第2話 除霊の儀式
突如、頭の中に声が響いた。
聞きなれない男の声に、レオンハルトは目を見開く。
(――今の声は何だ? 幻聴ではない。死霊の類か。あるいは……)
いくつかの可能性が浮かぶ。だが、考えがまとまるより早く、再び声が響いた。
『これってどういう状態なんだ、体が勝手に動いてるッ!?』
どこか焦ったような声だった。レオンハルトは無意識に拳を握り締める。
「……誰だ。どこから語りかけている?」
誰もいない場所へ向けた言葉に、傍らのセバスが息を呑む。
だが、頭の中の声はすぐに反応した。
『え、俺の声が……聞こえてるのか?』
「聞こえている。私の意識に干渉している自覚はあるのか」
『ちょ、ちょっと待ってくれ! あんたこそ一体誰なんだよ! これはレオンハルトの体だろ!?』
レオンハルトは眉をひそめた。
意識の内に勝手に入り込んでおきながら、こちらの正体を尋ねてくるとはどういうことなのか。
名乗ることで、呪術的な契約に嵌められる可能性もある。しかし、声から感じるのは敵意ではない。混乱しているだけだ。
(放置は悪手か。向こうも、この状況は想定外のようだ。ならば情報を与えながら、正体を探る)
レオンハルトは小さく息を吐いた。
「……私こそがレオンハルト・フォン・アルヴェインだ。お前は何者だ?」
『え、レ、レオンハルト……本物の!?』
声が途端に大きくなる。
『よかった……生きてたんだ……』
その一言に、レオンハルトは顔をしかめた。
まったくもって要領を得ない。こちらが生きていることを、なぜそこまで喜ぶのだろうか。
『よかった……本当に。あ、俺は相川悠。ええと、死んだと思ったら神様みたいな人にここに送られたっていうか……』
ユウは途切れ途切れに話し始めた。
日本という国で暮らしていたこと、交通事故の記憶、そして白い空間で出会った女神。
理解しがたい話ばかりだったが、レオンハルトは口を挟まずに聞いていた。
「転生……だと?」
その言葉を反芻する。
ユウの話を整理すれば、彼は別の世界で命を落とし、女神によって新たな生を与えられるはずだった。そして何らかの理由で、それが叶わず、レオンハルトの身体に入り込んだという。
「ふざけるな。そんな戯言、信じられるわけが――」
そこで言葉を切る。
先刻セバスが口にした「別人のようだった」という一言。そして、この「ユウ」と名乗る得体の知れない存在。
その二つを重ねると、一つの考えに行き着く。
――この身体は、このユウという者に乗っ取られていたのではないか。
「レ、レオンハルト様、一体どなたとお話を…?」
心配する執事の声を聞き流し、レオンハルトは意識を内側へ向けた。
生者の身体を奪い、意識を乗っ取る存在。まず頭に浮かんだのは、死霊だった。
しかし、知識で知る死霊とは様子が違う。問いかければすぐに答え、その反応はやけに生き生きとしていた。
何より、怨念や執着といったものを感じない。
「……不可解だな」
『俺だって同じだよ。転生させてもらったことまでは記憶にあるんだけど……。気がついたら、ここにいたんだ』
あまりにも荒唐無稽な話だ。返す言葉が見つからず、指先が眉間へ伸びる。
だが、この「ユウ」と名乗る存在が、自分の内に潜り込んでいることだけは、確かな事実だった。
「……セバス」
「はっ」
主人の声に、セバスが背筋を伸ばす。
「私はこれより部屋に籠もる。私が許可するまで、何人たりとも入室させるな。食事も不要だ」
「は……? しかし、先ほどのご様子もございます。せめて私だけでもお側に――」
「私の言葉が聞こえなかったのか」
有無を言わさぬ声に、セバスはびくりと肩を揺らした。
「……失礼いたしました。すぐに」
深く一礼すると、セバスは部屋を出ていく。扉が閉じられ、室内に静けさが戻った。
『……なあ』
頭の中で、ユウの声がした。
