第14話:崩落する虚飾
第14話:崩落する虚飾
「ふぅ……やはり家は落ち着くな」
雷斗は豊がオムライスを頬張る姿を満足げに眺め、小さく息を吐いた。長旅の運転、そしてキャンプ場での慣れないテント生活。エリート建築家である彼の体は、自分が設計したこの「完璧な城」の安らぎを渇望していた。
どっと押し寄せた疲労に耐えかね、雷斗は何気なく、背後の壁に手をついた。
そこは、安藤との死闘の末に健一たちが「修復」したはずの場所であり、美咲が視覚的な歪みで「正常」に見せかけていた、この家で最も脆弱な箇所だった。
――バリッ、ボゴォッ!!
乾いた破壊音がリビングに響き渡った。
雷斗が体重をかけた瞬間、石膏ボードと輸入壁紙で急造された「偽物の壁」は、砂の城のように脆く崩れ落ちた。
「な……っ!?」
雷斗の体が、崩れた壁の向こう側へと吸い込まれるように倒れ込む。そこは、健一たちが必死に隠し続けてきた、濁った水が渦巻く「暗黒の余白」だった。
壁が崩れたことで、美咲が仕掛けた鏡の反射による「視覚の魔法」も完全に解けた。
支えを失った鏡がスライドするように倒れ、その背後に溜まっていた数トンの水が、せきを切ったように雷斗の足元へとなだれ込んだ。
「うわあああ! なんだ、これは!」
雷斗の悲鳴と共に、リビングは一瞬にして濁流に飲み込まれた。
豊が座っていたダイニングテーブルが大きく揺れ、黄金色のオムライスが皿ごと水面に落下する。ケチャップの赤が、泥水の中に不気味に溶け出していった。
そして、浸水した闇の中から、恐ろしいものが姿を現した。
「……やっと、お目にかかれたな。雷斗」
水面から、亡霊のように安藤が這い上がってきた。その背後には、バールを握りしめたまま、獣のような目をした山岡が控えている。
さらに、彼らを押し留めようとしていた健一、誠、美咲の三人も、水浸しの床に投げ出された。
「安藤……? なぜ君がここに……。それに、佐藤さん、君たちは……」
ずぶ濡れになりながら立ち尽くす雷斗の前に、佐藤家四人が一列に並ぶ形になった。
高級バスローブを羽織った誠、エプロンをつけたまま震えるよし江、そして、冷徹なまでに冷静な瞳をした健一。
「旦那様。……いえ、高田先生」
健一が一歩前に出た。彼の脳内では、もはや隠蔽のシミュレーションは停止していた。ここからは、記録されるべき「終焉」のプロセスだ。
「この家には、最初から隙間があったんです。あなたが『完璧』だと思い込んでいた設計図の中に、僕たちが入り込むための、そして安藤さんたちが生き延びるための、巨大な空白が」
「ふざけるな! 寄生虫どもが……私の家を、私の人生を滅茶苦茶にしやがって!」
雷斗は逆上し、足元の水を蹴りながら健一に掴みかかろうとした。しかし、その時。
――ピンポーン。
空気を読まない軽快なチャイムの音が、地獄絵図のリビングに響いた。
玄関の大型モニターに映し出されたのは、優雅に微笑むるかと、その隣に立つ高梨彰人だった。
「パパ、ただいま。……あら、もうパーティー始まっちゃった?」
るかの声がスピーカーから流れる。
雷斗は呆然とモニターを見つめた。
「高梨……? 君はアメリカにいるはずじゃ……」
「先生、お久しぶりです。……素晴らしいですね、この光景。僕が健一をここに送り込んだ甲斐がありました。建築とは『空間』を造ることですが、生活とは『空白』を奪い合うことだ。それを証明したかったんですよ」
高梨の声には、かつての友を思いやる響きなどは微塵もなかった。彼はこの状況を、巨大な実験装置の観測結果として楽しんでいた。
るかが玄関の鍵を開け、二人がリビングに足を踏み入れる。
高梨は、水没したリビングを眺め、足元に浮いているオムライスの残骸を愛おしそうに見つめた。
「健一、14冊目のノートの答えは見つかったかい? 『家の中心にあるレバー』の正体だよ」
健一の脳内で、パズルの最後のピースがはまった。
雷斗が手をついて崩した壁の真下。そこには、この家の基礎を支える排水システムではなく、**「家全体の構造をパージ(分離)させる」**ための、雷斗さえ忘れていた試作段階の緊急レバーが存在していた。
「……逃げろ!!」
健一が叫んだ瞬間、家の底から、今度こそ決定的な破壊音が響いた。
高級住宅街の象徴であった高田邸が、自らの重みと浸水の圧力に耐えかね、中央からゆっくりと折れ曲がり始めた。




