第9話 国王との謁見
三日間の逗留を経て、正式な謁見の許しが下りたのは、王都に到着してから四日目のことだった。
その間、レオンハルトたちは伯爵別邸に留まり、鍛錬に打ち込むことで時間を費やした。
エリザベートは連日、宮廷との折衝に奔走し、リゼットは借り受けた書庫に籠もりきりで、姿を見せない日もあった。
謁見は、明日。
その報せが届いた夜、レオンハルトは自室の寝台に腰掛け、届いたばかりの装束――謁見用に新調された正装を検めていた。
『なあ、レオン。明日会う王様って、どんな人なんだ?』
「……またそれか」
呆れ混じりに、レオンハルトは装束の袖に目を落とした。
異邦人ゆえに、この世界の常識が欠落している。この手の質問は、珍しくない頻度であった。
「まあいい。明日、頭の中から質問攻めにされては敵わんからな」
『ああ、助かるよ』
「――この国の王ともなれば、当然、並外れた加護を持つ方だ。それだけで、おおよその見当はつくだろう」
装束を丁寧に畳み直しながら、レオンハルトは続けた。
「現国王、ヴァルデマール・ヴィ・グランヴァリア陛下。……劫炎の加護をお持ちだ」
『劫炎……?』
「火の精霊の中でも、最上位に位置する加護だ。滅多に発現しない。腕の一振りで、敵陣を焼き払ったとも言われている御方だ」
『それ、噂だけで済ませていい強さかよ……』
ユウが思わず声を上げた。
『っていうか、火の精霊ってことは、王家は代々そうなのか?』
「いや」
レオンハルトは首を横に振った。
「王族に、特定の属性の偏りはない。……もっとも、先代の王は雷の加護をお持ちだった。王妃も、オルトリンデ公爵家の出だ」
『雷……それって』
「そう。本来ならば、その血を継ぐ陛下も、雷の加護を発現するはずだった。だが、実際に宿ったのは、系統の異なる劫炎だった」
畳んだ装束を衣桁へと掛けながら、レオンハルトは続けた。
「こうした例外は、王族に限った話でもない。……だからこそ、この国には四大公爵家が置かれている」
『四大公爵家……ああ、火・水・風・地の、あれか』
「王族にいずれの系統が現れようと、必ずその血に見合う相手を娶せられるようにするための備えだ」
『なるほど……保険が、常に用意されてるってことか』
ユウが得心したように唸る。
『でも、それが"なぜ"起きるのかは、こっちじゃ解明されてないのか?』
「……原理、か」
レオンハルトは、少し考えるように視線を落とした。
「精霊の気まぐれだとしか、聞いたことがない」
『あー……もしかしたらだけどさ、それって隔世遺伝ってやつじゃないか? メンデルの法則……だっけ。遺伝子同士が組み合わさって、思わぬ形で出てくるっていう』
「……メンデル、だと?」
聞き慣れない単語に、レオンハルトは思わず眉を寄せた。
『あ、いや、俺の世界の話。……遠い先祖の特徴が、何世代も経ってから急に出てきたりするんだよ。植物の交配実験とかで見つかった法則でさ』
「……リゼットあたりが飛びつきそうな話だな」
半信半疑といった様子で、レオンハルトは呟いた。
『でもさ、それなら分かりやすいじゃないか。血の中に、色んな加護の"可能性"が眠ってて、何かの拍子にひょっこり出てくる、みたいな』
「……貴様の理屈が正しいのならば、ロイのように、市井から加護を持つ者が現れることも説明できるな」
レオンハルトは腕を組み、しばし思案する。
確かに、精霊の気まぐれという一言で片づけるよりは、論理的であった。
「確証のない話だ。鵜呑みにはできんが……筋は通っている」
『だろ?』
ユウが嬉しそうに応じる。
「まあいい、話を戻すぞ」
腕組みを解くと、レオンハルトは続けた。
「系統違いの加護が発現した以上、そのまま雷の血筋を娶るわけにもいかなかったのだろう。慣例に従い、現在の正妃――第一王妃は、火の系統に連なるカルディナ公爵家の出だ」
『慣例?』
「……貴族の間の慣習だ。婚姻は、同じ系統同士で行われるのが常識になっている」
『……つまり、加護に合わせて妃を選ぶのか』
「そういうことだ」