『俺、これからどうなるんだ?』
「安心しろ、悪霊。すぐに成仏させてやる」
『あ、悪霊!? いや俺は人間だって――』
ユウの抗議を無視して、レオンハルトは部屋の奥へと向かう。そして、そこに置かれた年代物の木製チェストを開いた。
中に収められているのは、宝石や装飾品ではない。乾燥させた植物の根、奇妙な刻印を施した木炭、呪文のようなものが書かれた羊皮紙の束などだ。
彼を疎む者は少なくない。
これまでにも刺客を送り込まれたことがあり、呪詛を仕掛けられたことも一度や二度ではなかった。
そのたびに古今の文献を漁り、独学で対抗策を作ってきた。その成果が、このチェストに収められている。
その中から、まず白濁した液体の入ったガラス瓶を取り出した。
「古文書によれば、満月の夜に汲んだ湧き水へ銀貨を三日三晩浸せば、聖水に近い効果が得られるという……」
『え、なんか濁ってない? それ飲むのか?』
「貴様に浴びせるのだ。退散せよ――」
レオンハルトは瓶を傾け、バシャッと液体を頭から被る。
『……おいおい、びしょ濡れじゃないか。風邪ひくぞ?』
「……効果なし、か。思った以上に手強いな」
濡れた髪をかき上げ、次の品へ手を伸ばす。
黒ずんだ木片。雷に打たれた古木を削り、人の形に仕上げた形代だった。
「呪詛や死霊の類ならば、この器に移るはずだ」
『何だよその人形。……おい、また何かやる気か?』
形代を、自身の胸に押し当てる。その瞬間だった。
――カッ、と。
全身が、直視できぬほど純白な光に包まれた。
『うわっ、眩しッ!? なんだこれ、急に光りだして――』
「……っ!?」
とっさに腕を上げ、レオンハルトは目を庇った。異様なまでに強烈な、澄んだ光だった。これほどのものを、これまで見たことがない。
形代は光に触れた途端、跡形もなく消え失せた。
やがて光が収まり、静寂が戻る。レオンハルトは自分の指先をじっと見つめた。
『……おい、あの人形消えたぞ。一体何が起きたんだ?』
「……さあな」
レオンハルトは答えた。
もし今のが成功だったなら、頭の中の男も消えているはずだ。だが、ユウの声は、変わらず聞こえている。
だが、それ以上に気になるのは、先ほどの光だった。
なぜ形代は消えたのか。己の身体から、あれほどの力が溢れ出た理由は何なのか。これまで積んできた知識では、説明がつかない。
(今のは、精霊……? いや、それはありえんか……)
考えを切り上げ、レオンハルトは再びチェストへ手を伸ばした。
「ならば、次は悪霊が忌避するという香草を試す。それを焚いた煙を浴びせれば、貴様も出ざるを得んだろう」
『まだやんのかよ……』
それからも、レオンハルトは手を止めなかった。
数種類の香草と特殊な触媒を暖炉にくべ、立ち込める紫色の煙を浴びる。護符を身体中に貼り付け、古文書に記された除霊の儀式を片端から試していく。
だが、どれほど手を尽くし、己の身体を追い込んでも、ユウの気配が消えることはなかった。
そして――窓から朝の日差しが差し込む中、床には除霊に使った道具が散らばり、暖炉には大量の燃え殻が残っている。部屋には薬草の煙が染みつき、焦げた臭いが漂っていた。
椅子に深く腰を下ろしたレオンハルトは、煤けた顔で深い息を吐く。
丸一日、休むことなく試し続けた。それでも、何の成果も得られなかった。
「何故だ……何故、剥がれん……」
『……お前、本気で丸一日やるとか、体力ありすぎだろ。俺なんて途中から飽きたし、見てるだけで疲れたよ……』
頭の中のユウの声にも、さすがに疲れが滲んでいた。
「……貴様は、一体何なんだ」
『だから地球から来た日本人だって言ってるだろ……悪霊なんかじゃない』
「異世界、転生、世界の危機……そのような妄言を信じろというのか?」
『俺だって知らねぇよ! 神様から『加護を授ける』って言われたんだ。それで世界を救ってくれって』
