第12話 精霊を奪う者
「ようやく会えたな」
フードの奥から覗く紅い双眸が、まっすぐにレオンハルトを捉えていた。
その右手には、身の丈を超えるほどの漆黒の長槍が携えられている。
「貴様は、あの時の……」
レオンハルトの脳裏に、かつての光景が蘇った。
カイルらが何者かに操られた際、はるか上空からこちらを監視していた者。
あの時と同じ黒装束。そして、その背に伸びる漆黒の翼も見間違えようがない。
「何者だ。言葉を話す魔物なのか、それとも――」
問いかけるレオンハルトに、男は答えなかった。
代わりに、肩や衣服に付いた土埃を払うように、軽く身を動かす。
そして、フードの奥で口元を歪めた。
「人に名を問うのであれば、まず己から名乗るのが礼儀ではないのか?」
嘲笑するような声だった。
「人間というのは、そんなことすら弁えぬらしいな」
皮肉と侮蔑を隠そうともしない。
男はフードを目深く被っていて、その正体までは窺えない。
だが、少なくとも言葉が通じるのであれば、戦う前に引き出せる情報はある。
「……レオンハルト・フォン・アルヴェイン。この地を治める領主だ」
レオンハルトが名乗ると、男は興味深そうに声を上げた。
「領主、か……やはりな」
男の目が、レオンハルトを値踏みするように見つめる。
「その若さで……立派なものだ、とでも言っておこうか」
言葉とは裏腹に、その声音に賞賛の色は微塵もない。
「……貴様は何者だ?」
レオンハルトが再び問う。
男は、しばし黙っていた。やがて――
「我が名は、ラグナエル」
男が名を告げる。
その直後、黒いローブの裾が僅かに揺れた。手にした槍を、静かに地へと突き立てる。
「――愚かな神に代わり、人間を断罪する者だ」
ラグナエルの周囲から、濃密な蒼い魔力が立ち昇った。周囲の空気まで震えるほどの、異質な力だった。
「レオン様、お下がりを」
ロイが前に出た。腰を落とし、剣を構える。
「……俺の部下を、あんな目に遭わせておいて」
地面に残る焼け跡を一瞥する。剣を握る手に、力がこもった。
「このまま、黙って見ているわけにはいきません」
「ロイ、待て――」
レオンハルトの制止よりも早く、ロイは地を蹴った。
「火の精霊よ、我が呼びかけに応じ、彼の者を焼き尽くせッ!」
抜き放った剣身に、燃え盛る炎が纏わりつく。
火の精霊石の補助ありきではあるが、幾年もの実戦で繰り返し使ってきた、ロイにとって最も扱いやすい一撃だった。
「“焔刃”!」
袈裟懸けに振り下ろされる剣。
だが、その刃がラグナエルへ届くより早く、剣身を覆っていた炎に異変が起きる。
炎が、剣先から見る間に消失していく。
「な……」
ロイの手に残ったのは、ただの鋼だった。
地に突き立てていた槍を、ラグナエルが片手で無造作に引き抜く。振り下ろされたロイの剣は、その柄に難なく受け止められた。
「無粋なやつだ」
低い声と共に、ラグナエルの手首が返る。跳ね上がった石突きが、ロイの鳩尾を深く打ち抜いた。
「が、はっ――」
ロイの体が後方へと吹き飛ぶ。
地面を幾度も跳ね、泥を巻き上げながら転がり、ようやくその場で止まった。
「副団長ッ!」
男爵家の護衛兵の一人が、ロイのもとへ駆け寄った。
『ろ、ロイさんっ……! なんだよ今の、何が起きた……!?』
脳裏で、ユウが悲鳴じみた声を上げる。
ロイには、何が起きたのか分からなかった。
剣に纏わせたはずの炎が突然消え、その直後にラグナエルの一撃を受けた。
魔力による身体強化はかろうじて維持されている。火の加護自体が消失したわけではない。
だが、ユウには別の光景が見えていた。
ロイの剣に宿っていた火の精霊たちが、ラグナエルへ引き寄せられていく。
逃れようとする間もなく、その存在がラグナエルの中へと取り込まれ、そして――橙色だった輝きが、濁った蒼へと変わっていった。
『あいつ……ロイさんの精霊を、奪いやがった……!』
「精霊を……奪う、だと……!?」
ユウの声が、恐怖に震えていた。
脳裏に響くその言葉に、レオンハルトの表情が強張る。
「あなたたちは下がりなさい。私たちが抑えますッ」
エリザベートの声が響いた。剣を抜き、前へと進み出る。
エリザベートは小さく息を吐いた。
青白い光が彼女の身体を走り、瞬く間に全身を包んでいく。
それに合わせ、左右へオルトリンデ家の女性騎士たちが展開した。
「ふむ……」
ラグナエルの目が、わずかに見開かれる。
「雷の加護、か。多少は骨があるようだな」
値踏みするような言葉とともに、槍の穂先をエリザベートへ向ける。
「――はぁッ!」
エリザベートが踏み込む。
加護によって強化された速度で一気に間合いを詰め、ラグナエルの背後から剣を振り抜いた。
(――とった!)
