第1話 これって転生!?
早朝、まだ冷たい風が吹きつける中。
薄暗い練兵場で、鋭い風切り音だけが規則正しく響いていた。
「……九百、九十……八ッ!」
汗が頬を伝い、木剣が振り下ろされる。
『はぁ〜……お前、本当ストイックだよなぁ。そろそろ休憩しない?見てるこっちが筋肉痛になりそうなんだけど』
脳裏に響いた気の抜けた声に、レオンハルトの眉間へ皺が寄る。集中を乱されたまま、残った力を木剣へ込めた。
「……千ッ!」
木剣を振り切り、荒い息を整えながら、頭の中の同居人へ言葉を返す。
「黙っていろと言ったはずだ。鍛錬の邪魔だ」
誰もいない前方へ向けられた声に、少し離れた場所で控えていた執事のセバスが、ピクリと肩を揺らした。
「……レ、レオンハルト様。私めは何も申しておりませんが……お疲れでしょうか?」
「……気にするな、セバス。お前に言ったのではない」
額の汗を拭いながら答えると、セバスは困惑した様子で一礼し、元の位置へ戻っていく。
傍から見れば、誰もいない場所に向かって話しかけているようにしか見えないだろう。それはレオンハルト自身よくわかっていた。
『俺たちは一蓮托生だろ。過労で倒れられたら困るのよ、俺が』
セバスに背を向け、「チッ」と舌打ちして、唇だけをわずかに動かす。
「この程度で倒れるほど、軟弱な鍛え方はしていない。……無駄口を叩くな。貴様の存在自体が、不愉快だ」
『いや、そんなこと言われてもさ。俺だって恥ずかしいんだぜ、考えることが全部筒抜けになってるんだから』
「貴様の羞恥心など知ったことか。ならば……何も考えずに精神統一でもしていろ」
千本の素振りを終えたレオンハルトは、呼吸が整うのを待つこともなく次の鍛錬へ移ろうとした。
『……まぁ、その根性だけは認めるけどさ』
意識内の男――ユウはやや呆れたような様子で、気遣うように声をかけた。
『でも、休むことも成長には必要なんだぜ? 死んだら元も子もない。……俺みたいにな』
ユウの声から、いつもの軽さがスッと消えた。レオンハルトはその変化を感じ取り、足を止める。
『……こうやって話せるだけでも、有り難いと思ってる。俺はただ、運が良かっただけなんだ』
*
警笛が夕暮れの街に響いた。
横断歩道の中央に、小さな子供が立っている。その先からトラックが迫っていた。
「あ、あぶないッ!」
考えるより先に身体が動き、ユウは子供を突き飛ばして車道の外へ弾き出す。
「――っ!?」
直後、強い衝撃を受けた。
身体が宙に浮き、次の瞬間にはアスファルトへ叩きつけられる。視界が揺れ、音が遠ざかっていく。
相川悠――ユウ。享年二十八歳。
地方都市でフリーターとして暮らしていた青年の人生は、そこで終わった。
――はずだった。
*
次に目を開けた時、ユウは白い空間に立っていた。
床も天井も感じられない。周囲は淡い光に満たされている。
「あ……れ……?」
状況を理解できずにいると、漂っていた光が一か所に集まり始め、その中心に人の姿が浮かび上がった。
現れたのは、純白の衣をまとった女性だった。背中には一対の大きな翼が広がっている。
≪よくぞ来ました。異界の魂よ≫
声が頭の中へ直接響いた。突然の状況にユウは大きく取り乱す。
「な、なんだ!? もしかして神様!? お、俺、死んじゃったの!?」
≪ええ。そなたは命を失いました。ですが、その行いによって新たな生を得る資格を得たのです≫
「新たな生……? じゃあ、やっぱりここって天国なのか!?」
≪……天国、というものとは少し違います。ここはそなたの居た世界ではありません≫
ユウの言葉を女神は首を振って否定した。
だが、理解が追い付かない。自分が居た世界でないのなら、一体ここはどこなのか。
≪ここは、精霊が理を調律することで成り立つ、地球とは異なる法則の世界。私は、その世界を司る神です。……今、この世界はとある存在によって滅びの危機にあります≫
やや俯きながら女神は説明する。『精霊』、『滅びの危機』、漫画やゲームの世界でよく聞くワードに、ユウは首を傾げながら女神を見つめる。
「あの……」
及び腰になりながらも、ユウは言葉を挟んだ。
