第4話 公女との模擬戦
エリザベートが去った後、部屋には静寂が戻った。
ロイが頭をかきながら小さく息を吐く。
「いやぁ……おっかない公女様ですね。レオン様の元婚約者でしたっけ」
「ああ」
二人がかつて将来を約束していたことは、ロイも噂で聞いていた。ふと、隣にいるリゼットへ目を向ける。
「リゼット殿、雷の加護っていうのは、実際どれくらい厄介なんです?」
「厄介なんてものじゃありませんよ!」
リゼットは待っていましたとばかりに目を輝かせた。
「雷の精霊は、伝導という特性を持っています。空気中の精霊を伝って瞬時に対象へ届くため、攻撃を見てから避けるということが、ほとんどできないんです。しかも神経に作用するので、掠っただけでも一瞬体が硬直します。そして――」
「な……なるほど」
矢継ぎ早に語るリゼットを前に、ロイの顔が少しだけ引きつった。
「つまり、洒落にならないってことですね」
「その通りですっ! だからこそ――」
「あー、はいはい。分かりました、分かりました」
止まらなくなりそうな講義を、ロイが慌てて遮った。
「私は少し準備してから向かう。お前たちは先に舞台へ入っていろ」
レオンハルトがそう告げると、ロイはすぐに動き出した。
「了解です! ささ、リゼット殿、行きましょう」
「ええっ、まだ続きが――」
ロイはリゼットの背中を押しながら、部屋を出ていった。
扉が閉まり、再び静寂が戻る。
『なあ、レオン。雷の加護って、そんなに危ないのか?』
ユウが尋ねた。
レオンハルトは部屋に置いていた荷物を開き、上着の礼装を脱いでいく。
「速度にかけては、加護の中でも別格だ」
礼装をたたみ終えると、今度は戦闘用の服を取り出し、袖を通す。
「炎や水なら、見てから避けたり、受け流したりする余地がある。だが雷は違う。放たれた瞬間には、すでに届いている」
『……つまり、避けようがないってことか』
「そういうことだ」
着替えを終え、レオンハルトは立ち上がる。
「さあ、行くぞ」
最低限の準備を済ませ、レオンハルトも部屋を後にした。
*
城の裏手に設けられた練兵場へ、レオンハルトとエリザベートが入った。
周囲では多くの騎士たちが訓練を続けていたが、二人の姿を認めると、次第にその手を止めていく。
やがて、練兵場の中央に二人だけが残った。
互いの手には木剣。鍛錬に使うには、それだけで十分な得物だった。だが、向かい合う二人の間に張り詰めた空気は、単なる模擬戦のものではない。
エリザベートが木剣を正眼に構える。レオンハルトもまた、静かに構えを取った。
「来なさい」
静かな声とともに、エリザベートが開始を告げる。
先に踏み込んだのはレオンハルトだった。地面を蹴り、一気に間合いを詰める。
「――ッ!」
振り下ろされた木剣を、エリザベートは横へ滑らせるようにして受け流した。
だが、レオンハルトは止まらない。返す一撃を身を捌いてかわし、今度は下段から斬り上げる。
エリザベートは半歩退き、その切っ先を紙一重で躱した。直後、踏み込んだ勢いのまま木剣を振り返す。
――ガンッ!
