第13話 積み重なる予兆
古びた石造りの広間。
窓一つない室内を、壁に掛けられた魔導灯が淡く照らしている。
その中央に据えられた円卓を囲むように、黒い外套を纏った者たちが座していた。顔は深くフードに隠れ、その素性は窺えない。
重苦しい沈黙を破ったのは、しゃがれた男の声だった。
「失態であったな、ラグナエル」
名を呼ばれた男が、円卓の向こうへ黙って視線を向ける。
「人間どもの仕掛けた罠に飛び込み、あわや正体を晒しかけるとは。……お前らしくもない」
その声の主は円卓の上で両手を組み、男をじっと見据えた。
「責めても仕方ないでしょう」
沈黙を破るように、女の声が割って入る。
声音こそ落ち着いていたが、男を流し見るその視線は冷ややかだった。
「今は失敗を責めるより、どう対処するかを考えるべきよ」
ラグナエルと呼ばれた者は鼻で笑った。
「あの精霊石だけで我らへ辿り着くことはない。人間どもの眼では、せいぜい表層の魔力しか感知できぬ」
椅子の背に深く体を預けたまま、ラグナエルは腕を組む。
「人間だけなら、ね」
女は小さく息を吐いて肩をすくめ、首を横へ振った。
「人間のところにいる『彼ら』なら、見抜くはずよ」
その言葉に、一同がわずかに息を詰めた。だが、ラグナエルは動じない。
「問題ない。袂を分かったとはいえ、人間を恨む心は我らと同じだ。こちらも手は打ってある」
断言するその口調に、それ以上追及する者はいなかった。
やがて円卓の上座に座る人物が口を開く。
「よかろう」
威厳に満ちた声が、広間に響いた。
「今はまだ、人間どもへ総力を挙げる時ではない」
黒衣の者たちは無言で耳を傾けている。
「戦力はなお不足している。力ある者を処罰している余裕もない」
ラグナエルは組んでいた腕を解き、静かに頭を下げた。
「それに、お前が持ち帰った試験結果は有益だった。例の物も完成へ近づいている」
上座の人物が、懐から漆黒の欠片を取り出し、円卓の中央へ置いた。以前のものより一回り小さいが、紋様は緻密に刻まれて洗練されている。
「これまでとは勝手が違う。知性ある生き物にも効果がある……次は、これを試す番だ」
上座の人物は、円卓を囲む者たちをゆっくりと見渡した。やがて、その視線がラグナエルの前で止まる。
「その役目、お前に任せる」
ラグナエルは口の端を吊り上げると、円卓の上の漆黒の欠片を手に取った。
「次の試験では、さらなる成果を持ち帰ろう。その時こそ、計画は次の段階へ進む」
誰も異論を挟まず、黒衣の者たちは静かに頷く。
――試す場所は、もう決めている
ラグナエルの内では、既にそう定まっていた。
先日、思わぬ抵抗を見せた、あの忌々しい辺境の地。いったい何が潜んでいるのか、この目で見極めてやろう、と。
やがて円卓を囲む黒衣の者たちは、一人、また一人と席を立つ。広間には再び静寂だけが残った。
*
朝の陽が差し込む研究室には、書類とサンプル瓶が所狭しと並んでいた。
机の上には、あの谷底で採取された土や、変質した精霊石の記録帳が積み上げられている。レオンハルトは腕を組み、向かいに座るエドガーとリゼットを見据えた。
「それで、進捗を聞かせてください」
「はい。では、順をおって説明いたしましょう」
手帳を開き、エドガーが淡々と切り出す。
「黒い石、変質した精霊石――両者とも、既存の魔導理論では説明がつきません。これは前回お伝えした通りです」
「それは聞いた。伺いたいのは、その先です」
「はい。この数日間、いくつかの仮説を検証しました」
エドガーは眼鏡に手を添えながら、手帳のページを繰る。
「一つ目は、外部からの呪術的な干渉。何者かが術式を用い、一時的に土地や石へ作用を及ぼしている、という線です」
「なるほど……二つ目は?」
「精霊そのものが、力を奪われて衰弱、あるいは消滅している可能性です。外部からの意図的な作用により、極端に消耗している、そういう仮説です」
「わ、私はですね!」
リゼットが身を乗り出し、話に割って入った。
「三つ目、絶対に本命だと思うんです。二つ目とは似て非なるものというか……あの土に残ってた気配、あれ、劣化とか消滅じゃなくて、精霊の『性質』が変わろうとしてる痕跡だと思うんですよ! まるで、中身をごっそり書き換えられてるみたいな……!」
