第10話 謁見を終えて
王宮にある控えの間。
入口の扉が開くと、ふらふらと千鳥足でリゼットが入ってきた。そのまま長椅子へ向かうと、倒れ込むように突っ伏す。
「り、リゼット殿……大丈夫ですか!?」
真っ先に駆け寄ったのは、留守を任されていたロイだった。声をかけても、返ってくるのは弱々しい呻き声だけだ。
「気を張り詰めすぎて、糸が切れたのでしょう。……少し、休ませてやって」
エリザベートが静かに告げる。彼女もまた、ここで報告を待っていた。
そこへ、ギィと再び扉が開き、ゲルハルトとレオンハルトが姿を見せる。
「お戻りに――」
言いかけたロイの声が、途中で止まった。
視線の先にいるレオンハルトの様子に、何かを感じ取ったのだろう。
普段より僅かに落ちた肩と、いつもより緩慢な足取り。その姿には、いつもの覇気が感じられなかった。
エリザベートも、同じものに気づいたらしい。だが、彼女は何も言わず、ただ静かにレオンハルトを見つめていた。
「アルヴェイン男爵。……お前の役目は、ここまでだ」
前置きもなく、ゲルハルトは続ける。
「後は、こちらで対処する。私はこのまま王都に残り、事後の処理と根回しに当たる。……お前は、明日にも男爵領へ戻れ」
「はっ」
短い返事だけが返る。ゲルハルトはそれ以上何も言わず、身を翻した。
「私は先に別邸へ向かう。クロムウェルの回復を待ってから、戻ってこい」
そう言い残し、ゲルハルトの背が廊下の奥へと消えていく。
残された一同の間に、しばしの沈黙が落ちた。
「……レオン様」
ロイが、恐る恐る口を開く。
「一体、何があったんです?」
「――問題ない」
短く、それだけが返された。
「明日、発つ。支度をしておけ」
それ以上の説明はなかった。有無を言わせぬ声に、ロイはそれ以上踏み込むことができず、口を噤む。
『……なあ、レオン』
脳裏で、ユウが控えめに声をかけてきた。
だが、レオンハルトは応じなかった。ただ、長椅子に横たわるリゼットの様子を一瞥すると、静かに壁際の椅子へ腰を下ろす。
エリザベートは、その一連のやり取りを、最後まで黙って見つめていた。
*
王城の最も深い区画には、牢獄とは異なる、装飾一つない石造りの牢がある。
近づくことを許されているのは、ごく限られた者のみであり、その存在は王家の機密として厳重に管理されていた。
石壁に据えられた鎖の先で、一人の人影がうずくまっている。
白い外套に深く被ったフード。ここでは素顔を晒すことすら許されていない。
やがて、重い足音が近づいてきた。
供の近衛たちを扉の外に控えさせ、国王は一人で牢の前へ足を踏み入れる。
「――さて」
国王は静かに口を開く。
「此度は、そなたの口から直に聞きたいことがある」
返答はない。国王は構わず続けた。
「例の、変質した精霊石の件だ。そなたは、精霊の『消滅』と断じた。……だが今日、その見立てを自ら覆した。なぜだ」
フードの奥から、澄んだ声が返る。
「――あの時、私の目に映ったものが、真実の全てだと思っておりました」
「思っていた、か」
国王の声に、鋭さが増す。
「今は、違うと?」
沈黙の後、鑑定士が答えた。
「……分かりかねます」
国王の視線が、彼女の手元へ落ちる。白い手袋に包まれた指先が、僅かに強張っていた。
「――偽ったのなら、それだけの理由があるはずだ」
国王が一歩、踏み込む。
「……偽ったつもりは、ございません」
抑揚のない声だった。
国王はしばし、フードの奥を見据えていたが、やがて別の問いを口にする。
「もう一つ、問おう」
「――ヴァルシュタイン伯の息子、アルヴェイン男爵に、加護は見えたか」
「見えません」
間を置かず、答えが返る。
「彼に精霊の加護はありません。二年前と、変わりなく」
はっきりと言い切った。
だが、鑑定士はその先の言葉を続けることができず、僅かに間を置いた。
「――言い淀んだな」
「……いいえ」
鑑定士は首を少しだけ横に振った。
国王はそれ以上追及しようとせず、しばし沈黙した後、静かに踵を返す。
「……いずれ、もう一度問おう」
牢を出る間際、国王は一切振り向かずに足を止めた。
「協定に背くのなら、こちらも容赦はしない。……せいぜい、忘れぬことだ」
そう言い残し、国王は牢を後にした。
*
リゼットが目を覚ましたのは、それから半刻ほど後のことだった。
回復した彼女を伴い、一行は、先に発ったゲルハルトを追うようにして、伯爵別邸へと戻った。
あてがわれた自室で、レオンハルトは一人、正装の上衣を脱ぎ捨てるようにして寝台に腰を下ろした。
『……レオン』
しばらくの沈黙の後、ユウが声をかけた。
『やっぱり、まだ気にしてるんだろ。……親父さんが、王様の前で言ったこと』
「……気にしてなどいない。父上があの場であのように仰ったことで、私に余計な関心が向かずに済んだ。ただ、それだけのことだ」
レオンハルトはそのまま寝台に体を預け、仰向けになる。
しばらくそうしていたが、やがて静かに声が漏れた。
「……私は、自分の力を証明したかった。無加護と蔑まれようと、己の存在価値を示す。そのためだけにやってきたつもりだった」
レオンハルトの指先が、寝台の上で僅かに動く。
「だが、結局は――父上に守られなければ、この身一つ、守り切ることさえできない」
