―繋― 01:記者のカノ 前編
世界は矛盾だらけで出来ている。
――――カノは常にそう思って生きてきた。
他人と比較することで己の位置を確認できるということは、不幸であると考えていた。比較対象が存在していなければ、己が誰かよりも不幸せであるか、それとも幸福であるかというものを測定できてしまうからだ。当然、それは個人の解釈の違い、体感の違い、価値観の違いで差が出てくるものではある。
なにがその人にとっての幸せであるかというのは、人間は個体差がある以上は永遠に決まらないことであるとも、考えていた。答えが明確にないことで、個体差を認識して、そしてそれぞれの価値観で幸・不幸を決めつけ、比較対象とのあらゆる『差』を感じてしまうものなのだ。
もちろん、そうはならないひともいることを知っている。他人と比べない。確固たる意志を持ち、己の価値観に絶対的な信頼を持ち、揺るがない精神を持っている人間はいる。だが他人から見た『そのひと』は、幸せでもあり、不幸でもあるはずだ。なぜなら、生物はまったく同じ存在がいないからだ。そう思っている。
悲しいことに、善良なるひとは幸せになって欲しい、報われて欲しいと願うのに、そんなものは空想の中にしか存在せず、ひとは一分一秒の人生を、常に選択しながら進むしかない。振り返ることもできないし、やり直すこともできない。願ってやまないものであるはずなのに、結局それを実現することができないということは、ひとというのはどこまでも結局、不幸である人間を生み出さなければ幸せになれないという宿命があるのかもしれない。
角のパン屋のおばあさんは、その解釈で言えばカノにとっては『善良』と区別されるべき存在ではあったが、他者にとってはお人好しで、格好の餌食だった。彼女は財産をほぼ持っておらず、たいしておいしくもないパンをずっと売り続けていた。その日を生き延びれば、それ以上のことを望まない……それだけでいいと微笑む老婆だった。
人間はウラノメトリアの吸収過多によって寿命が五十年とされているが、この老婆はその年齢に差し掛かりそうではあった。
カノは口を酸っぱくするほどに老婆に心を砕き、何度も何度も、数えきれないほどに忠告をしていた。
ずる賢い人間がいる。また騙されるかもしれない。どうか、どうかこれ以上…………目を背けたくなるようなことにならないで欲しいと、願っていた。
貴族は貴族で悩みがあるだろうが、平民は平民で悩みが尽きない。そこにはきらびやかな日々はないが、たまに少しの幸運でいつもより駄賃をもらって、パン屋の老婆から甘いパンを買いそれを頬張ると、嬉しかったし、おいしいと感じていた。貴族たちが豪華な食事をしていることに比べれば、粗末なものだろう。栄養は偏るし、傍から見れば惨めに見えるだろう。
そんなささやかな少しの幸運でさえ、踏み躙られてしまう。
配達の仕事を手伝っていたカノは、少ない駄賃で老婆のもとへ向かった。いつものように、あの角を曲がった先で老朽に足を突っ込んだような建物で、扉を開けたそこで老婆が「いらっしゃい」としゃがれた声で微笑んでくれるのだと、なぜか、信じていた。
角を曲がったそこの廃れた赤い軒のパン屋は、巨大な人型マシンによって踏み潰されていた。マギナだ。そう認識した時にはもう、周囲は悲鳴の嵐に包まれていた。襲われた町の人々が一斉に逃げ出し、その凄まじい波に吞まれるようにしてカノはパン屋だったものから遠ざかっていった。
老婆は住処であったパン屋とともに圧し潰されてしまった。
カノが見ている限り、あの老婆が誰かに迷惑をかけたところは見たことがない。だがそれはカノの視点に過ぎない。どこかの誰かは老婆を汚いと罵り、早くくたばれと思っていたかもしれない。誰からも平等に同じ感想が出るはずなど、ないのだから。特に気位だけは高い貴族ならば、不味いパンを作るだけの老婆など、ただの汚物に見えるだろう。
奪い、奪われる世界。
それほどたいしたものを望んでいない存在でさえ、無残に無遠慮に、踏み潰す世界。
カノは生き残った。これが村という規模であれば、もっと悲惨なことになっていたはずだ。あちこちに点在する小さな村は、狙いやすいと聞いたことがある。
当然だ。村に住む者たちは、よわい。よわいから、人数がすくないから、簡単に、うばえる。手間が省ける。
理解はできるが、賛同はできない。世界は、生み出す者がいなければ、ただ消費するだけになってしまうからだ。資源の奪い合いがまさにそれだ。人工的に作れないから、限られたものを奪取し、略奪するしかないのだ。
カノはこの世界が、いや、人間が、さっさと滅べばいいと考えていた。無駄に思考できる力があるせいで、ただ単純な生命のありようから、外れていると思っていた。
牛や豚だって、人間が家畜として管理しているから食卓にのぼる。管理していなければ狩り尽くして絶滅してしまうからだ。
小麦や稲だって、人間が様子を見ながら手塩をかけることで味の水準があがる。そしてそれを作るのは、おもに村人だった。
いろんな人間がいる。奴隷だって、きっと探せば存在はしているだろう。下人だという名称だけで、されていることは奴隷と同じならば、それは間違いなく奴隷だ。いや、人間というのは。
「奴隷かもしれない」
独り言に、え? と振り向いたのは、同じ記者の男だった。記者と言えばいかにも大層に聞こえるが、やっていることは情報屋だ。
大衆向けの新聞「ガイアの道標」の記者・カノの物語開始です。
「繋」となります。
よろしくお願いします。




