第2話 出立
フレデリカが書簡を届けに来た日の午後。執務室に、ヴォルフガングとロイが姿を現した。
二人は室内にいるフレデリカを見て、一瞬だけ目を丸くした。予想外の人物だったのだろう。
だが、問いただすより先にレオンハルトが話を切り出したため、すぐに姿勢を正して耳を傾ける。
「――話は以上だ」
レオンハルトは、王都へ赴くことになった経緯と、留守の間の領地をフレデリカに任せることを彼らに説明した。
「久しぶりね、ヴォルフ! 相変わらずそうで安心したわ」
話が終わるや否や、フレデリカが明るい声を上げる。
「ガッハッハ、お嬢もお変わりないようで」
ヴォルフガングも豪快に笑った。かつて同じ戦場に立った者同士、細かな言葉を交わさずとも通じるものがあるらしい。
「私は明日、王都へ発つ。ロイ、お前も同行しろ」
「了解です、お任せください!」
ロイは表情を引き締め、快活に応えた。
「ヴォルフは姉上と共に領地に残れ。留守を任せる」
「お任せを! ロイよ、閣下を頼むぞ。道中、お気をつけてくだされ」
「心配しなくていいわ。あたしがちゃんと守っておくからっ!」
フレデリカは上機嫌に胸を叩く。その仕草だけで、本人がこの役目を任されたことを楽しんでいるのが分かる。
「……お願いします、姉上」
レオンハルトは深く頭を下げた。
*
出立の支度が進む館の廊下に、慌ただしい足音が響いた。
「男爵ッ! お待ちくださいっ」
駆けてきたのはリゼットだった。眼鏡がずれそうになるのも構わず、こちらへ向かってくる。その後ろから、エドガーが呆れた顔で追って来ていた。
「王都へお発ちになるのでしたら、私もお連れください!」
「リゼット殿、いい加減にしなさい」
追いついたエドガーが、低い声でたしなめる。
「王都は公務の場です。あなたのその……奇抜な振る舞いが、男爵様や伯爵家のご迷惑になりかねません」
「エドガーさん、それは酷いですよ!」
リゼットは抗議するようにエドガーを見上げた。だが、すぐに表情を改めると、今度はレオンハルトへ向き直る。
「精霊の力をあんな形に利用して、命を冒涜するような行為。精霊学を修める者として、看過できません!」
その声には、先ほどまでの勢いとは違う真剣さがあった。
「現場を最も詳しく解析したのは私です。必ず、王都での証言の役に立ってみせます!」
レオンハルトはしばらく二人の様子を見ていたが、やがて口を開いた。
「エドガー殿。私は構わない」
「……よろしいのですか」
エドガーが怪訝そうに眉をひそめる。
「彼女の知識と見解は、敵の輪郭を捉えつつある」
レオンハルトはリゼットを見つめた。
普段の言動にはいささか問題がある。だが、今回の事件に関していえば、彼女の着眼点は無視できない。精霊の性質そのものが別の何かへ書き換えられている――その推論は、ユウが視覚によって捉えた現象と一致していた。
ユウの存在を明かせない以上、王都でその可能性を論理的に説明できる者は必要になる。
「彼女は、真相に迫る手札となる」
『手札って。人を道具みたいに言うなよ』
脳内でユウが小さく咎める。レオンハルトはわずかに眉を動かした。
「……私は彼女の知識を高く評価している。結果を出せるのであれば、問題はない」
「さっすが男爵、話がわかるっ!」
リゼットはたちまち顔を輝かせた。先ほどまでエドガーに抗議していたことも忘れたように、嬉しそうに拳を握る。
「畏まりました。……リゼット殿、くれぐれも王都では自重してください」
「はいっ! 皆さんのお役に立てるよう、頑張ります!」
エドガーは諦めたように息を吐いた。
「私は残ります。カイルたちの治療もありますし、現地の調査もまだ終わっていません。王都で何か分かりましたら、お知らせください」
『エ、エドガーさん来ないのか!?』
ユウが驚いたように声を上げる。これまでリゼットの暴走を抑えていたのは、ほとんどエドガーだった。彼が残るとなれば、道中で彼女を止める役目は誰が担うのか。
『……レオン、あの子の抑え役、頼むぜ』
「……」
レオンハルトは何も答えなかった。
「分かった。こちらも情報を得られるよう努める」
「よろしくお願いいたします、男爵様」
エドガーは一礼すると、館の研究棟へと踵を返すのだった。
*
翌朝、一行はアルヴェイン男爵領を発った。
レオンハルトとロイは馬に跨り、リゼットは荷を積んだ馬車に乗り込む。荷物持ちを兼ねた護衛の兵が十名、隊列を組んで後に続いた。
街道を進むにつれ、見慣れた領内の景色が少しずつ遠ざかっていく。王都までの道のりは五日。その道中で伯爵領を抜け、オルトリンデ公爵領を訪問。その後王都へ入る予定だった。
「しかしレオン様、王都なんて久しぶりですね」