素っ気なく言い放つと、レオンハルトは灯りを一つ落とした。
『……それにしても』
ユウの声が、ふと真剣な響きを帯びる。
『そんな凄い人の前に立つんだもんな。明日……大丈夫か、レオン』
「心配など必要ない」
短く答え、レオンハルトは寝台へと身を横たえた。
「……いつも通りにするだけだ」
その声には、いつもよりわずかに硬さが滲んでいる。それに気づいていながら、ユウはそれ以上、何も言わなかった。
*
翌朝、正装に身を包んだ一行は、王城へと向かった。
幾重にも重なる石造りの回廊を進み、控えの間の手前で、エリザベートが足を止める。
「私は、このまま謁見の列へ加わるわ。オルトリンデの名代として、この場に立ち会う必要があるの」
そう告げると、ロイとリゼットへと視線を移した。
「あなたたちは、この部屋で待つように」
「はっ」
「は、はい……」
二人が頭を垂れる中、エリザベートはゲルハルトとレオンハルトへ短く一礼すると、身を翻して回廊の奥へと歩き去っていった。
案内された控えの間で、リゼットは資料の束を抱えたまま、青い顔で書類を何度も見返していた。
「リゼット殿、さっきから同じところ数えてますよ、それ」
「だ、だって……失敗したら、伯爵家の名前に傷が……!」
「一度、深呼吸でもしましょう。気を落ち着かせて――」
宥めるロイの声にも、いつもの軽さは薄かった。
「時間だ――ついてこい、男爵」
ゲルハルトが静かに腰を上げる。
「はっ」
短く応じ、レオンハルトも立ち上がった。二人が扉へと向かう背に、ロイが小さく呟く。
「……お二方、ご武運を」
祈るような声は、誰に届くでもなく、静かに控えの間の空気へと溶けていった。
*
謁見の間は、これまで通されたどの部屋よりも広かった。
高い天井を支える柱には、王家の紋章――交差する剣と、それを囲む四属性を模した意匠が刻まれている。
左右には貴族や重臣が居並び、その中にはエリザベートの姿もあった。
正面、幾段もの階を上った先。玉座に座す人物へと、視線が自然に吸い寄せられる。
赤金の髪に、琥珀の瞳。黒地に真紅の縁取りを施した王衣には、金糸の刺繍が幾重にも走っている。
『……うわ』
ユウが小さく息を呑んだ。
『あれが……劫炎の加護ってやつか』
ユウの目に映っているのは、国王の全身を覆うように揺らめく、陽炎に似た炎だった。
(――劫炎の加護、か)
ユウの反応から、恐らくは加護の力を幻視しているのだろう。昨夜の話を思い返しながら、レオンハルトは頭を垂れる。
「――ヴァルシュタイン伯、面を上げよ」
低く、よく通る声だった。
ゲルハルトが顔を上げる。
傍らでは、レオンハルトが同じく片膝をついていた。
「此度、火急の報告があると聞いた。申せ」
「はっ」
ゲルハルトは懐から封書を取り出し、両手で捧げた。
近衛の一人が進み出て、それを受け取る。そのまま玉座へと運ばれた。
「アルヴェイン男爵領にて、看過できぬ事態が発生いたしました。詳細は、その書状に記しております」
国王は封書を開き、黙って目を通していく。
視線が文面を追ううち、ある一点でぴたりと止まる。
「……何?」
小さく漏らし、もう一度、同じ箇所を読み返す。
書状を閉じると、国王はそれを宰相へ渡した。
「魔物を意のままに操るという、あの一件にございますか」
「うむ……読んでみろ」
読み始めの反応は、まだ軽いものだった。だが、文面を追う宰相の目が、みるみるうちに見開かれていく。
「――まさか、このような……!」
その声に反応して、周囲からざわめきが起こる。
「魔物を、操る……? そのような話、初めて耳にするぞ」
「アルヴェイン男爵領といえば、北の辺境か。国境の守りは、大事ないのか」
事情を知らぬ者たちにとっては、初耳の脅威だ。飛び交う声の一つ一つに、隠しきれない動揺が滲んでいる。
国王はやがて、片手を軽く上げた。それだけで、広間は再び静まり返った。
「――ここから先は、限られた者だけで聞こう」
視線が、広間を見渡す。
「此度の件に関わりのない者は、席を外せ」