『……えっ!?』
短く漏れたユウの声を聞き流し、レオンハルトはリゼットを見据える。
「その仮説、根拠は」
「それが……まだ、検証が進んでいなくて……」
検証一つするにも、膨大な時間が掛かっていた。
積み上げられた理論の先ではなく、何も手掛かりがないところから始めているのだ。
もっと時間があればと言わんばかりに、リゼットは視線を落とす。
「リゼット殿……憶測を語る前に、根拠を揃えましょう。一つ一つ積み重ねていくしかありません」
「……はい」
落ち込むリゼットを見遣りながら、エドガーは手帳を閉じる。
「精霊石の変色パターンを既知の呪術と照合しましたが、一致するものはありません。土の乱れについても、同様に前例がない。つまり現状で申し上げられるのは、『通常ではない何かが起きている』という事実だけです」
レオンハルトは黙って聞いていたが、やがて腕を組んだ。
「仮説は結構。ですが、証拠のない仮説は、判断の役には立ちません」
「仰る通りです」
室内に沈黙が落ちる。リゼットが小さく肩を落とした。
「……悔しいです。もう少しで、何かを掴めそうなのに」
「責めているわけではない」
レオンハルトは腕を解くと、視線をリゼットに向ける。
「分からないことを、分かっているふりで報告されるよりよほど良い。……分かりました。引き続き調査を。何か分かり次第、すぐに知らせてください」
「承知しました」
エドガーは一礼し、リゼットも渋々ながら頭を下げた。二人が資料を抱えて退室すると、室内には再び静寂が戻る。
『……なあ、レオン』
脳裏で、ユウの声が控えめに響いた。
『さっきの三つ目の仮説、俺が見えたのと同じことっぽいって、あの二人に言わなくてよかったのか?』
「言えるわけがないだろう」
レオンハルトは小さく息を吐き、書類の束を手に取りながら答える。
「貴様の存在を明かすことになる。それに――貴様自身が、何者なのかもまだ分かっていない」
『まだそれを言うのかよ……』
「当たり前だ。貴様はなによりも、己の異質さを自覚しろ」
ふと思い出したように、レオンハルトはその口元を緩めた。
「……失敗したな。本家から、除霊や解呪に詳しい神官も要請しておくべきだったか」
『それ、絶対俺のこと言ってるだろ』
「他に誰がいる」
軽く肩をすくめ、書類の端を軽く整えた。
「まあいい。今は、判断材料が足りん」
その手を止めぬまま、レオンハルトの意識の裏で、記憶が蘇る。
――普通の火の精霊とは違うものに変わっていっているような。
伯爵家へ向かう馬車の中で、ユウが口にした言葉だ。それと、今リゼットが語った仮説。互いに何の接点もないはずの二人が、意見を同じくしている。
『……俺の見え方も、あながち的外れじゃないってことか』
沈黙の中、ぽつりと漏れたユウの呟きには、どこか安堵にも似た響きがあった。
異物として持て余されているだけの自分にも、何か役に立てることがあるのかもしれない――そんな微かな期待が滲んでいる。
「身体の中に居座る以上、少しでも役に立て。貴様にできることがあるならな」
レオンハルトは鼻を鳴らし、何事もなかったように立ち上がった。
「さて、次は騎士団の再編だ。……こちらは、放置していい問題ではない」
*
騎士団の詰所の会議室。
レオンハルトは、中央に広げられた領内の地図を前に、ヴォルフガングと伯爵家から派遣された部隊を率いる小隊長カイルと向き合っていた。
「――北の巡回は、今の体制のままでいい」
地図に描かれた北の森の周辺を指で叩く。
「ヴォルフ、引き続きお前の部隊に任せる。地形も、あの日の痕跡も、お前たちが一番よく知っている」
「お任せくだされ、閣下。北の森は庭のようなもの。ワシらに任せていただければ問題ありませぬ」
ヴォルフガングは哄笑しながら、胸元を叩いた。
その頼もしい姿に、レオンハルトの張り詰めていた表情がわずかに緩む。
「問題は、こちらだ」
レオンハルトの指が、地図の上を南西へ滑った。ヤーガー子爵領との境に接する、なだらかな丘陵地帯だった。