「いや、でも……神様、なんですよね? 自分でなんとかできないんですか?」
あまりに素朴な問い。だが、女神は表情を変えることなく静かに答える。
≪……そなたの疑問はもっともです。ですが、事はそう単純ではありません。あの者は、既にこの世界の理に届くほどの力を得ています。私が正面からその力とぶつかり合えば、大きすぎる力同士の激突だけで、世界そのものが崩壊しかねません。そこで、異なる世界から代行者となる魂を探しているのです≫
「それが……俺?」
≪そうです。もっとも、そなたが特別だったわけではありません。無数の世界から条件に合う魂を探し、選定した結果です≫
「――ッ! まさか、これって……異世界転生ってやつですか!?」
ぼんやりしていた頭が、一気に覚めた。
電車通勤などの隙間時間で、読み漁った作品の数々が浮かんでくる。間違いない。ライトノベルや漫画などでいくらでも見た展開だ。
「つ、つまりは、世界を救ってくれってことですよねッ? お、俺みたいな凡人で、本当に良いんですか!?」
特段秀でた才能があるわけでもなく、ヒーロー願望があるわけでもない。
いきなり世界を救う役目を任されると言われても、責任の重さに、思わず尻込みしてしまう。女神はそんなユウを見て、穏やかに微笑む。
≪否。そなたこそ適任なのです≫
「え……?」
≪大切なものを失った痛み。守れなかった後悔。それらを抱えているからこそ、そなたには資格がある≫
「……っ」
脳裏に、いくつかの光景が浮かんだ。
――血まみれのアスファルト
――響き渡るサイレン
――泣き崩れる、幼い自分
≪私利私欲のために力を振るう者に、災厄を祓うことはできません。誰かの命を守りたいという、その意志こそが――災厄を祓う鍵となるのです≫
女神が両手を差し出す。
その掌に光が集まり、小さな種火が生まれる。
≪ご安心を。記憶を残したまま、赤子として転生させましょう。さらに、私の“加護”も授けます。そなたがこの世界で生き抜き、災厄に立ち向かう助けとなるでしょう≫
「ほ、本当ですか……!? ありがとうございます!」
思わず拳を握りしめる。子供を庇ったことを後悔してはいない。だが、自分まで命を落としたことには、今も悔いが残っていた。
――生きて、と言われたのに。
もう一度、生きることができる。そう思うだけで、胸の奥が熱くなった。
それに、平凡な日々から突然抜け出し、世界の危機に立ち向かう使命を与えられる。ライトノベルで何度も読んだ展開だ。転生特典までちゃんとある。
不安はあるが、同時に抑えきれない期待もあった。
≪では、お行きなさい。――我が祝福と共に≫
女神が掌を掲げると、周囲の光が強くなり、ユウの身体がゆっくりと浮かび上がった。
「おおっ!」
このまま次の生へ向かう。そう思った、瞬間だった。
パキッ……ミシリ……!
「……え?」
突然、何かにヒビが走る音が響いた。空間が歪み、亀裂が蜘蛛の巣のように広がる。
「な、何だよ、これ!?」
≪……まさか、今この瞬間を狙ったのか……!≫
女神の声に、初めて焦りが混じった。
亀裂の向こうから黒い何かが現れ、蠢いている。
女神が両手を向けると、眩い光が放たれた。亀裂を押さえ込もうとするが、黒い何かに押し返されていく。
≪ぐっ……! ここまで力を付けていたとは……!≫
「ちょ、ちょっと待って! これ、大丈夫なの!?」
ユウの身体が大きく揺れた。
「うわっ!?」
次の瞬間、身体が引っ張られる。
「な、何これぇぇぇぇ!?」
≪待て! そなたを――!≫
女神の声が遠ざかっていき、ユウの視界が暗くなる。
最後に見えたのは、こちらへ手を伸ばす女神と、その背後で広がる黒い亀裂だった――。
*
「……さ…ま―――様ッ!」
誰かの呼びかける声で、ユウの意識が覚醒する。
ゆっくりと瞼を開けると、視界いっぱいに木目の机が広がっていた。
「……ここは……?」
顔を上げると、机の向こう側に初老の男性が立っていた。執事服を着た男が、こちらの様子を窺っている。
「レオンハルト様……! お気づきになれましたか」
男は安堵したように息を吐いた。
(レオン、ハルト……?)
