第16話 傀儡
南西の丘陵地帯に、夕闇が満ちようとしていた。
馬を飛ばし続けたレオンハルトたちが、伯爵家の部隊が展開していたはずの一帯にたどり着いた時、そこには異様な静けさだけが待っていた。
「……野営地に、誰もいないだと?」
後方に設営されていたはずの天幕は、火の気もなく、人の気配もない。負傷者を運び込んだ形跡すらなかった。
レオンハルトは馬を降り、慎重に周囲を見渡す。
(勝ったにせよ、負けたにせよ、これほど静かなはずがない)
丘陵の斜面を進むと、答えの一端が見えてきた。
累々と横たわる、漆黒の毛並みを持つ魔狼・デモンウルフの骸だ。報告にあった、五体全てがそこにあった。
だが、肝心の伯爵家の騎士たちの姿がどこにもない。
「……妙ですな。一体、カイルたちはどこに」
ヴォルフガングが戦槌を手に、身構える。
『なんだ……この感覚。物凄くいやな感じがする』
ユウの声にも、隠しきれない不安が滲んでいた。
「男爵様、あれを!」
護衛の兵の一人が、鋭く声を上げる。
指差す先に、幾つかの人影があった。
伯爵家の家章が刻まれた鎧をまとう、あの精鋭部隊だった。
「カイル……! 無事か!?」
ヴォルフガングは声を張り上げた。だが、返答はない。
人影は、こちらへ向かって佇んだまま、身じろぎ一つしない。夕日を背に受けたその輪郭は、確かにカイルであり、その部下たちだった。
「……閣下」
ヴォルフガングの声が、低く響く。
「ああ。様子がおかしい」
レオンハルトも、既に気づいていた。
呼びかけに応じないだけではない。生気――生きている者が発する気力そのものが、彼らからは一切感じられなかった。呼吸の乱れも、瞬きすらも見て取れない。
『レ、レオン……! 今、一瞬……見えた気がする』
ユウの声が上ずった。言葉も途切れ、明らかに怯えている。
レオンハルトは小さく舌打ちしつつ、小声で聞き返した。
「……何がだ」
『鎖だよ。赤黒い……いや、鎖っていうより、纏わりつく靄みたいな。カイルさんたちの体中に、絡みついてる……!』
その言葉が終わるより早く、異変が起きた。
カイルの姿が、掻き消える。
いや、消えたのではない。ただ、常人の目には追いきれぬ速さで、間合いを詰めてきたのだ。
「――ッ!」
レオンハルトは、迫る一撃を寸前に見切り、剣を合わせた。
鈍い衝撃が、両腕に走る。武器の質が違う以上、受け止めることはしない。半歩だけ足を引いて衝撃を殺し、そのまま刃を滑らせるように受け流す。
(速い……! だが……)
見切れぬ速さではない。
流した勢いのまま、レオンハルトは半身で踏み込んだ。剣先が、カイルの二の腕を浅く裂く。急所は、意図して逸らしてある。
しかし、カイルは怯むことなく、間を置かず二撃目を繰り出してきた。浅手など、意に介した様子もない。
その苛烈さに、レオンハルトの纏う空気が、僅かに張り詰めた。――その時。
「ぬんッ!」
横合いから割り込んだヴォルフガングが、カイルの一撃を真正面から受け止めた。そのまま鍔迫り合いとなる。
「カイル! ……ワシのことが、分からんのか!」
ヴォルフガングは絞り出すように叫ぶ。
だが、カイルは何一つ反応しない。
焦点の合わない瞳。かつて「副団長」と呼びかけてきた、あの人懐こい雰囲気はどこにもない。
その虚ろな目のまま、カイルはただ機械的に、剣を振るい続けた。
