第6話 秘密の共有
「……貴方の中に、誰がいるんです?」
『――ッ!』
レオンハルトの表情が、ほんの僅かに強張った。
脳裏で、ユウが息を呑む。
「最初に違和感を覚えたのは、魔物との戦場です。貴方は突然、虚空に向かって独り言をこぼしていた。そして――」
誤魔化す隙を与えないよう、ロイはゆっくりと、しかし確実に言葉を重ねていく。
「戦いが終わった後、館の私室が水浸しになった時も、いつもの貴方らしからぬ様子で。まるで、別人のようにしか見えなかった」
ロイの目は、主君の些細な変化を一切見落としていなかった。
「極めつけは、先日のカイル殿との戦いです。貴方は何もない場所に向かって怒号を放ち、そして――あの純白の光が現れた。無加護であるはずの貴方から」
ロイはそこで言葉を区切り、レオンハルトの目を真っ直ぐに見据えた。
「最後に、昨日の模擬戦のときも……これだけ揃えば、嫌でも分かります」
言い逃れはできない。そう悟ったレオンハルトは、深く息を吐きだす。
「――言っておくが、私はいたって正気だ。これから話すことも、全て事実だ」
そう前置きして、観念したように口を開く。
「……異なる世界から来た者が、私の中に存在している」
レオンハルトは、自分の中で起きている不可思議な現象と、ユウという存在について、できる限りこの世界の言葉に置き換えて、順を追って語った。
始まりは魔物の襲撃があった前日、突然自分の中にユウが入り込んできたこと。
デモンボアとの戦いで、黒い石の在処をユウが見出したこと。
カイルたちとの戦いの中で、ユウが起点となり、浄化の光が発現したこと。
ありのまま説明を続けたが、ロイは腕を組んだまま首を傾げている。
その表情には理解より困惑の方が色濃く浮かんでいた。
「つまり……精霊みたいなものですか?」
しばらく考え込んだ末に、ロイはそう結論づけた。
「光の精霊……のような方がレオン様に憑いている。それなら、納得できます」
「そうか……確かに、そういう解釈にも取れるか」
誰も知らない、光の精霊。
ロイは、その一言でどうにか自分を納得させたようだった。
レオンハルト自身、すぐにはユウの話を飲み込めなかったのだ。それを当事者でもないロイが、すぐに受け入れられるはずもなかった。
そもそも「異世界」という概念自体、この世界の人間には理解し難いものなのだろう。
「……まあ、細かい理屈はよく分かりませんけどね」
ロイは頭を掻きながら、笑った。
「でも――その『ユウ殿』が、レオン様を支えてくれているってことくらいは分かります」
その声音はどこか穏やかで、いつもの軽さは感じられない。
「ユウ殿が、あの窮地でみんなを救ってくれた。それに、レオン様も少し変わられたように感じます」
偽りのない、真っ直ぐな言葉だった。
ロイは柔らかく微笑むと、自分の胸を軽く叩いてみせる。
「だったら俺は、二人まとめて守りますよ。レオン様も、ユウ殿も。それが、俺の役目ですから」
「……勝手にしろ」
レオンハルトは顔を背け、ぶっきらぼうに吐き捨てた。
その反応を予想していたように、ロイは声を立てて笑う。そして主君の頭上へと、目に見えない誰かに語りかけるように、少しだけ視線を上げた。
「ユウ殿。聞こえているんでしょう?」
『えっ!?』
突然呼びかけられ、ユウは戸惑う。だが、ロイはそのまま言葉を続ける。
「レオン様は、本当は寂しがり屋なんだ。ちゃんと傍にいてやってくれよ」
「貴様……いい加減にしろ」
「ははっ、では俺はこれで。おやすみなさいませ、レオン様、ユウ殿」
レオンハルトの鋭い睨みを軽やかに受け流し、ロイは足早に部屋を退出していった。
扉がパタンと閉まり、再び静寂が戻る。
『……いい人だな、ロイさん』
「……減らず口が多いだけだ」
レオンハルトの声には、どこか安堵の色が滲んでいた。
主君と従者、そして異世界からの来訪者。誰にも打ち明けられなかった秘密を、この夜、三人だけが共有することになった。
*
同じ頃。
町を見下ろす小高い丘の上に、一つの人影があった。
漆黒の外套を纏い、闇そのものに溶け込むようにして佇む男――ラグナエル。その双眸だけが、眼下に灯る館の明かりをじっと見つめている。
(ふむ……数だけは、無駄に多いな)
館の周囲には、等間隔に配置された護衛たちの松明が揺れている。
表門を固める男爵家の兵、そして裏手と側面を巡回する公爵家の女性騎士たち。交代の間隔や配置を見る限り、それなりに統率されている。
