第3話 領地襲撃
厚手の軍服に腕を通し、レオンハルトは手早く身支度を整えていく。
『お、おい……! 本気かよ。まさか、お前自身が戦場に出るのか!?』
狼狽したユウの声を、表情を変えずに聞き流した。
「当たり前だ。これが私の『役目』だ」
『はぁ!? 正気かよ、お前まだ子供だろ! 領兵に任せとけよ。……だいたい、その』
急に言葉が濁った。言うべきか迷っている様子だったが、やがて抑えきれなくなったように続ける。
『……お前、親はどうしたんだ。こういう時、普通は……領主である父親が対処するものだろ?』
留め具にかけていた手が、僅かに止まった。しかしそれも一瞬のことで、テキパキと身支度を整えていく。
「……父上はここにはいない」
『え?』
返答まで、わずかな間があった。
レオンハルトは一度目を伏せる。それから顔を上げた時には、すでにいつもの落ち着きを取り戻していた。
「それに私はもう十六だ。この国ではとうに成人している」
『十六……って、まだ高校生――』
「ここは私の土地であり、私が守るべきもの」
ユウの言葉を遮り、剣帯を締め直した。背に掛けた剣の柄を、確かめるように強く握りしめる。
「――私が領主だ」
その一言に、ユウは何も言い返せなかった。
『……う、嘘だろ。こいつ、ただの生意気な貴族の坊っちゃんだと思ってたのに。……その年で領主、だったのか』
返事はしなかった。ただ、小さく鼻を鳴らす。
「話は終わりだ。今、貴様と問答をしている時間はない。魔物が領内に踏み込む前に駆逐する」
そう言い残し、レオンハルトは私室を出た。廊下の先、執事のセバスが影のように寄り添ってくる。
「兵たちは?」
「は。ヴォルフガング様の号令の下、既に中庭へ整列しております」
館を出て石畳の広場へ降りる。
そこには三十名ほどの兵士が集まり、馬を並べていた。簡素な革鎧を身につけ、各々が出陣の準備を終えている。
そこへ、重厚な鎧の音を響かせ、一人の大男が歩み出た。
灰色の髪、そして右頬に深く刻まれた古傷。歴戦の勇士を思わせるその男は、主君の姿を認めると拳を胸に当て、深く一礼する。
「準備は整っておりますぞ、閣下」
老騎士の手には、身の丈に迫るほどの戦槌が握られていた。
「ヴォルフ、戦況は?」
レオンハルトに問われ、騎士団長――ヴォルフガング・バルクホルンは顔を上げた。
「北の森奥より進軍中の魔物は、二百を超えると見ております。主力はオークとゴブリンの混成。加えて――」
ヴォルフガングが一度言葉を切る。その目は主を真っ直ぐに見つめていた。
「ハイオークなどの上位種が数体。そして、厄介なことに魔猪も一体確認されております。現在は森の手前にある砦で食い止めておりますが……」
「デ、デモンボアですと!?」
セバスの声が上擦った。目を見開き、思わず胸元へ手を当てる。
「あれは我が男爵家の兵だけでは、到底太刀打ちできる相手ではありません! しかも二百を超える魔物……これはもう襲撃ではなく、侵略です! レオンハルト様、どうか御父君――伯爵様へ救援を!」
レオンハルトは手を上げ、セバスの言葉を止めた。
「不要だ」
「……は?」
『な、なんでだよ!? セバスさんの言う通りじゃないか!』
セバスが呆気に取られるのを見て、ユウが抗議の声を上げる。だが、レオンハルトは答えない。そのまま、ゆっくりと息を吐いた。
「セバス、忘れたわけではあるまい」
「一年前、私がこの地へ赴任したばかりの頃だ。隣領のヤーガー子爵が、この領へ狂暴な魔獣を『偶然を装って』誘導したことを」
「それは……確かにございました」
セバスは一瞬視線を泳がせ、それから慎重に言葉を選んだ。
「あの時はヴォルフガング様の武勇と、レオンハルト様の策によって魔物の群れを壊滅させました。ですが、今回は規模が違います」
レオンハルトは首を横に振った。
「規模だけではない。今回の襲撃……オークにゴブリン、ハイオーク。それにデモンボアだと? 奴らの習性は違う。本来なら同じ群れを作るはずがない。なぜこれほどの種が混在し、統率されているのだ?」
『そ、そりゃあ……偶然じゃないのか? たまたま同じ場所に集まって、そのまま一緒に来たとかさ』
ユウの言葉を聞き流し、鋭い眼差しがセバスを射抜く。
「これは偶然ではない。何者かが魔物を誘導している。しかも、これだけの数をまとめて動かせるだけの力を持っている」
「……魔物を、操っていると?」
信じられないという表情を浮かべながらも、セバスは言葉を返せなかった。
「そう考えるべきだ」
レオンハルトは言い切った。兵たちの間にもざわめきが広がる。
