第18話 覚醒の光
夕闇に包まれつつあった戦場が、一瞬にして真昼と見紛うばかりの白光に呑み込まれた。
「な、なんだ……ッ!?」
レオンハルトは思わず腕で顔を庇い、驚愕の声を上げた。
眩いばかりの純白の光。それは他でもない、レオンハルト自身の身体から放たれていた。熱は感じない。ただ、清浄さを感じさせる光が奔流となって周囲を満たしていく。
『視える……精霊が、魔力が』
ユウは、どこか夢を見ているような状態にあった。
これまで漠然とした色や気配としてしか感知できなかったものが、今のユウには、極めて鮮明な「形」となって視界に映し出されていた。
ヴォルフガングやエドガーたちの周囲をフワフワと舞う、淡く輝く各属性の精霊たち。
だが、それだけではない。岩肌にも、木々にも、足元の土にも、空気中にも、無数の精霊が漂っている。そして、カイルの首の後ろに喰い込むように張り付き、赤黒く脈動する『石』の存在。
そこから伸びる細い鎖のような魔力が、カイルの全身へと絡みつき、さらにカイルを中継点として他の騎士たちへと蜘蛛の巣のように広がっている。
共有する視界を通して、上空を見る。
カイルの首元の石からは、もう一本、太い魔力の糸が伸びていた。それは上へと、監視者が潜んでいるであろう天の彼方へと繋がっている。
「ぐ、おおぉぉぉッ!? なんなのだ、この光はッ!」
遥か上空で、ラグナエルは顔を歪め、両手で目を覆った。
下界から突き上げるような純白の光は、戦いを監視していた彼の目を焼き切らんばかりの猛烈な刺激となっていた。視界が白く染まり、戦況の把握が完全に遮断される。
そして、放射された純白の光が、カイルの身体を真っ直ぐに貫いた。
「ガ、あ……ぁ……」
野獣のような呻き声が途切れ、首筋や顔面に浮き出ていた禍々しい血管が引いていく。血走り、濁りきっていた瞳に、わずかな理性の光が宿った。
「ふ……ふく、団長……」
掠れた、しかし確かに正気を取り戻した青年の声。戦槌を構えたヴォルフガングが、目を見開く。
「カイル……! おお、カイルッ!」
老騎士の声が震えた。
だが、その奇跡のような時間は長くは続かなかった。光の奔流が徐々に収まっていくにつれ、カイルの首にある石が再びドクン、と脈動を始める。
「ぐぅ、ガあぁぁぁ……ッ!」
カイルは頭を抱え、苦悶に顔を歪ませた。再び、赤黒い鎖が彼の理性を侵食し始める。
「副団、長……気にせず……私ごと、やっ……て、くだ……」
完全に自我を失い、再び化物へと堕ちるその直前。カイルは絞り出すような声で、自らの死を哀願した。
「カイルぅぅぅッ!」
悲痛なヴォルフガングの絶叫が響く。
完全に理性を失ったカイルは獣のような咆哮を上げると、大地を蹴り、ヴォルフガングへ容赦なく凶刃を振り下ろした。激しい金属音が響き、師弟は再び死闘を繰り広げる。
そして、それに引きずられるように他の騎士たちも暴走状態となり、一斉に猛攻を再開していく。
『レオン、首元だ! カイルさんの首の後ろに、あの黒い石が埋め込まれている!』
ユウの切羽詰まった声で、レオンハルトは我に返った。
(首元……あのデモンボアの時と同じか)
位置は分かった。だが、状況は何も好転していない。
レオンハルトは刃を構えながら、思考を巡らせる。
再び獣のように暴れ狂うカイル、その首元に張り付く小さな石。そんなものを、致命傷を与えずに正確に斬り砕くなど、この乱戦の中でどうやって実現できるというのか。
「……確率が低すぎる。石の破壊にこだわり続ければ、その前にこちらがやられる。やはり、カイルを――」
『諦めるな!!』
ユウの激しい怒声が、レオンハルトの意識を揺らす。
『レオンだって見ただろう! 一瞬、カイルさんの目に光が戻ったのを! あの人はまだ生きてる、戦ってるんだ!』
「……っ!」
『それを、確率が低いからって、"仕方ない"の一言で済ませていいのかよ!』
ユウの叱咤に、レオンハルトはハッとする。
いつの間にか、自分はカイル自身が死を望んでいることを免罪符にしていた。
救う方法を探すよりも、本人が望んでいるのだから仕方がない――そう考えることで、カイルを犠牲にする決断を正当化しようとしていたのだ。
「……貴様に、説教される謂れはない」
目の前には、一瞬の希望を無残に打ち砕かれ、再び絶望に染まりながら愛弟子と刃を交える老騎士の痛ましい姿がある。
万に一つでも、あの二人を救える可能性があるというのなら――領主として、否、一人の人間として、為すべきことは一つしかなかった。
『だったら――』
「ああ」
『「助けるぞッ!」』
ユウの声と、レオンハルトの唇から紡がれた言葉が、見事に重なり合った。
――その瞬間。
レオンハルトの脳裏に、膨大な情報が逆流するように流れ込んできた。
(な、なんだ、これは……!?)