聞き覚えのない名前だった。
ユウは周囲を見回した。派手さはないが、整えられた調度品が並んでいる。
机の上には書類が積まれており、その一部は腕の下に敷いていたらしい。紙には皺が寄っていた。
(そうか、俺……転生したんだったな)
少しずつ、意識がはっきりしてくる。
地球で命を落とし、白い空間で女神と会ったこと。新たな生を与えると言われたこと。
そこまでは覚えている。だが、最後に何が起きたのかは思い出せない。
「その…ご気分はいかがでしょうか?」
慎重に尋ねてくる老紳士に、しかしユウは何も答えずに考え込んでしまう。
(本当に異世界に来てしまったんだ……)
ひとまず転生自体は成功したらしい。ならば、これからどう生きるかを考えなければならない。
(……いや、それよりも)
視線の高さ。机に置いた手の大きさ。これは、どう見ても成長した男性のそれだ。
(赤ん坊からの再出発じゃなかったのか……?)
神との会話を思い出し、ユウは小さく首を傾けた。確かめるように椅子から立ち上がり、窓辺へ向かう。
窓ガラスに自分の姿が映った。金色の髪。整った顔立ち。そして、澄んだ碧い瞳。
高校生くらいの顔つきだが、身体はすでに大人へ近づいている。
(……誰だ、これ。……俺、なのか?)
前世の自分とは、何もかも違っていた。それでも、嬉しいとは思えない。
先ほど、執事が呼びかけた名前が、脳裏に蘇る。
「お前が……いや俺が、レオンハルト……?」
窓に映った少年が、ユウの意思に合わせて唇を動かす。
その瞬間、ユウは気づいた。気づいてしまった。自分は赤ん坊として生まれ直したわけではない。
これまで読んできた物語の、一つの定番が頭をよぎる。これは――いわゆる「成り代わり」。 自分は、このレオンハルトという少年の身体に入り込んだのだ。
ならば、持ち主の――この少年の心はどこへ行ったのか。
(違う……俺は、こんなつもりじゃ……!)
家族がいたはずだ。この少年自身が積み上げてきた人生があったはずだ。
それを自分が奪った。人格ごと上書きしてしまった。その事実を認識した途端、急に息が苦しくなった。
「っ、……ぅ……!」
声を上げそうになり、ユウは口を押さえる。
「レオンハルト様……!? いかがなさいましたか!」
老執事が慌てて駆け寄ってくる。
扉の外からも気配がした。主人の異変を聞きつけたのか、メイドたちが不安そうにこちらを覗いている。
(……ごめん……)
それを横目で見ながら、ユウは心の中で呟いた。
(俺は、貴方たちが案じている、レオンハルトじゃないんだ)
それでも、彼らをこれ以上不安にさせるわけにはいかなかった。
ユウは震える手を握り、どうにか顔を上げる。
「だ、大丈夫です……だ。少し、立ち眩みがしただけだから」
相手を安心させようと、できるだけ穏やかに答えた。
しかし、その言葉を放った瞬間、室内の空気が凍り付いた。セバスが目を見開き、扉の外にいたメイドたちも顔を見合わせている。
(……しまった。言葉遣いか? それとも態度か?)