「北にばかり気を配っていたが……この境界は、今まで手薄なままだった」
「南西、ですか」
カイルは身を乗り出すと、レオンハルトの指が示した場所へ視線を落とした。
「ああ……エドガー殿から一つ、忠告を受けている」
レオンハルトは、先日の応接室でのやり取りを思い出しながら続けた。
「窮した者は、理屈通りに動くとは限らない、と。……先日の一件で、ヤーガー子爵の顔を潰した自覚はある」
「……あの子爵殿ですか」
ヴォルフガングが顎髭を撫でる。わずかに苦笑が浮かんだ。
「なるほど。あの御仁なら、何をやらかしても不思議ではありませんな」
「可能性の話だ。だが、無視していいものでもない」
レオンハルトは南西の丘陵地帯を指で囲む。
「正直に言えば、今の状況で仕掛けてくるとは考えにくい。伯爵家直属の騎士や術師もいる。……私なら、この状況で動かない」
それでも、とレオンハルトは指先を境界線へ滑らせた。
「だが、相手が同じように考えるとは限らない」
「ふむ……確かに、備えは必要でしょうな」
ヴォルフガングは地図へ目を落とし、南西の境界線をしばらく眺めた。それから、納得したように頷く。
「カイル殿の部隊には、こちらを頼みたい。北はヴォルフの部隊が知り尽くしている。……貴公らには、まっさらな目でこの境界を見てもらいたい」
「承知しました」
カイルはヴォルフガングからレオンハルトへ視線を移し、静かに頷いた。
「南西の地理は、まだ頭に入り切っていません。ですが、それは裏を返せば、先入観なく見られるということでもあります」
「良い心構えだ」
レオンハルトは短く頷き、地図に印を書き加えていく。
その傍らで、ヴォルフガングがカイルの肩越しに手を伸ばし、彼が腰に佩いた剣の角度を無造作に直した。
「……その差し方は隙が多いと、何度教えたか覚えているか」
「……っ! 副団長、恐れ入ります」
カイルが反射的に姿勢を正す。ヴォルフガングは小さく鼻を鳴らした。
「『副団長』はよせ。ワシはもう引退した身じゃわい」
「いえ! 私にとっては、いつまでも副団長です」
ヴォルフガングは呆れたように首を振ったが、それ以上は何も言わなかった。
打ち合わせが一区切りついたところで、ヴォルフガングが茶を淹れに席を外す。残されたカイルが、その背中を見送りながら呟いた。
「……相変わらずですね、あの方は。何年経っても、まるで変わらない」
「付き合いが長いようだな」
レオンハルトが何気なく言うと、それまで小隊長として見せていた硬さがふっと抜けた。
「……ええ。私は、あの方に拾われたんです」
ヴォルフガングの去った扉へ目を向けた後、言葉を継ぐ。
「物心つく前に両親を亡くしまして。孤児だった私を、当時副団長だったあの方が引き取ってくれたのです」
カイルははにかむように顔を和らげ、小さく笑った。
「厳しい人でしたよ。手加減なんて一切ない。何度も泣かされました。……でも、殴られたことは一度もありません」
「……それで、騎士になったのか」
「はい。剣も、文字も、礼儀も。私がここに立てているのは、あの人のおかげです」
カイルは少し遠くを見るように目を細める。
「あの方が男爵様に仕えると決めたのなら、それだけの理由があるはずです。私は、副団長とまた任務に当たれることに感激しております」
ちょうどそこへ、ヴォルフガングが茶器を手に戻ってきた。
「カイル、何を話しておる」
「……いえ、何も」
カイルが慌てて姿勢を正す。ヴォルフガングは怪訝そうに眉を寄せたが、追及はせず、茶器を机に置いた。
『……いい話だな』
脳裏に響いた声には、普段とは違うものが滲んでいる。
そこに軽薄さはなく、どこかしみじみとした響きがあった。
『拾われて、育てられて、今もこうして一緒にいる。……俺、こういうの弱いんだよな』
「ふん……」
レオンハルトは、わずかに眉を寄せる。
だが、それ以上何も言わず、地図へ視線を戻した。
「南西の警戒は、今日中に配置を固める。……ヴォルフ、続きだ」
窓の外では、夕暮れの光が少しずつ赤みを増している。三人は再び地図を囲み、細部の詰めに戻っていった。




