第13話 圧倒的な力
ラグナエルの周囲に立ち昇る蒼い魔力が、見る間に膨れ上がっていく。
(くっ、これ以上は引き延ばせんか……!)
レオンハルトが判断した、その時だった。
「レオン様を、お守りしろッ!」
ロイの怒号が響いた。
護衛兵の肩を借りながら、ロイが立ち上がる。負傷した身体を引きずりながら、それでもレオンハルトの前へ進み出た。
その姿を見て、動揺していた護衛兵たちも我に返る。
「男爵様、加勢します!」
公爵家の女性騎士たちも、剣や短槍を構え直した。
「レオン様……俺も、まだやれます」
ロイが剣を握り直す。
「ロイ……無理はするな」
「無理は、お互い様でしょう」
軽口めいた言葉とは裏腹に、その目からはいつもの飄々とした色が消えていた。
「だ、男爵……! 私も、加勢を……!」
リゼットも杖を構え直そうとする。
だが、手も膝も、はっきり分かるほど震えていた。
「リゼット殿。ここは、俺たちにお任せを」
それを制したのは、ロイだった。
「貴女には、貴女にしかできないことがあります。……あの魔法の正体を、一つでも多く見極めてもらえると助かります」
「……っ、分かり、ました」
リゼットは唇を噛み、一歩後ろへ下がった。
レオンハルトはそれを横目に見て、ラグナエルへ向き直る。
男爵家の護衛兵、公爵家から随行した女性騎士、そしてロイ。
介抱されているエリザベートを除き、生き残った者たちが、レオンハルトを守るように展開した。
それでも、ラグナエルに焦りはない。
「数だけは多いな、人間ども。だが――」
ラグナエルが地を蹴った。
漆黒の翼が大きく羽ばたき、その身体が一気に上空へ舞い上がる。
「な……!」
護衛兵たちが、思わず足を止めた。
ラグナエルは遥か上空で身を翻すと、右手を天へ掲げた。
「蒼炎の精霊よ……我が手に集え!」
その頭上に、蒼白い焔の玉が生じる。
小さな火種は瞬く間に膨れ上がり、周囲から蒼い炎が次々と集まり始めた。
『同じだ、レオン!』
ユウの叫びが、レオンハルトの脳裏に響く。
『火の精霊たちが蒼く変わって、上へ巻き上げられてる! さっきの魔法が来るぞ!』
「――ッ! 総員、散開しろッ!」
レオンハルトの声に、兵や騎士たちが一斉に左右へ散った。
「“終焉の炎”!」
膨れ上がった蒼い炎が、幾つもの塊となって降り注ぐ。
「ぐっ!」
ロイが咄嗟に身を投げ出した。直後、炎が地面を直撃する。
「ぐあぁぁッ!」
逃げ遅れた数名の悲鳴が響いた。
蒼い炎に包まれた護衛兵たちの身体が崩れ、そのまま消えていく。
彼らの輪郭をなぞった、焼け跡だけが地面に残った。
「ちぃ……!」
レオンハルトは地面を転がり、片膝をついた。
(あの蒼い炎……触れたら終わりだ。存在ごと焼き尽くす、とでもいうのか……!)