『カ、カイルさん……他の人たちも、同じなのか!?』
目の前の光景が信じられず、ユウが戦慄する。
カイルの背後、丘の各所に立っていた騎士たちが、一斉に動き出していた。弓を構える者、側面へ回り込む者、槍を並べて槍衾の構えを取る、統率された動きだった。風の精霊石が組み込まれた特性の弓が、ギリギリと音を立てて引き絞られていく。
「散開しろッ!」
レオンハルトの指示に、護衛の三名が即座に散る。矢が唸りを上げて飛来し、護衛一人の肩に突き刺さった。
『レオン、あれと同じだ……!』
ユウの声が、切迫していた。
『デモンボアを操っていた、あの呪いの石。それと同じ気配がするッ』
「……石はどこにある」
『それが……分からないんだ。前は、体の一部に固まってたから、そこを狙えば良かった。でも今回は……全身に、均等に這ってる。源が、見つからない』
レオンハルトは舌打ちをする。
狙うべき急所がない。つまり、あの時のように石を破壊して解呪する術がないということだ。
「ユアン、詰所へ走れ! 救援を呼べ!」
レオンハルトは護衛の一人に命じた。
先ほど肩を射抜かれた若い兵士、ユアンは肩に手を当てながら、丘を駆け下りていく。
「大地の精霊よ、岩の剛毅を我にッ!」
ヴォルフガングの咆哮と共に、彼の戦槌に土砂が渦を巻くように覆っていく。
「“岩砕撃”!!」
戦槌が地面に叩きつけられ、カイルの足元を陥没させる。
土砂崩れに呑まれ、カイルの動きが一瞬止まった。
だが、カイルの隙を埋めるように、その横合いから二人の騎士が槍を突き出してくる。火のエンチャントが施された穂先――吹き上がる炎そのものが、仕込まれた精霊石の質の高さを示している。それを、すんでのところで戦槌を回して弾き飛ばす。
「くっ……!」
技巧はない。ただ機械的に、同じ動作を繰り返すだけの連打だ。
しかし、その一本一本に込められた武具の力が、並の得物では到底受けきれない代物だった。
この猛攻を凌げているのは、ヴォルフガング自身の技量と、彼の戦槌もまた、地の精霊石を用いた特別製であることに他ならない。
「ぐわぁぁ!」
護衛の一人が、槍の柄で薙ぎ払われ、大きく吹き飛んだ。地に叩きつけられたきり、身じろぎ一つしない。
「くそ……ッ!」
レオンハルトとヴォルフガング、もう一人の護衛は背中合わせとなる。
円を描くように、虚ろな目をした騎士たちが、じわじわと包囲を狭めてくる。
そして、崩壊した穴から、カイルが跳躍して這い上がってきた。土にまみれた体のまま、足取りに一切の乱れがない。
「カイル……!」
『カイルさん、止めてくれ! あなたの目の前にいるのは、ヴォルフさんなんだッ!』
ヴォルフガングに合わせて、ユウの叫びが響いた、その刹那。
風を纏い、カイルが一気に間合いを詰める。迎え撃つべきヴォルフガングの反応が、ほんの一拍、遅れた。
戦槌を構え直すより早く、繰り出された一撃が肩をかすめた。鎧が甲高い音を立てる。
「ぬ――ッ!」
だが、それも瞬きに満たない間だった。
身に迫る危機に、ヴォルフガングは意識を戦場へ引き戻す。続く二撃目を戦槌で受け止め、力任せに鎧に叩き込んだ。
その勢いのまま、カイルは後方へ吹き飛ばされていく。
「すまぬ……ッ!」
誰へともなくこぼれた一言は、それきりかき消えた。
レオンハルトは、その一瞬の遅れを見て取っていた。だが、今は指摘している暇はない。
(このままでは……!)
