第8話 冒険者ギルド?
翌朝、伯爵別邸の広間には、柔らかな朝の光が差し込んでいた。
レオンハルトたちが揃った頃合いを見計らったように、正装を身に纏ったエリザベートが姿を見せる。
「おはようございます、公女様。朝からお忙しいようで」
ロイが声をかけると、エリザベートは軽く会釈を返した。
「……早速だけれど、伝えておきたいことがあるわ」
そう言って一同を見渡し、話を切り出す。
「宮廷への取次ぎを進めているのだけど、正式な紹介状の発行に、謁見の日程調整……最低でも三日はかかると思ってちょうだい」
「なるほど。王宮ともなると、手続き一つにも時間がかかるんですね」
ロイが得心したように頷く。
「むしろ、極めて迅速に進んでいるほうだ。普通なら、この数倍はかかる」
レオンハルトが補足した。
紹介状の発行、各所への連絡、日程の調整。それだけでも相応の時間を要するのが常だ。まして今回は、オルトリンデ公爵家からの正式な取次ぎを経ての謁見である。
「それと……今日と明日は、私も取次ぎの手配で身動きが取れないと思うわ」
エリザベートはレオンハルトへ視線を向けると、わずかに表情を引き締めた。
「護衛できない以上、あなたたちも、あまり遠くへは出歩かないでほしいのだけれど」
「――だそうですよ、レオン様。王都見物は、しばらくお預けですかねぇ」
ロイが肩をすくめながら、冗談めかして言う。
「わ、私は王宮の書庫に興味がありますっ。閲覧の許可さえいただければ、精霊学の貴重な文献を――」
食い気味に割り込んできたリゼットに、ロイが苦笑した。
「いや、書庫はさすがに今日は無理でしょ、リゼット殿」
「うぐ……そう、ですよね」
肩を落とすリゼットを見て、エリザベートがふと口を開いた。
「そういえば、あなたは精霊学を研究しているのだったわね」
「はいっ!」
リゼットが顔を上げる。
「それなら、公爵家の別邸にある書庫を使うといいわ」
「……書庫?」
「ええ。王宮ほどではないけれど、精霊学に関する蔵書もそれなりに揃っているはずよ」
「精霊学の……蔵書……」
リゼットの目が、みるみるうちに輝きを増していく。
「よ、よろしいのですか!?」
「父には私から話を通しておくわ。必要なものがあれば、従者に頼めばいいでしょう」
「ありがとうございます、公女様!」
先ほどまでの落胆が嘘のように消えたリゼットを見て、ロイが苦笑する。
ロイたちの一連のやり取りを、レオンハルトは黙って聞いていた。
正直なところ、物見遊山に興じる気分ではない。昨日の父とのやり取りの重さは、まだ胸の奥に居座ったままだ。
『なあなあ、レオン。ちょっとだけでいいから、外、出てみないか?』
脳裏で、ユウがそわそわと声を上げる。
『俺、こっちの世界の「都市」って、ちゃんと見たことないんだよ。……頼む、ちょっとだけでいいから』
「……ロイ。このような時こそ、鍛錬をすべきだ。私が相手をしてやる」
『って、おい!? 何言ってんだよ、せっかく王都に来てんだぞ! お前、ストイック過ぎるだろッ!』
ユウの抗議にも、レオンハルトは顔色一つ変えない。
「いやいや、レオン様。見聞を広めるというのも大事ですよ。ずっと張り詰めているのも、かえって身体に悪いですから」
『ナイス、ロイさん! ほら、ロイさんもリゼットさんも行きたそうにしてるしさ。息抜きも必要だろ、こういう時こそ』
食い下がるユウに、レオンハルトは息を吐く。
「――少しだけだ。日が傾く前には戻る。固まって行動しろ、はぐれるなよ」
「おっ、いいんですか!」
ロイが声を弾ませる。
「ただし」
レオンハルトは、エリザベートへとちらりと視線を向けた。
「大通りから外れず、目立った真似はしない。それで、いかがでしょうか」
エリザベートは、しばし逡巡するように視線を落としていたが、やがてゆっくり顔を上げる。
「……分かったわ。何かあれば、すぐに公爵家の紋章を見せて助けを求めて。この街で、それを無下にする者はいないから」
