第3話 公爵家にて
王都へ至る中継地、オルトリンデ公爵領。
三日間の旅路を経て、一行は寄り親である公爵家の本城へと到着した。
城門をくぐり、大理石が敷き詰められた回廊を歩くレオンハルトへ、すれ違う使用人や従士たちの視線が突き刺さる。
型通りの礼や会釈こそ交わすものの、レオンハルトが通り過ぎた背後で、ひそひそと言葉を交わし合う。
「――あれはヴァルシュタイン家の……」
「ああ、あの出来損ないだ。戻ってきたのか」
「よくもまあ、堂々と」
声を潜めているつもりなのだろうが、複数で囁けば流石に目立つ。
「……チッ」
ロイが小さく舌打ちした。主の手前、事を荒立てるつもりはない。ただ、拳を固く握りしめる。
レオンハルトは眉一つ動かさず、案内の従者の後に続いた。
「……男爵様、こちらへ」
従士に促され、重厚な両開きの扉をくぐる。
そこはオルトリンデ公爵家の謁見の間だった。壁面には雷の精霊を象徴する稲妻の紋章が刻まれ、幾本もの柱が高い天井を支えている。
その最奥、幾段もの階を上った先に据えられた玉座に、オルトリンデ公爵ハインリヒが腰を下ろしていた。
レオンハルトは持参していた蓋のない浅い木箱を従士へ差し出す。
従士は木箱の中身を改めると、レオンハルトの傍らへ運んだ。
レオンハルトは、最下段の石床の上に片膝をつき、深く頭を垂れる。
「――久しいな、アルヴェイン男爵。二年ぶりになるか」
玉座から聞こえてきたのは、場の雰囲気に似つかわしくない、穏やかな声だった。
現当主、ハインリヒ・ドゥ・オルトリンデ。白髪の混じった金髪と、鋭い眼光を持つ男だ。
「はっ。ご無沙汰しております、閣下」
「堅苦しい挨拶はよせ。私と君の仲ではないか。かつてはこの城で、共に学び、同じ食卓を囲んだのだ。顔を上げてくれ」
レオンハルトが顔を上げると、ハインリヒは柔和な笑みを浮かべていた。
「……お心遣い、感謝いたします」
言葉を交わすのもそこそこに、レオンハルトは本題を切り出した。
アルヴェイン領で起きた一連の事態、正体不明の何者かが、魔物を操って男爵領を襲撃させたこと。
まずは、そこまでを語る。魔物が操られていたという事実だけであれば、既にゲルハルトを通して公爵に伝わっている話だ。この場で明かして差し支えはない。
だが、この先から話す事実は、事情が違う。
「――閣下。ここから先は、いま少し人払いをお願いしたく存じます」
レオンハルトの声音が、一段と低くなる。
ハインリヒは、その意図を即座に汲み取ったようだった。玉座の周囲に控えていた従士たちへ、静かに視線を送る。
「下がれ。声の届かぬところまでだ」
一言で、謁見の間から人の気配が失せていく。
残ったのは、玉座の後方に控える一人の女性だけだった。
その女性を、レオンハルトはよく知っていた。人払いの対象には含まれていないらしい。
場が整ったことを確認し、レオンハルトは続きを口にする。
「操られていたのは、魔物だけではございません。ヴァルシュタイン伯爵家から派遣された騎士たちが……正気を失ったまま、意のままに操られておりました」
「……何と」
ハインリヒの目が大きく見開かれた。
「制御そのものも、魔物の時より明らかに洗練されており、複数の人間を操りながらも、統率された動きを見せておりました」
そこまでを話したところで、レオンハルトは一瞬瞑目する。
「……僅かな期間で、これほどまでに術が洗練されております」
「むぅ……」
ハインリヒは腕を組み、表情を険しくさせながら、報告を聞いていた。
「由々しき事態だな。魔物のみならず、人すらも意のままに操るとは……」
公爵は僅かに俯きながら、顎を撫でる。
「……それと、今の話で気になったのだが」
その視線が、レオンハルトへ向けられた。
「して、騎士らにかけられた呪いを、どのようにして破ったのかね?」
