第7話 王都到着
日が沈みきる前に、一行は王都の城門をくぐった。
石畳の大路には、篝火が等間隔に灯り始めている。すれ違う人々の身なりも、これまで通ってきたどの町とも違っていた。
少なくない人々が、気品を感じさせる絹服や豪奢なドレスで着飾り、王国の中枢に住まう者たちの気配を、これでもかと醸し出している。
「公女様をオルトリンデ公爵家の別邸へお送りしろ」
レオンハルトは護衛の一人に短く命じた。
「忘れたの? 私は貴方の護衛よ」
馬を寄せてきたエリザベートが、当然のように遮る。
「方向が違います。私もヴァルシュタイン伯のところへ向かいます」
短くそれだけ告げ、視線を前へと戻す。
『はは、モテモテだなぁ。レオンは』
ユウが茶化すような言葉に、レオンハルトは眉間に深い皺を刻んだ。
だが、込み上げる苛立ちを押し殺して、努めて平静を装う。
「……承知しました」
レオンハルトは一拍置いてから頭を垂れた。
「いやはや、公女様は律儀な方ですねぇ」
隣を進んでいたロイが、小さく肩をすくめる。
「では、改めて。よろしくお願いいたします、公女様」
エリザベートは横目でロイを一瞥した。
一行は、そのままヴァルシュタイン伯爵別邸へと続く道を進んでいった。
*
伯爵別邸に到着すると、すでに知らせが届いていたのか、迎えの従者たちが一行を出迎えた。
レオンハルトたちは、そのまま執務室へと案内される。エリザベートは供の侍女と共に、いったん扉の外で待機した。
そこで待っていたゲルハルトは、一行の姿を認めると、手にしていた書類から顔を上げる。
「遅かったな」
「道中、いくつか立ち寄る先がございました。ご報告が遅れましたこと、お詫び申し上げます」
レオンハルトは一礼し、片膝をついた。主にならい、ロイたちも頭を垂れる。
「面を上げよ。……して、道中に障りはなかったか」
「はい。オルトリンデ公爵領にて一泊し、オルトリンデ公より、宮廷への取次ぎ役を賜りました」
「そうか」
ゲルハルトは短く頷いた。
「――して、その取次ぎ役の者は?」
「公のご令嬢、エリザベート様が、自ら同行してくださいました」
「……何?」
その名を耳にした瞬間、ゲルハルトの目が、わずかに細まる。
取次ぎ役として人を割くだけならば、しかるべき身分の使者で事足りる。あえて息子の元婚約者をその役に選んだという事実に、ゲルハルトは何かしらの意図を感じずにはいられなかった。
(……オルトリンデ公は、何を見ている)
「ヴァルシュタイン伯爵閣下」
扉の向こうから、静かな声が届いた。
「入れ」
入室を許可すると、入り口の扉が開く。
「この度は、何のご連絡もなく同行いたしましたこと、まずはお詫び申し上げます」
エリザベートが一礼して、執務室へと足を踏み入れる。
「いや、こちらこそ世話をかけた。……礼は、後日あらためて公爵家へ」
ゲルハルトはそう応じると、一行の後方へ視線を巡らせた。
ふと、その目が止まる。
「――なぜ、貴様がここにいる」
一段低く発せられた声に、リゼットの肩が小さく跳ねた。
「あ、あの、その……」
「私が、彼女の同行を許可しました」
レオンハルトが、即座に言葉を継ぐ。
「現地での調査において、彼女の着眼点は無視できぬものがございました。王都でも、その知見が役立つと、判断した次第です」
ゲルハルトはしばしリゼットを見据えていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……まあいい。大人しく屋敷に留まる質でもあるまい」
「は、はいっ! 仰る通りです!」
即座に頷くリゼットに、ゲルハルトはわずかに肩を落とした。
型通りの挨拶が済むと、レオンハルトは表情を改め、一歩前へ出る。
「閣下から伺った、精霊の消滅についてですが……我々なりに調査を進めた結果、別の可能性が浮かび上がりました」
「――別の可能性、だと?」
ゲルハルトの声に、鋭さが増す。
宮廷の精霊鑑定士が下した見立てとは異なる報告。その意味するところを、レオンハルトも承知していた。
「……我々が至った仮説について、これからご説明いたします」
レオンハルトは鋭い視線を正面から受け止め、僅かに息を整えてから口を開く。
「精霊は、今もそこに在ります。……ただ、性質そのものが、書き換えられているのです」
ゲルハルトの眉が、ピクリと動いた。
「根拠は」
「わ、私からご説明しますっ」
そう答えたのは、リゼットであった。
彼女はずれ気味の丸眼鏡に手を当てて、指先で位置を整える。その所作だけで、先ほどまでの落ち着きのない気配が、すっと引いた。
「――北の森の戦場跡にて採取した土でございます。ご覧ください」
リゼットは持参した木箱から、黒ずんだ土の入った小瓶と、褐色に輝く地の精霊石を取り出した。
『……レオン。あの土、何かいるぞ』
ユウの声が、脳裏に響いた。
『地の精霊みたいだけど……違う。周りの空間が……歪んで見える』
レオンハルトの表情から、わずかに緊張が滲んだ。
(空間が歪むだと……?)