「ご配慮、感謝します」
こうして、束の間の自由時間を得たレオンハルトたちは、最低限の護衛を伴い、王都の大通りへと繰り出すことになった。
*
「しかし、王都ってのは面白いですねぇ」
ロイが物珍しそうに通りを眺める。
「店の並びが、すっかり変わってますよ。前に来た時とは、まるで別の街みたいだ」
周囲を見回し、感嘆するように口笛を吹く。ふと一軒の建物にユウの意識が向いた。
外壁に飾られた粗末な掲示板に、いくつもの紙切れが貼り付けられている。その前には、身なりのラフな男たちが数人たむろし、思い思いに紙を覗き込んでいた。
『――って、待て待て待て! あれ、まさか依頼書か!?』
脳裏で、ユウの声が跳ね上がる。
『討伐依頼とか採取依頼とか貼り出して、冒険者が受けるやつだろ!? 冒険者ギルドってやつだ!』
「……冒険者ギルド?」
聞き慣れない言葉に、レオンハルトは眉をひそめた。
『そう、それ! この世界にもあるのか!?』
ユウの声には、隠しきれない興奮が滲んでいる。
「……傭兵組合のことか。あるにはあるが」
小声で応じながらも、レオンハルトの反応は淡白だった。
『そんな塩対応があるかよ! もっとテンション上げていこうぜ!』
不満げなユウをよそに、レオンハルトは前を歩くロイへと目を向けた。
「ロイ。あれは、お前がいたような組合か」
「へ? いや、俺がいたのはもっと北の、ちっちゃい所ですね。ここは王都のだから、多少はマシでしょうけど」
呼びかけに気づいたロイが振り返り、気軽に答えた。
『マシって、どの程度だよ。ランク付けされた奴が何百人もいて、国中に支部があって……みたいなのはないのか?』
興奮冷めやらぬ様子で、ユウが声をあげた。
ロイはわずかに首を傾げる。何でもない世間話にしては、レオンハルトの反応が妙に硬い。
「……ひょっとして、ユウ殿が気にされているので?」
「……ああ。規模について知りたいらしい」
その返答だけで、ロイは察したらしい。心得たように頷くと、掲示板の方へと向き直った。
「まあ、専属の傭兵は精々百人前後ですよ。それに、そもそもあの掲示板に貼ってあるのは、誰でも受けていい下っ端向けの仕事だけです」
『あれ、全部じゃないのか?』
「……要は、町の雑用程度の依頼ということだろう」
その時、建物の奥から賑やかな声が上がる。
ユウが意識を向けると、受付の一角で男と受付嬢らしき女性が問答をしている様子が見えた。
「――魔物退治の依頼をくれ! こう見えても腕には自信があるんだ!」
血気盛んな声が、外まで漏れ聞こえてくる。
男は屈強な体格をしているが、着ている鎧はまだ真新しく、使い込まれた様子がない。
受付嬢は、書類を捲る手を止めぬまま、顔も上げずに応じた。
「申し訳ございませんが、本日はベテランの方々が軒並み出払っておりまして。即座にお回しできる討伐依頼は、生憎ございません」
「そんな……! じゃあ、いつになったら――」
「当組合は信用商売ですので。万が一にでも、依頼に失敗するわけにはいかないのです。……それでもと言われるのなら、あちらの掲示板をご覧ください」
視線だけを上げ、壁の掲示板を指し示す。
「狩猟でしたら、獲ってきた獲物や指定された素材を持ち込んでいただければ、その分だけ報酬をお支払いします。街道の清掃や害虫駆除なども、報酬はそれほど多くありませんが……まあ、組合としては手の空いた方にお願いしている仕事ですね」
「おいおい。狩猟っていっても、その辺にいる動物ばっかりじゃねえか」
「ええ。腕に覚えがなくても問題ありません。今すぐお受けいただける依頼でしたら、ちょうどあの辺りに。早い者勝ちですので、お早めにどうぞ」
「くそ……そんなのしかないのかよ」
男の声からみるみる勢いが抜けていく。
がっくりと肩を落とし、それでも他に道がないと悟ったのか、渋々といった様子で掲示板の方へと足を向けていった。
その一部始終をレオンハルトたちは見ていた。