(……来たか)
内心でそう呟きながらも、レオンハルトは顔色一つ変えることなく、あらかじめ用意していた言葉を紡いだ。
「懐に忍ばせておりました『形代』が、あの場で呪いに反応し、これを移し取ったのでございます。もっとも、形代自体はその代償として消え去り、現物はもはや残っておりません」
そう前置きすると、レオンハルトは傍らに置いていた木箱へ手を伸ばす。
そこから、一つの炭化した木片を取り出し、掲げるようにして公爵の前に示した。
「これはヴァルシュタイン家に伝わる古い文献に記載のあった、雷に打たれた古木を削り出して作る、呪いや死霊を転移させるための『形代』にございます。念のため、同じ古木から新たに作り直したものをお持ちいたしました」
「ほう」
見た目はただの木炭であるが、よく見れば人型に加工されているのが見て取れる。
「ならば、その形代が量産できれば、今回の呪いへの決定的な対抗策になるな。今ここで、その黒い石とやらに近づけて見せてはくれまいか」
ハインリヒが指示するも、レオンハルトは言葉を選ぶように切り出した。
「恐れながら、閣下……あの黒い石は未だ未知の呪詛を放つ危険がございます。閣下の御前で近づけるなど、万が一の危険を考えれば到底認められるものではございません」
万一、公爵から実物を求められた場合に備え、控えの間でロイたちに預けてある。すぐに持ってこられる距離ではあるが、少なくともこの部屋へ不用意に持ち込むつもりはなかった。
「加えて、すでに領地にて同じ手順で作成した形代を近づけてみましたが、何の反応もございませんでした。雷の打たれ方なのか、木の質によるものか……。偶然が重なった一点物の触媒だったようで、現在の私の知識では再現に至りませんでした」
レオンハルトはそこで目を伏せる。
「貴重な研究資料を失い、私自身も落胆しております」
無念さを滲ませるようにそう締めくくった。
『よくもまあ、口が回るもんだレオンは。あの時の形代をここで利用するなんて……』
ユウが茶々を入れるが、レオンハルトは表情を崩すことなく、ただ公爵の言葉を待つ。
「……なるほど。偶然の産物、か。確かに、世の中そう都合よく奇跡は起きぬな」
ハインリヒはレオンハルトの手にある『形代』をしばらく見つめ、それからゆっくりと持ち主の顔へと視線を移す。
やがてハインリヒの口の端が、静かに持ち上がった。厳めしい顔には、いっそ不釣り合いなほど穏やかな笑みだった。
「事の重大さは理解した」
ハインリヒは重々しく口を開く。
「その石と形代は、本日中に我が公爵家の魔術機関にて検証させよう。心配無用だ、明日の出立までにはそなたに返す」
表情を崩さぬまま、玉座の背へゆっくりと身を預ける。
「宮廷への取次ぎは、我がオルトリンデ家が責任を持って手配しよう。……だが、王都への道中には危険が伴う。何者かが、その証拠を狙って君を襲わぬとも限らん。そこでだ」
そこでハインリヒは、玉座の背後に控えていた人影へと視線を向けた。
「リーゼ、前へ」
「はい、お父様」
澄んだ声と共に歩み出てきたのは、銀糸の髪を揺らすドレス姿の女性だった。
『おお……す、すごいな』
ユウが小さく息を呑む。
ユウの視界には、女性の全身を巡る青白い光が映っている。細い稲妻のような光が身体の内側を走り、彼女の周囲に集まっては、再びその身へと戻っていく。
そして、玉座のハインリヒにも、同じ光が見えていた。
『……レオンの弟と、同じだ。これが雷の加護か』
ユウの眼はかつてと違い、魔力と精霊をしっかりと捉えている。その事実を、レオンハルトは改めて意識した。
ハインリヒの隣に立つ女性。その目はレオンハルトを冷ややかに見据えている。
「我が娘であり、雷の加護を宿すエリザベートを同行させよう。護衛と、公爵家からの取次役を兼ねてな。……君とも気心は知れていよう」