もっとも、ラグナエルにとっては人間の力などさほど脅威ではない。彼が興味を持っているのは、あの純白の光を放った男、レオンハルトただひとりであった。
(さて。どう料理してくれようか)
ラグナエルの口の端が、静かに吊り上がった。
外套の下に隠し持った『隷属の紋石』を、指先でゆっくりとなぞる。
護衛の何人かに、これを仕込めばいい。数名を操り、互いに刃を向けさせる。混乱が生じれば、陣形など容易に崩せるだろう。
周りの者たちが、自らの手で互いを傷つけあう。その絶望の光景を、再びあの男に見せつけてやろう。そうすれば、あの男の中にある何かも、その正体を見せるはずだ。
――ズキリ
不意に、頭の奥に鋭い痛みが走った。
「ぬ……ッ」
ラグナエルは低く呻き、こめかみを強く押さえる。意識の内側に、幾つもの声が重なり合いながら反響していた。
――それでいい
――報いを与えろ
――奪え。奪い返せ
常に彼を支配し、突き動かしてきた怨嗟の声。
だが今は、その響きが明確に違っていた。声と声とが噛み合わず、耳の奥で軋み合っているようだった。
「……く、ぅ……」
鈍い痛みに耐えながら、ラグナエルは奥歯を噛み締める。
今までであれば、自身の内に宿る暗い感情に身を委ねていただろう。
「――違う」
震えるように漏れた声は、次第に確かな響きへと変わっていく。
「小細工など、必要ない」
額を押さえていた手を下ろし、ラグナエルはゆっくりと顔を上げる。
「奴は……私自らが、この手で始末する」
頭に響いていた声が、その強い意志に押されるようにして鳴りを潜めていた。
(……何を、迷っているのだ。私は)
ラグナエル自身も、己の変化に微かな戸惑いを覚えていた。なぜ考えを変えたのか、自分でも分からない。
脳裏を過るのは、あの戦場で見せられた純白の光。あの眩い光を浴びて以来、自分の中で響く声がどこか弱々しい。
だが、今はその理由を確かめている暇はない。
このまま一行が巨大な防壁に守られた王都へ入れば、手出しは難しくなる。
かといって、今の不安定な状態で、あの男が放った未知の力と正面から対峙するのはリスクが高いだろう。
(やむを得ん。ここはいったん引くしかあるまい)
状況を冷静に見極め、ラグナエルは退却を選んだ。
「せいぜい、束の間の平穏を楽しむがいい」
漆黒の外套が翻る。
誰の耳にも届かない囁きを残しながら、男の姿は深い闇の中へと消えて行った。
*
翌朝、日の出と共に一行は旅支度を整えた。
館の前には、見送りのために町長が姿を見せている。深々と一礼する町長に、レオンハルトが謝礼を述べた。
「世話になった。急な訪問にもかかわらず、行き届いた対応に感謝する」
「滅相もございません。またのご来訪を、心よりお待ちしております」
一行は町長に見送られ、朝の街道へと歩き出す。
先頭を行くロイが、ふと馬の速度を緩め、レオンハルトの隣へと並ぶ。
「レオン様、少しよろしいですか?」
声を潜め、後方の馬車とエリザベートたちへちらりと視線をやりながら、ロイが囁いた。
「昨夜からずっと気になってたんですけど。……ユウ殿って、今もそこにいるんですよね?」
『お、俺のこと? いるいる、ずっといるぞ』
脳内で、ユウが少し照れくさそうに答える。レオンハルトは前を見据えたまま、抑揚のない声で返答した。
「……いる、そうだ」
「おお、本当に喋ってくれるんですね!」
ロイが目を輝かせる。
「レオン様、俺からユウ殿に質問してもいいですか?」
「……いい加減にしろ。私は貴様らの遊び相手ではない」
「いやぁ、そう言わずに。……例の、私室を水浸しにした件。あれ、詳しく伺ってみたかったんですよねぇ」
魔物襲撃の後、疲労から昏倒したレオンハルトに代わり、ユウが身体の主導権を握った一件。
水差しを割り、びしょ濡れの床に無様に這いつくばっていたところを、他でもないロイ自身が目撃している。レオンハルトにとっては、二度と蒸し返されたくない黒歴史だった。
『……ああ、あのときのことか。俺がレオンの身体を動かしたんだっけ。あれは流石に俺もビビったよ』
あれ以来、入れ替わりは起きていない。
レオンハルトが深い眠りに落ちていたからなのか、意識を手放していたからなのか――どのような条件が必要なのかは、ユウにも分かっていないのだ。
「貴様……! 二度とその話を口にするなと言っただろうッ」
「ハハハ、残念です」