額に汗が滲む。
敵は、たった一人。数の上では、まだこちらが勝っている。
だが、あの魔法を前にすれば、その優位にまったく意味はなかった。
*
残された兵たちは、目の前の惨状に声を失っていた。
「あ、あ……」
膝をつく者、へたり込む者。立っていられる者の数は、明らかに減っている。
少し離れた場所からその光景を見ていたリゼットは、息を呑んだ。
身体は震えている。
それでも、頭の中では先ほどから、いくつもの情報が整理されていた。
(……今の、さっきと同じ技だ)
最初に受けた奇襲。
あの時に見た蒼い炎による攻撃と、今の現象は寸分違わない。
だが、あれから今まで、ラグナエルは一度もこの大技を使っていない。使う機会など、いくらでもあったはずなのに。
(使わなかったんじゃない。……使えなかった、としたら)
脳裏に浮かんだのは、ラグナエルが口にした「蒼炎の精霊」という言葉だった。
そして、自らが検証してきた精霊の変異という仮説。
ロイの炎や、火の精霊石が力を失っていったあの現象。
点と点が、一つの線に繋がっていく。
(――異質に見えて、根は同じだ)
ラグナエルの力もまた、精霊を源としている。
精霊を取り込み、自らの力としているのだとすれば――大きな術ほど、多くの精霊を必要とする。それは、加護を宿す人間にも、ラグナエルにも変わらない。
精霊術を使う以上、避けられない制約なのだ。
(だから……一度使ったら、すぐには使えない)
先ほどの攻撃で、ラグナエルは周囲の火の精霊を大量に取り込んだのだろう。
ならば、再び同じ規模の術を使うには、精霊が集まるまで時間が必要になる。
「男爵――」
思わず声に出しかけて、リゼットは寸前で口を閉ざした。
絡繰りに気づいたことを、わざわざ敵に知らせる必要はない。
リゼットは周囲を見渡す。
視線の先に、自分が乗っていた馬車があった。その屋根の梁に、火の精霊石が組み込まれたランタンが一つ、風に揺れながら、明かりを灯していた。
(――あれだ)
リゼットは弾かれたように駆け出し、震える手を伸ばして、ランタンを掴み取った。
*
「さて、邪魔者はいなくなったな」
上空のラグナエルが、静かに告げた。
「あの力を見せてみろ。さもなくば……ここで朽ちるがいい」
槍の穂先が翻る。同時に、ラグナエルの身体が錐揉みしながら急降下した。
「――ッ!」
レオンハルトは横へ跳び、辛うじて軌道を外す。
だが、完全には避けきれなかった。伸びた穂先が左肩をかすめ、肉を抉る。
「ぐっ!?」
着地したラグナエルは、そのまま槍を薙ぎ払った。レオンハルトは後方へ大きく跳び、間一髪でかわす。
(間合いは広い……だが)
相手の得物は長槍。離れている間は厄介だが、懐に入り込めば、その長さは扱いづらさにもつながる。狙うなら、そこだ。
レオンハルトは地を蹴り、一気に間合いを詰めた。
剣を叩き込める。そう確信した刹那――。
(――ッ!)
背筋を走った悪寒に従い、咄嗟に身を沈めて横へ飛ぶ。
直後、轟音が響いた。
魔力を帯びた槍が地面を叩き、土塊が周囲へ飛び散った。
「ほう。よく避けたな」
ラグナエルの口端が上がる。
レオンハルトは地面を転がりながら距離を取り、大きく抉れた大地を見た。先ほどまで、自分が立っていた場所だった。
(たまたま避ける方向が良かった。今のを……受けていたら)
考えるまでもない。致命傷になっていた。
その事実に、背筋が冷える。
『レオン……俺には、奴の魔力の流れが分かる』
ユウの声が、脳裏に響いた。
『さっきの攻撃の直前、奴の魔力が一箇所に集まってた。あの異常な速さは、溜めてた魔力を一気に解放したんだと思う』
レオンハルトの目が僅かに見開く。
『次に大きく動いたら、どこへ来るか伝える。細かいことは言わないから、後はお前が判断してくれ』
「……分かった」
レオンハルトは剣を構え直した。
ラグナエルが槍を突き出す。レオンハルトは穂先をかわし、そのまま懐へ潜り込んだ。剣を振るうが、槍の柄に受け止められる。
続けて放たれた蹴りを身を捻ってかわし、再び斬り込んだ。
激しく刃を交えながら、レオンハルトは相手の動きを見極めていく。その時――。
『正面、左だ!』
「――ッ!」
声に反応し、レオンハルトはラグナエルの右へ回り込んだ。
直後、ラグナエルが左上から槍を薙ぎ払う。衝撃波が地面を抉り、土煙が舞った。
(速い、だがッ!)