レオンハルトは、改めて土へと視線を向けた。
だが、彼の目には、ただ黒ずんだ土があるようにしか見えない。
リゼットが、褐色に輝く地の精霊石を土へと近づける。
――瞬間、褐色だった石の輝きが揺らぎ、みるみるうちに漆黒へと染まっていく。
「な……」
ゲルハルトが、思わず身を乗り出した。
「以前、閣下にご覧いただいた蒼い破片は、火の精霊石でした。ですが今、私の目の前で同じ現象が、地の精霊石にも起きています」
リゼットは変色した精霊石を布の上に置くと、続けて別の器具を取り出した。薄いガラス板の上に、黒ずんだ土だけを少量だけ、慎重に載せていく。
「これを、ご覧ください」
しばしの静寂の後、土の表面から、目を凝らさねば見えぬほど微かな粒子が、ふわりと浮かび上がった。
「馬鹿な……!」
ゲルハルトの目が大きく見開かれる。
自然ではあり得ない現象に、流石の彼も驚きを隠せない。
「いったい……何が起きている」
「既存のいかなる魔術理論にも当てはまりません。ですが……少なくとも、単純な消滅ではないことだけは確かです」
リゼットは眼鏡の奥から、まっすぐにゲルハルトを見据えた。
「精霊は、消えてなどいません。……全く異なる性質をもつ何かに、造り替えられようとしているのです」
『……普段はあんななのに、こういう時だけは本当に頼もしいんだよな。リゼットさん』
脳内で、ユウが感心したように呟く。
ゲルハルトは、しばし言葉を失ったまま、浮遊する粒子を見つめていた。
(――あの時感じた感覚は、これか)
王宮の鑑定室で覚えた、あの言葉にできない違和感。あの時は判然としなかったその正体が、今、目の前で輪郭を帯びていく。
「……由々しき事態、では済まぬな」
ゲルハルトはそう呟くと、視線を上げた。しばらく黙考した後、静かに告げる。
「あとは、二人だけで話す。エリザベート嬢、そしてクロムウェルらは……別室にて待たれよ」
有無を言わせぬ声だった。エリザベートが小さく一礼し、リゼットとロイを促して退室していく。
扉が閉まり、部屋には親子二人だけが残された。
しばし、沈黙が落ちる。ゲルハルトは椅子に深く座り直すと、腕を組んだ。
「――さて。本題は、まだ残っていよう」
「はい」
レオンハルトは短く応じた。
「カイル殿……並びに、随行の騎士たちについてです」
その名を聞いた瞬間、ゲルハルトの纏う空気が変わる。
「詳しく話せ」
「南西の境界にて魔狼の襲撃を退けた直後、騎士らの半数以上が壊滅。そして――カイル殿以下十名が、正体不明の者によって黒い石を埋め込まれ、操られました」
レオンハルトは順を追って事の経緯を語った。
デモンボアの一件で確認したものと同種の石であること。だが今回は、対象が魔物ではなく人間であったこと。カイルを中枢として、他の騎士たちの動きまでもが一糸乱れず同調していたこと。
聞き終えたゲルハルトの顔が、次第に強張っていく。
「……人を、木偶のように操ったというのか」
「はい。しかも、以前よりも術が洗練されておりました。段階を踏み、力を試している――そう考えるのが妥当かと」
「……そうか」
ゲルハルトは険しい表情のまま、椅子に背を預けて腕を組む。その沈黙が、事の重大さを物語っていた。
やがて、ゲルハルトが口を開く。
「――して」
低い声が、重い沈黙を破る。
「その黒い石による異変、いかにして解いた」
レオンハルトは、すぐには答えなかった。リゼットが残した木箱に手を差し入れ、そこから一つの木片を取り出す。
「論より証拠にございます」
黒ずんだ木片――人型をかたどった形代だった。
「閣下、少々お下がりください」
レオンハルトは静かにそう告げると、机上に置かれていた黒ずんだ土と、変色した地の精霊石を一瞥した。続けて木箱から、カイルたちから採取した黒い石の破片を数個取り出し、傍らに並べていく。
ゲルハルトは黙って椅子を引き、距離を取った。
レオンハルトは形代を両手で持つと、それを自らの胸へと押し当てた。
――カッ、と。
一瞬の後、彼の全身から純白の光が迸った。
『うわッ!?』
ユウが驚きの声を上げた。
「ぬッ――!」
ゲルハルトも、思わず腕で顔を庇う。
