第11話:欠落した設計図
第11話:欠落した設計図
「まずは、お前からだ」
山岡が野太い声を上げたと同時に、重厚なバールが空を裂いた。狙われたのは、テーブルの端にいた健一だ。
健一の脳内には、サヴァン特有の**「予測映像」**が走る。バールの軌道、山岡の踏み込み、風を切る音。彼は反射的に体を捻り、バールはミリ単位の差で健一の肩をかすめ、大理石のテーブルを粉砕した。
「健一!」
美咲が叫ぶ。リビングの静寂は一瞬で、暴力と破壊の濁流へと飲み込まれた。
山岡は、解雇された恨みを全てバールに乗せ、狂ったように振り回す。かつて雷斗のために優雅にハンドルを握っていた男の面影は、そこにはない。
「逃げろ! 地下だ!」
父・誠が、雷斗の秘蔵のワインボトルを山岡に投げつけ、家族を促した。
佐藤家の四人は、美咲が改造した「壁の隙間」へと滑り込んだ。
しかし、そこはもはや安全な隠れ家ではなかった。るかがセキュリティをロックしたせいで、照明系統が死に、家全体が漆黒の闇に包まれている。
「美咲、予備のライトを!」
「ダメ、電気系統をあいつら(安藤たち)にハックされてる……。暗視モードすら起動しない!」
健一は暗闇の中で目を閉じた。
彼にとって、光の有無は重要ではない。彼の脳内には、この一年の間に蓄積された**「高田邸の完全な3Dデータ」**が焼き付いている。
「僕の指示通りに動いて。……父さん、左に三歩。そこに補強用の鉄骨がある。母さん、その足元の段差は15センチだ」
健一の「記憶」が、暗闇の中の灯台となる。
佐藤家は、健一の指示という細い糸を頼りに、安藤たちが知らない「自分たちで作った隠し通路」を通り、リビングの真下へと回り込んだ。
しかし、安藤はそれを見越していた。
「佐藤健一。お前の記憶力が頼りなのは分かっている。……だが、その記憶は『正しい』のかな?」
通路の角を曲がった瞬間、先頭を走っていた健一の足が、何もないはずの空間で宙を舞った。
「うわあああ!」
階段があるはずの場所。健一の記憶では平坦な床だったはずの場所が、ぽっかりと奈落の底のように口を開けていたのだ。
間一髪、父・誠が健一の襟元を掴んで引き上げた。
「健一、しっかりしろ! 記憶と違うのか?」
「……そんなはずは、ない。ここは昨日まで、確かに……」
健一は混乱した。自分のサヴァン的記憶が間違っているはずがない。
しかし、そこで彼は安藤の「狂気」の正体に気づいた。
安藤はこの数日間、潜伏しながら、家の構造そのものを物理的に書き換えていたのだ。
安藤は、配管スペースから密かに壁を剥ぎ取り、階段の位置をずらし、床板を細工していた。
健一の持つ「完璧な地図」を逆手に取り、彼を**「自分の記憶という名の罠」**に嵌めようとしていたのだ。
「姉ちゃん、この家の設計図を捨てて!」
健一は暗闇の中で叫んだ。
「僕の記憶にある『過去』はもう罠だ。今の、生身の感覚で『新しい家』をスキャンしなきゃならない!」
健一は自らのサヴァン能力を、過去の記録から、**リアルタイムの感知**へと強制的にシフトさせた。
壁を伝う微かな空気の流れ、安藤たちが歩く振動、山岡の荒い息。
目に見える映像ではなく、全神経を研ぎ澄ませた「音と震え」で、家を再構築していく。
その頃、キャンプ場のテントの中で、るかはスマホの画面をタップしていた。
画面には、サーモグラフィで捉えた家の中の「六つの熱源」が、もがくように動き回っている。
「ねえ、パパ。どっちのネズミが賢いと思う?」
「るか、またその話か。……おやすみ」
隣で眠る雷斗は、自分の家で繰り広げられている命懸けの「鬼ごっこ」など知る由もない。
るかは、画面上の健一の熱源を見つめ、指先で優しく撫でた。
「先生、あなたの記憶はいつ『現在』に追いつくのかな? ……それとも、追いつく前に、安藤さんに食べられちゃう?」
るかが指を弾くと、遠隔操作で高田邸のスプリンクラーが作動した。
家中に冷たい水が降り注ぎ、暗闇の中での「音」さえも消し去っていく。
健一の耳に、バールがコンクリートを叩く、死の足音が近づいてきた。