下位の廷臣や書記官たちが次々と立ち上がり、一礼して退出していく。
貴族たちも、それに続いていき、その中にはエリザベートの姿もあった。
彼女は横目でチラリとレオンハルトたちを一瞥すると、オルトリンデ家の随員たちと共に広間を出ていった。
やがて残ったのは、国王、宰相、宮廷術師長、数名の近衛、そしてヴァルシュタイン家の二人だけとなった。
「して、詳細を申せ」
国王に促され、ゲルハルトは姿勢を正す。
「はっ。アルヴェイン領境での出来事です。先日、同領に魔狼の群れが侵入しましたが、これは我が家の騎士部隊が被害なく殲滅いたしました」
ゲルハルトはそこで一拍を置いた。
「しかし、その直後――正体不明の何者かの襲撃を受け、騎士三十名の半数以上が戦闘不能となり、残る十名も身柄を奪われました」
ゲルハルトは淡々と続ける。
「そして、捕らえられた騎士たちの首には、黒い石が埋め込まれておりました」
「黒い石……」
宰相がその言葉を反芻した。
「はっ。石によって正気を奪われ、意のままに操られていたのでございます」
宰相はしばし言葉を失ったように口を閉ざし、ゲルハルトを見つめる。
「人の身に、直接石を埋め込むと……?」
「はい。以前、我が領にて確認された、魔物を操る石と同種のものと思われます」
ゲルハルトは宰相の反応を見ながら、小さく息を吐いた。
「幸い、騎士らは全員、正気を取り戻しております」
「いかにしてか?」
「ここにいる、アルヴェイン男爵が懐に忍ばせていた『呪い移しの形代』が、偶然にも反応した模様です」
ゲルハルトは、レオンハルトがハインリヒへ説明したものと同じ内容を述べていく。
一点物の形代が呪いを移し取り、その代償として消滅したこと。
製法は再現できず、同じものを作ることはできなかったこと。
国王は黙してそれを聞いていたが、やがて深く息を吐いた。
「……それだけか」
「いいえ」
ゲルハルトは国王の目を正面から受け止める。
「もう一点、看過し難い事態がございます。以前、ご報告いたしました『変質した精霊石』についてでございます」
「――あの、火の精霊石か」
「はい」
ゲルハルトはわずかに目を伏せ、それから言葉を選ぶように口を開いた。
「精霊が消滅したのではなく、精霊そのものが変化している可能性がございます」
「精霊が、変化した?」
宰相が聞き返す。広間の空気が、目に見えて変わる。
「はい。消滅ではなく、変質である可能性がございます」
「根拠は?」
「詳しい仔細は、我が息子――レオンハルトより、直接ご報告させたく存じます」
そこで、ゲルハルトが一歩下がった。
国王の視線が、初めてレオンハルトへと据えられる。しばしの沈黙の後、短く許しが下りた。
「――申してみよ」
「はっ」
レオンハルトは短く応じ、居住まいを正した。
「現地にて採取した土、および精霊石の欠片を検分いたしました。……以前ご報告した火の精霊石と同じ変質が、地の精霊石にも生じることが判明しました」
「地の精霊石にも……?」
宰相の声に、わずかな驚きが滲む。
「それだけではありません」
レオンハルトは続けた。
採取した土の一部が落下せず、空中へ浮かび上がったこと。以前、リゼットが実証した内容を説明する。
「――以上になります」
広間に、困惑した声が広がった。
「……にわかには、信じ難い話だな」
宰相が、値踏みするような視線をレオンハルトへ向ける。
「宮廷の精霊鑑定士による見立てを、覆すと申すか」
「覆すつもりはございません。ただ、新たな可能性として――」
「ならば、根拠を示せ」
宰相の声が、レオンハルトの言葉を遮った。
「口先だけの仮説であれば、いくらでも語れよう。……何を根拠に、そう申す」
「現地から採取した試料がございます。また、それを検分した術師も控えの間に待機しております」
宰相が眉をひそめた。
「……試料を携えておきながら、この場には出さぬと?」
「陛下の御前にて、事前の許可なく得体の知れぬ物を持ち込むべきではないと判断いたしました」
「慎重なことだ」
宰相は小さく鼻を鳴らした。