木剣同士が激しくぶつかり、鈍い音が響く。
二人は一度、距離を取った。
「……なるほど」
エリザベートの表情から、先ほどまでの余裕が消えていた。
「鍛錬は怠っていなかったようですね」
レオンハルトは答えず、ただ静かに構えている。その姿に、エリザベートは僅かな苛立ちを覚えた。
――まだ、余力を残している。
そう感じた瞬間、エリザベートは自ら踏み込んだ。
鋭い突きを繰り出す。だが、レオンハルトは身体を僅かに横へ流し、切っ先を外した。
続けざまの横薙ぎも、後ろへ下がることなく、最小限の動きでかわされた。
「ハァッ!」
エリザベートはさらに踏み込み、木剣を振り下ろすが、レオンハルトは身体を捻ってそれを躱す。
そして――そのまま回転しながら放たれた一撃が、エリザベートの木剣を正面から捉えた。
「くっ……!」
咄嗟に、エリザベートは木剣で受け止めた。だが、凄まじい衝撃に、エリザベートの腕が痺れる。
踏みとどまろうとした足が地面を擦り、その身体が大きく押し込まれた。ようやく体勢を立て直したときには、エリザベートの息は荒くなっていた。
対して、レオンハルトは息一つ乱していない。
「……十分です」
エリザベートが木剣を下ろした。呼吸を整えながら、目の前の男を見つめる。
「加護を持たない者としては、十分すぎるほどの腕前です」
「恐縮です」
淡々と応じるレオンハルト。
その平静さが、かえってエリザベートの胸をざわつかせる。
「ですが――」
エリザベートは木剣を握り直した。
指先に力が込められた瞬間、パチッ、と乾いた音が鳴る。
「ここからは、私も本気でいきます」
青白い光が、エリザベートの身体を走った。
腕から肩へ。そして全身へと。細い稲妻のような光が彼女の内側を駆け巡り、次第にその輝きを増していく。
レオンハルトの視線に、初めて警戒の色が宿った。
*
エリザベートの全身を、青白い稲光が駆け巡る。
『あの子の左に、精霊が集まっている……!』
ユウの視界には、加護の発動の予兆が見えていた。エリザベートの左側へと雷の精霊が収束し、青白い光が次第に濃くなっていく。
『レオン、左から来るぞ!』
脳裏に、ユウの切迫した声が響いた。
極限まで研ぎ澄まされた集中力を乱されまいと、レオンハルトの奥歯に力が入る。
次の瞬間、エリザベートの姿が目の前から掻き消えた。
「――ッ!」
咄嗟に、レオンハルトは左から迫る一撃を受け止める。
「……助力は不要だ。黙ってみていろッ」
思わず声を荒らげたレオンハルトに、エリザベートの眉が僅かに動く。
「……誰に、言っているの?」
その問いに、レオンハルトは答えなかった。ただ木剣を正眼に構え直し、目の前のエリザベートだけを見据える。
『だ、だけど……』
「くどいッ!」
レオンハルトは言葉を切ると、エリザベートへと踏み込んだ。
地面を蹴った勢いのまま、木剣を斜めに振り下ろす。だが――
ガキッ、と鈍い音が練兵場に響く。
先ほどまでと違い、エリザベートは一歩も退かなかった。木剣を掲げ、レオンハルトの一撃を正面から受け止める。
「戦いの最中に独り言とは。随分と余裕がおありなのね」
エリザベートは木剣を滑らせるようにして受け流すと、地を蹴って後方に下がった。木剣を前へ掲げ、静かに言葉を紡ぐ。
「雷の精霊よ、我が呼びかけに応え、全てを薙ぎ払え!」
詠唱が終わった、その瞬間――。
紫電が木剣の刀身を包み込んだ。
「――“雷刃”!」
バチバチと音を立てながら、青白い稲妻が木剣の周囲で激しく明滅する。試合の範疇を超え、彼女は加減を捨てた。
*
その様子を、少し離れた場所からロイが黙って見つめていた。
レオンハルトが虚空に向かって叫び、それにエリザベートが一瞬戸惑いを見せたこと。そして今、激高した彼女が雷の加護を解放したこと。
(レオン様……やはり)
確信めいたものが、ロイの胸中で静かに固まっていく。
その間にも、目の前の二人の攻防は激しさを増していった。
エリザベートの姿が、レオンハルトの視界から一瞬で掻き消える。
「チィッ!」
次の瞬間には、右方から木剣が迫っていた。
レオンハルトは咄嗟に身を捻り、紙一重でかわす。だが、完全には避けきれなかった。
木剣の先端が肩を掠めた瞬間、バチッと紫電が弾ける。
「ぐっ……!」
肩から腕へ、鋭い痺れが走った。レオンハルトの動きが、ほんの一瞬硬直する。
その隙を、エリザベートは逃さなかった。
