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タイトル未定2026/08/19 19:18

1. ロイドの旅立ち

父の一件で、祝いの席は流れてしまった。

それでも、ロイドの独立自体は決めていた通りに進めることにした。

「区切りは、決めた通りにつけます」

ロイドが、そう言った時、あたしは、無理にでも背筋を伸ばした。

ここで全部を先延ばしにしたらきっと二度と踏ん切りがつかなくなる。

そんな気がした。

甲板に、乗員たちを集めた。

簡素な、しかし丁寧な送別の場だった。


「長い間、世話になった」

あたしが短くそう言うと、

乗員たちの間から、ぽつぽつと拍手が起きた。


「マーシュさんがいなくなるの、正直、心細いっすね」

若い乗員の一人が、率直にそう漏らす。


「あたしがいなくてもシノお嬢がちゃんと導いてくれます」

ロイドは、いつもの几帳面な調子で、

しかし少し目を細めて答えた。


それから、二人、三人と、

それまで黙っていた乗員が、気まずそうに前に出てきた。

「シノ船長。すいません……。

あたしら、マーシュさんの新しい船に、

乗せてもらうことになりまして」


胸の奥に、鈍い痛みが走った。

だが、責める気にはなれなかった。

ロイドの実績と経験を知っていればこそ、

そちらを選ぶのは、むしろ自然なことだった。


「……分かった。達者でな」

それだけ言うのが、精一杯だった。

ロイドは、最後に、あたしの前に立った。

「困ったことがあったら、いつでも顔出してください」


「うるさいよ、いちいち」

そう強がって見せたが、声は思っていたより震えていた。


ロイドは静かに一礼すると新しい船へと向かって歩き出した。

その背中を、あたしはいつまでも見送っていた。


2. 残務整理

船を降りる前、最後の仕事として、

ロイドは帳簿と取引先リストの引き継ぎを丁寧に行ってくれた。

「これが、アンティカ方面の取引先一覧です。

金額の大きい順に並べてあります」


分厚い記録を捲りながらあたしは一つ一つ、目を通していった。

だが、途中、いくつかの記録に、微かな引っかかりを覚えた。

「……これ、何の項目です?」

金額だけが記されて、取引先の名前が空欄になっている行が、

いくつか混ざっていた。

日付も、他の記録とは少し違う書式で記されている。


ロイドも、その行を覗き込み、首を傾げた。

「さあ……。旦那の代からの、古い記録も混ざってるんでしょう。

 あっしも、全部を把握してるわけじゃないので」


それ以上、深追いする余裕は、二人ともなかった。

あたしは、それを一旦、頭の片隅に追いやった。

「まあ、いいか。今は、そこどころじゃない」

その時は、そう思っていた。

まさかそれが、後々、自分の生き方を大きく変えることになるとは、

この時のあたしには、欠片も想像できていなかった。


3. アンティカでの冷遇

ロイドが去ってから、初めてのアンティカ航路。

あたしは、緊張しながら、

取引先の鉱石卸業者――デュラン商会の事務所を訪ねた。

「お久しぶりです。今後とも、よろしくお願いします」


深く頭を下げたあたしに、

応対したデュランは、しばらく黙り込んでいた。

「……悪いが、ウラガさん」

デュランは、静かに、しかしはっきりと言った。

「おたくの取引、これで最後にさせてもらう」


「そんな……! 何か、こちらの不手際が」


「不手際じゃない」

デュランは、首を振った。

「あんたの親父さんとは、二十年来の付き合いだった。

 信頼ってのは、そう簡単に受け継げるもんじゃない。

 悪いが、これは、あんた個人の問題じゃなく、

 こっちの気持ちの問題だ」


その言葉に、何も言い返せなかった。

実力とか、努力とか、そういう話ではないのだと、

痛いほど分かった。

父が積み上げてきた歳月の重みに、

あたしはまだ、まったく追いついていなかった。

「……分かりました」

それだけ言って、あたしは事務所を後にした。

港へ戻る道中、悔しさと情けなさが、

代わる代わる込み上げてきた。


4. リストラ

デュラン商会だけではなかった。

それに続くように、いくつかの取引先が、

似たような理由で距離を置き始めた。

収益は、目に見えて落ち込んでいった。


「このままじゃ、維持費が持ちません」

古参の経理担当が、青ざめた顔で報告してきた。

船団の規模を、今のままの収益で保つのは、

もはや不可能だった。


「……船、一隻、手放すしかないか」

呟いた自分の声が、やけに他人事のように聞こえた。

手放すことになったのは、父が若い頃から乗っていた、

古参の輸送船だった。

買い手が決まり、最後の点検に立ち会った時、

あたしは、しばらくその場を動けなかった。

「父さんの匂いが、まだ残ってる気がする」

誰に言うでもなく、そう呟いた。

返事をする者は、誰もいなかった。


5. ヴォルテックスの取引先

沈んだ気持ちを引きずったまま、あたしはヴォルテックスへ向かった。

父を失い、取引先を失い、船まで手放したこの状況を、

コッホやアダムスにどう説明すればいいのか。

正直、気が重かった。


だが、二人の反応は、あたしの予想とはまるで違っていた。

「聞いたぜ、色々あったみたいだな」

コッホは、いつもの淡々とした調子で、

しかし気遣うように言った。

「それでも、うちとの取引、続けるつもりはあるか」


「もちろんです。

 あたしの方から、こちらを切るなんて、考えてません」


「なら、こっちも変わらねえよ」

コッホは、それだけ言うと、また作業に戻っていった。

飾らない、しかし確かな一言だった。


「あたしはお前の腕は、もう見てきた。

 今更、疑う理由がねえ」

アダムスも、いつもの調子で笑いながら、

あたしの肩を叩いた。


「あんたが命懸けで助けに来てくれたこと

 忘れちゃいないよ。

 取引先が何社離れようが、うちは、あんたとやる」

その言葉に、これまで張り詰めていたものが、

少しだけ緩んだ気がした。

すべてを失ったわけじゃない。

積み上げてきたものは、ちゃんとこうして残っている。


6. 自転車操業の始まり

アヴァロンへ戻る道中、あたしは、帳簿を広げて、

これからの見通しを何度も計算し直した。

ヴォルテックスとの関係は、確かに保てている。

だが、それだけでは、父の代の規模には、到底及ばない。

船は減り、収益は落ち込み、

頼れる大人はもう、そばにいない。

「……このままじゃ、いずれ立ち行かなくなる」

呟いた言葉が、狭い船内に、やけに重く響いた。

それでも、立ち止まっている暇はなかった。

翌日も、その翌日も、あたしは船を出し、

荷を運び続けた。

じりじりとした、終わりの見えない自転車操業の日々が、

そこから始まった。


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