「まさか……」「どうやって……」と口々にしながらも、否定の言葉は出てこなかった。これほど異なる魔物が集まり、統率されている理由を、他に思いつけなかったからだ。
ヴォルフガングが顎髭に手をやり、口を開く。
「そうおっしゃると思っておりました。このような雑多な群れが、自然に集まったとは考えにくいですからな」
「ということは、今回も……?」
セバスの問いかけに、レオンハルトが答えようとした、その時だった。
「ま~た、ヤーガー子爵の『悪戯』ですかねぇ。だとしたら、今度は随分と派手にやってくれたもんです」
兵たちの列から、軽い声が飛んできた。
赤髪を短く刈り上げた男が歩み出る。副団長のロイだった。
「種族を越えて仲良く行軍とは。魔物同士で宴会でも始めるつもりですかね」
『なんだ、この人……。騎士なのに、ずいぶん軽いな』
ユウの声が頭の中に響いた。騎士というものを、もっと真面目で堅苦しいものだとイメージしていたのだろう。
「……ロイ、口が過ぎるぞ。公の場だ」
傍らにいたヴォルフガングが窘めると、ロイは「おっと、失礼」と肩をすくめた。
レオンハルトはそれ以上何も言わず、集まった兵たちへ視線を向けた。
「そうだ。この群れは自然に生じたものではない。誰かの意図が働いているのは間違いない」
視線を魔物が迫る北へ向ける。その奥に潜む何者かへ意識を向けながら、レオンハルトは続けた。
「だが、正体を探るのは後だ。今考えるべきは、この軍勢をどう退けるか。それだけだ」
これまでにも、似たような襲撃は何度か起きている。
隣領で大規模な狩猟が行われた直後、追い立てられた魔獣がアルヴェイン領へ流れ込んだことがあった。別の時には、狂暴な魔獣が探索者によって刺激され、村の近くまで誘導されている。
どの事件にも、「管理の不手際」や「不幸な事故」という理由が用意されていた。
証拠は残されていない。それでも、一度や二度ではない。自身を失脚させたい者がいることは、すでに分かっていた。
(……ここで援軍を求めれば、『領地一つ守れぬ無能』と見なされる。私を排除しようとしている連中に、口実を与えることになる)
そう考えながら、レオンハルトはヴォルフガングへ視線を移した。
「ヴォルフ。お前の見立てを聞きたい。救援を呼ばず、我らだけでこの軍勢を叩く。その勝算はあるか?」
ヴォルフガングはやや視線を下げ、顎髭を一撫する。長年の戦場経験をもとに、敵の数とこちらの戦力を静かに秤にかけているようだった。
「は。正直に申し上げれば、厳しいと言わざるを得ません」
考えがまとまったのか、老騎士は顔を上げて言葉を続ける。
「デモンボア一体だけでも、屈強な騎士を何人も差し向けるべき脅威。それに加えて二百を超える魔物です。対する我らは、砦の守兵を含めても六十名ほど。正面から迎え撃てば、全滅も覚悟せねばなりません」
「だろうな……だが、それは正面から当たればの話だ」
ヴォルフガングの言葉に頷きながらも、表情を少しだけ緩める。
「お前が厳しいと判断した戦況を、私の策で覆す。この二百を――デモンボアごと葬る」
セバスが耳を疑ったように顔をしかめた。
「な、なんと……まことですか!?」
驚く執事をよそに、ヴォルフガングはすぐには答えなかった。僅かに瞑目し、レオンハルトを見る。
「……承知いたしました。まともに戦えば勝ち目がない。ならば、戦い方を変えるまでのこと。閣下には、すでに策がおありなのでしょう」
「当然だ」
「では、お聞かせください。我らがいかにして、この二百を仕留めるべきかを」
レオンハルトの口角が上がった。
「まず第一に、奴らの進軍路を狭める」
人差し指を立てる。
「森の手前はひらけている。だが、奥へ進めば崖に囲まれた谷がある。そこへ誘い込む。数の優位は、動ける場所があってこそ意味を持つ。この人数で迎え撃つなら、戦場そのものをこちらで選ぶ」
続いて二本目の指を立てた。
「第二に、炎と煙だ。ゴブリンは火を恐れる。オークも優れた嗅覚ゆえに、煙には弱い。湿地に油を撒き、倒木を積んでおく。奴らが谷へ入ったところで火を放つ」
レオンハルトは淡々と続けた。そこへセバスが物憂げな顔で伺う。
「……炎で森を焼き払うおつもりですか?」
「焼き払うわけではない。燃やす場所は選ぶ。この森は木材をはじめとする貴重な資源だ。無駄に焼くつもりはない」
レオンハルトはそう答えると、三本目の指を立てた。
「第三に――デモンボアだ」
レオンハルトは北の方角へ目を向ける。
「奴は巨体ゆえ、下手に突進すれば敵味方関係なく巻き込む。だから必ず前へ出るはずだ」