それは、ユウの感覚であり、彼の「記憶」だった。
カイルの首元にある石の『正確な位置』が、まるで自らの目で直接見ているかのように把握できる。
それだけではない。見たこともない、巨大なガラス張りの塔。高速で走る鉄の箱。数え切れないほどの人々が行き交う交差点。そして、見知らぬ少年たちの笑い顔――。
ユウの記憶にある情景が、ほんの一瞬、レオンハルトの意識に鮮烈に焼き付いた。そして――。
「なっ、こ、これは……!?」
レオンハルトの瞳が驚愕に見開かれた。己が握る剣の刀身に、先ほど周囲を照らし出したあの太陽のような純白の光が、収束するように宿り始めたのだ。
*
刀身に凝縮していく純白の光は、圧倒的な清浄さで周囲の闇を払っていた。レオンハルトはその光の輝きに、既視感を覚える。
(この光……以前にも見覚えがある)
脳裏をよぎるのは、己に憑りついたユウを除霊しようと試みた時のことだ。
呪いや死霊を転移させるための「形代」を胸に押し当てた瞬間、自身の身体から直視できないほどの純白の光が溢れ出た。そして、形代はその光に触れた途端、跡形もなく消滅したのだ。
先ほどカイルの瞳に理性を呼び戻した光。そして、形代という呪いの器を消し去った光。点と点が繋がり、レオンハルトの中で一つの確信に変わる。
(この光ならば……呪いそのものを、消し去れる)
「ヴォルフッ!!」
レオンハルトの鋭い声が、激しい剣戟の音を切り裂いた。
「カイルの動きを止めろ! 隙を突いて、私が奴の首の石を砕く!」
「閣下が……!?」
「始末するためではない。彼を『助ける』ためだ!!」
その力強い断言に、ヴォルフガングの瞳が見開かれる。
絶望の底に沈んでいた老騎士の顔に、再び闘志の炎が宿った。
「――承知ッ!!」
「グガアァァァァッ!!」
二人の言葉を遮るように、カイルが獣の咆哮を上げる。
首元の石が激しく脈動し、カイルの肉体からさらなる力を強制的に引き出した。ブチブチと筋肉の繊維が断裂する嫌な音が響き、カイルの口から鮮血が吐き出される。
崩壊していく身体を代償として、精霊の加護が極限まで練り上げられていく。
だが、カイルの周囲に漂う風の精霊が、急速に彼の足元へと収束していくのを、ユウは見逃さなかった。
『風の精霊が……レオン、来るぞ!』
今のユウには、カイルの周囲に渦巻く魔力の流れが手に取るように分かっていた。
その光景は、共有された視界を通してレオンハルトにも伝わっている。
『右下から、風の踏み込みだ!』
「――ヴォルフ、右だッ!」
カイルの姿がブレた。
爆発的な風の推進力を纏い、下段からのすくい上げるような凶刃がヴォルフガングへ放たれる。
「ぬううううおぉぉぉッ!」
老騎士は戦槌を盾にし、渾身の力でその一撃を真正面から受け止めた。火花が散り、激しい鍔迫り合いの体勢となる。
カイルの動きが完全に止まったその一瞬。
レオンハルトは地を蹴り、一気にカイルの背後へ回り込んだ。視線の先にあるのは、カイルの首の後ろに張り付いた赤黒い石。
『いけええええッ!!』
ユウの絶叫と共に、レオンハルトは純白の光を纏った剣を一閃する。剣先から伸びた眩い光の刃が、カイルの首元を正確に薙ぎ払った。
肉を断つ感触はなかった。代わりに、硬質なものが砕け散る音が響く。
純白の光に触れた瞬間、カイルの首に寄生していた呪いの石が弾け、黒い霧となって跡形もなく消滅したのだ。
同時に、カイルの全身に絡みついていた赤黒い魔力の鎖がふっと消え去る。
「が、ぁ……」
カイルの口から、小さな吐息が漏れた。
糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちる。ヴォルフガングが戦槌を放り出し、その身体をしっかりと抱きとめた。
気を失い、静かに目を閉じた青年の顔は、先ほどまでの化物のそれではなく、ヴォルフガングがよく知る愛弟子のものに戻っていた。
そして、カイルが倒れたことに連動するように、周囲の騎士たちも次々と力を失い、その場に膝をつく。
レオンハルトは剣を下ろし、その光景を静かに見つめていた。
刀身に宿っていた純白の光が、役目を終えたかのように消えていく。
それと同時に、レオンハルトの視界から精霊や魔力の流れも消えていった。