手応えを確信した、その刹那。
「なっ……!?」
振り抜いた剣は、硬い音を立てて止まった。見えぬはずの背後で、槍の柄がいつの間にか返され、寸分違わずその軌道を防いでいる。
「所詮は、人間ということか」
「くっ……!」
エリザベートは即座に剣を引き、距離を取った。
「エリザベート様、お任せください!」
その隙を埋めるように、女性騎士たちが一斉に踏み込む。
剣や短槍の柄頭には、火の精霊石が組み込まれていた。炎を纏った刃が次々と迫る。
だが、切っ先が届くより早く、ロイの時と同じように炎が掻き消えた。
炎を失った得物の連撃を、ラグナエルは片手の槍だけで、いなすように弾いていく。
「そんな、火の精霊石が!?」
後方からリゼットの声が上がった。
武器に組み込まれていた火の精霊石が、見る間に灰色へと変わっていく。
『同じだ。精霊石の中にいた火の精霊も、あいつが取り込んだんだ!』
ユウが戦慄する。
その視界には、精霊石が蒼く濁った直後、その内部にいた火の精霊までラグナエルへ引き寄せられ、取り込まれていく様子がはっきりと映っていた。
女性騎士たちが連続して攻撃を仕掛け、ラグナエルの意識を引きつける。
その間に、エリザベートは剣を引き、静かに構え直した。
「雷の精霊よ、我が呼びかけに応え、全てを薙ぎ払え!」
エリザベートの身体から、剣へと一筋の稲光が走る。
「“雷刃”!」
詠唱が終わると同時に、紫電が刀身を激しく包み込んだ。
女性騎士たちは即座に左右へ退き、エリザベートの前から身を引く。
「ほう」
それを見たラグナエルが、初めて槍を両手で握り直した。
雷の加護によって強化された身体能力。その力を乗せた、目にも留まらぬ踏み込み。
エリザベートは二撃、三撃と間を置かず斬り込んでいく。だが――
(当たらない……!?)
剣筋はことごとく、槍の柄によって受け流されていく。最小限の動きで軌道を逸らし、あるいは石突きで弾き返す。ラグナエルの足運びに、無駄は一つもなかった。
「雷の精霊……哀れなことだ。全てを置き去りにするその雷速も、使い手が人間ではな」
刃が交差するたび、紫電が空を切る。
一見すれば、激しい攻防が繰り広げられていた。
だが、エリザベートの表情には次第に焦りが浮かび始めている。それに対し、ラグナエルにはいまだ余裕があった。
『レオン、聞いてくれ』
戦闘の最中、レオンハルトの脳裏にユウの声が響いた。
『あいつの加護は、火だと思う』
レオンハルトの眉が僅かに動く。
『ただ、ロイさんや国王様とも全く違う。変質した火の精霊……そのものを、加護にしているように見える』
(……変質した精霊の加護、だと?)
これまで知られている加護とは、あまりにも異質なものだった。
だが、先ほどの騎士たちを消滅させた攻撃や、火の精霊に起きている異変を思えば、あり得ないとも言い切れない。
レオンハルトは考えを巡らせながら、二人の攻防を目で追い続ける。
以前の模擬戦とは違う。
エリザベートには、急所を狙うことへの躊躇がない。最初から全力で、ラグナエルを仕留めるつもりで斬り込んでいる。それでも、相手を捉えきれてはいない。
(あの男は、まだ本気ではない)
エリザベートの剣が、ラグナエルの肩口へと迫る。
「――ッ!」
今度こそ捉えたと思った一撃を、ラグナエルは槍の柄で正面から受け止めた。
「次は、こちらの番だな」
ラグナエルの表情が変わった。
低く構えられた槍が、唸りを上げて薙ぎ払われる。
(――退がったら、やられるッ!)