レオンハルトは冷静に戦況を分析する。
包囲は狭まる一方だ。護衛は既に一人を欠き、残る一人も肩で息をしていた。
技も戦いの駆け引きもない、ひたすらに単調な攻撃だ。この程度であれば、自分とヴォルフガングで退けることはできるだろう。
だが、正面から力ずくで制圧すればいいわけではない。目の前にいるのは、敵ではなくカイルたちだ。動きを止めるために手加減をすれば、こちらが危うい。かといって本気で打ち込めば、重傷を負わせるだけでは済まない可能性がある。
(正面から崩す手は、ない。だが……)
脳裏に、一つの案がよぎった。
先の魔物襲撃の後、対策として、地形を利用した罠を領内の要所に設置している。ここから最も近いのは、北の森の西方に仕込んだものだ。
距離はある。だが、ここで手をこまねくよりは、賭ける価値があった。
「ヴォルフ、北の仕掛けまで引くぞ!」
「――御意! ワシが道を切り開きましょう。閣下たちは続いてくだされッ!」
ヴォルフガングに、いつもの調子が戻る。
先の動揺などなかったかのように、彼は戦槌を構え直した。
「退くぞ! 決して振り返るな、足を止めれば終わりだ!」
レオンハルトの号令と共に、ヴォルフガングが詠唱を始める。戦槌に、土砂が渦を巻くように収束していった。
*
時は、少し遡る。
地上から遠く離れた上空から、黒装束の男・ラグナエルが戦場を睥睨していた。
その背に広げられた漆黒の双翼が羽ばたき、眼下に広がる戦場を静かに見下ろしている。
(あの者が、指揮官か)
人間たちの中心で指示を飛ばす男へ、視線を据える。少数の護衛を率いており、所作や立ち位置――間違いない。
その傍らで戦槌を振るう、巨躯の男にも目を留めた。
(……ほう)
纏う魔力の質が、他の人間とは一線を画している。
地の精霊の加護。それも、並の位階ではない。一段上、大地の精霊の加護だ。
(先の戦場跡で感じた、あの強力な地属性の気配は、この男のものか)
あの日、デモンボアを退けた戦場に残っていた痕跡と、今目にする力の質が、静かに符合していく。この地に潜む戦力の正体を、また一つ絞り込めたことになる。
視線を、カイルたちへと移した。
統率の取れた動き、乱れのない連携――ラグナエルが埋め込んだ紋石の欠片が、正しく機能している証だった。
「今回は、崩れんな」
以前の隷属の紋石には、明確な欠陥があった。対象の数が増えるごとに、意思の統制が粗くなる。多くの魔物を同時に操れば操るほど、個々の動きはまばらとなり、統率という言葉からは程遠い暴走に近づいていった。
だが、今回は違う。
指揮官格であるカイルに埋め込んだ欠片が、いわば中継の要となっている。彼を介して至近距離の騎士へ、意思と魔力とを分け与える――遠方からそれぞれに分散させるのではなく、一つの中枢から伝播させる構造だ。これにより、対象が増えても統率の質が損なわれることはない。
(悪くない出来だ)
試験としては、上々の結果と言えた。
ラグナエルの視線が、再びあの指揮官の男へと戻る。ちょうど、カイルの一撃を、男が真正面から受け止めた瞬間だった。
「……む」
その目を僅かに見開く。
男の体に、加護の発動は見えなかった。纏う魔力の色、揺らぎ、精霊の気配――そのいずれもない。それでいて、崩れることなく、その一撃を正確に受け流し、あまつさえ一手、返してみせている。
(加護も纏わず、あれをか)
カイルの一撃は、風の加護による身体強化に、付呪された得物の切れ味が上乗せされたものだ。並の人間であれば、受け止めるどころか、反応することさえ叶わない速さのはずだった。
鍛錬だけで詰められる差ではない。ラグナエルはそう判断した。膂力にせよ反応速度にせよ、あの男の身体そのものが普通ではない。常人の枠組みを遥かに超えている。
(分からぬな。一体、何者なのだ)
遠目からでは、加護の有無まで正確には見極められない。目立った魔力の発動がないというだけで、断定するには材料が足りなかった。
「……まあいい。あの程度であれば、脅威足り得ない」
今すぐに答えを出す必要はない。今回の彼の役目は、あくまで紋石の検証とこの地の戦力の検分だ。
(いずれ調べる価値は、あるかもしれんな)
ラグナエルは短くそれだけ記憶に留めると、視線を戦況全体へと戻した。
追い詰められた人間たちは、大地の加護を持つ戦士が突破口を開いて、北へと撤退しつつある。
追撃するようカイルらへ指示を飛ばすと、彼自身も、その後を追うのだった。