レオンハルトは土煙を抜け、再び斬り込む。
槍の連撃をかわし、剣を振るう。ラグナエルがそれを受け流す。その攻防を繰り返すうち、レオンハルトの動きから無駄が減っていった。
『上!』
レオンハルトは横へ跳ぶ。
直後、槍が地面を叩いた。着弾の衝撃が、遅れて足裏へ伝わってくる。
(これなら……)
自分には見えない魔力の動きを、ユウは捉えている。ならば、それを利用すればいい。
一方、ラグナエルは違和感を覚えていた。
(……妙だな。先ほどまでとは、動きが違う)
雷の加護による身体強化には遠く及ばない。
それでも、目の前の人間の動きは、並の身体能力を明らかに上回っていた。
それだけではない。まるでこちらの攻撃を予知しているかのように、レオンハルトの動きは少しずつ洗練されている。
(加護の気配は、感じぬというのに――)
その思考が、ラグナエルの反応を僅かに遅らせた。
レオンハルトが地を駆ける。繰り出された剣を、ラグナエルは槍の柄で受け止めた。ガキッ、と鈍い金属音が響く。
刃を押し合う向こう、レオンハルトの視界の端に、体勢を立て直したロイの姿が映った。息を整えながら、剣を構えている。
(ロイ……!)
レオンハルトは一瞬だけ剣先を落とし、上半身を開いた。
ラグナエルはそれを見逃さず、間合いを詰めて槍を突き出す。レオンハルトはその軌道を見切り、身体を沈めながら剣を返した。
レオンハルトが槍を引きつける。その瞬間を逃さず、ロイが踏み込んだ。
「うおおおぉぉ!」
裂帛の気合と共に、左側から斬り込む。
前後から、ほぼ同時に二人の剣が迫った。
「無駄だ」
ラグナエルは低く呟くと、地を蹴った。二人の間を抜け、そのまま真上へと跳び上がる。
両者の剣が虚しく空を切った。
「まとめて、消し去ってやろう」
ラグナエルが右手を再び、天へと掲げる。
「蒼炎の精霊よ――」
だが、そこで言葉が途切れた。
呼びかけに応じるはずの精霊の気配が、あまりにも薄い。
掌の上に生まれかけた蒼い炎も、先ほどとは比べものにならないほど小さく、揺らいでいる。
ラグナエルの紅い瞳が細められた。
視線を巡らせた先、戦場から少し離れた茂みで、一際大きな炎が燃えていた。橙色の光、火の精霊たちがその周囲へ集まっている。
「――小癪な真似を」
ラグナエルが吐き捨てる。
そして初めて、戦場の隅にいたリゼットへ視線を向けた。リゼットは布や縄、書類の束を次々と炎へ投げ込んでいる。
炎を絶やさないために、周囲の物を集めて燃やしているのだ。
上空でラグナエルの動きが止まる。その瞬間を待っていた者がいた。
*
「エリザベート様……!」
女性騎士の一人が、悲鳴じみた声を上げる。
その傍らで、脇腹を押さえたエリザベートが立ち上がろうとしていた。折れた骨が痛むのか、顔は蒼白になっている。
「大丈夫、まだ……動ける」
短く答えると、エリザベートは剣を地面に突き立て、それを支えに身体を起こした。
魔力で強化された身体能力を頼りに、どうにか両足で立つ。
視線の先では、上空のラグナエルが動きを止めていた。
レオンハルトとロイが攻め込み、リゼットが精霊を引き寄せた。その連携によって生まれた、ほんの一瞬の隙。
もう、満足に力の入らない体だ。
放てるのは、恐らくこれきり。見逃せば、二度とは巡ってこない好機だった。
ゆえに――残った力の全てを注ぎ込む。
エリザベートは剣を握り直した。
「……雷の精霊よ、天の怒りを束ね、万象を穿てッ!」
紡がれる詠唱に、周囲の空気が、パチパチと音を立て始める。
周囲に漂う雷の精霊が、剣先へと眩いほどの光となって集束していく。
「――“天雷”!!」
刀身から放たれた極大の雷光が、真っ直ぐに天を穿った。
*
雷光は、飛翔するラグナエルの左翼を正確に捉えた。
「ぐ……ッ」
翼を雷光が貫通し、ラグナエルの身体が大きく傾く。抑えきれなかった呻きが漏れた。
