お飾りの船長
1. 卒業
卒業式の日、父は柄にもなく、
スーツの襟を何度も直していた。
柄でもない緊張の仕方に、
あたしの方がおかしくて仕方なかった。
「そんなに畏まらなくていいだろ」
「うるせえ。
娘の卒業式くらい、まともな格好で来るのが親ってもんだ」
そう言いながらも、証書を受け取るあたしを見る父の目は、
いつもよりずっと柔らかかった。
帰りの船内、いつもの操縦席で、
父は改まった調子で切り出した。
「シノ。今日からお前がアヴァロン-ヴォルテックス航路の船長だ」
「……本当に?」
思わず声が上ずった。ずっと待っていた言葉だった。
「ああ。肩書きは、お前にやる」
父は、そこで少し間を置いた。
「ただし」
「ただし?」
「実地のことは、まだロイドにちゃんと教えてもらえ。
船長になったからって、聞く耳持たなくなったら、
それこそ半人前だ。肩書きだけの船長ってのは、
この銀河にごまんといる。
中身のある船長になれるかどうかは、
これからのお前次第だ」
「……分かってるよ、それくらい」
口では強がったが、内心は複雑だった。
ようやく認められたという高揚と、
結局「これから」だと釘を刺された悔しさが、
半分ずつ胸の中でせめぎ合っていた。
2. 初出航
船長として初めての出航。
操縦桿は、あたしが握った。
隣にはロイドが座り、
いつも通り、細かい指示を飛ばしてくる。
「もう少し、加速は控えめにいきましょう。
ここの航路初速で無理すると燃料の消費が跳ねます」
「分かってるよ」
「分かってても、体が先に動いちまうのが、
シノお嬢の癖ですからね」
言い返せなかった。図星だった。
「そこの角度、計器もう一度見といてください。
ヴォルテックスの重力場、この時間帯だけ、
ちょっとクセがあるんで」
ロイドの声は、始終、横から飛んでくる。
完全に一人でやっているわけではない。
それでも、手の中にある操縦桿の重みは、
確かに自分のものだった。
キャビンの奥では、古参の乗員たちが、
荷の積み付けを確認しながら、
小声でやり取りをしていた。
「船長、今日から代替わりだってよ」
「代替わりって言ってもなぁ……」
言葉は途中で濁されたが、その先が何を意味するかは、
聞かなくても分かった。
誰かが判断を仰ぎたそうな顔をすると、
視線は決まって、あたしではなくロイドの方に向く。
それが、悔しいくらいはっきりと見えた。
3. ヴォルテックス到着、コッホとの初対面
ヴォルテックスでは養鶏場から尋ねることにした。
軌道ステーションについて、
養鶏場の経営者のコッホと初めて目な記した。
着くなり、コッホは、あたしとロイドを一瞥した。
「今日は、鳥どもの様子見と、機械の点検だ。
荷を持って帰りたいなら、ついてくるといい」
大柄な体を折り曲げるようにして降下艇のハッチをくぐりながら、
コッホは素っ気なく言った。
地表に降りると、低い重力のせいで、
足取りが妙に軽く感じられた。
空気は乾いていて、遠くに独特の香辛料の匂いが混じっている。
生育槽が並ぶ施設は、ほとんど自動化されていて、
普段は人の気配がないのだと、ロイドが小声で教えてくれた。
「この時間帯だけ、餌の配合バランスを手動で見直すんだ。
放っておくと、寒暖差で鳥どもが弱る」
コッホは、慣れた手つきで制御盤を操作しながら、
独り言のように説明する。
あたしは、その後ろについて回りながら、必死に頷いていた。
「この機械、いつからのものです?」
思わず尋ねると、コッホは初めて、少しだけあたしの方を見た。
「先代の頃からだ。
もう部品も、正規のルートじゃ手に入らねえのが多い」
「じゃあ、故障したら」
「その時ゃ、その時さ」
素っ気ない返事だったが、そこには諦めではなく、
慣れた者の淡々とした覚悟のようなものが滲んでいた。
「取引条件、いつも通りでいいかね」
コッホは、点検作業の合間、思い出したようにロイドへ話を振った。
「その辺りは、船長のシノに聞いてもらえますか」