沈黙の落ちた広間に、国王の声が静かに響いた。
「この場で議論を続けても仕方あるまい」
その一言に、広間が再び静まり返る。
「その方の申した術師とやら、控えの間に控えているのだったな」
国王はわずかに顎を引き、確認するように言葉を継いだ。
「はっ」
「ならば、試料もろともその者を伴い、宮廷術師らのもとで検分させよ。……それと」
傍らに控える宰相を横目で見据える。
「あの精霊鑑定士も、研究棟へ呼べ」
宰相の顔に、明らかな動揺が走った。
「し、しかし陛下。あの者は、現在――」
「聞こえなかったか」
国王の声が低くなる。
「連れてまいれ」
「……は」
宰相は近衛へ目配せした。命を受けた近衛が一礼し、広間を出ていく。
「余も行こう。余自身の目で確かめる」
国王が玉座から立ち上がった。
玉座の左右に控えていた残りの近衛たちが、即座に国王の傍らへと歩み寄る。
「ヴァルシュタイン伯、及び男爵。……ついてまいれ」
「はっ」
ゲルハルトとレオンハルトは立ち上がった。三人の後を、宮廷術師長と近衛たちが続く。
こうして一行は、宮廷術師の詰所へ向かうこととなった。
*
一行を出迎えたのは、石造りの一室だった。
光も通さぬ分厚い壁。火の精霊石が嵌め込まれたランタンの光が、石卓を静かに照らし出している。
その敷居を跨いだ瞬間、室内にいた宮廷術師たちの手が止まった。主君自らの視察という事態に、跪こうとする者たちを、国王は片手で制する。
「かしこまるな。此度は、検分に立ち会うだけのことだ」
奥では、すでにリゼットが待機していた。試料の入った木箱を抱えたまま、その顔は隠しようもなく強張っている。
程なくして、廊下の方から幾つもの足音が近づいてきた。
扉が開かれる。護送の任を負った近衛たちに囲まれ、一人の人物が室内へと入ってきた。
白い外套に、深く被ったフード。両手を包む白い手袋の上から、枷が戒められている。ゲルハルトが対面した時と変わらぬ出で立ちだったが、裾はどこか薄汚れ、足取りも心なしか重かった。
フードに隠れ、その容貌は窺えない。俯いていた顔が、しかし一瞬、微かにこちらへと向けられた。
(あれは、あの時の……)
姿も、声も、何一つ発されてはいない。
それでも、レオンハルトには分かった。フードの奥から向けられる、あの静かな気配に、覚えがあったからだ。
二年前、自身を「無加護」と断じた、精霊鑑定士であることに。
同時に、レオンハルトの脳裏で、ユウの気配が変わった。
『な……なんだ。何なんだ、この人は!?』
これまでにない戸惑いを見せている。
『氷、か……? あの人の周りを、精霊たちが取り巻いている』
困惑した声が、更に続く。
『いや……あの人自身の精霊だけじゃない。さっきまで王様の傍にいた、あの燃えてる奴も。レオンの親父さんの周りをふわふわしてた奴も。……この部屋にいる精霊、みんな、あの人の方に向かって集まっていっているのか!?』
レオンハルトは応じなかった。
表情を動かすことなく、正面を見据えたまま。だが――
(……自我が薄いとされる精霊が、明らかな反応をみせているというのか)
内心で、そう静かに考察する。
精霊鑑定士の正体は、宮廷内でも厳重に秘匿されているという。現に、伯爵のゲルハルトですら、その素性を知らされてはいない。
(これほどまでに秘され続けている者に、精霊たちが無条件で引き寄せられている……か)
考えるほどに、きな臭さが増していく。だが今は、それを深追いする場ではなかった。
「――始めよ」
国王の声に、リゼットの肩が跳ねる。
「は、はいっ……!」
震える手で、木箱を卓上に広げ始めた。
「え、えっと、まず、こちらの土が……あ、いえ、先に石の方を……」
順序を誤り、慌てて器具を並べ直す。思わず眼鏡の位置を直そうと手を伸ばすが、指先が震え、うまく定まらない。
「わ、私、こういう場は、その、あまり慣れておらず……」
縮こまった声で、リゼットが俯く。宮廷術師の一人が、小さく鼻を鳴らした。
『――って、おい。リゼットさん。滅茶苦茶、上がってるじゃないか』