「――ッ!」
レオンハルトは横薙ぎを木剣で受ける。激しい衝撃に身体が押し込まれた。
だが、それ以上に厄介なのは雷だった。木剣を通して伝わった電撃が、両腕を痺れさせる。
防いでも痺れる。かわしても掠れば動きを奪われる。攻防一体の加護を前に、レオンハルトは徐々に追い詰められていく。
もはや、完全な防戦だった。
*
「や、やばいですよ……! 公女様、やりすぎです! 早く止めないと……!」
離れた場所で、リゼットがオロオロしながら、顔を青ざめさせる。だが、隣に立つロイは動じなかった。
「……大丈夫です」
「えっ?」
「よく見てください。レオン様の動きが、少しずつ変わっています」
ロイは二人の攻防をただ見つめる。
先ほどまでなら、エリザベートの動きを追うことすらできず、一方的に攻撃を受けていた。だが今は違う。少しずつ、エリザベートの攻撃に対応し始めている。
「……あ、あれだけ喰らって、まだ動けるんですか」
リゼットが呟く。
雷の精霊の加護の性質を良く知る彼女は、目の前の光景に驚きを隠せない。
「ええ。だから、まだ止めません」
ロイの視線は、レオンハルトから離れない。
「……本当に危なくなったら、俺が割って入りますよ」
そう言いながらも、ロイは一歩も動かなかった。
その視線の先で、レオンハルトは再び迫る雷刃を迎え撃とうとしていた。
*
一撃、二撃。エリザベートの太刀筋は、目にも留まらぬ速さで繰り出される。
しかし、レオンハルトの目は、その動きを確実に捉えていた。
(速い。だが――)
エリザベートの肩が動く。
次の瞬間には、その動きを追うようにレオンハルトの身体が動いていた。
(いかに雷の加護といえど、本物の雷ほどの速度は出せない)
人の身体には限界がある。どれほど魔力で強化しようとも、骨も筋肉も神経も、雷そのものの速度に耐えられるようにはできていない。
ならば、見切ることはできる。
まともに剣を合わせず、攻撃は最小限のステップで躱す。防戦に追われながらも、レオンハルトの呼吸は次第に整っていった。
三合、四合と刃を交わすうちに、レオンハルトはあることに気づいていた。
エリザベートの剣先が、身体の急所へ迫った瞬間――ほんの僅かに鈍る。反射だけで動いているように見えて、実際には、刃を振るう直前に、ほんの一片の思考が挟まっている。
その僅かな動きのラグが、レオンハルトが紙一重で躱せている要因でもあった。
(……迷いか)
雷を纏った木剣。まともに受ければ、ただでは済まない。だからこそ――彼女は無意識に、最後の一線を越えられずにいる。
その一瞬こそが、勝機だった。
エリザベートの木剣が、紫電を纏って突き出される。
常人であれば、致命的になりかねない一撃。だが、レオンハルトは退かなかった。
(ここだッ!)
己の身を差し出すようにして、死地へと踏み込む。剣先が喉元に届くその寸前――エリザベートの動きに、狙い通りの鈍りが生まれた。
「――ッ!」
その刹那、レオンハルトは自らの木剣を走らせる。
だが、それとほぼ同時に、雷撃の余波がレオンハルトの全身を打った。
「がッ――!」
凄まじい衝撃に、レオンハルトの体は宙へと吹き飛ぶ。木剣が手から離れ、乾いた音を立てて地面に転がった。
背中から地に叩きつけられ、レオンハルトは荒い息を吐く。練兵場に大きな土煙が舞っていた。
一方のエリザベートは、その場に立ち尽くしていた。
首筋に、冷たい風の感触が残っている。木剣が触れる寸前を通り過ぎたのだ。あと僅かでもズレていれば、確実に刃が届いていた。
(一歩間違ったら……私が、やられていた……?)
彼女の眼には、レオンハルトがわざと剣先を逸らしたように見えていた。勝ったはずの自分の体が、震えている。
地面に座り込んだままのレオンハルトが、呼吸を整えながら口を開く。
「……さすがは公女様。その剣の煌めき、私の及ぶところではございません」
敗北を認める言葉でありながら、少しも悔しがる様子がない。
エリザベートは、首に触れていた指先を、そのままゆっくりと下ろす。
雷の精霊の加護を開放したにもかかわらず、無加護の男を完全には捉えきれなかった。
屈辱を覚えてもおかしくない。なのに、エリザベートの胸に残ったのは、悔しさだけではなかった。かつてのレオンハルトにはなかった何かが、今の彼にはある。
その事実が、彼女の胸の奥をざわつかせていた。




