第17話 狂乱する騎士
地鳴りのような轟音が丘陵を揺らした。
ヴォルフガングの戦槌から放たれた大地の力が、囲い手の足元を大きくぐらつかせる。丘陵の一部が崩れ、地面が波打った。
騎士たちが体勢を崩し、整然としていた隊列が一瞬だけ乱れる。
「今だッ!」
その隙を突き、レオンハルトは踵を返して駆け出す。ヴォルフガングと、残った護衛の一人が続いた。
『レオン、このまま北まで逃げ切れるのか……?』
「黙っていろ。気が散る!」
脳裏に響く声に、レオンハルトはやや苛立ちげに答えた。
背後から、再び足音が響き始める。だが、先ほどまでとは様子が違っていた。足並みが揃わず、距離を詰める速度にもばらつきがある。
(ヴォルフの技が効いているのか――いや)
レオンハルトは走りながら、わずかに眉をひそめた。
カイルが戦列から外れてから、騎士たちの足取りが鈍くなっている。レオンハルトやヴォルフガングだけでなく、後ろを走る護衛にも、まだ追いつく気配はない。
(あるいは、カイルが離れたことで、動きが鈍ったのか?)
ただの偶然かもしれない上に、それを検証している余裕もない。
『カイルさんたちを操っている敵がいるはずだ! でも、どこに……!』
ユウの声に、焦りが滲む。
つい先ほどまで仲間だった者たち。その虚ろな目と、感情の消えた動きを間近で見たばかりだ。その焦燥が、レオンハルトにも伝わってくる。
「そんなことは、分かっているッ!」
突然の叫びに、ヴォルフガングが一瞬だけレオンハルトへ顔を向けた。
「……閣下?」
だが、返事はない。レオンハルトは既に前方へ意識を戻し、走りながら周囲を探る。
(理性を失っているだけなら、ここまで正確には動けない)
騎士たちの動きには、明確な意思があった。武器を巧みに使い分け、隙あらば包囲まで仕掛けてくる。それは、本能だけでできる動きではない。
誰かが戦況をみて、指示を出している。
(地に潜んで見える戦況ではない。だとすれば……上か)
レオンハルトは走りながら、頭上へ視線を向けた。高所、あるいはさらにその先か。
この先にある北の森は木々が高く、枝葉も密集している。十分な遮蔽物になるだろう。
「ヴォルフ!」
「はっ!」
並走する老騎士へ、レオンハルトは短く声を張った。息の合間を縫うようにして、策を伝えていく。
「――いいな。私が合図したら、放て」
「しかし、あの技は……」
ヴォルフガングの声に、明らかな逡巡が滲む。
「彼らの鎧は特製だ。だからこそ、信じられる」
レオンハルトは前だけを見据え、そう言い切った。
ヴォルフガングは迷いを断ち切るように、一瞬だけ瞑目する。
「――承知ッ!」
覚悟を決めた声が、夕暮れの丘陵に響いた。
*
『見えたっ、北の森だ!』
前方に北の森が見えていた。木々の密度が増し、その先では地形も険しくなっている。だが、森へ近づくにつれ、背後から迫る気配が急速に大きくなっていた。
レオンハルトは走りながら、わずかに後ろへ目を向ける。
先ほどまで乱れていた騎士たちの隊列が、再び整い始めていた。互いの間隔が揃い、追いついてくる速度にも乱れがない。そして、その先頭には――。
「――ッ!」
風を纏ったカイルが、迫っていた。
ヴォルフガングの一撃で吹き飛ばされたにもかかわらず、風の加護による身体強化を維持しながら、他の騎士たちを追い越して単独で駆けてくる。
(カイルが近づくにつれて、騎士たちの動きが戻っている……)
一度なら偶然とも考えられる。だが、二度目となれば話は別だ。
次の瞬間、カイルが一気に距離を詰めた。レオンハルトのすぐ背後まで迫ると、そのまま剣を振り上げる。
「閣下ッ!」
主の危機にヴォルフガングが振り返り、戦槌を構え直す。レオンハルトのもとへ駆け戻ろうとした、その瞬間―
