―戦― 11:行方
ドミニクは表情を醜く歪めた。彼女は本当に、ルルゥの知るドミニクと同一人物なのだろうか。そう疑ってしまうほど、小柄な女は見たこともない表情を浮かべている。
持っていた小さな金槌を、長い柄で軽く振る。それについたサビクの血が、びちゃ、と勢いに乗って壁に散った。
「いけないねえ。病院を抜け出して来たのかい、ポルックス妹」
「……あなた、何をしているの」
「んん~? 前からこいつのこと、気に入らなかったから殺しただけだよぉ」
…………は?
床に倒れているサビクの頭を、再び金槌で叩く。血と脳漿が飛び散った。
「聖女様と似てる雰囲気とか、ほんっと許せないよねぇ。中途半端な顔も腹が立ったしさぁ。これで国王の血を引いてるとか笑っちゃうさぁ」
「国王?」
「婚外子ってやつだよぉ。可哀想に。親が猿だからこんな、目にっ、あっちゃってさぁ!」
がん、がん! がんっ!
思い切り勢いをつけて振り下ろされるそれに、まったくサビクは反応しない。床に散った血の一部が、ざらりと空中に溶けた。
「こいつの責任じゃないのにさぁ! 親のせいなのに、肩身の狭い思いをさせられてさぁ、ほんっと可哀想だよねぇ、あの方に似てなければ、同情してあげたんだけどさぁ!」
なにが、起こっている?
「あーあ。しつこいから我慢できなかったんだよ。わしのせいじゃない。こいつがあんたの姉の行方についてずぅぅーっと詰め寄るからさぁ」
「どういうこと」
ルルゥの瞳が見開かれる。
ドミニクが「あれぇ」と呟き、それからくつくつと喉を鳴らした。不気味なほど低い、笑い声。
「ニセモノが図々しくマギナに乗ってるから、どうしてやろうかとずーっと、ずーっとさ、考えていたんだよねぇ」
大仰に両手を開き、肩をすくめる。どこか芝居がかった動きに、ルルゥは距離をとった。相手は武器を持っている。迂闊に近寄れば、サビクのようになる。
ちらっとサビクに一瞥を向けるが、完全に頭蓋骨が陥没していた。もう、助からない。そのうち彼のなにもかもが、空気に散るだろう。
「マギナに乗る正当な権利を持つのは我々なのに、図々しく我が物顔で乗ってるものだから、ついね。神に選ばれてもいないやつに、前から腹が立ってたんだけどさぁ」
(神? なにを言っているの)
そんな空想上の存在のことをここで持ち出す?
軍の訓練では護身術くらいしか習っていない。使い捨てのラヴァーズに余計なことを教える者はいないのだから。
(剣ほどの長さはない。でも、軽いだけに振り回されたら危険)
武器を取り上げるほどの腕はない。けれど、逃げるわけにはいかない。
消えたフィフィのことを、この女は知っている!
「知らないっつってんのに、ほんとしつっこいったら。笑える。まあでも、嗅ぎまわってたってんだから殺すしかないんだけどさぁ」
じりじりと距離をとりながら、周囲を見る。金槌を振るわれて防げるほどの強度のあるものが、見当たらない。
冷静に考えれば、逃げるべきなのだろう。けれどおそらく、この女はその隙に姿をくらます。そうなっては姉の行方はわからないままだ。
近づいてくるドミニクと一定の距離を保っていると、彼女はにやっと笑った。
「でもまぁ、こうして天罰は下ったわけだ。わしらのほうが正しいって証明になったからまあいいさ」
「ドミニク……」
「そう! わしはドミニク! あの方のために存在するドミニク! あんたは土産に連れて行くよ。貴重な人間だからね」
「ふざけないで」
「かかか。武器も持たない娘っ子がなにを言ってるのさ。ハンドラーもラヴァーズも、しょせんは神の作った駄作なのに」
駄作。
姉と比べられることはよくあった。
周囲の人間たちがこぞって姉に向けて言った、言葉。
妹と比べて目立たない。妹に比べてクラススコアが平均より少し上程度。
いいえ違う。姉さまはどんなやっかみも受け入れて、ハンドラーとして戦うことを決意した崇高な人!
ぶちりと頭のどこかで何かが切れ、ルルゥはその閉じていた視界を、『ひらいた』。
思わず、口から笑い声が洩れてしまう。
「そんなちっぽけな光で、なにを言っているのかしら」
姉の足元にも及ばない。
「マギナを動かすことすらできないわね、そんな光なら。せいぜい使い捨てのラヴァーズくらいよ」
「…………おまえ、なにを見てる?」
「あなたの言う『聖女様』とやらも、勘違いをしているのではなくて? どうせマギナを操れるほどの技量もないからあなたみたいなのを使っているのでしょうし!」
瞬きを一度。
次の瞬間にはドミニクが金槌を振り上げて襲い掛かってきた。速い。
身のこなしがおかしい。身軽にしても、この距離の詰め方は……!