目の前の状況に気づいたのか、ユウが困ったように呟く。
『なあレオン、助けてあげるべきだろ。このままじゃ、リゼットさん、プレッシャーで潰れちまうぞ』
「……ふん」
小さく鼻を鳴らすと、レオンハルトは口を開いた。
「落ち着け、リゼット。……お前が現地で見た通りのことを、その手順で示せばいい。それだけだ」
「――っ!?」
リゼットは驚いたように顔を上げる。
それから、意を決したように大きく息を吸い込んだ。
「は、はいっ!」
震えは、完全には収まらない。だが、その手つきが、少しずつ確かなものへと変わっていく。
黒ずんだ土の入った小瓶を、木箱から取り出す。
その瞬間、部屋の隅に控えていた精霊鑑定士が、ピクリと身を強張らせた。
リゼットは、その土を燈色に輝く精霊石へと近づける。
すると――石の色が、みるみるうちに漆黒へと変わっていった。
「な……」
宮廷術師の一人が、思わず声を上げる。
続けて、黒ずんだ土だけをガラス板の上に置く。しばしの静寂の後、土の表面から、目を凝らさねば見えぬほど微かな粒子が、ふわりと浮かび上がった。
「あり得ぬ……」
「土くれが、浮くはずが……」
動揺が、室内に広がっていく。だが、その声の端々には、なおも拭いきれない疑いの色があった。
「大道芸の類、ということはないのか」
年配の術師の一人が、眉根を寄せたまま呟く。
実演を目の当たりにしてなお、すぐには飲み込めない現象だった。
国王の視線が、部屋の隅へと向けられる。
「――其方の見解を聞きたい」
フードの人影が、静かに一歩進み出た。
精霊鑑定士は、卓上に残された土と石へと、白い手袋に包まれた指先を伸ばす。しばしの沈黙の後、静かに口を開いた。
「……私にも、分かりません」
フードの奥から響く声は、以前と変わらず澄んでいた。だが、どこか言葉を選ぶような響きがある。
「ただ、私の理解を超えた現象であることは、確かでございます。……消滅であると決めつけたのは、早計でありました」
それ以上の言葉は、続かなかった。
国王はしばし、フードの奥を見つめていたが、やがて短く命じた。
「……連れて行け。詳細は、後で正す」
近衛たちに促され、鑑定士は静かに一礼すると、来た時と同じように、足音だけを残して去っていった。
『……レオン。あの人、いったい何者なんだ?』
ユウがぽつりと呟く。
レオンハルトは答えなかった。ただ、鑑定士が消えた扉を、しばらく無言で見つめていた。
*
一行は、再び謁見の間へと戻ってきた。
国王は玉座にゆっくりと腰を下ろすと、レオンハルトたちを見据える。
「――此度の働き、大儀であった」
広間に、国王の声が重々しく響いた。
「アルヴェイン男爵。其方の働きなくば、事態はより深刻なものとなっていただろう」
労いの言葉に、レオンハルトは深く頭を垂れる。
「勿体なきお言葉にございます」
だが、国王の言葉は、そこで止まらなかった。
「……しかし、男爵は無加護であったか」
広間の空気が、わずかに張り詰める。
「それで、これほどの事態に対処し得たというのは……にわかには、信じられぬな」
侮蔑の色があるわけではない。ただ、拭いきれない懐疑だけが、そこにあった。
だが、そこに一人の男が前へ進み出る。
「――仰る通りにございます」
ゲルハルトであった。
「倅は、無加護の身。脅威に抗し得る力を持ち合わせてはおりませぬ」
レオンハルトを一瞥すると、正面をまっすぐ見据える。
「此度の一件は、全て私の采配によるもの。倅は、私の指示通りに動いたに過ぎません」
レオンハルトは深く頭を垂れたまま、拳を僅かに握り込む。
国王は、しばしゲルハルトを見据えていた。やがて、その視線をレオンハルトへ移す。
「――左様か」
それ以上、深く追及することはなかった。
「大儀であった、ヴァルシュタイン伯。両名とも、下がってよい」
「はっ」
ゲルハルトとレオンハルトは、揃って深く頭を垂れた。
二人は静かに身を起こし、謁見の間を後にする。
――ただ、レオンハルトの握り込んだ拳だけが、しばらく開かれることはなかった。