ハインリヒの三女、エリザベート・ドゥ・オルトリンデ。公爵家の血を濃く継ぎ、強力な『雷の加護』を宿す才女であり――かつて、レオンハルトの婚約者だった女性である。
「……過分なる御配慮、痛み入ります。謹んでお受けいたします」
レオンハルトは目を伏せると、頭を垂れて拝命した。
*
謁見を終え、宛てがわれた客室へと下がった後。
周囲に人がいないことを確認したところで、レオンハルトの脳裏に明るい声が響いた。
『なんだよ、あの公爵様。めちゃくちゃ良い人じゃないか』
ユウの声には、微塵の疑いもなかった。
身分の低い自分たちに対して、わざわざ親しげに声をかけ、護衛として身内まで同行させてくれる。地球の感覚しか持たないユウには、ハインリヒが非常に親身で寛大な人物に見えたのだろう。
「……幸せな奴だ、貴様は」
お気楽なユウの口調に、レオンハルトは深く息を吐いた。
『え? どういう意味だよ』
「そのうち分かる」
多くを語る気にはなれず、レオンハルトは客間の窓から、外の景色を眺めた。
彼の脳裏に、この地での古い記憶が蘇る。
十歳から十四歳まで、レオンハルトはこの城で行儀見習いとして過ごした。貴族の子弟が、寄り親の家で政治や作法を学ぶ、その慣例に従っただけのことだ。
当時から人並み外れた身体能力を持っていた自分に、ハインリヒは目をかけていた。いずれ加護が発現すれば、英雄と呼ばれるほどの器になる――そう期待されていた。
エリザベートとの婚約も、ハインリヒから政治のいろはを叩き込まれたことも、その期待の延長にあった。
だが、十四になった年、宮廷の精霊鑑定士による判定を受けても、レオンハルトに加護は見出されなかった。それを境に、ハインリヒの目から自分への関心が消えたのだ。
(昔から、あの方は変わらない)
待機しているロイたちに、エリザベートの同行を伝えるため、レオンハルトは客間を後にした。
*
客間を出たレオンハルトは、控えの間にいるロイとリゼットに、エリザベートの同行を伝えた。
「へえ、公爵様の娘さんが。それは心強いですね」
ロイは屈託なく頷いたが、その隣でリゼットが目を輝かせる。
「雷の加護というと、テオドール様と同じですねっ! ぜひ一度、加護の詳しい性質を――」
「いやいや、お相手は公爵令嬢様ですよ。失礼があっては物理的に首が飛びますから」
興奮するリゼットをロイが嗜めようとしたところで、廊下に軽い足音が響く。開け放たれた扉の先には、一人の女性が立っていた。
正装のドレスの上から、動きやすさを考えてか薄手の軽鎧を纏っている。銀の髪を一つに結い上げ、腰には細身の剣を佩いていた。
「――リーゼ」
レオンハルトの口から、幼い頃の呼び名がこぼれ落ちた。
その言葉に、彼女の眉が僅かに動く。
「……いえ、エリザベート公女様」
レオンハルトは即座に呼び直し、片膝をついて頭を垂れた。ロイやリゼットも同様に頭を下げる。
エリザベートは、その様子を黙って見下ろしていた。翠の瞳が、レオンハルトを映したまま揺れる。
「面を上げなさい」
レオンハルトが顔を上げると、エリザベートは手を腰に当て、値踏みするような目を向けていた。
「父から話は聞いています。王都までの道中、私が貴方の護衛と、公爵家からの取次役を務めます」
「ご配慮、痛み入ります」
「ですが……私は、守るべき相手の実力も知らぬまま、この役目を引き受けるつもりはありません」
そこで、エリザベートは胸元に手を添えた。レオンハルトを正面から見据える。
「――私と、剣を交えなさい。アルヴェイン卿」
冷ややかな声だった。張り詰めた空気に、リゼットたちが息を呑む。
「……承知いたしました」
護衛対象の実力を把握したい。手段は強引であるが、理屈は通っている。断る術は、どこにもなかった。