しばらく沈黙した後、レオンハルトは天井を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「もしも……」
そこで言葉が途切れる。しばしの間が空き、それから言葉を続けた。
「……加護さえあれば、何か違っていたのだろうか」
その問いに、ユウはすぐには答えなかった。
『レオン』
やがて、いつになく落ち着いた声が返ってくる。
『……俺にも、身を挺して守ってくれた人がいた』
「……何?」
『だから、レオンの気持ちも少しは分かるつもりだ。……あの時、もっと何かできていれば――守れる力があったらって、何度も思ったことがある』
レオンハルトは答えなかった。
『加護があったら何か変わってたかなんて、俺には分からない。そんなもの、俺の世界にはなかったからな』
「……何が言いたい」
『俺のいた世界の話をするけどさ』
ユウは少し間を置いてから、続けた。
『俺が十六の時なんて、ただの学生だったよ。将来のことなんて何も考えずに、ただ何となく毎日を過ごしてた。それだけだ』
「……それが、何だ」
『お前は十六で、領地を背負ってる。俺から見れば、それだけでもとんでもなく凄いことだ』
「…………」
『加護なんて、俺の世界にはそもそも存在しない。そんな物差しでお前を測る必要なんてないんだ。……要は、お前は十分凄いってことだよ』
レオンハルトが何かを返そうとした、その時だった。
コンコン、と控えめなノックの音が、部屋に響いた。
「レオン様。まだ起きてますか」
『この声……ロイさんか』
ユウが声の主を察する。
レオンハルトは一度、深く息を吐くと、寝台から起き上がった。
「……入れ」
扉が開き、ロイが姿を見せた。レオンハルトの姿を認めると、ロイは僅かに目を見開いた。
「……思ったより、大丈夫そうですね」
「何のことだ」
「いえ。戻ってきた時の様子を見ていたので、少し気になってまして」
そう言いながら部屋に入り、扉を閉める。
そのまま、いつものように扉の近くの壁へ背を預けた。
「もう少し、ひどい顔をしているかと思ってました」
「ふん……余計な世話だ」
レオンハルトはそう返した。
その様子を見て、ロイは小さく息を吐く。
「なら、よかったです」
「わざわざ様子を見に来たのか」
「はは、まあ、そんなところです」
ロイは軽く笑った。
「それなら、俺から言うことはなさそうですね」
「……何を言っている」
レオンハルトが訝しげに見ると、ロイはその顔をしばし見つめた。
「ユウ殿が、何か言ってくれたんでしょう?」
「……」
レオンハルトは答えなかった。
「違いましたか?」
「くだらん……思い違いも甚だしい」
そう言いながらも、その声に先ほどまでの険はなかった。
『何言ってんだよ。さっきまで、泣きそうな感じだったじゃん』
「貴様……誰のことを言っているッ!」
思わず声を荒げる。
それを見たロイは、堪えきれないように笑い声をあげた。
「いやぁ、安心しましたよ」
「……何がだ」
「明日には領地へ戻るんでしょう? 二人とも、今夜くらいは、ちゃんと休んでください」
「……分かっている」
ロイはそれ以上何も言わず、部屋を出ていった。
レオンハルトは寝台へ戻り、ゆっくりと腰を下ろす。
『……ロイさん、俺のことまで気にしてくれてたんだな』
ユウがぽつりと呟く。
レオンハルトは胸の内で小さく息を吐いた。
(……まったく。おせっかいな奴らだ)
先ほどまで胸の奥にあった重さは、いつの間にか、いくらか軽くなっていた。
*
同じ頃。伯爵別邸の客室。
エリザベートは、あてがわれた部屋で一通の書簡を認めていた。
書き出しては筆を止める。それを何度か繰り返し、ようやく一文を書き記す。
――この数日、アルヴェイン男爵と行動を共にする中で、些か気になることがございました。
そこまで書いたところで、再び筆が止まった。
何が気になったのか。具体的に記そうとすると、どうにも言葉が続かない。
(……二年前のあなたとは、まるで別人みたい)
脳裏に浮かんだのは、この数日で見てきた彼の姿だった。
模擬戦では、無加護でありながら、上位の加護を持つ者にも劣らぬ剣筋を見せた。幼い頃から鍛錬を続けてきた彼ならば、その腕前自体は不思議ではない。
ただ、戦いの最中、レオンハルトは誰かに言葉を返すように、何度か声を荒らげている。
あの時の様子は、今思い返しても奇妙だった。あれは、本当に独り言だったのだろうか。
道中では、従者たちと軽口を交わしていた。時には、ほんの僅かに笑みを見せるほどに。 それが妙に自然で、エリザベートにはかえって違和感があった。
廃嫡され、男爵に封じられたという境遇だけでは、今の彼を説明できない。投げやりになったわけでも、何かを諦めたような様子もない。
エリザベートが知るレオンハルトは、無加護であることに焦り、常に張り詰めていた。人を寄せつけようとせず、何をするにも一人で抱え込もうとしていた。
少なくとも、二年前まではそうだった。
(――いったい、何があなたを変えたの?)
問いかけても、答えは出ない。
ただ一つ分かるのは、自分が知っている「無加護の元婚約者」という人物像だけでは、もう彼を理解できないということだった。
エリザベートは筆を置き、窓の外へ目を向けた。
王都の夜は、すでに深まりつつある。しばらくそのまま夜景を眺めた後、エリザベートは再び書簡へ視線を戻した。




