エピローグ
夜の帳が下りた戦場跡。
負傷者の応急処置がひと段落すると、レオンハルトはヴォルフガング、ロイ、エドガー、リゼットをはじめ、男爵家の領兵たちを集めた。
「本日の戦闘について、命じておく」
レオンハルトの声に、場の空気が引き締まる。
「私が発現させた光の力、それによりカイルたちを縛っていた呪いが浄化された事実について、緘口令を敷く。この場にいる者以外には……ヴァルシュタイン伯を除き、一切他言するな」
精霊の加護を絶対とするこの国で、その理から外れた力を持つことが何を意味するのか。他ならぬレオンハルト自身が、十分に理解していた。
「……承知いたしました。我が命に代えましても、秘密は守り抜きます」
ヴォルフガングが即座に片膝をつき、主への絶対の忠誠を示す。
「了解、です。誰にも言いません」
ロイはまだ事態を飲み込みきれていない様子だったが、深く頷いた。
「そ、そんな。あれは魔法学の歴史を覆す事象ですよ! いったいなぜ――むぐっ」
リゼットが興奮気味に食い下がろうとしたが、背後に回ったエドガーに口を塞がれ、物理的に制止された。「空気を読みなさい」と小声で窘めるエドガーを一瞥し、レオンハルトは撤収を命じた。
一行はカイルたちを担架に乗せ、夜の中を屋敷へと戻っていった。
*
帰館後、領主の私室。
ようやく訪れた静寂の中、レオンハルトは机に向かい、ヴァルシュタイン伯爵・ゲルハルトへ宛てた報告書を書いていた。
(どこまでを記すべきか……)
カイルを救ったあの純白の光。
あれが己の力ではなく、ユウに起因するものだということを、レオンハルトは薄々感じていた。全てを正確に報告するならば、必然的にユウという存在のことを明かさねばならない。
『……悩んでるのか、レオン』
脳裏に響く声に、レオンハルトは静かに応じた。
「……戦闘中、私の頭に貴様の記憶が流れ込んできた」
『記憶が……?』
「ああ。巨大なガラス張りの建物。鉄の箱が、車輪を回しながら道を走っていた。大勢の人間が行き交い、見たこともないものばかりだった」
レオンハルトは、あの瞬間に見た光景を口にした。
「あれが、貴様の生きていた世界なのか」
『……そうか、見えたんだな。地球のことが』
ユウの声には、微かな郷愁が混じっていた。
『俺たちの世界じゃ、ああいう鉄の箱を車って呼ぶんだ。ガラス張り……高層ビルだって、珍しいものじゃない』
ユウは地球の知識や思い出を語っていく。空を飛ぶ乗り物や、ビルが並び立つ都市のこと。そう話していく中で、ユウは少し黙った。
『――俺、子供の頃に親を亡くして、孤児院で育てられたんだ』
レオンハルトは黙って聞いている。
『カイルさんを助けたかったのも……自分に重ねていたのかもしれない』
先ほどの戦闘で、ユウがカイルの救出に執着した理由が、ようやく腑に落ちた。
「……そういうことか」
だが、そこまで話したところで、ユウの声が途端に戸惑いを帯びた。
『……あれ?』
「どうした」
『おかしいな。一緒に育った仲間たち……みんなの顔が、思い出せない』
ユウの混乱が、そのままレオンハルトへ伝わってくる。
『どうしてだ? 忘れるはずのない、大切な思い出なのに……』
ユウは声を震わせた。
昨日までなら、すぐに思い浮かべられたはずの顔が、記憶の中から急速に遠ざかっていた。その輪郭も、髪の色も、表情もない。そこに誰かがいたということだけを残して、顔だけが抜け落ちている。
『名前も……顔も……思い出せない』
レオンハルトは眉を寄せた。
(孤児院……仲間……)
戦闘中、ユウの記憶の中で垣間見た少年たちの笑顔。その姿が、今もレオンハルトの脳裏にははっきりと残っていた。
(なんだ、この違和感は……)
あの少年たちが、ユウの語る孤児院の仲間だったのか。それを確かめる術はない。ユウ自身が、その顔を思い出せないのだから。
だが、一つだけ明確になったことがある。己の目で見た以上、ユウがこの世界の人間ではないことは、もう疑いようがなかった。
(……世界を救う為に、ここに来た、か)
ふと、デモンボアとの戦いでユウが叫んだ言葉を思い出す。あの時は、何をふざけたことを、と切り捨てた。だが今となっては、あれも単なる妄言とまで言い切れない。