「構うな! そのまま走れ!」
レオンハルトは振り返りざまに剣を抜き、迫る刃を受け流した。カイルの身体がわずかに流れたところへ踏み込み、その足元を払う。カイルの身体が大きく傾き、そのまま地面へ倒転倒した。
レオンハルトは追撃せず、すぐにヴォルフガングたちの後を追って走り出す。
森の入口は、もう目の前だった。
レオンハルトたちが木々の間へ駆け込もうとした、その直前――背後から迫っていた足音が、不意に途切れた。
*
森を見下ろす高みで、ラグナエルは薄く笑った。
「見え透いた罠だな。まさか、何の警戒もなく飛び込むとでも思ったか」
視線の先、木々の間には不自然な縄が張り巡らされていた。明らかに、森へ誘い込むための仕掛けだ。ラグナエルは手の中の紋石へ魔力を通した。遠く離れた手駒たちへ、停止の指示を送る。
カイルの足が止まった。それに合わせるように、後続の騎士たちも森へ踏み込む直前で足を止める。
その足音が途絶えた瞬間を、レオンハルトは待っていた。
(――そう来ると思っていた)
罠に踏み込ませることが目的ではない。監視者がいるならば、必ずそれを警戒して足を止める。その瞬間こそが、狙いだった。
「ヴォルフ、今だッ!」
「大地の精霊よ、その猛き怒りを、我が一撃に宿せ!」
ヴォルフガングが戦槌を振り上げる。
「“大地の怒り”(グランド・レイジ)ッ!!」
地面に叩きつけられた刹那、カイルたちの足元が轟音と共に隆起した。幾本もの土柱が一斉に噴き上がり、固まっていた騎士たちを、まとめて空中へと跳ね上げる。
次々と地面へ叩き落とされた騎士たちは、呻き声すら上げず倒れ伏した。鎧にはいくつもの凹みが生じているが、致命的な損傷は見当たらない。地の精霊石を組み込んだ鎧が、衝撃を受け止めたのだ。
レオンハルトは倒れた騎士たちを見渡す。
これほどの威力なら、通常は命に関わる。だが、彼らが身につけているのは伯爵家の精鋭に与えられた特製装備だ。多少の負傷はあっても、殺さずに動きを止められる。
『……や、やった……のか……?』
ユウの声が震えている。レオンハルトは短く息を吐いた。
「――レオン様ッ、応援に上がりました!」
聞き覚えのある声に、レオンハルトが振り返る。
現れたのは、領兵を率いるロイだった。その後ろには、伯爵家の家章を付けた術師用の服を纏うエドガーとリゼットもいる。
「男爵様! ご無事で……!」
「こ、これは……いったい何が……?」
二人が目の前の惨状に息を呑む。
『……よかった』
ユウの声に、安堵が滲む。だが――倒れていた騎士の指が、ピクリと震えた。
*
その一部始終を、上空からラグナエルは見下ろしていた。
「ほう……なかなかやる」
乾いた声が漏れる。倒れた手駒たちを見ながら、彼はわずかに口の端を上げた。
(なるほど、デモンボアがやられるわけだ)
この人間たちならば、あの魔猪を倒したことにも納得がいく。そう胸中で認めながら、手元の紋石をカイルらに向けて掲げる。
「――だが、まだだ」
紋石に、さらに魔力を注ぎ込む。赤黒い光が、倒れ伏した騎士たちを包んだ。
「ぐ、あああああッ……!」
騎士たちの喉から、苦悶の声が上がる。首筋や鎧の隙間から覗く肌に血管が浮かび、全身の筋肉が強く収縮した。地面に伏していた身体が、ゆっくりと起き上がる。
「そんな……ッ、まだ、立つのか……!」
護衛の兵が、掠れた声を漏らした。
(……これは、あのときと同じか)
レオンハルトの脳裏に、デモンボアやハイオークたちの姿が蘇る。膨れ上がった筋肉。血管の浮き出た首筋。目の前で変貌していく騎士たちの姿が、あの魔物たちと重なった。
(肉体の限界を超えて、力を引き出されている……!)
