―繋― 02:記者のカノ 後編
カノは手元の手帳を見下ろす。貴重な紙を使ったそれは使い込まれてぼろぼろだ。
「この世界の奴隷。実験生物」
「はあ?」
気にせずに、カノは走り書きの多い己の手帳の表紙を撫でた。紙を作るものがいなくなれば、もう手帳や手紙がなくなるかと言われればそうではないだろう。真実かどうかは別として、動物の皮膚を紙の代わりに使う方法も、鉱物に彫刻をする方法もある。結局のところ、人間というのはなにかを生産し、そして破壊をすることを繰り返してただ滅亡への道を進んでいるのかもしれない。
たった五十年足らずしか生きられない生物ではあるが、ウラノメトリアがない時代の人間は百年は生きることが可能という眉唾な話もある。
ばからしい。知能の高い生物がわざわざ寿命を縮めるようなモノを作り出すか?
そうは思う一方で、やりかねないとも思っている。人間は倫理的に物事を判断できるとされているが、できない者もいる。
曇天の空を汚い窓硝子越しに眺める。一定の位置を連なり、漂っている厚い灰色の雲は雨雲ではない。そんなものよりも、よほどタチの悪いものだ。
ウラノメトリア。粒子のマシン。人間の裸眼では認識できない極小のマシン。この世界を覆う毒のマシン。あらゆる生物、あらゆる存在に降り積もるマシン。
当然ながら人間の肉体にもウラノメトリアは蓄積される。だから寿命が五十年なのだ。蓄積量が限界に達すれば許容できずに死亡する。大昔の負の遺産と呼ばれる、害悪であるマシン。
だがどんな毒も、薬に転じれば役立つと考える存在はいる。可能性を捨てないのはいいことかもしれないが、では、ウラノメトリアはどこから来たのか?
どこにも記録は残されておらず、今は動力の一つとして利用されている。毒なのに、だ。
排除できないなら利用しようと考えるのは、生き汚い人間ならやりそうだ。ウラノメトリアはどこにでも存在しているのだから、資源としても申し分ないだろう。
(ウラノメトリア……専門の研究施設もあるし、いつか調査したいけど……)
いまいち、いい知らせが入ってこない。ウラノメトリアを利用したマシンは金を持っている施設などに普及はしているが、平民の生活には馴染みが薄い。
カノもなかなか目にすることができないので、いっそ軍の施設に潜り込んでみるかと物騒なことを考えたこともある。
ウラノメトリアの研究は、軍と密接な関係にある。巨人を想像したような姿のマシンである『マギナ』を一番多く所有しているのが軍だからだ。
幼い頃の悪夢のような出来事を思い出すマギナのことを、カノは恨んではいない。
あの老婆だっていつか死んだ。それがあの時だっただけ。
マギナに乗っていた連中は軍人ではないが、あの後に捕まって処刑されたという話は聞いていた。いつまでも捕まらない盗賊もいる中で、すぐに捕縛されたことは珍しい。
ここアスバ国は五大国の一つではあるが軍事力はそこまで大きくない。国で一番のハンドラーは貴族の令嬢だったというカペラではあるが、派手好きな美人であまり評判は良くない。一般的な平民が軍のハンドラーに会うことなどないので、噂でしか聞いたことがないがそうらしい。
(ハンドラーなんて、だいたいどれも同じだと思うけどね)
顔も忘れてしまったが、一度だけハンドラーに会ったことはある。あれは遭遇と言うべきだろう。本当に偶然だったが、カノの心にはあの時のやり取りがいつまでも残り続けていた。
今までに会ったことのない価値観の、同い年くらいの少女。
(そういえばあの時も国境付近だった……。もう一度会えたら話したいとは思うけど……そんなことは起きないだろうな。私は物語の中で生きてるわけじゃない。劇的ななにかを求めてるわけでもない。ただ……)
そう、ただ。
立ち止まりたくないだけだ。
「カノ、『ドミニコス・アレルヤ』に潜入するって本気か?」
心配そうな思考を混じらせた声を向けられるが、カノは普段通りに特に興味もない様子で頷いた。
「ええ。イーハトーブへ行ってみる。この世の楽園とされる街の人たちの声を取材するのもいいと思うから」
「だが……」
「一筋縄ではいかないのはわかってる。でも私は、考えることをやめたくないから」
記者をやることにしたのも、自分の声をただ届けたいだけではなくて……今を生きる人たちにただ受け入れるだけではなくて、疑いを持って欲しいからだ。
いつか死ぬとしても、ただ流されて生きていくよりも水面に投じた一石になればいい。
広がった波紋はいつか消えてしまうだろう。自分もあと三十年生きられればいいほうだ。だけど自分のように、この世界を疑問に思いながら調べていく人生もある。
未来は見えない。あの老婆のように突然死ぬかもしれない。だから、後悔しないように自分のしたいことをやっていこう。
薄暗い空が硝子越しに見える。もしかしたら、雨が降るかもしれない。