そこで一度言葉を切り、ヴォルフガングとロイへ視線を戻す。
「ならば、それを利用する」
ロイは腕を組み、少し考えるようにレオンハルトを見た。
「……先頭に出てきたところを狙う、と?」
「そういうことだ。奴を止める手段は、すでに考えてある」
レオンハルトは頷いた。北の森とその奥にある谷、その一連の地形を頭の中で思い描く。すでに策は固まっていた。
「……止める、ですか?」
ロイは腕を組んだまま、首を傾げた。
「そうだ。谷に杭を打ち、そこへ鎖を渡しておく」
「鎖って……あのデモンボアを? 理屈は分かりますが、レオン様。あいつ、並の鎖じゃ引きちぎって突っ込んできますよ? 文字通り、止まらない怪物ですからね」
冗談めかした口調ではあったが、ロイの目は笑っていなかった。
『デモンボアって、そんなにヤバい奴なのか? ……それ、トラックが突っ込んでくるようなもんじゃないか』
その声に、どこか引っかかるものがあった。
ユウはまだ見ぬ魔獣を想像している。だが、トラックという言葉を口にした瞬間だけ、その声から妙な緊張が滲んでいた。
「無論、鎖だけで止まるとは考えていない」
ロイを見据えたまま、静かに続ける。
「動きを一瞬でも鈍らせ、隙を晒させれば十分だ。その一手を必殺の機に変えられるかどうかは――ヴォルフ、二手目となるお前の技にかかっている」
視線が、沈黙を守っていた老騎士へと向く。
ヴォルフガングが戦槌を握り直し、静かに頷いた。
「……はっ、このヴォルフガング・バルクホルン。必ずやその役目を果たしましょう」
その言葉を聞いた兵たちの間に、しばし沈黙が流れた。
やがて、隊列の端から小さな声が漏れ聞こえてくる。
「……先輩、本当に大丈夫なんですか。相手はあのデモンボアですよ。それに、あの領主様……噂じゃ『あれ』だって話だし、俺たち、無駄死にするんじゃ……」
声の主は、入団したばかりの新兵だった。
槍を握る手に力が入り、隣の古参兵へ不安を打ち明けている。
「――おい、全部聞こえてるぞ、新入り」
「ひッ!」
新兵の肩が跳ねた。振り返った先に、ロイが立っている。兜の上に手を置かれ、新兵は慌てて背筋を伸ばした。
「ふ、副団長! 申し訳ありません!」
「いいってことよ、ビビって当然だ。……あのデカブツを前にして震えねぇ奴なんざ、ただの馬鹿か、自殺志願者だけだ」
ロイは気さくに笑いながら、レオンハルトへ目を向ける。
「だがな、勘違いすんなよ。あの方の戦術眼は本物だ。それに――」
声を落として、新兵へ顔を寄せる。
「剣の腕も、俺が逆立ちしたって勝てねぇレベルだ」
「えッ!? ロイ様よりも……ですか!?」
新兵が目を見開いた。火の加護を持ち、騎士団でも突出した剣技を誇るロイが、そこまで言い切るとは思っていなかったのだろう。
「そうだ」
ロイは新兵の背を軽く叩いた。
「だから俺たちは、余計なことを考えず、あの方を支える。期待してるぜ、新入り。……いや、ロバート」
「え……?」
突然名前を呼ばれ、ロバートは戸惑った。ロイは、その背に負った長弓へ目を向ける。
「入団試験の弓術審査じゃ、抜群の成績だったろ。俺たちの背中、頼んだぞ」
「……は、はいッ!」
ロバートは力強く頷く。
その時、レオンハルトが兵たちの前へ進み出た。
「全員、聞け!」
声が、広場に響き渡った。
ざわめきが止み、三十騎余りの兵が、一斉に前を向く。
「これは領地を守るための戦いだ。だが、奴らを追い払うだけでは終わらせん。ここで殲滅する」
レオンハルトは一人ずつ確かめるように兵たちを見渡す。
「奴らは数に頼っている。だが、こちらには地の利がある。湿地、炎、そして峡谷。すべて利用する」
背中の剣の柄に手をかけて、一気に引き抜いた。朝の光を受け、青白い刃が輝く。
「指示に従え。そうすれば勝てる。生き残りたい者は、私に続け!」
その声とともに、剣を高く掲げる。
「――応!」
三十騎余りの兵たちが、一斉に声を上げた。その声に応じ、ヴォルフガングが膝をつき、拳を胸に当てる。
「御意。我ら騎士団、全力をもって閣下の盾となり剣となりまする」
セバスも深く頭を下げた。
「承知いたしました。ご武運をお祈りいたします……!」
レオンハルトは短く頷いた。そのまま踵を返す。
「出陣だ」
その号令を受け、館の正門が開かれる。
三十騎余りの兵が馬を進め、蹄の音が石畳へ響き始めた。先頭を行くレオンハルトの背を、兵たちが追う。
朝の光を受けた金髪が流れる。レオンハルトの眼はまっすぐ北へ向けられていた。
『……こいつ、本当に“子供”なのかよ……』
ユウは、しばらく言葉を失っていた。