最初に立ち上がったのは、カイルだった。血走った瞳が、再びレオンハルトたちを捉える。かつて拾われた恩を語っていた青年の姿は、もうどこにもない。
『レオン……ッ、カイルさんが……!』
ユウの声が、脳裏で裏返る。駆けつけたロイたちも、すぐに武器を構えた。
カイルに続き、騎士たちが一人、また一人と立ち上がっていく。
「……総員、構えろッ!」
レオンハルトの声が、森に響いた。
*
変貌を遂げたカイルが、異常な速度で地を蹴った。
その標的は、明確に指揮官であるレオンハルトへと定められていた。それに呼応するように、他の騎士たちも一斉にレオンハルトへ殺到する。
「――くっ!」
レオンハルトは剣を構え、四方から迫る凶刃を捌く。だが、先ほどまでの余裕はない。火事場の馬鹿力とも言える異常な筋力と速度で繰り出される連撃に、さしものレオンハルトも防戦一方に追い込まれた。
(このままでは、剣がもたん……!)
カイルの剣が空気を裂き、レオンハルトの二の腕をかすめる。身を翻して避けた先には別の騎士の槍が迫り、太腿を浅く裂いた。だが、炎の付呪により掠っただけでも肉を焼かれる。
「閣下!」
「レオン様、下がってください!」
レオンハルトを庇うように、ヴォルフガングとロイが前へ飛び出した。
ヴォルフガングが凄まじい気迫と共に戦槌を振るい、カイルの剣を真正面から受け止める。ロイと男爵家の兵士たちは、側面から迫る他の騎士たちの分断にかかった。
「リゼット殿、援護を!」
「は、はいッ!」
エドガーとリゼット、後方へ展開していた二人の術師が杖を構えた。先端に嵌め込まれた水と地の精霊石が、眩い光を放つ。
二人が持つ加護の位階は決して高くない。しかし、この特製の杖が彼らの術を大幅に底上げしていた。
「水の精霊よ、我が呼びかけに応え、その奔流を解き放て! ――“奔流“」
エドガーの杖の先から、濁流のごとき大量の水が一気に噴出する。本来であれば多少の水を放つ程度の術だが、精霊石の増幅を受けたそれは、数人の騎士をまとめて押し流すほどの威力を持っていた。
「地の精霊よ、我が声に応え、その剛力を貸し与えよ! ――“岩砲“!」
リゼットの詠唱と共に、地面から巨大な岩塊がせり上がり、高速で撃ち出される。本来の拳大の岩とは比較にならない破壊力が、騎士の鎧を激しく打ち据えた。
数と手数の上では、レオンハルト側が有利だった。だが――戦況は、確実に劣勢へと傾いている。
「ひるまねぇ……ッ、化け物かよ!」
ロイが舌打ちをした。エドガーやリゼットの術を浴びても、騎士たちは体勢を崩すことすらなく突進してくる。限界を超えて引き出された力と、特製の鎧の防御力。それが、数の有利を完全に無に帰していた。
「止めろ、カイルッ!」
前線で激突するヴォルフガングの悲痛な叫びが響く。
「ガ、ァ……ァアア……ッ!」
応えるのは、野獣のようなカイルの呻き声だけだった。
人間とは思えない圧倒的な暴力。それを、ヴォルフガングは己の剛力と長年の技術で真正面から受け止め、拮抗させていた。
火花が散り、激しい鍔迫り合いが続く。その最中、ヴォルフガングが脱力と重心操作でカイルをいなし、背後へと回り込んだ。
「おおおおッ!」
渾身の力を込め、戦槌をカイルの背へと叩き込む。
鈍い音が響いた。特製の鎧が戦槌の威力を吸収し、致命傷には至らない。だが、その強烈な『衝撃』までは殺しきれず、カイルの背面に深く浸透した。
「ガ、ア……ッ」
カイルの動きが、一時的にピタリと止まる。
その瞬間――周囲でロイたちと交戦していた他の騎士たちの動きも、一瞬だけ、しかし明らかに鈍った。