自分では普通に話したつもりだった。
だが、この反応を見る限り、レオンハルトなら絶対にしない返しだったのだろう。
どう取り繕って良いか分からず、その場に立ったまま、ユウの視線が彷徨う。
次の瞬間、頭の奥に激痛が走った。
「ぐっ……! あ、あぁぁぁ……っ!!」
身体が大きく揺れる。
頭の中に、知らない光景が次々と浮かんだ。
広い訓練場で剣を振る少年。
机に向かい、難しい書物を読み続ける姿。
領民を前にして指示を出す姿。
次々と現れては消えていく。
「レオンハルト様っ!?」
セバスの呼ぶ声が聞こえる。だが、その声も次第に遠ざかっていった。
視界が滲み、耳鳴りが強くなる。身体の感覚も薄れていき、やがて周囲の音が何も聞こえなくなった。
意識が途切れた――次の瞬間。
「……っ」
少年がゆっくりと顔を上げた。
先ほどまでの動揺は、嘘のように消えていた。
「……セバス」
落ち着いた声だった。
取り乱していた時とは、話し方も声の調子も違う。その声を聞いた瞬間、セバスは目を見開いた。
「レオンハルト……様?」
少年の碧眼が室内を見渡す。
視線を向けられたメイドたちは、揃って身を固くした。セバスも反射的に姿勢を正す。
「……説明しろ。一体、何があった?」
「は、はい……!」
セバスは一礼してから、慎重に言葉を選んだ。
「ご公務の途中、突然お顔から血の気が引き、そのままお倒れになりました。幸い、お怪我はございません。ただ、念のため医師にはすでに連絡を――」
「……医者など不要だ。余計なことをするな」
レオンハルトは短く言い切った。メイドたちが息を呑む。
「し、しかしご主人様。つい先ほどまで、あのような状態で――」
言葉を遮るように、レオンハルトが右手を上げる。
「何度も言わせるな。不要だと言ったら不要だ。……下がれ」
「は、はいっ!」
メイドたちは慌てて一礼し、部屋を出ていった。
扉がバタンと閉じられ、残ったのはレオンハルトとセバスだけだった。
レオンハルトはベッドの縁に腰を下ろし、額に手を当てる。
「……セバス」
「はい」
「最近、このような状態になるのは何度目だ?」
「今回で……五度目になります。いずれも前触れはなく、突然意識を失われております」
「……やはりか」
レオンハルトは顔を上げた。
「医師どもは疲労だと言っていたな」
「はい」
「笑わせる。体調管理は怠っていない。それが短期間に五度も続くなど、単なる疲労で済ませられるものか」
セバスは答えず、視線を落とした。しばらく迷った後、意を決して口を開く。
「あの……今回の御様子について、申し上げたいことがございます」
「何だ?」
「一度お目覚めになった際、普段とはかなり違う御様子でした」
「……私が?」
執事の言葉に、レオンハルトは眉をひそめた。
「はい。ひどく困惑されておりました。それだけではありません。私どもを気遣う言葉まで口にされました」
「気遣う……私が、貴様らを?」
「はい。お言葉遣いも柔らかく、普段の御振る舞いとはまったく異なっておりました」
「……」
黙ってセバスを見つめる。
視線を少し下げて語る姿には、出まかせを言っている気配はない。奥歯に物が挟まったような物言いに、セバスが口にしかねている一語の見当はついていた。
「まるで……別人のようだった、と?」
セバスは一瞬ためらい、それから小さく頷いた。
「……はい」
肯定の言葉を耳にして、レオンハルトは顎に手を当て考え込む。
意識の混濁、霊障、あるいは呪詛。いくつかの可能性が頭に浮かぶ。
だが、屋敷には外部からの干渉を感知するための備えがある。
隣領から贈られた不良品を有効利用したものだが、物は使いようだ。魔力の行使があれば、それらに何らかの反応があるはずだった。
「……呪い特有の痣もない。となれば、要因は……」
レオンハルトがさらに思案を巡らせた――その時だった。
『お、おい……! なんで勝手に体が動いてんだ!?』
突然、頭の中に男の声が響いた。
それは、レオンハルト・フォン・アルヴェインと、相川悠という二つの魂の、最初の邂逅だった――。
異世界転生もので成り代わり、前世を思い出す形のものを読んでいる時
じゃあ前の人格ってどうなったの? という疑問がありました。
この作品は転生した時に、もしも前の人格が残っていたらというコンセプトで進めています。
一章の内は転生者の影が薄い。ヒロインも次章から登場予定で、複数ヒロインはなしというものですが、それでも良ければ応援いただけるとありがたいです。
※今作品はカクヨムにも投稿してあります