光は室内を真昼のごとく満たし、机上の品々を等しく包み込んだ。形代は、その手の中で音もなく崩れ落ち、消えていく。傍らに並べられていた黒い石の破片も、同じように輪郭を失い、跡形もなく消え去った。
それだけではない。
『精霊が、また変わって――いや、違う。これは、元に戻ってるのか?』
ユウの戸惑った声が、脳裏に響く。
黒ずんだ土から、そして漆黒に染まっていた地の精霊石から、澱んだ色がすっと引いていった。見る間に、土は元の茶色を取り戻し、精霊石は褐色の輝きを取り戻していく。
光が収まった時、机の上に残っていたのは、何の変哲もない土くれと、ただの精霊石だけだった。
ゲルハルトは、しばし声も出せずに、その光景を見つめていた。
「……これは」
「――突然、この力が私の内から発現いたしました」
レオンハルトは静かに口を開く。
「呪いの浄化も、今ご覧いただいた現象も。……原理は、私自身にも分かりません」
それは偽りではなかった。
この力がユウに由来することまでは分かっている。だが、それが何なのか。なぜ呪いを浄化できるのか。レオンハルト自身にも答えられない。
ゲルハルトは、何も言わなかった。
かつて精霊鑑定士に下された「無加護」の宣告。そして今、目の前で示された、四属性のいずれにも属さない異質な力。その二つは、あまりにもかけ離れていた。
沈黙の中、レオンハルトが一拍置いて口を開く。
「――申し上げておくことがございます」
その声に、ゲルハルトの視線が上がった。
「オルトリンデ公には、これとは別の説明をいたしました」
レオンハルトは、あの場で何を語ったのかを淡々と説明する。
懐に忍ばせていた形代が呪いに反応し、これを移し取ったのだといったこと。
製法については、偶然が重なった一点物の触媒であり、再現は叶わなかったこと。
「――そのように、公には申し上げました」
語り終えると、レオンハルトは深く頭を垂れた。
『レオン……そこまで話すのかよ』
ユウは思わず息を呑む。
「……独断でこのような報告をいたしましたこと、お詫び申し上げます」
ゲルハルトは何も答えない。
ただ、険しい顔つきのまま、頭を垂れたレオンハルトをじっと見据えている。
やがてゲルハルトは、ふっと視線を逸らした。
「……下がれ。今日はもう休め」
短くそれだけ告げる。
『……よかった……のか?』
怒声が飛ぶと身構えていたのだろう。ユウが、拍子抜けしたように呟く。
「はっ、失礼いたします」
一礼して部屋を辞していくレオンハルトに、ゲルハルトはそれ以上、何も言わなかった。
*
扉が閉まり、一人残った執務室に、静寂が満ちた。
ゲルハルトは椅子に深く身を沈め、目を閉じる。瞼の裏に蘇るのは、先ほどの純白の光だった。
(……あれが、我が子から放たれたというのか)
呪いを浄化し、精霊の変質さえも覆す力。しかも、その力の正体を本人すら理解していない。
(この事実が広まれば――)
まず、敵が動く。
魔物や人を操り、何かを企てている者にとって、あの力は看過できるものではない。レオンハルトは、すでに標的として認識されている可能性がある。
だが、それだけではない。
(味方も、黙って見てはいまい)
加護を絶対視するこの国が、得体のしれぬ力を持つ者を放っておくはずがない。
恐れて排斥するか、あるいは利用価値を見出し、王家や有力貴族の名の下に道具として囲い込もうとするか。
どちらに転んでも、レオンハルトが一人の人間として扱われる未来はない。
ゲルハルトはゆっくりと目を開いた。
敵からは狙われ、味方からは追われる。ならば、今はこの力の存在を伏せるしかない。だが――。
ふと脳裏をよぎったのは、エリザベートの姿だった。
わざわざ王都まで彼女を同行させたのは、果たして単なる護衛のためだったのか。
(……あるいは、オルトリンデ公はすでに何かを察しているのかもしれぬ)
ゲルハルトは、静かに息を吐いた。
机上の羊皮紙を一度すべて破棄すると、あらためて白紙を広げ、ペンを取る。
精霊の変質については、詳細に記す。国全体で対処すべき脅威である以上、これは伏せられない。
だが、浄化の力についての記述は、一文たりとも載せない。
静かな執務室に、ペン先が紙を擦る音だけが、長く響いていた。