道すがら、ロイが馬上から声を上げた。
「お前は行ったことがあるのか?」
「一度だけです。傭兵をやってた頃、商隊の護衛について行ったことがありまして」
「そうか」
「……まあ、華やかすぎて、俺にはちょっと似合わない場所でしたけどね」
ロイは苦笑した。
『へぇ、ロイさんって昔は傭兵だったのか。騎士っぽくないとは思ってたけど』
ユウの声が響く。
ロイの軽快な口調や気安い態度は、ユウのイメージする騎士とは少し違っていた。
その時、後方から馬車の幌が持ち上がった。
「男爵っ。今回の件について、王都の精霊鑑定士にはどこまで情報が伝わっているんでしょう?」
「伯爵からの書簡には、例の精霊石の鑑定結果についてしか書かれていない」
馬車から落ちそうなほど、リゼットは身を乗り出ている。その光景に呆れつつも、レオンハルトは言葉を続けた。
「鑑定の結果は……精霊の『消滅』だ」
「やっぱり……」
リゼットの表情から、さきほどまでの浮ついた様子が消える。しばし考え込んだ後、彼女は拳を握った。
「だったら、何としても王宮の術師たちに私の仮説を聞いてもらわないと!」
「そのつもりで同行を許した。期待している」
「はいっ!」
リゼットは嬉しそうに頷いた。その直後、馬車の中から再び紙をめくる音が聞こえてくる。
どうやら道中も、彼女の頭の中は研究のことでいっぱいらしい。
『あの人、王都に着くまでずっとあれやってそうだな』
「……」
レオンハルトは無言のまま、小さく嘆息した。
*
二日目の夜。
一行は街道沿いの集落に宿を取った。手頃な宿がない土地では、教会が貴賓用の宿泊所を兼ねている。
案内された礼拝堂の奥には、一体の石像が据えられていた。
『……え』
レオンハルトの脳裏で、ユウが小さく声を漏らした。
目の前には、衣を纏い背に一対の大きな翼を広げた像がある。
『これって、あの時の……』
「……どうした」
人目があるため、レオンハルトは小声で尋ねた。
『俺が死んだ後に会った女神様だ』
レオンハルトは改めて像を見上げる。この世界では、ごくありふれたものだ。
「創造神エルセリアの像だ」
レオンハルトは周囲に聞こえないよう小声で呟く。
「精霊を含むすべての生命を生み出した母として、この国で信仰されている」
『……やっぱり、同じだ。俺を転生させてくれた女神様だ』
ユウの声には、明らかな戸惑いが滲んでいた。レオンハルトは像を見つめる。
(偶然……とは考えにくい)
カイルたちの呪いを浄化した純白の光。そして、ユウが語った「神から加護を授かった」という言葉。
(創造神エルセリアが、ユウを転生させたのか?)
点は重なり合いつつも、まだ一つの線には繋がらない。レオンハルトは思考を打ち切り、礼拝堂を後にした。
*
教会が用意してくれた夕食は、質素ながらも温かいものだった。
パンとスープ、それに干し肉の煮込み。長旅で疲れた身体には十分すぎるご馳走だ。
だが、用意された食事の半分以上は、リゼットの胃袋へと瞬く間に消えていく。
「――んっ、美味しいです!」
リゼットは湯気の立つスープを勢いよく飲み干し、次々とパンに手を伸ばす。
あっという間に皿を空にすると、あろうことか追加の料理まで注文し始める始末である。
見た目こそほっそりとしているが、その食べっぷりはフードファイターのようだった。
『いや、大食い選手権じゃないんだから。レオン、止めたほうがいいんじゃないか?』
「……リゼット殿、そのペースだと、旅の予算が食費で消えそうですよ」
ユウ、そしてロイが半ば呆れた声で言うと、レオンハルトが見かねて注意した。
「……少しは自重しろ」
「もちろんです、腹八分っていいますからねっ!」
その台詞と、皿の上に積み上がっていくパンの山とが、まるで噛み合っていない。レオンハルトはこめかみを押さえ、小さく息を吐いた。
「……エドガー殿を、引きずってでも連れてくるべきでしたね」
ロイがぼやくように呟いた。
ようやく満足したのか、リゼットは食べる手を止めると、興味深げにロイとレオンハルトを見比べた。
「そういえば、ずっと気になってたんですけど」
「なんでしょう」
「男爵のような厳格な方に、傭兵上がりで自由人のロイさんが、どうしてこんなに献身的に仕えているんですか?」
「ああ、そのことですか。それは――」
ロイが答えようとしたところで、レオンハルトが鋭い視線を向けた。
「ロイ……余計なことを言うな」
「いいじゃないですか、減るもんじゃないですし」
『そうだぜ、レオン。俺も聞きたい』
ロイは悪びれずにあっさりと受け流した。
ユウまで便乗する始末に、レオンハルトは眉間に皺を寄せる。