だがそれも束の間、カイルがすぐさま姿勢を立て直すと、騎士たちの動きも再び元の苛烈さを取り戻す。
(……やはり、そうか)
息を乱す味方の陣形を見極めながら、レオンハルトは一つの結論を導き出していた。
先ほどのチェイスで見せた、距離が開いた際の動きの鈍り。そして今、カイルに衝撃が走った瞬間に、全騎士の動きが連動して止まった事実。
間違いない。あのカイルこそが、この騎士たちを統率する「中枢」だ。
ユウの言葉を信じるのならば、今のカイルたちは全身に呪いの紋様を這わせている。解呪する決定打もない。
暴走を止める方法はただ一つ。中枢であるカイルの息の根を止め、完全に機能を停止させること――。
(カイルを始末する。それしか、この状況を覆す手はない)
レオンハルトは、ヴォルフガングとロイに向けて鋭く声を放った。
「狙いをカイルに絞れ! 奴がすべての要だ。カイルに攻撃を集中させろッ!」
それは戦術的な最適解であると同時に――カイルの死を意味する命令だった。
『駄目だ、レオン! そんなことをしてはッ!』
レオンハルトの殺意を察知したユウが、脳内で猛烈に反発した。
「手加減ができる状況ではないッ。このままでは、こちらが全滅する!」
誰もいない空に向かって怒号を浴びせたレオンハルトに、ロイが驚愕の目を向けた。
「レ、レオン様……!? 一体、誰に――」
「チッ、構うな、前をみろ!」
困惑するロイの声を強引に遮り、レオンハルトは刃を握り直す。
『カイルさんは、あの人はヴォルフさんの……!』
「……」
レオンハルトの意識に悲痛なユウの訴えが響く。だが、レオンハルトは歯を食いしばり、口を閉ざした。情で全員を助けられるほど、目の前の現実は甘くないのだ。
その絶望的な命を受けたヴォルフガングは、カイルとの凄惨な打ち合いの渦中にいた。
「ガ、アぁぁぁッ!」
「くっ……ッ!」
カイルが振るう、肉体の限界を無視した凶剣。それを戦槌の柄でギリギリと受け止め、激しい鍔迫り合いの体勢となる。
眼前にあるカイルの顔。血走り、光を失った虚ろな瞳。
押し合う腕が激しく震える中で、かつての記憶がフラッシュバックする。
剣の握り方を教えた日。風の精霊の加護を授かり、無邪気に喜ぶ顔。息子同然に育て、誇りに思っていた愛弟子。
(……命を絶てとおっしゃるか、閣下)
胸を切り裂くような衝撃が走る。だが、ヴォルフガングの内に迷いはなかった。
あのレオンハルトが、他でもない伯爵家の騎士であり、自分の愛弟子であるカイルを殺せと命じたのだ。
カイルが要だという「確証」があり、他に救う道が「ない」と判断した。そうでなければ、あの主がこれほど非情な決断を下すはずがない。
もはや、この手で介錯するしか道はないのだと、老騎士は深く理解した。
「ならば、せめて……その役目は、このワシの手でッ!」
血を吐くような叫びと共に、ヴォルフガングは力任せにカイルを押し返し、戦槌を高く振りかぶった。
『や、止めてくれ、ヴォルフさんッ!』
その痛ましい背中と、振り下ろされる鉄槌を見た瞬間、ユウの脳裏に、かつて詰所で聞いたカイルの言葉が鮮明に蘇った。
――私がここに立てているのは、あの人のおかげです
あんなに誇らしげに笑っていたのに。あんなに互いを想い合っているのに。
それを、こんな理不尽な理由で、互いに殺し合わせるというのか。
ふざけるな。そんなこと、絶対にさせてたまるか。
『止めろぉぉぉぉッ!!!』
ユウの感情が、完全に限界を振り切った。――その瞬間。
レオンハルトの身体の奥底から、純白の光が爆発した。
夕闇に包まれつつあった戦場が一瞬で真昼と見紛うばかりに照らし出され、光の奔流がすべてを呑み込んでいく――。




