き飛ぶ。
レオンハルトは、目の前を横切った人影へ視線を向けた。
土煙の中から姿を現したのは、一人の女だった。深緑の光が、その身体を包んでいる。
「フレデリカ……姉上……?」
呆然と呟くレオンハルトの声に、フレデリカは答えなかった。
外套を風にたなびかせ、ただ、ラグナエルを見据えている。
やがて、フレデリカは小さく息を吐いた。
「――派手に、やってくれたようね」
*
フレデリカの視線が、戦場をゆっくりと巡った。
「騒ぎを聞きつけてみれば……これはどういうことかしら」
その表情から、普段の快活さは消えていた。
地面に伏した兵たち。抉れた大地。目立った傷こそないものの、装備が激しく損傷しているレオンハルト。そして、その弟と対峙する異形の男。
フレデリカは、その男を見据える。
目の前にいる異形の男が、この惨状を引き起こしたのだと理解するのに、時間はかからなかった。
「――あんたが元凶ね」
それ以上の問答はなかった。
フレデリカが地を蹴る。
踏み込んだ勢いのまま、拳をラグナエルへ叩き込んだ。
「――ッ!」
ラグナエルは脇腹を庇いながら、拳を紙一重で受け流す。だが、続く二撃目、三撃目までは避けきれなかった。
「くっ……!」
拳が頬をかすめ、皮膚が裂ける。蒼い血が頬を伝った。
負傷と消耗を抱えたラグナエルにとって、フレデリカの攻撃は無視できるものではなかった。攻撃を避け、防ぐたびに、少しずつ追い込まれていく。
そこへ、蹄の音が近づいてきた。
「閣下ッ!」
馬を駆り、ヴォルフガングが戦場へ駆け込んでくる。
ラグナエルは、その姿を横目で捉えた。
万全であれば、まだやりようはあっただろう。
だが、今は傷も深く、消耗も激しい。目の前の女に加えて、もう一人が加われば、このまま戦い続けるのは危険だった。
ラグナエルは軽く肩を回し、翼の具合を確かめた。痺れは、もう残っていない。
「流石に分が悪い、か。……ここは退くとしよう」
フレデリカが再び拳を繰り出すが、ラグナエルは避けようとしなかった。
足裏で拳を受け止め、その勢いを利用して身体を後方へ跳ね上げる。
「な――」
驚くフレデリカを残し、ラグナエルの身体が宙へ舞った。
漆黒の翼が、大きく羽ばたく。
「待ちなさいッ――!」
フレデリカが追おうとするが、ラグナエルはすでに高く舞い上がっていた。
翼を広げたまま、夕闇の空へと遠ざかっていく。やがて、その姿は見えなくなった。