ルルゥはしっかり相手を見ていた。視線を外すことが今は危険だと、本能で理解していた。医務室にはなにがあるのかも、よく来ていた時に観察していたおかげかもしれない。
突っ込んで来たドミニクを避ける。金槌が背後のドアを粉砕した。すごい力だ。
(ぎんの、ひかり)
明らかに異物と思えるような、金色に混じる銀のそれに不快さが増した。
ふーふーと荒い息を吐き、血走った目でルルゥを見てくるドミニク。まともに相手をするべきモノではない。廊下へ逃げるという選択肢はなかった。
単独犯なわけはない。姉の居場所を吐かせたいが、難しいだろう。悔しくてたまらない。
結局なにもできない。なにかできる、大きな力なんてものは持っていない。こんな『目』があっても、なにも変わらない。
(あの時みたいに)
テラスト国の凄いハンドラーとの戦闘中に起こった、奇跡のような出来事。もう思い出すのも難しいあの時の恐怖。
こちらをぎらりと見ては金槌を横へ、上から下へと、無遠慮に、力任せに振ってくる。当たれば痛い、なんて言葉では済まない。
室内の物が破壊される中、ルルゥは光の動きを追ってかろうじて避けていた。しかし息が上がってくる。ドミニクはまったく疲れた様子がないのに。
(なんなのよ、本当に!)
「死ね、死ね死ね死ね! 偽物が! 神を侮辱する存在のくせに!」
避けられない!
目の前に迫る、上段から振り下ろされる金槌。ドミニクの手に異様に集まっている銀色の輝き。彼女の体内を巡る血液の光が鈍い。これは……。
どごっ。
追い詰められて壁に背を預けていたルルゥの目の前で、ドミニクの小さな体躯が真横に吹き飛んだ。
視線を、そちらに遣る。
頭蓋を潰されたはずだ。脳漿を散らし、絶命していたはずだ。両の瞼が閉じられているが、目元がひどい損傷なのはわかる。
両手で持っていた室内の椅子をその場に落とし、血まみれのサビクはぜぇぜぇと息を吐いた。
「サビ……」
「…………」
彼の周囲には大量の金色の光が舞っていた。美しい旋律のように、彼を治癒している。
(うそ…………)
なぜ彼が前線へ送り込まれないのか。
なぜ彼は整備班に配属されているのか。
なぜ戦いへは行けないと辛そうだったのか。
殴られて吹っ飛んだドミニクは、血の混じった唾を吐き出して起き上がる。
「このクソ野郎……よくもよくもよくもよくも! ニセモノがああああああああ!」
「預言者の子らよ」
サビクの指先が、立ち上がったドミニクへと向けられた。
「秒針を進めよ」
ドミニクはなにをされたのか気づくことはない。
ルルゥの視界では、周辺すべてのウラノメトリアが一斉にドミニクへ「命令を行使」した。
マギナにも乗っていないのに、そんなことができる人間がいるなんて。
「な、なにぃ、をぉ……」
駆けようとする足や手がみるみる痩せ細り、髪から色素が抜けた。肌には皺や染みが浮かび、脂肪が落ちていく。
サビクは、ハンドラー適性があったのだ。
国王の私生児だから存在を隠されていた。叔父によって戦場へ出ないように仕組まれていた。
そして。
(このひとも、突破、した…………)
姉よりも才能があったのに、戦いに赴くことが許されずに黙々とマギナの整備をしていた男。
自分自身の存在の矛盾に、一番心を痛めていた人物。
そもそもサビクは、以前はこうではなかった。これほどまでに、ウラノメトリアの光は強くなかった。あの、空の蒼が見えた日を境に彼は変わったのだ……ルルゥ同様に。
ドミニクがみるみる老いていく……あれが、老人、というものなのだ。見たことがない。人間はあんな風に細くなって、枯れ木のようになるのだ。
落としていた金槌を探そうとする動きの途中で、ドミニクはその場にぐしゃんと……おちた。荷物を無造作に落とされるような、無様さで。
「な、ぃ……ぉぉ……」
歯の抜けた渇いた唇を動かしてなにか言っているが、理解はできない。彼女はそのままばふんという音と共に、散った。
「……はぁ……る、ルルゥ……こ、ここから急いで……に、げ……」
膝をつくサビクだったが、伸ばしたルルゥの手を力なく払いのけた。
「はや、く……なかまが、来……逃げ……て……」
「でもあなたは!?」
「叔父さんが、い……から、だいじょ……ぶ」
でもどこへ行けば。
人脈もない。父も母も頼れない。姉の行方もわからない。
「叔父さんに、会って……はや、く」
そのままサビクが意識を失って倒れる。受け止めようとしたが、やめた。急いで医務室を出る。
ウラノメトリアがきっと彼を助けてくれるはずだ。彼は、姉よりも才覚がある。あの瞳はきっと元には戻らないだろうけど。
走る。とにかく走るしかない。
味方なんてものは、いない。だから一人でやるしかない。姉を探す。確かになにもできない。でも。
(できないからって、諦められないもの!)
世界でたったひとつ、ずっと大切にしてきた心の支えなのだ。ウラノメトリアの光が導いてくれる。ワタシの行くべき道を、今だけはその光で照らしていて…………!