ロイドが、あえてそう答えるのが分かった。
だが、コッホの視線は、機械の方に戻ったまま、
ほとんどあたしを素通りしていく。
「あたしが船長ですけど」
思わず口を挟んだが、
コッホは「ああ、そりゃそうだろうね」とだけ返し、
結局、条件の確認自体はロイドとのやり取りで進んでいった。
悔しさを飲み込みながら、
あたしはただ、鳥たちの様子を眺めるふりをして、
その場をやり過ごすしかなかった。
4. アダムスとの初対面
続けて訪ねたのは、漁のタイミングに合わせた海域だった。
ネリー・アダムスの船団は、ちょうど地表へ降下する直前で、
慌ただしく機材の最終確認をしているところだった。
「船長さんも、乗ってくかい」
アダムスは振り返りもせずにそう言うと、
返事を待たずに降下艇へ乗り込んでいく。
あたしは戸惑いながらも、後を追った。
海面すれすれを滑るように進む漁船の上で、
アダムスは網の展開を指示しながら、
時折あたしの方に視線を寄越した。
「あんたが船長になったんだな」
値踏みするように、
あたしを頭のてっぺんから足の先まで眺め回す。
「お飾りの船長さんが、
わざわざ漁について来るとはご丁寧なことで」
言葉には棘があったが、コッホのような素通りとは、
少し質が違った。
アダムスの目には、値踏みだけでなく、
微かな好奇心のようなものが混じっていた。
「面白い顔してるじゃないか。悔しそうな目してさ」
「……別に」
「別に、って顔じゃないよ、それ」
アダムスは笑って、それ以上は深追いしなかった。
網が跳ねるように引き上げられ、
見慣れない色形の魚が甲板に躍る。
あたしはとっさに手を伸ばし、
逃げそうになった一匹を押さえ込んだ。
「お、やるじゃないか」
アダムスが、初めて少しだけ、感心したような声を上げた。
その日、船に戻るまで、あたしはずっと、
興奮と悔しさが入り混じった、妙な高揚感を抱えていた。
5. 船内での夜
帰路の船内、狭いキャビンで、あたしはロイドに愚痴をこぼした。
「ロイドさんが全部やった方が、
正直、早いんじゃないですか。
あたし、今日、ほとんど突っ立ってただけです」
ロイドは、帳簿を整理する手を止めずに、静かに答えた。
「操縦桿、今日はずっとシノお嬢が握ってたでしょう」
「それは、そうですけど」
「あっしは、隣で口を出してただけです。
実際に船を動かしてたのは、シノお嬢ですよ」
「でも、コッホさんもアダムスさんも、
結局あたしのこと、見てすらいなかったじゃないですか」
「肩書きは、最初は誰だって形だけです」
ロイドは、帳簿から顔を上げ、あたしをまっすぐ見た。
「中身は、これから自分で詰めるもんですよ。
今日一日で分かってもらおうなんて、
そっちの方が虫がいい話です」
それから、少し柔らかい声で続けた。
「旦那もあっしも、
シノお嬢が形だけで満足するような人だとは、
これっぽっちも思ってませんから」
その言葉に、何も言い返せなかった。
ただ、少しだけ、胸の内がすっと軽くなった気がした。
6. 父との会話
港に戻り、船を降りたところで、父が待っていた。
「どうだった、初仕事は」
「……さんざんだったよ。コッホにもアダムスにも、
まるっきり相手にされなかった」
父は、それを聞いて、声を上げて笑った。
「そりゃそうだろうよ」
「笑うなよ」
「なめられて悔しいなら、なめられなくなるまでやるしかねえ。
俺も、お前くらいの頃は、もっとひどかったぞ。
相手にもされねえどころか、値切られた挙句、
荷物投げ返されたこともある」
「……マジかよ」
「マジだ。今度、酒の肴に聞かせてやるよ」
父は、あたしの肩を軽く叩いた。
「そのうち、あの二人が、
お前のこと放っておけなくなるようにしてやれ。
時間はかかるだろうが、お前ならできる」
その言葉が、変に胸に残った。
悔しさの後ろに、小さな闘志のようなものが芽生えていくのを、
あたしは感じていた。