「加護……」
その一語を聞いた途端、レオンハルトの目が細くなった。
「貴様、その言葉の意味を理解して口にしているのか?」
『な、なんだよ急に……』
「……加護とは、この世界における絶対的な秩序だ」
『は……? ごめん、まったく話がみえないんだけど』
「……そんなことも知らんのか。子供でも知っている常識だぞ」
窓辺へ視線を移す。眼下では、領民たちが黙々と畑を耕していた。
「加護とは精霊の祝福、即ち『魔導の門』だ。それがなければ魔力すら扱えん。この国で貴族が貴族たり得るのも、結局はそれを持つことからだ。風を起こす、小石を飛ばす――そんな低位の加護ですら、持つ者は一握りしかいない」
視線を再び部屋へと戻す。部屋に広がる惨状も、今はまったく気にならなかった。
「それを『神から授かった』だと? 貴様の言葉が真実なら、軽々しく口にしていい話ではない」
『……マジかよ。そんな格差社会なのか……』
「そうだ。ゆえに、二度と安易に口にするな」
『……ということは、レオンハルト。あんたもその加護を持ってるんだよな?』
その問いに、レオンハルトの指先がピクリと動いた。
「……なぜそんなことを聞く?」
『いや、だって貴族なんだろ? さっきの説明なら、高位精霊の加護とかあるんじゃないの?』
「……軽々しく口にするなと言っただろう、答える義理はない」
『それは……そうだけど……』
ユウの戸惑う声が、脳裏に直接響いてくる。
レオンハルトはしばらく黙り込んでいたが、やがて口を開いた。
「……一つ確認したい。貴様は、私の心を読めるのか?」
『え? う~ん……いや、声が聞こえるだけで、あんたが何考えてるかまでは分からないよ』
「……そうか」
短く息を吐き、張り詰めていた肩の力が抜ける。
「……問答はここまでだ。貴様が単なる悪霊ではないことは分かった。だが、正体が何であれ、この身体に異物が入り込んでいることに変わりはない」
そこで一度言葉を切り、椅子の肘掛けを握りしめる。
「――あらゆる可能性を考え、徹底的に追い出す方法を探す」
『異物って言うなよ! 俺だって訳が分かんないんだぞ!』
忌々しげに天井を睨みつけ、さらに思案を巡らせようとした、その時だった。
コン、コンコンコンッ!
突然、扉が叩かれた。普段とは違う慌ただしい音に、レオンハルトは警戒心を強める。
「レ、レオンハルト様ッ、ご入室の許可を……!」
「……入れ」
扉が開き、セバスが足早に入ってきた。顔は青ざめ、額には汗が浮かんでいる。
「至急のご報告が、緊急事態ですッ!」
「……くどい。面を上げろ、何事だ」
衣服についた煤や埃をパッパッと払い、レオンハルトは椅子から立ち上がった。
セバスは一度息を整え、それから報告を続ける。
「はっ……! 北の砦より早馬が参りました。魔物の大群が押し寄せております!」
「数は?」
「およそ二百!」
セバスの顔から血の気が引いていた。声を絞り出すように告げた数字は、本人にとっても信じがたいものだったのだろう。
「幾重にも築いた防壁も、仕掛けた罠も、物量に押されております。このままでは半日も持ちません。いえ……もはや、刻を待たず突破される可能性もございます!」
「――ッ!」
レオンハルトの表情が、目に見えて引き締まった。鋭い眼差しがセバスを捉える。
『魔物……? 二百って、戦争じゃんか……』
ユウの声には答えず、レオンハルトはすぐさま指示を飛ばす。
「セバス、ヴォルフを呼べ! それから、馬を曳いておけ。すぐに出る」
「はっ……では、すぐにお着替えの用意を、メイドたちに――」
「不要だ。自らやる。貴様は指示通りに動け」
有無を言わさぬ口調に、セバスは深々と頭を下げ、部屋を飛び出していく。
わずかに目を閉じると、レオンハルトは壁に掛けられた剣帯へと手を伸ばした。