刹那の判断だった。エリザベートは咄嗟に、退がる代わりに前へと踏み込んだ。槍の間合いの内側へ、身を投げ出すようにして潜り込む。だが――
「かはっ……」
致命的な一撃は避けられたものの、槍の腹の部分が脇腹に打ち込まれた。
エリザベートの体は大きく吹き飛び、そのまま地面に叩きつけられて動きを止める。
「エリザベート様ッ!」
女性騎士が二人、駆け寄った。
動けなくなった主の身体を抱き起こす。そのうち一人がエリザベートの脇腹へ手をかざした。手元に淡い水色の光が集まり、傷を癒そうとする。
だが、ラグナエルはそれを見下ろしたまま、ゆっくりと槍を構えた。
「――待てッ!」
レオンハルトが、剣を構え一歩前へ出る。
「まだ話は終わってないはずだ。貴様の目的はなんだ?」
レオンハルトは、ラグナエルを正面から見据えた。
ロイだけではない。雷の加護を持つエリザベートでさえ、まともに一撃を与えることすらできなかった。
(正面から挑んでも、勝ち目はない)
それは、もう十分に分かっている。
相手がその気なら、こちらはとうに全滅している。
それでもラグナエルは、ロイが仕掛けるまでこちらとの会話を続けていた。
ただの殺戮が目的なら、わざわざ言葉を交わす必要などない。
(……奴は、何かを確かめようとしている)
ならば、その意図を探る価値はある。
その間、女性騎士の一人がエリザベートの脇腹へ手をかざしていた。水の精霊が淡い光となって集まり、傷を癒していく。
深い傷がすぐに塞がるわけではない。治癒は少しずつ進んでいるものの、エリザベートが再び動けるようになるには時間が必要だった。
(――ならば、その時間を稼ぐ)
レオンハルトは、ラグナエルから目を逸らさないまま、静かに言葉を続けた。
「貴様は、私に用があるのだろう?」
レオンハルトは、あえて挑発するように言葉を重ねる。
ラグナエルの目が、まっすぐにレオンハルトを捉えた。
「……時間稼ぎのつもりか。小賢しいな」
その声には、わずかな苛立ちが滲んでいた。レオンハルトの目が細くなる。
ラグナエルは周囲を見渡した。
地面に倒れ伏すロイや、痛みに呻くエリザベートたち。
その様子を確認すると、フードの奥で口の端をつり上げた。
「だが、無力な人間に慈悲を与えてやろう」
視線が、レオンハルトへと戻る。
「我が目的は、お前だ」
「私、だと?」
レオンハルトは眉をひそめた。
ラグナエルは一歩ずつ距離を詰めながら、言葉を続ける。
「お前が使った、あの『光』について教えろ。あの力は何だ。どういう原理で、我らの術を打ち消した?」
さらに一歩、踏み込む。
「……そして、他にもあれを使える者はいるのか?」
(我『ら』か……)
その一言を、レオンハルトは聞き逃さなかった。
ラグナエルの背後には、同じ目的を持つ者たちがいる――そう考えるべきだろう。
『レオン……こいつ、あの時のこと言ってるのか?』
ユウの声にも、緊張が滲んでいた。
レオンハルトの脳裏に、カイルたちと戦った光景が蘇る。自身の身体から漏れ出した、純白の光。カイルを一瞬正気に戻し、黒い石の呪縛を打ち破った、あの力だ。
(あの光は、奴らにとっても未知の力なのか)
レオンハルトは答えず、ラグナエルを見返す。
ラグナエルは、槍の穂先をゆっくりとレオンハルトへ向けた。
「素直に全てを吐くというのなら、そこの虫けら共は見逃してやってもいいぞ」
レオンハルトは視線を逸らさなかった。
(やはり、こいつはあの光を知りたがっている)
ロイも、エリザベートも、ラグナエルにとっては二の次だ。
問題は、あの光。そして、それを使える人間が他にも存在するのかどうか。
ならば、ここで余計な情報を与えるわけにはいかない。
レオンハルトは静かに息を吸った。
「……何のことだ」
素知らぬふりを通す。
「私には、貴様が何の話をしているのか見当もつかんな」
そう言葉を重ねた。
(……この男の言葉に、乗る価値はない)
たとえ全てを話したところで、この男が約束を違えぬという保証はどこにもない。
そもそも、ラグナエルが見逃すと言ったのは、ロイやエリザベートたちのことだ。
レオンハルト自身の命については、一言も触れていない。
「……ふん」
ラグナエルは鼻を鳴らした。
「あくまで白を切るというのなら、それでも構わん」
槍を握る手に、力がこもる。
蒼い魔力が、ゆっくりとラグナエルの周囲に集まり始めた。
「直接、その身に訊いてやろう」
その瞬間、ラグナエルの全身から立ち昇る蒼い魔力が、さらに色濃く、禍々しく膨れ上がった。