「あれが現実だ」
『まあ、それはそうか……』
ユウの声には、明らかに落胆が滲んでいる。
「それに、魔物も狩ればいいというものでもない。闇雲に狩り続ければ、生態系そのものが歪みかねないからな」
『せ、生態系……』
思いがけない単語に、ユウの声が裏返る。
「生態系が崩れれば、その隙間を埋めるように別の魔物が湧いてくる。場合によっては、より脅威となりかねない」
「以前、男爵領に流れてきた、ブラッドベアみたいな奴ですよね」
ロイが得心したように相槌を打つ。あの時はまだ規模も小さかったが、群れで移動してこられれば新たな問題となっていただろう。
『……つまり、掲示板の雑用をこなしつつ、いつか認められて仲介人から声がかかるのを待つ……みたいな世界なんだな』
しみじみと呟くユウに、レオンハルトは小さく息を吐いた。
「貴様の世界の話は知らんが……この世界では、力とは常に責任と管理を伴うものだ。誰にも属さぬ力など、いずれ災いにしかならん」
「ええ、レオン様の言う通りですよ」
ロイは歩調を緩めることなく、横目でレオンハルトを見る。
「俺だって、組合を辞めた後は根無し草でしたからね。……いつまでも自由にやってられるほど、この世界は甘くないということです」
『……世知辛いなぁ』
肩を落とすようなユウの声に、レオンハルトは小さく鼻を鳴らす。
その口元が、ほんの僅かに緩んでいたことに――隣を歩くロイだけが、気づいていた。
*
時を同じくして。
アルヴェイン男爵領の北に広がる森林帯。
乾いた土埃を巻き上げながら、木々の間を強い風が吹き抜けていく。
「――もう一匹! 左です、フレデリカ様!」
兵士の一人が声を張り上げる。
「グオォォォ!!」
木々をへし折りながら、巨躯の魔物が姿を現した。赤褐色の毛並みに覆われた、熊を思わせる魔物――ブラッドベアだ。
かつてこの森の奥で確認されたのは、わずか三体だったはずが、今や数を増やし、人里の際まで頻繁に姿を見せるようになっていた。
畑を荒らされた、家畜が襲われた――そんな報せが、ここ数日で立て続けに届いている。
「まっかせなさいッ!」
快活な声で応えたのは、フレデリカだった。
彼女の全身に、深緑の光が纏わりつく。風というより、渦を巻く嵐そのものと呼ぶべき奔流が、その輪郭に沿って吹き荒れていた。
ブラッドベアが咆哮を上げ、巨大な腕を振り上げる。
次の瞬間、丸太のような前脚が、フレデリカ目がけて振り下ろされた。
――しかし
フレデリカは、虫でも払い除けるかのように、左手を払った。
バシィッ、と乾いた音が響く。
巨体から繰り出された一撃は、あまりにもあっさりと軌道を逸らされた。
大きくのけぞったブラッドベア。その顔には、まるで何が起きたのか理解できないとでもいうような、呆気に取られた表情が浮かんでいる。
「隙だらけよッ!」
一歩踏み込んだかと思うと、フレデリカの拳が唸りを上げる。
「どぉりゃぁぁ!」
雄たけびと共に放たれた一撃が、ブラッドベアの巨体を正面から捉えた。
――ドゴォッ!
鈍く重い音と共に、ブラッドベアの巨体が宙へと舞い上がる。
悲鳴じみた咆哮を残しながら、その体は木々の梢を巻き込みつつ、森の奥深くへと吹き飛んでいった。
「あーあ、また森の奥まで飛んでっちゃった。まあ、手間が省けるし、これもありか」
フレデリカは腰に手を当て、つまらなそうに息を吐く。
「肩慣らしにもならないわ。もう少し骨のある奴、いないもんかしら」
「贅沢な悩みですな」
少し離れた場所で戦槌を構えていたヴォルフガングが、苦笑まじりに応じた。その得物には、まだ血の一滴もついていない。
「危険な魔獣の群れを、拳一つで軽くあしらう。文句を言えるのは、お嬢くらいのものでしょう」
「だってつまんないんだもの」
フレデリカは唇を尖らせながらも、すぐに豪快な笑い声を上げた。
「ま、被害が出ないのが一番よ」
今日も、アルヴェイン男爵領は平穏であった。