だが、やがて諦めたように椅子に深く座り直した。
その様子に、ロイは、わずかに目を瞬かせる。
「まさか、許可していただけるとは――」
そこまで口にして、ロイは主君の鋭い視線に気づいた。
「っと、いやあ、別に大した話じゃないんですけどね」
ロイは苦笑しながら、話を続ける。
「俺、昔はもっと金に汚い傭兵だったんですよ」
「……え?」
意外だったのか、リゼットは驚きの声を上げた。
「加護も火系統の下位。悪くはないんですが、上を目指すには物足りない。身体を鍛えても、加護の位が絶対の世の中じゃ、どうしたって限界がある」
ロイは自分の手を眺め、肩を竦めた。
「それで、世の中が嫌になりましてね。傭兵組合も抜けて、金さえ貰えりゃ、どんな仕事でも引き受けるようになった。……それからしばらくして、ある依頼でレオン様と揉めましてね」
「揉めた、というより……」
レオンハルトが口を挟む。
「赴任したばかりの領主として、役目を全うしただけだ」
「そう、それです」
ロイは主君へ目を向け、口端を上げた。
「貴族のお坊ちゃんが何しに来たんだって、正直舐めてました。でも――」
ふと顔を上げ、ロイは遠くへ目を向ける。
「完膚なきまでに、叩きのめされました。手も足も出なかった」
「……」
リゼットが、信じられないというように目を丸くした。
「後になって知ったんです。レオン様には、加護が一切ないってことを」
ロイは卓の上の木杯を手に取り、一口だけ飲んだ。
「加護持ちの俺が、無加護の相手に圧倒された。それだけでも十分ショックでしたけど……本当に堪えたのは、その後でした」
「その後?」
「俺は加護が弱いことを言い訳にして、世の中を恨んで、好き勝手に生きてた。レオン様は、俺なんかよりずっと酷い立場だったのに、それでも自分の領民を守ろうとしていた」
ロイは木杯を卓上に戻すと、小さく息を吐く。
「……それで、自分が恥ずかしくなりましてね」
ロイは、己の主君を真っ直ぐに見据える。
「レオン様は、無加護のまま、この理不尽な貴族社会に抗おうとしている。それがどんなに困難なことか、誰だって分かることなのに……その差を見せつけられて、何も言えなくなりましたよ」
しばしの沈黙の後、リゼットが控えめに口を開いた。
「……なるほど。だからロイさんは、男爵のことをそんなに信頼しているんですね」
「そういうことです」
ロイは照れ臭そうに頭をかく。
「まあ、そんなわけで。この方には、頭が上がらないんですよ」
ロイとリゼットの視線が、レオンハルトへと集まる。
『へぇ……いい話じゃないか。見直したぜ、レオン』
「……馬鹿馬鹿しい。昔の話だ」
居心地が悪くなったのか、レオンハルトは短く吐き捨て、視線を逸らした。
*
宛てがわれた客室で寝台に腰を下ろすと、レオンハルトは卓上の灯りを一つだけ点した。
旅の途中とはいえ、領主として片付けるべき仕事は残っている。
卓上に持参した台帳を広げ、筆を手に取った。今回の移動で増えた出費を確認しながら、今後の予算を組み直していく。
『なあ、レオン。オルトリンデ公爵家って、どんな家なんだ』
ユウが興味深げに尋ねてくる。
「……今さら、そこからか」
『だって知らないんだから仕方ないだろ』
「……そうだったな」
レオンハルトは小さく息を吐いた。
「この国に四つある公爵家の一つだ」
台帳に視線を落としたまま、筆を走らせていく。
「風の系統において最上位の家柄であり、代々、雷の精霊の加護を受け継いでいる」
『へえ……』
「私の母、エルゼの実家であるヴェンデル家も、オルトリンデの分家にあたる」
『じゃあ、レオンにとっては遠い親戚みたいなものか』
「……そういうことになるな」
レオンハルトは無表情のまま、台帳の数字を書き加えていく。
『……なあ、俺が会った女神様って、エルセリアなのかな』
「なぜ私に聞く。確証などないだろう」
ユウの質問に、レオンハルトは筆を置き、小さく息を吐いた。
「それより、貴様が会ったという女神について、他に覚えていることはないのか?」
『うーん……』
ユウはしばらく黙り込んだ。
『はっきりしないんだ。でも……』
そこで一度言葉を切る。ユウ自身、転生の前後は夢心地で曖昧な記憶でしかない。
『俺が、災厄を祓う鍵になるって言われたことだけは覚えてる』
「災厄を祓う……鍵」
レオンハルトはその言葉を反芻した。
脳裏に浮かぶのは、変質した精霊と黒い石。そして、空へ飛び去った黒装束の者。
(災厄とは何を指す?)
仮にユウを導いたのが創造神エルセリアだとして、なぜ異世界の魂を呼び寄せる必要があったのか。
今は答えの出る問いではない。レオンハルトは小さく息を吐き、灯りを消した。