(何らかの『役目』を、貴様は負っているということか)
レオンハルトは小さく息を吐き出すと、ぽつりと口を開いた。
「……ユウ、だったか」
『え? あ、ああ』
「貴様の力がカイルを救い、結果としてヴォルフも救った」
もしあの時、カイルの命を奪う結果になっていたら、どうなっていたか。
主従関係が揺らぐことはない。だが、レオンハルトとヴォルフガングの間に、決して消えない暗いしこりが残ったはずだ。
「結果を出せる者しか、私は認めない。……だから、礼くらいは言ってやる」
『レオン……』
「だが、勘違いするなよ。貴様のその甘い考えが、これからも常に通用すると思うな。次も同じように全員を救えるなどと自惚れれば、いずれ足元を掬われる」
厳しい口調の裏に隠された、レオンハルトなりの不器用な歩み寄り。ユウはふっと声に出さずに笑った気がした。
『……わかってる。厳しいなぁ、レオンは。でも、ありがとう』
「ふん」
レオンハルトは再びペンを取った。
(書簡に詳細を記すのは危険が大きすぎる。途中で盗難や検閲されれば、それこそ国家を揺るがす火種になりかねん)
核心は記さず、カイルたちの被害および死傷者数という結果のみを淡々と記す。それだけでいい。父なら、それだけで事態の異様さに気づくはずだ。
レオンハルトは迷いを捨て、必要最低限の公的な事実だけを羊皮紙に綴っていった。
静かな夜が、ゆっくりと更けていった。
*
どこかの地下深く。光の届かない石造りの広間に、四人の人物が集まっていた。
円卓を囲むように置かれた石の椅子。その一つに、先ほど帰還したラグナエルが腰を下ろしている。
「ご苦労だったな、ラグナエル。想定以上の成果だ」
上座の人物が告げる。ラグナエルは静かに頭を下げた。
「では、すぐに『隷属の紋石』の量産に取りかかりましょう」
暗がりの中から、女の艶やかな声が響いた。
「魔物だけでなく、人間まで操れる。しかも、こちらが直接手を下す必要もない。実に効率的な方法だわ」
「ふん。回りくどい」
その対面で、腕を組んでいた体格のいい男が鼻を鳴らした。岩のように分厚い胸板が、黒装束の上からでも見て取れる。
「わざわざ操って潰し合わせなくても、俺たちが直接叩き潰せばいい。……それよりラグナエル。人間どもを見逃がしたそうじゃねぇか」
男の好戦的な視線が、ラグナエルへと向けられる。
「見逃がしたのではない。任務を優先しただけだ」
「同じことだろうが」
男が身を乗り出す。だが、ラグナエルは表情を変えず、淡々とした声で返した。
「人間も侮れぬ。奴らが策を弄することで、こちらの予想を上回ることもあると学んだ。少なくとも――力押し一辺倒で向かえば、足元を掬われるだけだ」
「それは俺に言ってんのか?」
「そう聞こえたのなら、そうなのだろう」
「てめぇ……!」
男が拳を握る。ラグナエルは一瞥しながらも、すぐに視線を中央に戻す。
「争いごとは外でやりなさい、見苦しいわ」
一触即発の空気を、女が冷ややかな声で切り捨てた。
だが、体格のいい男は収まらない様子で、両拳を打ち合わせる。
「策なんざ、それごとぶっ飛ばせばいいだけの話だ。なんなら、その生意気な人間どもを俺が片付けてやるぜ」
「あれは私が追う。横やりはやめてもらおうか」
男の挑発を、ラグナエルが鋭い声で遮った。
ラグナエルの脳裏には、あの領主の男から放たれた純白の光が焼き付いている。
「やめよ」
上座の人物の静かで重い声が、広間の空気を制圧した。
その一言で、今にも飛びかからんとしていた男も舌打ちをして椅子に座り直す。
「今は仲間内で争っている場合ではない」
上座の人物はそう告げると、暗闇の中からラグナエルを真っ直ぐに見据えた。
「ラグナエル。報告にあった人間の始末、お前に一任する。いかなる矮小な虫であろうと、障害になるのなら排除せよ」
「……承知した」
ラグナエルが頭を下げた。
石造りの広間に再び重い静寂が降りる。人間の知らぬ深い闇の底で、次なる脅威が確実に蠢き始めていた。
これにて、一章は完結となります。
二章については一通り書き終わっていますが
現在調整中のため、今しばらくお待ちください。
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