苦い顔で吐き捨てるレオンハルトを見て、ロイは心底楽しそうに笑い声を上げた。
「二人で、なにを話しているんでしょう?」
馬車の幌を上げながら、リゼットが不思議そうに呟く。
(……あの二人は、随分と気安いのね)
少し離れた位置で馬を進めながら、エリザベートは内心でそう感じていた。
*
正午を回った頃、一行は水場のある木陰で小休止を取った。
馬たちに水を飲ませる間、めいめいが腰を下ろして携行食を口にする。
「そういえば、ロイさん」
干し肉を頬張りながら、リゼットがふと思い出したように口を開いた。
「今の王国の将軍って、確かオルトリンデ公爵家のご出身でしたよね?」
「ええ。王国史上最年少で将軍位に就いたっていう、あの方でしょう?」
そう答えながら、ロイは手に持った革製の水袋を傾け、喉を鳴らす。
「傭兵時代に王都で何度か噂を聞きましたよ。若くして将軍になったってんで、結構有名でしたからね」
「やっぱり、そうなんだ……」
リゼットが感心したように頷く。
その会話を聞いていたエリザベートが、ぽつりと口を挟んだ。
「……兄上のことね」
「こ、公女様っ!?」
思いがけないところから本人の身内だと知らされ、リゼットは思わず声を上げた。
「ええ。長兄が、その将軍よ」
「そ、そうだったんですか……!」
リゼットは目を丸くする。
「公女様のご兄弟って……どのようなお方なのですか?」
先ほどまでの勢いとは違い、今度は少し遠慮がちに尋ねる。
エリザベートは少し考えるように視線を上げた。
「兄が二人、姉が二人。それから弟が一人いるわ」
「そんなに……」
「長兄は王宮で将軍を。次兄は父上の下で、公爵家の騎士団を任されているわ」
並べられた肩書きには、権力の中心に君臨する名門ならではの重みが宿っている。
「な、なるほど」
『すげえ……さすが公爵家だな』
リゼットもユウも、思わずそんな感想を抱いた。
「姉君様もいらっしゃるのですね」
「……ええ。一人は第二王子殿下に。もう一人は侯爵家に嫁いでいるわ」
リゼットの言葉に、エリザベートはそう答え、わずかに視線を伏せた。
その様子を見たロイが、隣からリゼットの袖をそっと引く。目が合うと、わずかに首を横へ振った。
「……弟は、まだ十二歳なの」
その言葉とともに、伏せられていた視線がゆっくりと上がる。
「今は他家へ行儀見習いに出ているけれど……昔はよく、私の部屋へ遊びに来ていたわ」
先ほどまでの公爵令嬢としての顔ではなく、年相応の姉としての眼差し。
それに気づいたリゼットの表情が、ぱっと明るくなる。
「公女様も、弟君とは仲がよろしいんですね!」
「……ええ。まあ」
エリザベートは照れくさそうに視線を泳がせた。
けれど、すぐに会話を打ち切ることはせず、少しだけ躊躇いがちにリゼットへ視線を向ける。
「……あなたは?」
「え?」
「兄弟は、いるの?」
思いがけない問いに、リゼットは一瞬きょとんとした。やがて、その意味を理解すると、嬉しそうに笑う。
「は、はい。私も弟が一人いますっ!」
リゼットは思わず身を乗り出した。
「不敬かもしれませんが……なんだか、勝手に親近感が湧いちゃいました」
「……ふふ。そういうものなのね」
エリザベートの口元がわずかに緩み、そこに小さな笑みが浮かぶ。
『……公女様なりに距離を詰めようとしたのかな』
脳内でのんきに呟くユウに応じることなく、レオンハルトは立ち上がり、水袋の紐をぐっと締め直した。
「――そろそろ出るぞ」
短く告げると、レオンハルトは馬の元へと歩き出した。
*
再び歩き出した一行を、午後の日差しが照らしていた。
進むにつれ、道を行き交う人の数が増えていく。やがて一行が緩やかな丘を越えた、その瞬間だった。
「――わあっ……!」
馬車の幌から身を乗り出したリゼットが、声を上げた。
夕日を浴びて金色に染まる、幾重もの城壁。その内側には、大小無数の建物がひしめき合っている。それはまさしく、この国の頂点そのものを体現する光景だった。
「俺も王都は久しぶりですけど……何度見ても、圧倒されますね」
言葉を失うリゼットの隣で、ロイも素直に感嘆の声を漏らす。
『なんというか……スケールが違うな。これが王都か』
地球の都市を見慣れたユウですら、あまりの規模に驚きの声を上げる。
聳え立つ城壁を見上げながら、レオンハルトは深く息を吐く。
夕闇に沈み始めた王都の輪郭を見据えたまま、レオンハルトは静かに手綱を握り直した。