*
レオンハルトたちとカイルたちが激突した戦場の遥か上空。
「……おのれ。あれは一体、何だったのだ」
漆黒の翼を羽ばたかせ、夕闇の空に浮かぶラグナエルは、片手で顔を覆いながら苦々しく舌打ちをした。先ほど下界から放たれた強烈な光が、ラグナエルの網膜を灼き切ったのだ。眼球の奥を刺すような痛みはまだ引いていない。
朧げな視界の下では、先ほどまで響き渡っていた激しい金属音も、獣のような咆哮も、すでに嘘のように途絶えていた。それは、戦闘の終結を如実に物語っている。
(欠片を、いや欠片『だけ』を砕いたというのか)
『隷属の欠片』が砕かれたことは、繋がりが断たれたことで理解できた。だが、あの目を眩ませる純白の光の中で、一体どのような手段が講じられたのか。決定的な瞬間を見逃したことは、彼にとって計算外だった。
一方。
呪縛から解放された騎士たちは、力尽きたように地面へ倒れていた。激戦を終えたレオンハルトの元へ、ロイやエドガー、そしてリゼットが弾かれたように駆け寄ってきていた。
「まだだ、まだ終わってない!」
レオンハルトの声が、緩みかけた空気を引き締める。
『さっきの黒い石……そこからカイルさんを操るために伸びていた魔力の糸があったんだ。今はもう切れてるけど、その先は――空だ! 左上の空を見てくれ!』
レオンハルトは剣を握り直し、ユウの指示した方角へと視線を向けた。
一見すればただの暮れゆく空だが、レオンハルトは、そこに浮かぶ不自然な「黒い点」を捉えていた。
目を凝らすと、それは黒装束に身を包んだ人影だった。その背には、漆黒の翼が広がっている。
(あれが、カイルたちを操っていた黒幕か……!)
レオンハルトは、その姿をじっと見据えた。
「……見られているか。この距離で」
ラグナエルは、向けられた視線に気づき、歪んだ笑みを浮かべた。
あの得体の知れない光の直撃を受け、未だ視界はぼやけている。
戦えないほどではない。じきに視力も回復するだろう。
だが、得られた結果を持ち帰り、計画を進めることが最優先だ。今ここで正体を晒し、未知の力と正面からぶつかる必要はない。
「今回の目的はあくまで調査だった……十分な収穫といえよう」
誰にともなく呟くと、ラグナエルは翻すように身をよじった。漆黒の翼が羽ばたき、その姿は濃さを増していく夜の帳の中へ、溶けるように完全に姿を消した。
上空の気配が完全に消え去ったことを確信し、レオンハルトはゆっくりと剣を鞘に収めた。その背中に、ロイが戸惑いを隠せない様子で尋ねた。
「レオン様……先ほどのあの光は、いったい……」
ロイの言葉に被せるように、リゼットが目を輝かせ、猛烈な勢いで身を乗り出してきた。
「ありえません! 信じられませんよ男爵! 今の現象、既存の精霊の加護の体系にはまったく当てはまりません! 呪いだけを的確に消し去る光……いったいどんな術式を組み上げたんですか!? それとも未知の精霊と契約を――」
鼻息を荒くして迫るリゼットの質問攻めを、「今は後だ」と手で制し、レオンハルトはまっすぐにヴォルフガングの元へと歩み寄った。
「カイルはどうだ」
地に倒れ伏したカイルを抱き抱えていたヴォルフガングは、主の問いにゆっくりと顔を上げた。
「……はっ。重傷ではありますが、鎧が守ってくれたようです。今はただ、深い眠りについています」
その言葉を聞いた瞬間、レオンハルトの意識の内で、ユウが安堵の声を漏らした。
『よかった……本当によかった……!』
レオンハルトはわずかに目元を和らげた。だが、すぐに表情を引き締める。
その光景を少し離れた場所から見つめながら、エドガーは一人、静かに目を細めていた。
(『無加護』として廃嫡された御方が……精霊の加護とは異なる力を)
この力が知れ渡れば、伯爵家だけの問題では済まない。
精霊の加護を絶対とするこの国の秩序そのものに、影響を及ぼしかねないだろう。エドガーは背筋に冷たい緊張を覚えた。
レオンハルトは戦場を見渡し、通る声で命を下した。
「完全に夜が落ちる前に、ここを引き払う。急ぎ担架を用意しろ。負傷者と、倒れている騎士たちを運び出せ」
主の指示に、領兵たちが一斉に動き出す。夕暮れの戦場に、ようやく静けさが戻ろうとしていた。