体勢を崩したラグナエルは、そのまま地上へ降下する。片膝をついて着地し、衝撃を受け止めた。
「……ちっ」
ラグナエルは忌々しげに左翼を見る。
翼の一部が焼け焦げ、強い痺れが残っていた。
その瞬間、ロイが動いた。
傷ついた身体を引きずりながら、ラグナエルへ向かって駆ける。それを見たレオンハルトも、迷うことなく地を蹴った。
二人の間に言葉はない。だが、何を狙っているのかは分かっていた。
『奴の魔力が乱れてる! 今なら、いけるッ!』
ユウの叫びが、レオンハルトの脳裏に響く。
「はぁぁッ!」
ラグナエルが体勢を崩している。
レオンハルトもユウも理解していた。ここを逃せば、もう勝機はない。
狙うは今――その一点において、二人の意識が一瞬、重なり合った。
――その刹那。
レオンハルトが握る鋼の剣に、純白の光が宿った。
「ぬう!?」
ラグナエルの目が、初めて驚愕に見開かれる。
咄嗟に槍を持ち上げ、防ごうとした。だが、その背後からロイの剣が迫る。
ラグナエルは身体を捻り、紙一重で斬撃をかわした。
その回避で体勢が大きく崩れ、正面から迫る光の刃を避けきれない。
白い光を帯びた切っ先が、僅かに逸れたラグナエルの頬を掠めた。浅く裂けた皮膚から、蒼い血が一筋、伝い落ちる。
「く……!」
ラグナエルが数歩後退する。
その一瞬だけ剣を包んでいた純白の光は、霧散するように消え去った。
「――ようやく出したか」
その声には、わずかな驚きが残っていた。
ラグナエルは頬の血に指先で触れ、それを一瞥する。
「……だが、この程度とは。杞憂だったようだな」
「まだだッ!」
敵が怯んだと見たレオンハルトは、すぐさま地を蹴った。だが――。
「ぐ、は……ッ!」
突き出された槍の石突が、腹を捉えた。
メキッという嫌な音とともに、レオンハルトの身体が宙へ浮く。
「もはやお前に用はない。遊びは終わりだ」
「レオン様ッ!? この野郎!」
満身創痍のロイが、それでもレオンハルトの前へ駆け出した。
『あ、遊び……? これまでのは、本気じゃなかったのか……』
ラグナエルの言葉に、ユウの声が震える。
「目障りだ」
「ぐあっ!?」
ラグナエルが足を振る。ロイの身体が吹き飛び、地面を転がった。
「ロイ……!」
レオンハルトは剣を地に突き立て、それを支えに身を起こそうとした。
だが、腹に力を込めた途端、裂けるような激痛が走る。立ち上がるどころか、顔を上げるのがやっとだった。
「……いや、もう一つ答えていなかったな」
その手が伸び、レオンハルトの胸元を掴んだ。
「が、ッ……!」
そのまま強引に引き上げられ、身体が宙に浮く。
胸倉を締め上げられ、呼吸が苦しくなる。視界も次第に霞んでいった。
『やめろ……! レオンを、離せよ、この化け物ッ!!』
脳裏で、ユウが叫んだ。
「先ほどの光……貴様以外に使える者はいるのか」
紅い眼が、至近距離からレオンハルトを見据える。
「精霊の『恩恵』は、微塵も感じられん。それでいて、あの光を纏う……」
ラグナエルの指に、さらに力がこもる。
「その力は、どこから来る?」
レオンハルトは答えなかった。
代わりに、震える唇を歪めて笑ってみせる。
「……貴様如きに、教えてやる義理は……ない」
血の混じった口から、それだけを絞り出す。
ラグナエルは眉をひそめた。
「……つまらん強がりだ」
興味を失ったように、レオンハルトの身体を地面へ投げ捨てる。
「もうよい。その身ごと、この世から消し去ってやろう」
地面に伏したレオンハルトへ、ラグナエルが手を向ける。
その掌に、蒼い光が集まり始めた。
「蒼炎の精霊よ、その凝縮せし熱禍を以て、万象を塵へと変えよ」
(……ここまで、か)
薄れていく意識の中で、レオンハルトはそれでもラグナエルから目を逸らさなかった。
「“蒼炎獄”!」
その時だった。
地に伏していたはずの影が、動いた。




